ひとこと・ふたこと・時どき多言(たこと)

〈ゴマメのばーば〉の、日々訪れる想い・あれこれ

《こころよ/では 行っておいで》と。

2019-03-23 06:12:54 | 日記
東京は桜の開花宣言がありました。
当方の桜は蕾がふくらんでは来ましたが、開花にはまだ日がありそうです。
イチロー選手が、現役引退を表明。
スポーツにあまり関心のない私ですが、イチローのカッコ良さが好きでしたので
残念です。
桜の開花の時期の引退宣言だけに、人生・生き様、などに置き換えていろいろと
感じさせられました。
イチロー、ご苦労さま。

3月という月は、「別れ」や「希望」などが絡み合って、何となく落ち着かない
季節です。
年度と言う区切りがそうさせるのでしょう。
自然界の芽吹きという新しい季節に合わせて、人間社会も一つの区切りとすることは
悪くはありませんが、気忙しい季節であることは確かです。
今のところ、身近に入学・進学期に当たる者がいませんので、受験・就職という
〈悲喜こもごも〉は味わうことがありません。
せいぜい、ひ孫のUちゃんが、小学校への入学頃までは元気で過ごせて、ランドセル姿を
見ることが出来ればラッキーかと。

小中学校も三学期が本日で終了。
4月になれば児童たちも進級、新しいピッカピッカの一年生の登校姿が見られることを
期待しながらこの月を過ごします。

年度は、区切りをつけることが出来ますが、「こころ」の区切りは、厄介です。
「決心」と言う文字は、心を決めるということですが、これがなかなかどうして
複雑怪奇。
自身も驚くばかりのアクシデントを引き起こしたりもいたします。
心を決したはずのことが真逆な行動に走ったりすることは当に経験済みですが、
人は、やっぱり決心をするようです。

八木重吉の詩二つ。

    『心よ』

     こころよ
     では いつておいで

     しかし
     また もどつておいでね

     やつぱり
     ここが いいのだに

     こころよ
     では 行つておいで

    
    『貫く 光』

     はじめに ひかりがありました
     ひかりは 哀しかつたのです

     ひかりは
     ありと あらゆるものを
     つらぬいて ながれました
     あらゆるものに 息(いき)を あたへました
     にんげんのこころも
     ひかりのなかに うまれました
     いつまでも いつまでも
     かなしかれと 祝福(いわわ)れながら

お正月に来なかった長男夫婦がやって来ました。
一緒に出かけたりしますので数日間、ブログは お休み、かな。
                         〈ゴマメのばーば〉
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「千の風」に。

2019-03-22 06:29:29 | 日記
知人が骨折をして入院しましたので、お見舞いに行って来ました。
「痛かった」
と、言って顔をしかめていらっしゃいましたが しっかりとなさっている様子。
病室の出口で、ご主人と娘さん、孫さん達と出会いましたので、ご挨拶を交わして
戻って来ました。
悪性の疾病とかではなく、リハビリをして、と言っても84歳という年齢からすれば、
若い人の様な早い回復は望めないでしょうが、また元気な姿のKさんに会えることは
確かですので、安らいだ気持ちで帰途についた私でした。

途中、友人のTちゃんが、バスに乗り込んできました。
「あら しばらく」
「ほんと 元気?」
と、挨拶を交わし、旧友知人たちの消息等の他愛のない会話をしていたのですが、
悲しい寂しい消息も聞いてしまったのです。
かつて職場で何十年も仕事を共にした旧友が亡くなっていた事でした。
ご主人は、昨年12月の初めころ亡くなられています。
その事を、年末に知り、友人に電話をしたのですが、娘さんが電話に出て、
「母は体調を崩して、休んでいるので電話に出られない」
とのことだったのです。
おしどり夫婦とも言われた睦まじいご夫婦でした。
ご主人を亡くされ、さぞや心身が悲しみに捉えられていることであろうと推測し、
そのうち本人から私に電話がかかってくるかもしれない、それまで待つことに
しようと、心待ちの日を過ごしていただけに、私もショックを受けました。
ご主人が亡くなられた昨年の12月、友人はすでに悪性の病に罹っていて、体調も
悪かったのことでした。
2か月後に、友人はご主人の後を追った、ということになります。

バスを降りて、穏やかな空を見上げました。
「逝ってしまったんだね」
と、小さな声で呟きました。
〈「千の風」に おなりなさいよ〉
そう呼びかけてみました。

昨今は、お葬式も、「家族葬」という内輪だけで済まされる方も多くなりましたので、
逝去については、後日、友人等からの情報に依ることも多くなりました。
淋しくはありますが、これも時代の変化なのでしょう。

