ひとこと・ふたこと・時どき多言(たこと)

〈ゴマメのばーば〉の、日々訪れる想い・あれこれ

今年も桃が。

2021-07-23 06:16:27 | 日記
無観客ではありますが、私の住んでいる福島県でもソフトボールの試合が行われ、いい成績を収めました。
『復興五輪』と言われたオリパラでしたが、コロナ騒動ですっかり理念は失われてしまった感がいたします。
私は、開催国を決める13年のIOC総会で、当時の安倍晋三首相が福島第1原発事故後の状況を、「アンダーコントロール」と演説し、安全性を強調した時に違和感を覚えた者の一人です。
今回の聖火リレーでも、地域の要望としては、被災地の見えるルートを選びましたが、〈大会組織委員会は避難指示が未解除だとして同意せず、復興途上の現実を見せる機会は失われた。〉と、報じられています。
何だか国が「震災・復興」を利用して招致を獲得した様に思えてしまうのは僻みというものでしょうか。
残念ながら、私は、あまりスポーツには関心がありません。
頑張っていらっしゃる選手の方々には、敬意を表しはしますが特段、思い入れの多い選手もおりません。
とにかく、コロナが爆発的に増加する様なことにならず、医療機関の逼迫などが起こることもなく終了してほしいと祈りに似た願いを抱いているだけです。

長女の連れ合いの実家から桃が二箱送られて来ました。
「あかつき」と言う福島県では有力品種の桃です。
私ども二人では食べきれませんので、東京在住の長男に1箱送ることにしました。
今年は、遅霜の被害があって、生産される桃が品薄、とか聞いていましたが、りっぱな桃が送られて来ました。
桃の放射線値など考えずに、頂いた桃を、他所におすそ分けできる・・・それが私の身近な復興の証しです。
2013年春に出版した私の拙いエッセー集『春が立ちますから』に収めたエッセー、「桃が来ました」を再掲いたします。

『桃が来ました。』
毎年送られてくる福島の桃です。大きくて甘い私の大好きな桃です。
“もう、そろそろかな”と心待ちにしていた矢先、窓越しに宅急便の配達人の姿が見えましたので、チャイムを待たずに受け取りに出ました。
いつもの年の様に大きくて、りっぱな桃です。
桃太郎が生まれそうな桃です。
ちょうど友人が来ていましたので、「桃、食べる?」とたずねました。
長女の連れ合いの実家から送られてきた桃なので、私は少々誇らしい気持もあって、友人には、すぐにも食べさせたかったのです。
「あぁ、今ちょっと」と、友人は少し口ごもって応えました。ちょうど午後三時を回ったおやつ時です。
私は大きくて甘そうな二個を取り出して皮をむき、ガラスのお皿に盛りつけてテーブルに運びました。まずは私が一切れ。甘い蜜が口中いっぱいに広がりました。いつもの季節のいつもの味、送って下さった方への“ありがとう”の味わいです。
「どうぞ」と友人にも勧めましたので、友も一切れを口にしました。
「おいしいね」「いい桃だね」と言ってくれたので、嬉しくなった私は「どうぞ、どうぞ、もっと食べて」と勧めたのですが、友人は二切れめを口に運ぼうとはしませんでした。
そこで私は気がついたのです。友が、桃に含まれている放射性物質を懸念していたことに。
「あぁ、新聞に出ていたけれど基準値よりかなり低いそうだから、心配無いよ」と、さりげなく言いましたが、もうそれ以上は勧めませんでした。
何となくお皿の桃が気にかかって、その後の二人の会話に弾みがなくなってしまいました。
「じゃあまたね。だんなさんによろしく」
と、いつもの挨拶と笑顔を残して友は帰って行きました。
私も、「じゃあね」と、友に庭先で手を振ったのです。
重苦しい気分には、二人とも気づかぬそぶりを通しました。
多分、友人は私以上に心が重たかったことでしょう。
たとえ、食品のセシウム含有量が少なくても、ここ福島県に住む以上、環境放射線値による外部被ばくからは避けられないのだから、長期にわたる内部被ばくを避けるためには、県産の食物摂取は極力避けたい、という気持ちは私にも良く解ります。
友人は私より一回り以上も若いのですから、これからの健康に留意するのはあたりまえのことなのです。
“桃を勧めなければ良かった”と後悔めいた思いも抱きましたが、長い付き合いの友人の一人ですから、私の気持ちは判ってくれている筈です。
だから、今日の、やや気まずい雰囲気は持ちこさないことにしました。
私自身の放射線被曝リスクに関する受け止め方としては、もう高齢者と呼ばれる世代でもあり、若い人たちよりは余命年数が短いのだから、受けるリスクも低いであろうと自分を納得させ、(そう考えないと生活が出来ないし、こだわり過ぎると日々の生活自体のクォリティーが落ちてしまうので)迷いながらも他県のものを購入したり、あるいは新鮮さを求めて地産のものを食べたりしている毎日なのです。
友人が帰ったあと、私は桃を掌に取りじっくりと眺めました。
大きな桃です。太陽の光をいっぱい吸い込んでいました。
大地の水をせいいっぱい吸い上げているのがわかります。
風にそよいだ葉っぱの歌も取り込んでいます。
そして、子どもを育むように愛しんで来た桃農家の掌のぬくもりと、生産者の、放射線への不安と怒りも伝わってきます。
食べさせたいと真っ先に送ってくれた方の顔もしっかりと見えています。
私は〈まずいよ。人間が、空も、大地も汚すのは〉と、ため息をつきました。
そして、桃に「ごめんね」といいました。
かわいそうに。桃は一生懸命育ったのに。
みんなに“おすそわけ”が出来て、「おいしいね」「あまっ!」と、笑顔が連なっていったら、桃も、そのモモ色の頬っぺたを、ほころばせたであろうのに。
夜、友にメールしました。
〈あさって、駅中のM店で、お茶しよう、いつもの時間に〉
寝る前、箱の中で行儀よく並んでいる桃に、
〔原発は、もういらないと言うからね。しっかり言い続けるからね〕
と、約束しました。
お休みなさい。友も。桃も。そして私も。
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