ひとこと・ふたこと・時どき多言(たこと)

〈ゴマメのばーば〉の、日々訪れる想い・あれこれ

メロディと一緒に、夕空に昇って行ったような・・・

2023-08-31 07:10:50 | 日記
いつまで真夏は居座っているつもりなのでしょう。
もう、そろそろお引き取り頂けませんか。
涼しい秋に席を譲ってください。
8月も末日ですから。

そんなことを夕空に向かって呟いてしまう私です。
〈ゆっくりしている〉と言えば、いい表現ですが、「デレ・ダラ」の日を過ごしている私。

パソコンに向かう時間が少ないと読書が捗ります。
『運転者』(喜多川泰 著)を読みました。
この作家さんの書籍は初めてです。



《運は〈いい〉か〈悪い〉で表現するものじゃないんですよ。
〈使う〉〈貯める〉で表現するものなんです
先に、〈貯める〉があって、ある程度貯まったら〈使う〉ことができる。
運は後払いです。何もしていないのに、いいことが起こったりしないんです。
周囲から〈運がいい〉と思われている人は、貯まったから使っただけなんです。》(本文から)


内容は記しませんが、何か懐かしく暖かなものに包みこまれた私でした。
後部座席に私が乗って、『運転者』は、母・父・姉・兄・お世話になったあの人、この人のいずれか。
いずれも、とうにあちらへ逝っている人たち。
そんな状況を身近に覚えさせられて・・・
年金生活者の私です。
裕福とは言えませんが、古くとも住む家もあり、日々を飢えることはありません。
きっと、こうした『運』は、この人たちが貯めてくれたものなのでしょう。

ハーモニカを買ってきました。
上手とは言えませんが、知っている曲ならメロディを吹くことができます。
  ♪ 夕焼け小焼けの赤とんぼ
  ♪ 里の秋
  ♪ 鐘の鳴る丘
その他、思いつくままに空を眺めて吹いて、吹いて・・・また吹いて。
肺活量が少なくなったことを実感しながら。
「特製トンボバンド・¥14300円」
けっこう、いい音色です。
こぼれた涙が、メロディと一緒に、夕空に昇って行ったような・・・
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

フォーレのレクイエムを聞き流しながら、

2023-08-26 09:37:08 | 日記
夏バテの日が続いています。
家事もブログも連日、ダラダラ、デレデレ、と。
とは言え、食事に関する家事だけは手抜きできません。
私ども老夫婦、最近めっきり食が細くなりました。
(連れ合いの日々の酒量は変わらず)
『医食同源』
老いた体でも、いやそれだけに食事の質にはしっかり気をつけねばなりません。
良質のタンパク質・繊維質の野菜・カルシュームの接種等々。
ということで、何とかこの猛暑を乗り切っています。

『関係者の理解なしに、いかなる処分も行わない』
と、約束していた東電福島第1原発でしたが、ここにきて海への放出を始めました。
私個人とすれば、海洋放出と言う処理はやむを得ないのではないかという考えは持っていますが、政府の対応には誠意が感じられません。
昨日の放出を受けて水産庁は福島県沖で獲れた魚のトリチウム濃度の分析を始めました。
魚を飼っている池に放出したわけではありません。
直ちに魚のトリチウム濃度に変化を来すはずもないでしょう。
東電は、
《1カ月間、放出口近くでモニタリングを毎日実施。
その後も東電や環境省などが周辺海域などで監視を続ける。
設備やモニタリングに異常があれば、緊急遮断弁が作動して自動で放出が止まる。
震度5弱以上の地震や津波警報などが出た場合は、運転員が放出を止める。》
としていますが、放出完了までの30~40年間、確実な放出処理の検査がなされるものかどうかとの疑念が払拭されない私です。

本日(24日)公立小中学校では2学期の始業式です。
まだ夏が終わらず猛暑の日が続いています。
ひ孫のUちゃん・Tちゃんはもちろん、みーんな、みんな、暑さに負けないで!と。

クーラーのきいた部屋の中から柿の樹を眺めました。
澄んだ青い空は秋を告げています。
柿の実がツルリンと、暑さにめげず元気そのもの。
早く涼しくなーれ、と。
フォーレのレクイエムなどを聞き流しながら、久々のブログアップです。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『しばしスマホを閉じて』

2023-08-16 07:14:29 | 日記
いわゆる「夏バテ」って言うやつ。
ブログへのアップも、家事も、かなりサボったり手抜きの日々を過ごしています。
でも、暦のページは確実にめくられて今年も78回目の敗戦記念日(終戦記念日とは言いたくありません)が巡って来ました。
この日を巡って、NHKも様々な特集番組を報じています。
私も、私なりに当時を偲んだり現在の日本の在り様に危惧の念などを抱きながら、正午、戦没者追悼式に合わせて、黙祷を捧げました。
戦後78年。
私たち日本国民の戦争に対する感覚は、当然ながら戦争のリアル性が失われ、薄れてきました。
今こそ、若い世代の方達にお願いしたいのは、日本の近代史と現代史を様々な観点から学び、自身の頭で、現実政治の在り様を選びとって欲しいということです。
〈いつの間にか戦争に巻き込まれてしまった〉などと被害者意識だけの後悔をしないように。

このところ、図書館から借り受けたり購入したりしながら、読書に熱が入っています。
とは言うものの、「目」の疲労度と相談しながらではではありますが。

私の好きな作家、高村薫さんは、「防衛力整備計画」等、いわゆる安保関連3文書の閣議決定されてしまったことに関して次の様な危惧を訴えています。

《かくして戦後の平和国家の礎となってきた専守防衛は跡形もなくなり、現行憲法と重大な齟齬を来したまま、いざとなれば戦争も辞さないふつうの国へと進むことになったのだが、これほどの大転換が国会での十分な議論を経ずして閣議決定されたことこそ、この大転換こそ大転換たる所以であろう。》
  【銃を置け、戦争を終わらせよう――未踏の破局における思索――
                   2023.8.1 毎日新聞社刊】より

『新しい戦前』と言う言葉が、実感を持って迫って来るのを日々覚えながら過ごしています。
同じく上記著書の中からの「言葉」に共鳴しながら。

《国家やIT企業による情報操作が当たり前となったいま、皮肉なことに私たちは自分の身に実際にふりかかるまで、世界で起きていることを正確に知ることができない時代に生きているのである。
場合によってはしばしスマホを閉じて情報を遮断し、足下の生活に専念することで理性を磨く時間があってもよいのかもしれない。》
と。


          
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする