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生き甲斐の心理学

自分は何の為に生きているのか? 生き甲斐とは何か、自分の魂と成育史と身体を大事にしているか、を思索していきます。

自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2020年06月30日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
日本の国立大学病院は現在でも常に論文を発表している新進気鋭の学者が尊敬されています。昔は今より更にその雰囲気は強く、心理療法でも診断基準は常に会議で激論を戦わせます。さて簡単な心の健全度の測定方法として私は経験から下記のものを推奨してきました。それは朝、目が覚めた時、さあーやるぞー、という意識です。この集中したひとつの意識が大切で<あれもこれもも>もないより良いのですが、さあ、やるぞー、という一つの集中目標があるか、ないかは、とても深い理由があるのです。この領域の問題を数回にわけて思索していきます。幸福曲線と言われているものは5つの感情(平安感、友好的感情、健康感、幸福感、統御感の5つ)で構成されていて、その5つの幸福感を測定する上での最後の重要指標が今回の統御感です。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2020年06月29日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
朝のトースト、コーヒーの香りから幸せをしみじみ感じます。昔<神の香り>と言う詩を読んだことがあります。大家族で色々の事件が起きますが、それでも助け合い、愛し合って生き抜いていくイギリス貴族の話でした。イギリスとフランスの宗教戦争の時代でしたが、家族愛に結ばれているいにもかかわらず立場の違いから敵、味方に別れて戦う悲劇も描いています。人類に対する神の摂理とは、何だろう、と考えさせられた詩でした。愛の香り、幸福の香り、五感と体感を幸せにする香りの世界の神秘、バラの香りが生む不思議な愛の世界を描いた詩でした。理性から生まれる幸福感は大切ですが、香りから生まれてくる幸福感を大切にしないと、人は本当の幸福感は得られません。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2020年06月28日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
人間とは何か、と言う問いかけに対して、古代からの知恵者は色々と考えた上、しかるべく答えています。科学が進んだ現代では、魂という言葉を無視する人がいますが、無視する人の知識と学識は大変低いものです。勉強すればするほど、人は科学では答えられない魂を無言ですが心から尊重するようになります。さてその人間とは、ですが、人間は<魂と心と身体>から構成されています。魂の領域は宗教学が、心の世界は優れた心理学が、身体は現代医学が担当しています。病院を訪問する患者さんを私は3つに分類していました。魂の領域で苦しむ人、心理学の領域で苦しむ人、身体の領域で苦しむ人の3種類です。このように分類すると、問題が明確になり、きちんと対応できます。病院ばかりでなく、暮らしの中のカウンセラーである私達も、この3つの分野をきちんと識別しながら、対応していきます。さて結論ですが、魂の領域(愛の世界、信仰の世界、死後の世界)を無視すると殆どの人は、心を病んでいきます。比較宗教学を勉強すると人類のこのあたりの苦悩が見えてきますし、解決する方向も見えてきます。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2020年06月28日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2020年06月27日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
父と子であれ、男女であれ、友人、知人、いづれの場合でも非常に美しい愛の世界は本当に不思議です。その関係がどうであれ<私とあなた>が醸し出す雰囲気が素晴らしい場合、周囲が明るくなり温かくなり、いきいきとしだす二人がいます。普通はあまりにもその二人が仲がいいと、嫉妬みたいのものが湧くものですが、本当に素晴らしい愛の場合は周囲は必ず感動し生き抜く力、エネルギーにもなるものです。これが自然の摂理というものでしょう。古代キリスト教が辿り着いた神学に<三位一体>という概念がありますが、これは天地の創造主である父とその子であるキリストが深く愛し合うと、そこから聖霊という愛がほとばしり出るという考え方です。わかるような気がします。純粋な愛は周囲に良い影響を与えるもんです。嫉妬を生むような愛はまだまだ未熟なのでしょうし、周囲をしらけさせるような愛も、まだまだ本物でなないのでしょう。三位一体の愛を学びたいものです。:

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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2020年06月26日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
良い家庭、良い仕事、良い環境を創造していく為に、善良な人々はそれなりに努力しています。1960年代、私の若いころのイギリスでの大学研究室での話ですが南米から来た研究生が何故か暗く、数か月何となく居心地が悪く教授も苦労されていました。私達勉強仲間は彼がいつ自殺するか、はらはらしていました。そんな中、同情から恋に発展したらしい中国女性がその南米の彼と同棲します。みるみる元気になり、その彼女の愛情にほだされた彼もまた、輝きだします。愛は何と力強いものなのでしょう! 青年の私は羨ましく思いました。愛の詩を、しかもとても綺麗な愛の姿を毎日見続けた私は、ひがむという気持ちはなく、そのあまりにも純粋な彼らの愛の姿にいつも感動していました。誰がみても感動する愛というものがこの世に確かにあるのを知った私は幸せ者です。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2020年06月25日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
人は一人で誕生し、一人で死んでいきます。社会で生き抜いていく場合でも、あたかも一人で何でもしなくてはならない、かのように考えがちです。<人>という字は二本で構成されていますが、古代の知恵者が考え抜いて決めた字がこの<人>なのです。一人でも幸福感は十分味わえますが、二人で味わう幸福感の大きさ、深さに比べたら話になりません。二人で味わう幸福感はまさに天国です。男女の場合だけでなく、親友、家族、気の合う友達、職場の仲間、全て二人の世界は神秘的でもあり、その豊かな感情の湧きあがりは素晴らしい生き甲斐となります。宗教界でも同じことが言えます。神仏との魂の交流はさらに豊かな愛の世界です。こらから何故、一人での幸福感よりも二人の幸福感が大きいのか、心理療法の原理から思索していきます.
