ひとこと・ふたこと・時どき多言(たこと)

〈ゴマメのばーば〉の、日々訪れる想い・あれこれ

《ゲーム感覚の話だけでなく、》

2021-09-30 06:56:51 | 日記
6週間に一度の通院で診察と投薬を受けている病院へ行って来ました。
診察が終わり、会計を済ませるために待合室に設えてあるテレビを見るともなしに観ましたら、自民党総裁が選挙で決まった、と言うニュースが賑々しく伝えられていました。
選挙と言っても、自民党の党員でも党友でもない私には選挙権がある筈もありませんので、どの候補がどの様な政策を持っていたとしても、賛否の意思表示はできません。
とは言え、政権政党です。
次期の総理大臣となられるわけですから、関りが無いどころか大いにありというものです。
というわけで、そこそこに選挙戦に絡むニュースは観ていましたが、政治の世界、権力闘争に絡む世界は、魑魅魍魎も出るでしょうし、「小説より奇なり」の現実(事実)なども存在しているのでしょう。
「院政」などと言う古めかしい語彙も飛び交っていました。

法政大学教授の杉田敦氏は次の様に述べられている様ですが、私も同感です。
《・・・・・・「アメリカやイギリスなど諸外国では、有権者の多くが政党の党員になっているため、国民の多くが選挙に関わることができます。
一方、日本は限られた人の声しか総裁選には反映されません。
それなのに、どういった政策の人がいいか、といった質問に象徴されるように、国民が次の総理大臣を選んでいるという錯覚を持たされていることを懸念しています」  

今回の総裁選の投票資格を持つ党員・党友は約110万人。国民のわずか1%ほどにすぎない。
候補者と同じく、議員の多くが党内のしがらみのなかで票を投じることになる。
「その票が国民の声を反映しているとは言い切れず、人びとが望んでいる形で新しい方向性が出るかどうかが心配です」
・・・・・・中略・・・・・・
「総裁選の後は、衆議院議員選挙(総選挙)も控えています。
私たち国民もどの政治家が強いといったゲーム感覚の話だけでなく、新しい総裁の政策の中身に注目し、政治のあり方を議論していく必要があります」
》 (〈AERA〉2021年10月4日号 9/29(水) 7:00配信)

19都道府県に発令されている緊急事態宣言と、8県を対象としたまん延防止等重点措置が今月末の期限で解除されます。
「第5波」では、過去のピーク時を大幅に上回った全国の重症者数になりました。
医療体制が逼迫し、自宅療養中の方が亡くなるという悲しいことも相次ぎました。
政府の、「高齢者へのワクチン接種が進めば重症者数は抑えられる」という楽観的な見通しから、医療体制の拡充が遅れた、とも言われています。
新政権には、まずはコロナ対策をしっかりやってほしいと考えています。
具体的な施策を示して下さい。
        〈ゴマメのばーば〉
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「玄冬」の季節を生きています。

2021-09-29 06:41:57 | 日記
柿が色づき始めました。
散歩の途中、他家の庭の柿がオレンジの顔を覗かせていますと、あぁ、この家にも柿の木があったのだ、と改めて認識するのです。
そして、どなたが植えたのかしらと、家族構成なども存じ上げぬまま想像を膨らませる私です。
家の建築様態からして、多分、昭和の終わりごろの建築かも知れません。
〈きっと、おじいちゃんが植えたのだろう〉と勝手に想像して通り過ぎました。

今年は、どこの家の柿の木も我が家同様、葉っぱが繁茂し過ぎています。
ですから、柿の実が色づき始めて、その生り具合を目視できる状態です。

金子みすゞの詩を思い出しました。

   『木』
            金子 みすゞ
   お花が散って
   実が熟れて、

   その実が落ちて
   葉が落ちて、

   それから芽が出て
   花が咲く。

   そうして何べん
   まわったら、
   この木は御用が
   すむかしら。

金子みすゞは、好きな詩人の一人です。
〈芽が出て、花が咲き、実が生り、やがて朽ちて行く〉・・・
多くの人間も、また木と同じかもしれません。
先輩の訃報や、友人が病を得て入院したらしい、などとの噂が伝わってくることが多くなりました。
年齢から言えば、決して不思議ではありません。
でも、若く元気だったころを知っているだけに、何か淋しさを通り越した不条理すら覚えてしまうのです。
“あんなに いい人が、どうして”
とか。

そんな心模様の季節を過しているからでしょうか、
  〈・・・・・・
   ・・・・・・
   そうして何べん
   まわったら、
   この木は御用が
   すむかしら。〉

が、妙に「死」というリアリティを持って迫って来るのです。
友人の、あの人 この人も、「青春」・「朱夏」・を過ごし、今、「白秋」から「玄冬」の季節を生きています。
私も、また。
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「無所属の時間」の旅を、

