生き甲斐の心理学

自分は何の為に生きているのか? 生き甲斐とは何か、自分の魂と成育史と身体を大事にしているか、を思索していきます。

自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2022年10月31日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
世界的な常識として心理療法では人の心を3つに分類しています。第一領域:感謝、満足の世界、第二領域:こうありたい、あらねばならない、こうありたい、という理想の領域、第三領域:感情の領域、この3つの領域を意識化するだけで日々の混沌とした心の世界が明確になってきます。日々の不満、不安、イライラ、欝、これらは全て感情の領域、つまり第三領域と呼ばれているものです。この感情は理想の領域である第二領域とその人の現実のギャップから生まれてくると解説されています。理想と現実のギャップが感情となつて発露されてくるわけです。この流れ、原理を意識化しておくと、例えば欝の原因は第二領域と現実のギャップですから、自分はどうありたいのか、あらねばならないのか、あるべきなのか、という生育史上から生まれてくる考え方を模索、調査すると、その理想、第二領域が見えてきます。案外、倫理道徳観がそこにあるのかもしれませんし、素晴らしい考え方あるのかもしれません。感情には深い意味が隠されています。感情を無視すると人は心を病む傾向があります。感情の世界、理想の世界、そのギャップを意識化するところから人間お精神衛生がどんどん良くなつてきます。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2022年10月30日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
精神現象の一つに異常があれば、それを個性の美なのか、病理なのか、慎重に洞察しつつ対応していきます。対処療法は必要ですがその終結には何の為に生きていくのか、生き甲斐は何か、自分を大事にする方法を魂、生育史、身体に分けて説明していく必要があります。どんな治療でも、何の為にこれからの人生を生きていくのかを必ず意識化させないと繰り返し同じ入院を繰り返してしまいます。
どんな場合でもこの自己実現への道を意識化していないと今までの努力が無駄になりますので、答えがその場で意識化出来なくても、この自問自答を生涯、ぶつぶつ念仏のように自分に問いかける習慣をつけていただきたいものです。そうすると自分の人生に必要な悩みを喜んで悩み、不必要な悩みを排除出来ます。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2022年10月29日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
精神現象の一つに異常があれば、それを個性の美なのか、病理なのか、慎重に洞察しつつ対応していきます。対処療法は必要ですがその終結には何の為に生きていくのか、生き甲斐は何か、自分を大事にする方法を魂、生育史、身体に分けて説明していく必要があります。どんな治療でも、何の為にこれからの人生を生きていくのかを必ず意識化させないと繰り返し同じ入院を繰り返してしまいます。
どんな場合でもこの自己実現への道を意識化していないと今までの努力が無駄になりますので、答えがその場で意識化出来なくても、この自問自答を生涯、ぶつぶつ念仏のように自分に問いかける習慣をつけていただきたいものです。そうすると自分の人生に必要な悩みを喜んで悩み、不必要な悩みを排除出来ます。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2022年10月28日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
昔、モスクワでの飛行機事故の際、スチュワーデスに向かって汚い言葉で罵声をあびせる高齢者を沢山見ました。若い人々は恐怖の叫びをあげてはいましたが罵声は飛び出しませんでした。私自身は心理療法の理論(終末治療)の一つである教授の言葉が脳裏を去来していましたが案外冷静で胴体着陸を経験しました。死を覚悟(アイデンティティーの統合)し、全てを神様に委ね(防衛機制を開放)、まずは救われる事はないだろう(現実吟味力)と判断し見苦しい死にかただけはやめようと滑走路に突入していきました。どんな場合でも生き甲斐の心理学は役立ちます。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2022年10月27日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
人から<あなたの努力は無駄>なんて言われたくありませんが、とにかく疲労困憊していく自分を観察すると、実に多くの無駄をしています。人間の生涯での心臓の心拍数は決まっているようで大脳の寿命(120年)に合わせてその可能性は高いようですが、心がけでいかんで心拍数を支配することも可能です。小心者は一年中、はらはらドキドキしているのでその最高値に自分から無駄な心拍数を消耗していきます。生き甲斐の心理学はこの医学的範囲を無駄にすることのないように勉強をすすめていきます。大変ですがいつも自分は何の為に生きているのかを思索しつつ日々の方向性に無駄がないように配慮していく必要があります。方向性、生き甲斐が見えてくると、どーんと構えて無駄な時間がなくなります。無駄とは自分の方向性を妨げるもの。方向性がない人にとって何が無駄なのか識別出来ないはずです。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2022年10月26日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