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2020年06月24日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
気品あふれた美しいA子さんが何故、いつも不幸だ、不幸だと嘆くのでしょう?色々とお聞きすると少女時代、青春時代は実に美しい温かい思い出に満ち満ちています。優しく逞しい父親の愛、なんとも心配りの豊かなお母さん、その両親が飛行機事故で亡くなってからというもの、その時に比較して、それ以上の愛に遭遇しないA子さんはいつも欲求不満です。幸福だった思い出、それに基づいて形成されたA子さんの<幸福の原型>は、逆に現在の生活を哀しく不満にさせています。どんなに愛する人が現れても、過去の両親からのあの素晴らしい愛情を超えるものは出現しません。現在の幸福感と過去の幸福だった思い出、つまり幸福の原型は今では逆に凶器となつています。人間の心の仕組はこのようになつていますので、時々、現在の自分を分析する必要があります。夢よもう一度、これは中々現実には不可能な場合がありますので自分の幸福の原型とは何かをチェックしておきましょう。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2020年06月23日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
私は欧米で心理療法を学びましたが、日本人ですので幸福感は、やはり日本の伝統意識をDNAの中にしっかりもつているようです。秋の紅葉と月明かり、春の新芽や桜の花やその散りゆく際のもののあわれの美意識、西洋の友人は私の意識を笑いましたが、私の美意識、幸福感はやはり西行法師の<願わくは花の下にて春死なん、そのきさらぎの望月の頃>に支配されています。私の五感と体感で感じてしまうのですから他人から、とやかく言われたくありません。そのように人、それぞれが五感と体感で感じる幸福感は極めて重要な指標なので、自分の幸福感を何よりも大切にするように他者の幸福感も侵害するのは大きな問題です。自分の成育史での幸福だった思い出が現在の愛の原型、幸福感を支配しています。どんな幸福の思い出なのかを時々自己分析すると神経症や心の病が急速に回復することがあります。明日、詳細に分析していきます。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2020年06月22日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
欧米の大学研究室、しかも心理療法の研究室で初めて宮本武蔵の五輪の書を英文で読みました。驚きました。医師としての心得、心理療法家としての真剣な勝負の心得、秘訣が見事に描かれているからです。学生の頃は柔道を少々していましたので、県の他校試合のほろにがさも体験し、真剣試合の心得を何となく理解できました。むしろ精神病棟での患者さんへの心得として改めて感動しながら剣に生きた武蔵の教えに涙したものです。剣に生きる男も愛に生きる女もいづれも真剣勝負だと思いました。五輪の書で感じた宮本武蔵の生き甲斐と愛、ソーニャ、マグダラのマリアの愛の世界、どうしてこんなに人の心をとらえるのでしょう?五感と体感で感じ取ってしまう充実感に人は運命を任せるのでしょう。現実吟味力を正しながら、五感の幸福感を生き抜くエネルギーに転換できる人は幸せ.
