ひとこと・ふたこと・時どき多言(たこと)

〈ゴマメのばーば〉の、日々訪れる想い・あれこれ

皆さまには、よき新年をお迎えくださいませ。

2022-12-31 06:59:56 | 日記
今年も、残すところ数時間となりました。
コロナの嵐は、まだ治まらず、ウクライナの戦火も燃え続けています。
『地にも平和を』と、お祈りいたします。
個人的には今年も必要な物が与えられ、身体に痛むところも無く暮らすことができ、大晦日を迎えることができましたことに感謝です。
本年も訪問下さった方々、ありがとうございました。

1月半ば(或いは月の後半)頃まで、ブログのアップをお休みいたします。
その時が参りましたら、またお付き合いくださいませ。
皆さまには、よき新年をお迎えくださいますように。

いつもの年の いつもの祈り、「ニーバーの祈り」に合わせて、私の本年を締めくくりたいと存じます。

    主よ、変えられないものを
    受け入れる心の静けさと
    変えられるものを
    変える勇気と
    その両者を見分ける
    英知を与えたまえ
        (ラインホールド・ニーバー)

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「リレーのアンカーや」

2022-12-30 06:48:09 | 日記
今年の年末年始もコロナの感染者多数と言うこともあって、長男夫婦は帰って来ません。
3年目になりました。
淋しい限りです。
私ども老夫婦だけなら、お正月の支度など特別にせずに済ますことができます。
おせち料理など拵えて見ても、二人とも食べる量が少ないので余ってしまうだけ。
せいぜい、大晦日には、美味しい年越しそばを食べ、お元日には「お雑煮」。
それだけ。
連れ合いは、美味しいお酒を普段より多めに飲むことが出来れば、それでOKですから。
というわけで、お正月の準備が無いので、身体はラクチンです。

NHK連続テレビ小説『舞いあがれ』(28日放送)の中で、ヒロインの舞は、父親から、「お前は、いい性格だから、教官(パイロットになる為に指導してくれた)から褒められたのでは?」と訊かれました。
舞は、こう応えたのです。
『・・・空を飛ぶ厳しさを徹底的に叩き込まれた。
お父ちゃん、パイロットはなぁ リレーのアンカーや。
機械を作る人 空港で働く人 機内で働く人、大勢の力が合わさって初めて飛行機は空を飛ぶ・・・。
頼むでぇ 無事に飛行機飛ばしてなぁ、というみんなの気持ちをバトンみたいに受け取って、パイロットは空を飛ぶんや・・・』
と。
いい言葉でした。
パイロットに限らず、今、自分がしている仕事も、今、私が生きていられるということも、大きな輪と絆に結ばれているのでしょう。
アンカーでなくとも、次の担い手に手渡して行くこと、そんな自覚を持つことが出来れば自身も、世の中も過ごしやすくなって行くかも・・・そんなことを考えながらテレビを観ていました。

《政府内では、オミクロン株が主流となって以降、死亡する人の割合が下がっていることなども踏まえ、早ければ来年春にも、季節性インフルエンザなどと同じ「5類」へ引き下げる案も出ています。》
と、報じられています。
でも、毎日報じられる死者数は増えていくばかり。
重症化率は低いと言われても、私ども高齢者は、やっぱり萎縮せざるを得ません。
年末年始、コロナ以外の疾病に罹ったとしても、病院にかかれるかどうか、心もとない医療環境ですから。
今年も、残すところ一日。

  『老いて一日は』

   老いて
   一日は
   旅

   朝から
   昼へ
   己に
   躓き

   昼から
   夕へ
   散らばる
   心

   幻の
   明日の
   星影
       (谷川俊太郎詩集「となりの谷川俊太郎」より)

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「鬼」は悲しいのです。

2022-12-29 06:44:40 | 日記
連れ合いとの「諍い」を心身に纏っていて、やや元気のない私でしたが、夜、長男からの電話で元気を取り戻しました。
不思議と言えば不思議なのですが、長男は私が落ち込んだりしている時、まるで見てでもいたかのように電話をくれるのです。
それも、くだらない、たわいもないハナシで。
今回も彼の電話に救われました。
ありがとう。

そんなわけで、10年ほど前に長男からチケットをプレゼントされて『能・道成寺』を観に行ったことなどを思い出しています。
その頃、あるところに出した記事の一部です。

《能楽堂での観劇は初めてだったので、たいへん感動しました。
特に、「乱拍子」。
シテと小鼓の真剣勝負の緊迫感には、身体の震えを覚えました。
やはり、テレビでの画像とは臨場感が違います。
正面舞台近くで観ましたので、演者の細かい動きまでよく観ることができました。
「道成寺」は、娘の激しい情念が相手の僧を焼き尽くし、自らは毒蛇になってしまう・・・悲しい物語です。
「毒蛇」になってしまった娘は、情念の炎に自らも焼かれるわけですから、その苦悩たるや、相手の僧に勝るとも劣らないものであったでしょう。

