ひとこと・ふたこと・時どき多言(たこと)

〈ゴマメのばーば〉の、日々訪れる想い・あれこれ

79年前、私の4月12日

2024-04-12 14:29:33 | 日記
79年前の今日、1945年4月12日。
この日、私が住んでいるこの町はアメリカのB 29による空爆を受けました。
母に連れられて郊外の農村に食べ物の買い出しに行っていた先で空襲を知りました。
住んでいる町の方面には、黒い煙があちこちに乱れ昇っていました。
不安にさいなまれながら敵機が去るのを待って帰路についたのです。
家は大丈夫?
家族の安否は?
空腹も忘れ、泣きながら2里半の距離でした。
幸い住んでいた住居は無事でしたが、多くの人が亡くなりました。
近くの病院には多くの負傷した方たちが運ばれてきました。
学徒動員で工場で働いていた女子学生、そして男子学生もたくさん亡くなりました。
私が8歳の春のことです。
今でもこの光景は、まざまざと思い出すことができます。
以前ブログにも書きましたが、女子挺身隊に動員され病を得た姉は家で伏せっておりましたが、この日、泥水が溜まっている防空壕に避難し、その後病状が悪化、5月には帰らぬ人になったのです。
今、日本の置かれている安全環境は複雑になっていることは知っています。
岸田総理はアメリカへ来賓として招かれ、打ち上げ花火に近い声明なども出されました。
外交は大切です。
でも本当に日本の平和につながるものかどうか、私には生理的な懸念があります。
300万人を超える人もの犠牲者を出した世界大戦の後にできた日本国憲法、そこには「国際間の紛争を武力で解決はしない」そう謳われています。
また国際信義により立って憲法を保持するとも。
この事は容易には行かないことは確かです。
でも自衛力といえども武力を強化すれば、相手国もまた武力を強化するのは必然。
何とか平和にやっていけないものか、アメリカだけではなくロシアとも中国とも、そして北朝鮮とも私は仲良くやっていきたいな考えています。
「お花畑の頭だね」、そう言われても。
この春、2年生になったひ孫のUちゃんは毎朝元気に登校しています。
朝、ゴミを出すふりをして登校する姿をそっと眺めていたりする私。
Uちゃんは8歳。
私が空爆の恐ろしさを知ったあの時と同じ年齢です。
平和であって欲しい、爆弾に怯え、飢えに苦しむ世界であって欲しくない、
考えながら少しだけ散歩をしました。
蒼い空が広がって、桜の花びらがどこからか飛んできました。

昨晩読んだ本です。





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