学生時代は自分にどんな能力があるか不明なので色々と挑戦しました。司法試験、外交官試験、パイロット試験とそれはそれは毎日疲労困憊したものです。ある日、これはもう無駄な努力だとやっと認識しパイロットの試験を断念したところ急にエネルギーが集中し、さらに司法試験を断念、外交官試験に集中しました。時、すでに遅し。合格したのは幼稚園の頃から英語を習っていた同級生でした。これにこりた経験から社会に入ると努力目標を絞り込む傾向になりましたが、ふと、自分を疲労させる原因が倫理道徳にあることが判明しました。価値観、人生観を絞り込みますと益々、自分の無駄なエネルギーがどこから生まれているかが明確化されました。人生経験と知識のなさもありましたが、思い込みの強い自分に反省したものです。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2022年10月25日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
このブログは心理療法の基本を、楽しみながら学習しようとしています。主に学問・教育の分野の話が中心になりますが、理論を知っていて失敗する場合と知らないで失敗するのとでは、人生の結果として大きな開きが必ず生まれてきます。臨床の現場では学問や理論がひたすら虚しくなりますが、それは応用解釈が下手だからで、この学問を無視するともっと大きな悲劇が生まれます。学問は虚しい点もあるけれども諸先輩が生涯をかけて生み出した理論を大切にして生き抜いていきましょう。暫く無駄な悩みについて思索していきます。無駄な悩みとは自分の価値観、人生観、倫理観の設定が自己実現とかけ離れていた場合、自分の日々の努力を無駄にしていくので、その分析をしようとしています。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2022年10月24日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
朝、目が覚めて夜寝るまでの時間に、いつも気楽に思い出せ、その言葉が自分を平安感にしてくれるものが一番良いとされています。その言葉が義務感を感じさせたり、なんとなく正義感を燃え立たせるものは長続きしません。自分をほっとさせる安心感が条件のようです。言葉にしてしまうと白けるのでここではあえて言いませんが、私の場合「ーーー」です。この言葉を心に浮かべるだけで、もう幸せ感が湧き出てきます。自分を元気にさせてくれる言葉は人により全部違います。しかし、なかなか見るかりませんので友達と会話してみて、どんな友達の言葉が自分を元気づけるか、のんびりと思索してみましょう。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2022年10月23日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
幸福感と幸福の条件は違いますが、この違いを明確に意識化しておかないと、とかく座右の銘は人生をダメにしていきます。普通、人々はこの二つの違いを意識して生きていません。幸福感はどんなに貧しくても病気の時でも感じますが、幸福の条件は自己実現の内容により違います。結婚する相手は外交官、金持ち、というものが条件ですが、幸福感はどんな環境でも感じます。終末治療で息を引き取る人が自分の人生は何と幸福であったことか、と感謝しながら死んでいく、その時の感情は幸福感の一つです。良い座右の銘を設定してもこの幸福感と幸福の条件を意識して活用したいものです。例えば「意思ある所に道あり」という座右の銘を所持している人の場合<幸福の条件>を意思で到達しようと努力しても、いつまでも<幸福感>は生まれません。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2022年10月22日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
世界中で使用されている「自己実現」という言葉ですがその意味は万とあるようです。どの意味でこの言葉を使用するかは、その人の自由ですが、生き甲斐の心理学での意味は3つあります。(1)自分は何の為にいきているか(2)自分の生き甲斐は何か(3)自分を大事にしているか、この3つです。この3つの答えを獲得するには生涯かかるかもしれません。ですからそれぞれの現在の立場から、この3つを意識して樹立する座右の銘が必要で、この3つを無視したりすると、せっかくの座右の銘が自分を苦しめる事となります。座右の銘は人生を勇気づけ希望をもたせ大きな喜びと平安感を生むものでないと意味がありません。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2022年10月21日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
教育事業はとても大切ですが教師は心と身体が発病寸前を識別するノウハウを持ちません。しかし、そうかと言って教師は心理療法家であつてはならないのです。国語の先生は国語を教えていればいいのです。教師は自分の専門科目の先生でいて下さい。相手がどんな心と身体の状態であつても数学の教師は堂々として信じるままに数学を教えていて下さい。疲れはてた子供を心理療法家が担当すればその子を元気に回復してくれます。気にしないでこの記事をさらりと斜め読みしてくださればそれで十分です。例えば<意思あるところ道あり>という座右の銘としましょう。患者の主訴は(1)何故、自分は意思力がないのだろう(2)何故、自分は道をぐらつかせるのだろう?、この二つの主訴を洞察したセラピストはその患者の生育史でシュミレーションされた理想と現実を洞察していきます。現実吟味力に病的なゆらめきがないか、14の防衛機制(抑圧、感情転移、投影など)に病的なゆらめきがないか、アイデンティティーの統合に病的なゆらめきがないか、この3点から分析が始まります。更には理想の建て方に現実吟味力の欠落がないか、病的な理想ではないのか、現実の解釈に病的な解釈がないか、などなどです。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2022年10月20日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