2021-09-28 07:27:15 | 日記
5時半起床。
晴れ間が広がっていて朝の光が眩しく感じられました。
やっぱり青い空を見ると心が晴れ晴れとします。
漢方薬は食前に服用しますので、服用後の20分程散歩に出ました。
朝の公園。
誰も居ない公園の朝です。
滑り台やブランコ、鉄棒などに朝の光が隈なく照らしていました。
太陽に向かって深呼吸を数回。
夜から朝へ、体調を整える気持ちで、ゆっくりと静かに息を吐き出し、深く息を吸い込みました。
青い空のエールを分けてもらう気持ちで。
短い散歩の時間でしたが、スマホは1.2キロの歩行距離を示していました。
そんなに歩いたかなぁ・・・

以前の様に、ブラリ旅がしたいなぁ、と。
  わがままな時間の旅を、
  「無所属の時間」の旅を、
  妻でもない、母でも、まして、仕事のためなどではまったくなく、
  過去・現在・未来、すべてがランダムに交じりあい、
  流れたり、留まったり、過去に出会った人たちに話しかけたり、
  何時とはなしに、去って行ったり、
  さまざまな想いが、心の中を巡り、回り、
  まどろみの中に吸い込まれていったり、
  乗客の話声や、車両の軋みを半睡のなかで聞きながら、
  〈ここは母の胎内であろうか〉などと感じたりして、
  私なりの、小さな散歩の延長のような旅、
  ほとんどは、一日行程、
  そして、一日の旅の終わりに、
  出発点でもあり、終着点でもあり我が家、
  母港でもある我が家のある駅のホームに降り立って、
  ‘フー’と、ひと息、
  そして、家路をたどる、
  そんな旅を、

そんな日が、来る 来ない 来る 来れば 来い!!
           〈ゴマメのばーば〉
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ほら、意味などに象られはしない呼びかけの気配が・・・、

2021-09-27 06:56:33 | 日記
日曜日でしたので先週に倣って一人、自室での主日礼拝をいたしました。
雲が空全体を覆っていて、青い空は欠片も見当たりません。
気温も低く、やや薄ら寒さを覚えます。
かと言って、厚手の衣服を重ねますと、やっぱり暑いのです。
お彼岸が過ぎても、天候は決まらない今年の秋。

やや体調もすぐれませんでしたが、散歩へちょっとだけ出かけました。
風に当たり、西の山並みなどを眺めますと、心が安らぐのです。
今日も、好きな詩人の詩などを紐解いていました。

   『遠い鏡』
              新川和江
   ひとは まだ見ぬ湖に
   おのれのすがたを 映してみたく思う
   手もとの鏡は
   どれを覗いても もう
   歪んだ顔しか映してはくれないので

   支度もそこそこに
   ひとが旅立ってゆくのは
   親よりもきょうだいよりも
   なつかしい声が
   遠くでしきりに呼ぶからだ

   ひとはいつか この湖のほとりに
   立ったことがあるように思う
   それはたぶん 生まれる以前
   雲が 雲であり
   木の葉が 木の葉であった頃のこと
      (新川静江詩集 思潮社 現代詩文庫より)


〈なつかしい声が〉、呼んでいる声が、聞こえるわけではありません。
でも、秋という季節は、誰か、懐かしいものが透明な声で呼んでいる様に思えるのです。
耳を澄ますと、ほら、意味などに象られはしない呼びかけの気配が・・・。
其処ここに充ち満ちて、包んでくれる気がするのです。

〈それはたぶん 生まれる以前
 雲が 雲であり
 木の葉が 木の葉であった頃のこと〉

そんな頃に、ふっと 立ち返っているのでしょう。
きっと。
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「どちらも羽ばたいて去る」

2021-09-26 06:34:40 | 日記
雲の多い空模様でしたが最高気温は21度。
このところの私の体調には優しい気温です。
昨晩は比較的眠れた、という事もあり、今日は食事もおいしく取ることができました。
我が家の近くにあるブドウ園にも実りの季節がやって来て、緑色のブドウの販売が始まりました。
買い求めて、毎日おいしく食べています。
先だって長男が送ってくれた様な、贈答品としてのシャインマスカットなどに比べますと見劣りはしますが、素朴なブドウらしい味わいを楽しんでいます。
私の舌・味覚には昔を懐かしむ習性があるのかもしれません。
果物や野菜でも、品種改良された味よりも、渋みや、えぐみなどが多少感じられる物が好きなのです。

昨日、【『わたしは誰でもない エミリ・ディキンスンの小さな詩集』 
              川名 澄 編訳 風媒社刊】

の中からの詩を一編載せさせていただきましたが、今日も、もう一編を。

    昨日は歴史
    それはずいぶん遠くにある
    昨日は詩
    それは哲学である
    昨日は神秘
    どこに今日がある
    そつなく考えているあいだに
    どちらも羽ばたいて去る


ほんのチョッピリ、散歩をしてきました。
夕暮れの田んぼ道です。
76年前、終戦の年に疎開していた此の辺りです。
苦しかったこと、嫌なこと・・・それぞれが懐かしさという編集に綴じられて思い出されます。
そして、それらの一つ一つを思い出し、考えている間に〈どちらも羽ばたいて去って〉いってしまいました。
夕暮れの西空の彼方へ。
「あーした てんきに なーれ」
と、76年前の様に、呟いた私でした。
                  〈ゴマメのばーば〉
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