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2020年06月21日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
小説ダ・ヴィンチ・コードで物議をかもした聖女マグダラのマリアですが、この方を人類の歴史から除外したら人類史は本当につまらなくなります。ローマのバチカンはカトリツクの本山です。宗教団体で国連に加盟出来た唯一つの国家形体です。このバチカンが一番重視しているキリストの復活と贖罪の思想が昨日紹介した罪と罰の中心課題ですが、この愛の思想を形成している重要な女性が今日のマグダラのマリアです。昨日のソーニャ、今日のマグダラのマリア、いづれも愛に生き抜いた女性です。マグダラのマリアは実在の女性ですが、最終的にはどうも南フランスのサントマリー・ド・ラ・メールに上陸したらしいのですが、正確なことはわかりません。このマグダラのマリアの幸福感で一番感動するのが復活したキリストと再会する場面です。この幸福感を黙想する哲学者が多いのは何故でしょう?私の推測ですが、贖罪と復活の思想が悩める人々を一番幸福にするからでしょう。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2020年06月20日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
ソーニャはドストエフスキーの名作<罪と罰>に出てくる大学生ラスコールニコフの恋人の名前です。ソーニャは聖なる娼婦と古来愛された女性で、この小説を読むうちにソーニャの心が天使のように美しいのに感動します。ラスコールニコフが殺人の罪でシベリアに流刑されますが、彼を愛しているソーニャは裸足で囚人団の後をとぼとぼとついていく場面は涙なくしては読めません。外観は悲劇ですが、ソーニャの心、特に体感と五感の世界では祝福された幸福感でいっぱいです。愛の世界は本当に不思議な世界です。しばらく五感で感じる幸福感について思索していきます。幸福の条件と幸福感はまつたく別なものです。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2020年06月19日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
比較宗教学とか哲学、神学、思想史の本を読んでいるのも楽しいのですが、私にとっては身近な幸せが一番大切です。持病があっても、勉強仲間、太極拳の親しい仲間、親戚、色々の分野の友人達と楽しく食事をしたり、遠慮のない会話をしたりしている時間を考えると、仮にこの雰囲気が天国だよ、と神様に言われても大いに満足し、感謝し大満足です。しかし人類の諸先輩が教えてくれる天国のイメージを聴いてしまうと、さらに欲が出て、本当の天国に行かれれば、もう食べていく為のお金を稼ぐ必要もなく、戦争も差別も貧困もない天国に憧れてしまいます。人々は愛し合い、そこには憎しみもない、二度と再び死ぬ必要もなく永遠に幸福に生きていかれる世界、死んでみなければわからない世界の話ですが、人類発生以来、ギリシャ神話を代表に新約聖書の世界、仏様の世界、たくさんの神話で語り続けられてきた天国の話を無視するわかにもいきません。しかしまずは身近な幸せに感謝しつつ元気に生き抜いていきたいものです。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2020年06月18日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
現実の生活をどう解釈するかで幸福感が変化します。解釈を変えると世界が変わるのです。極端な話をします、言い古された例ですが一杯のボトルの中にお気に入りの自然水が半分あります。その現実を見て、ああ、もう無い、と絶望して自殺する人、まだまだある、と明るく元気に希望を感じて生き抜いていく人、様々です。このように地球上の森羅万象の解釈いかんで戦争を起こしたり、暴力に走る人もいれば、自分を犠牲にして平和構築の為のNPOで活躍する人、さまざまです。解釈を変えると世界が変わります。現実は本当は天国なのかもしれません。その天国を地獄にするのは人間です。生きている内が花です。どうせ現実を生きるのなら、この世は天国だ、と解釈して生き抜いていきたい。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2020年06月17日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
人類が誕生して数万年経過していますが、一番古い人間の記録<ギルガメッシュ叙事詩>を見ても、その当時に、正常な人もいれば、ノイローゼ、精神病、人格障害の症状も散見出来ます。どんな時代、民族も同じです。1973年のメキシコで、ニューギニアの人食い人種出身の神父さんと或勉強会でお会して聞いた話ですが、そのでは人を食べない人間が村八分にされノイローゼになるそうです。ニューヨークの文化でノイローゼになる人とニューギニアのそのでノイローゼになる仕組みは違います。それぞれの文化の中での影響を受けて、そして心が疲れていきます。このようにその人が属している家庭、地方、コミュニテイの文化で育てられた心の奥深い領域での<理想:こうあたい、あらねばならぬ、倫理道徳、家庭の習慣、思い込みからの理想のこと>と現実のギャップがストレスです。この現実の解釈に病的なものがあれば、さらにそのストレスは大きく、深く、辛いものになつていきます。ストレスの発生原因は全てその人の理想と現実のギャップから生まれてきます。明日、もう少し具体的に解説していきます.
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