人生には大事なものとして昔から座右の銘を決めておき折にふれ意識するように先輩から指導されて生活しています。元気な人には関係ない話かもしれませんが、入院患者の中には、この座右の銘が遠因となり自分に相当無理をさせ、この無理の為に自分を疲労困憊させたとは想像出来ないようです。皆様はどんな座右の銘を意識して生きておられるでしょうか?座右の銘が極度のストレス曲線(不安感、怒り、身体症状、鬱、錯乱の5つ)に追い込んでいないかどうか、再点検したほうがよさそうです。生育史により相応しくない座右の銘があるのです。皆様には信じられないでしょうが今までの事例を具体的に話しますと、<沈黙は金><木を見て森を見ず><義を見てせざるは勇なきなり><意思あるところ道あり><果報は寝て待て><七転び八起き>。何故だろう、どうして座右の銘が心の病の原因となるのだろう?いかがですか?健康な皆様には理解不能でしょうが疲れた人間には無意識の病理の遠因となるこの座右の銘が凶器となる場合もあるのです。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2022年10月19日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
芸術を愛する人々は自分の五感と体感、感情の領域を大事にするので何となく現実吟味力が欠落しているように周囲から見られ、とかく変人扱いにされて育ちます。周囲の言動を人間は気にする動物なのでやむをえません。周囲の言動で人格が育つように神様はお創りになったようです。病気ではないのに、自分からこの周囲の言動に支配されてしまい自分を病気だ、と思ってしまう人々が沢山います。残念なことです。ここから神様が与えてくださった学問の出番が必要で、どこからどこまでが変人なのか、少し勉強する必要があります。この勉強は案外難しいのでこう考えたらいかがでしょうか?自分の心に湧き出す感情は魂の会話である、魂はあの世とこの世を結びつける重要なものなので、とかく永遠の世界を見る傾向があります。心(生育史で体験的に作られた価値観)と身体は大脳と生物学の原理でうごきますので、この世の動きをします。<魂>と<心と身体>はいつも争う傾向があります。良心の呵責、反省は、この争いの象徴のようなものです。プロセススケールの底辺なら問題がありですが、中辺か高辺ならば<個性の美>であつて病気ではないと洞察するのです。プロセススケールは自分を心の病気から守る重要な指針です。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2022年10月18日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
大事なものは血の出るような努力をしないと手に入りません。これは人類の鉄則です。楽をして貴重なものを手に入れたいという人間の願望が科学を発達させましたが私達庶民は努力、努力、また努力の人生なのです。このプロセススケールの知識を身につけるのは大変ですが人生の苦労に比べれば楽な範疇に入ります。生き甲斐の心理学第3章を見て下さいとここで申し上げても皆様何故か勉強してくださらないので簡単に書いてみます。7つの視点があります。(1)自分の湧いてくる諸々の感情を倫理道徳も大事ですが、ここではそれを無視して何故この感情が湧いてきがのか、その意味を暖かく見守りつつ自己否定しないで解釈すること(2)一日の心の流れを静かに見守りどんな流れをしているのか冷静に見ていくこと(3)心の奥底の感情、思考と意識の世界と発していく言葉が一致しているかどうかを観察し、あまりにも不一致の場合は要注意(4)自分の感情、思考を上手に伝達出来ているかどうか(5)身辺に生起する森羅万象の解釈が健全かどうか(6)身辺に生起する諸問題を正面から真面目に取り組んでいるか、逃避していないか(7)人間関係の中で愛する人を大事にしているか、本物の愛をもてあそんでいないか、以上点ですが、この7つの視点を上手に応用するには勉強会で臨床学的に訓練する必要があります。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2022年10月17日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
日本は法治国家ですので医療の世界でも各種の法に基づき病名をつけ点数計算がなされ支払いがなされていきます。病名をつけるべきでない事例でも必ず病名をつけねばなりません。こんな微妙な事例でつけられた病名をある種の人々は不安神経症的にその病名で苦しみます。ここから暮らしの中のカウンセラーの出番が始まります。担当医師の名誉を傷つけることなく患者さんにきちんと臨床的な説明を開始していきます。器質障害の場合は医師と協力しつつ心理療法を展開しますが、医師がこれは器質障害ではなく心因性病理だと診断した所から心理療法家の出番です。微妙な領域の部分で仮に病気だとしても心構えで病気が完治する事例は山ほどあります。持病があっても心の世界は自由ですので明るく爽やかに心を維持するノウハウを覚えると身体の免疫力は倍加していくものです。自律神経も分泌も免疫も心構えで力が倍加されるのです。暗い気分は免疫力を低下させますので病名にこだわらず生き甲斐の探索を楽しみ残された人生の意味を探し、どうすることが自分の魂、生育史(心)、身体を大事にすることかを楽しみながら思索して生きていきたいものです。
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