帰りの電車で、車窓の外を流れ去る「夜」を眺めながらの1時間半、「鬼」あるいは「邪気」なるものについての思いを巡らしていました。
「鬼」・・・恐ろしいイメージがありますが、「鬼の面(おもて)」は悲しい表情です。
怒りの極み。悲しみの極み。
四苦八苦の現世で生きる人間、誰でも「鬼の面(おもて)」を内にひめているのでしょう。

電車座席の一つ前に座っていた50代と見受けられる女性が二人、いろいろな悩みを語っていました。
聞くともなしに、耳に入ってきたのです。
夫の健康・しゅうとの徘徊・子どもの受験・上司の嫌がらせ、それぞれの「苦」に、悩んでいるようでした。
小姑たちへの讒訴(ざんそ)も、少々聞き苦しくはありましたが、長男の嫁の辛さは痛いほどに伝わってきました。

心の「内なる鬼」を、他人ごとに責めることは容易です。
生きて行く中で、人は「鬼」になってしまうことだってあるのでしょう。
「鬼」になどなりたくないのに、なってしまうということが。
だから、「鬼」は悲しい顔なのかもしれません。

新年に向けて、鬼になりたくなくとも、「鬼」にならざるを得ない状況が、あちらにも、こちらにも増えてくるという気配が濃厚です。》

連れ合いと諍いを起こした私の心の裡にも「鬼」が潜んでいたことは否めません。
「鬼」の表情は悲しいのです。
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明日、「私もリンゴの木」を植えねば、

2022-12-28 06:51:41 | 日記
青い空が広がっていました。
「広いなぁ 空は」
呟きながら空を見上げていました。
眺めながら、ただ歩きました。
ただ、ただ見上げながら。
冬の空の青さは格別です。
底に深い宇宙の碧を秘めていて。
青い空がくれる元気は宇宙のエネルギーかも・・・
ただ歩くだけ。

心が傷ついていました。
昨夜連れ合いと、「くだらない」ことから諍いが生じました。
日常の中では「くだる」ことなど多くはありません。
日常の中では、些細な行き違いや、ふとしたコトバの隠し持つ刃に傷ついたりとか、くだらないことが殆どを占めています。
でも、お互いに心が傷つき、青ざめてしまいがち。

そんな一日でした。
夕食の食卓に並べるリンゴの皮をむきながら、
  『たとえ明日 世界が滅亡しようとも
     今日 私は リンゴの木を植える』(ルター)

という「言葉」を思い起こし、明日は「私もリンゴの木」を植えねば、と考えたりして・・・
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《右の手の悲しみを/左の手が支え/左の手の決意を/右の手が うけとめる

2022-12-27 06:51:25 | 日記
今年のクリスマスも終わりました。
あと一週間で新年がやってきます。
教会でのクリスマス礼拝には出られませんでしたが、二つの教会の「燭火礼拝」と「クリスマス礼拝」にネットで参加できました。
二つの教会の牧師先生方の説教は、それぞれが頂いている素晴らしい「たまもの」をお持ちで、クリスマスにふさわしいみ言葉を宣教してくださいました。
感謝です。
ひ孫のUちゃん達も、一家で貸別荘に一泊しての楽しいクリスマスを過ごしてきた様子が、ラインの動画で、たくさん送られて来ました。
送られてきた楽しい「動画」を見ることだけで、私たち爺婆にとっては、何よりのプレゼントでした。

今日は、風邪が少し強く吹いてはいますが青空が覗いていて、時折暖かな日差しも届いていました。
この時期だからでしょうか、お世話になった牧師先生方や神父様の事が懐かしく思い出されて来ます。
青い空を眺めながら、井上洋治神父さまが著書の中で、『イエスの見た青空が見たい・・・・』と仰っていたことを思い出しました。
そして、
《・・・・・・可哀そうな人を見れば可哀そうだと同情するのも人間であれば、人の幸せを見て心の内で嫉妬し、密かにその人の不幸になることを思ってたのしむのもまた同じ人間である。
・・・・・・真摯に道を求めようとするのも人間であれば、本能的な欲望に引きずりまわされて喘いでいるのもまた同じ人間である。・・・・・・この両面を、小細工せずにそのまますっとお任せする姿に、私は合掌という姿勢の一番おおきな魅力を見たいと思うのである。》

と述べられていたことを。
また、
《からだを合掌という姿勢にもっていけば、心もおのずから お任せの安らかな気持ちに
なっていくということもまた本当であろう。》

と、高田敏子さんの次の詩を紹介なされて、語られていたのです。

   神さまや仏さまが
   ほんとうに いらっしゃるか どうか
   でも あの合掌したときの安らぎは
   どこからくるのでしょう
   右の手の悲しみを
   左の手が支え
   左の手の決意を
   右の手が うけとめる
   その上を 流れる 静かな時間
   こうした姿勢を教えてくださったのは
   どなたでしょう
   ・・・・・・・・
         (井上洋治著作選集(9))より)

高田敏子さんは私の大好きな詩人の一人です。

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