家に着いて、
「ただ今」
「〇〇ちゃん、死んじゃった」
と、玄関先に荷物をドサリと置きました。

    『すべてをゆだねる祈り』
                   晴佐久昌英
     すべてを満たす天の父よ
     あなたは何も欠けたところのない
     まことの安らぎです
     あなたの愛を信じる者には
     何ひとつ足りないものはありません

     すべての人は生まれたときから
     あなたのみ手の上で生かされています
     波ひとつない湖に浮かんで
     永遠の光に包まれている小舟のように
     わたしのすべてをおゆだねします
         (晴佐久昌英 著 『おさなごのように』 女子パウロ会刊 より)
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そろそろ春の洋服を、

2019-03-21 06:24:25 | 日記
連れ合いの実家や、姉・知人のお墓参りに行ってきました。
穏やかな春の日差しの中、お花と線香を供えて合掌する・・・逝かれた方を偲んで
掌を合わせる、という暮らしの中での仕来りは心を和ませてくれます。
とは言っても、逝った者が「夭折」であったり、事故・事件・災害等による犠牲者で
あったりすれば、悲しみはトゲとなっていつまでも心を指し続けるのでしょうが。
多少早かったかな、とは言っても、まあまあ天寿を全うしたと呼ばれる方であれば、
歳月を経るごとに悲しみは懐かしさに変わって行くような気がいたします。

遠い山なみも、そろそろ春の洋服を着始めているのでしょうか。
何となく、真っ白な雪の上着も薄着になってきたみたいです。

    『めがさめた』
                  くどうなおこ
    どうしたの? 山
    うす緑のようふくが ふるふる ゆれてるよ
    おおい山よ! なに ふるふるしてるの?

    だってね くっくっく
    雪どけみずが ちょろちょろしてさ
    りすは もこもこするしさ
    かえるは ごそごそ のねずみ かさこそ
    みんな めがさめて あちこち うろちょろ
    くっくっくっ くすぐったくてなあ
    ひゃ もうたまらん!
    あ―っはっはっはっは

    山がわらって 春がきた
                (くどうなおこ詩集 童話屋 刊 より)

お墓参りの帰りに、二人で、お蕎麦を食べて帰って来ました。
お腹もくちくなり、お日様もポッカポカ。
帰りのバスの中で、ウトウトと。

片付け忘れた新聞(3月18日)を手にしましたら、私の好きな作家・高橋源一郎さんの
「人生相談」のコーナーに目が留まりました。
 〈相談は、30代の精神疾患を持つ子どもさんに対する親御さんのご心配です。
  母親は65歳でガンの治療を受けていますが、子どもさんのこれからを考えると・・・〉
と言うご相談でした。
高橋氏は、次のように語っておられました。
 〈・・・・・・心から満足して死んでゆく人間は少ないと思います。
  わたしもまた、その日が来たら多くの後悔を抱えて旅立つでしょう。
  わたしは、それでもかまわないと思えるようになりました。
  ・・・・・・略・・・・・・
  あなたは、子どものために全力を尽くされたのでしょう。
  それでいいではありませんか。それ以上のことは誰にもできないのだから。
  わたしたちの最後の仕事は、世界に別れを告げる自分自身を励ますことです。(※)
  こころ安らかにお過ごしください。〉 と。

この記事を読んで、花粉症が悪化でもしたように、私は涙とハナミズが止まりませんでした。
                           (※)文字色変え筆者
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脳細胞が不安を、

2019-03-20 06:22:10 | 日記
  《日本政府は、スイスで開かれる「特定通常兵器使用禁止制限条約(CCW)」の会合で、
  人工知能(AI)を搭載する兵器「自律型致死兵器システム」(LAWS)に国際規制を設ける
  ことを提案する。
  AIの判断だけで攻撃に至ることを防ぐため、「人間の関与」が兵器開発の条件となると主張し、
  国際的な議論の主導を狙う。
  菅義偉官房長官は14日の記者会見で、
  「我が国は、人間の関与が及ばない完全自律型兵器の開発を行う意図はない。
  国際社会で共通認識が得られるようなルール作りに積極参加したい」
  と述べた。》(毎日新聞2019・3・17)
と、報じられました。

「自律型致死兵器システム」(LAWS)に関しては、各国に様々な立場による見解がある
ようですが、開発そのものを禁止できないものかと、私は思います。
人間の知識は「諸刃の剣」です。
使い方一つで人類だけに限らず、世界・地球を破壊してしまいかねません。

ユヴァル・ノア・ハラ著 【ホモ・デウス】テクノロジーとサピエンスの未来(下)を
読みました。
図書館へ予約して置いて、(上)は1か月ほど前に読んだのですが、(下)が、やっと
借りられましたので、一気に読みました。
著書の中で、「無用者階級」ということについて論じられていますので、紹介させて
いただきます。

 《二十一世紀の経済にとって最重要な疑問はおそらく、厖大な数の余剰人員をいったい
 どうするか、だろう。
 ほとんど何でも人間よりも上手にこなす、知能が高くて意識を持たないアルゴリズムが
 登場したら、意識のある人間たちはどうすればいいのか?・・・》
そして、
 《やがてテクノロジーが途方もない豊かさをもたらし、そうした無用の大衆がたとえ
 まったく努力をしなくても、おそらく食べ物や支援を受けられるようになるだろう。
 ・・・必要とされない人々は、3Dのバーチャルリアリティーの世界でしだいに
 多くの時間を費やすようになるかもしれない。・・・・・・
 ニック・ポストロムのような、一部の専門家や思想家は次のように警告する。
 人類はそのような堕落を経験しそうにない、なぜならAIはいったん人間の知能を
 超えたら、人類をあっさり撲滅するかもしれないからだ、と。
 AIがそうするのは、反発した人類に電源を切られるのを恐れるため、あるいは、
 何か独自の測り知れない目標を追求するためである可能性が高い。
 なぜ測り知れないかと言えば、それは、人間が自分より利口なシステムの動機付けを
 制御するのは極度に難しいだろうからだ。・・・・・・》

なんだか、よく理解できないことが多いのですが、「無用者階級」などと言われますと
自分も該当しそうで、「怖い世の中」になるのかなー、などと、私の脳細胞が不安を
覚えてしまいます。
                        〈ゴマメのばーば〉
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フォーレのレクイエムが、

2019-03-19 06:22:23 | 日記
「彼岸の入り」なので、お墓参りへ行って来ました。
本当は、連れ合いと一緒に行く予定だったのですが、月一回通っている病院で施療を
受ける予定日に当たっていましたので、連れ合いは、そちらが優先と言うことに。
朝起きてみましたら、それこそ抜けるような青空が広がっていました。
このところ少々元気がなかった私ですが、深呼吸をしましたら、心身ともに元気になり
ましたので、一人で出かけました。

高台にある墓地からは西に安達太良山や磐梯山が望めます。
まだ白い冬衣装を纏って、すっきりした佇まいです。
東には家並みの奥に新幹線が走っていて、そのずっと先には、なだらかな阿武隈山系が、
こちらは、もう白い衣は脱いでいました。
お花と線香を供え、桜餅も一個。
いつものように、父や母、祖父、姉たちの姿を思い浮かべながら合掌しました。
朝、聴いたフォーレのレクイエムが、まだ残存していて、高く青い空に吸い込まれて
行った様な。
母や父・姉・兄の懐かしい声も聞こえた様な。

 《「ゲノム編集」と呼ばれる最新の遺伝子操作技術を使った食品について、
  厚生労働省の専門家会議は流通させる際のルールの最終報告書をまとめ
  ました。
  この技術で開発が進められているほとんどの農水産物は、早ければ夏にも
  国への届け出だけで販売できるようになる見通しです。》
                       (NHK NEWS WEV)
と、報じられました。
 《全国消費者団体連絡会の浦郷由季事務局長は、
  「ゲノム編集は新しい技術が次々と開発されていて、アレルギーの原因物質が
  できてしまうなど、分かっていないリスクがでてくるおそれがある。
  消費者が知らないうちにゲノム編集食品を食べてしまう事態を防ぐため、企業
  などの良心に任せる届け出では不十分で、確実にゲノム編集食品を把握する
  ために義務化を進めるべきだ」と話していました。》
とも報じられています。
18日中継された参院予算委員会で立憲民主党の川田龍平氏も質問していましたが、
私も不安を覚えます。

お墓参りをしてきて、安らいだ気持ちで家に戻りましたのに、国会中継の録画を
早送りで観たりしましたら、穏やかな心持はどこかへ飛んで行ってしまって、なんだか、
損をしたような気分に。

満ち足りた穏やかさを取り戻したくて夕空を眺めました。
飛行機が二機、短い飛行機雲を引きながら飛んで行きました。
                           〈ゴマメのばーば〉
コメント (2)
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