身辺の人々の苦しみを見ると、その人の考え方、生きる目的いかんで相当の違いが生じてくるのが見えます。人は天に向かってつばを吐きながら生きているようにも見えます。自業自得というか、自分の責任なのに他者のせいにしたり社会のせいにしているので、いつまでも同じ愚かさを繰り返しています。こう言う私もそうです。いつも同じ過ちを繰り返しています。案外意識出来ていないのですが自分の夢を追い求め、その実現に努力した時、自分が物凄いストレス曲線に立たされているようです。色々自分と他者を観察していくと<自分にもプラスになり相手にもプラスになる道・方法>を選択した時は自分も他者も同時に幸せになつているようです。共存共栄の道を知恵をしぼって選択するとストレス曲線が無く幸福曲線にいる自分に気づきます。
病気でもなく食べていける状況にもある、しかし、現実が楽しくない、という人々がいます。何故でしょう?楽しめない100人の事情は全部違うので一概には言えませんが、共通しているものがあります。それは解釈の仕方です。楽しむという知恵は相当修行しないと得られませんしどう解釈すれば楽しくなるか、その意識化の修行を日常生活で試みていかないと無理です。どんなに健康で食べていける状況にある人でも解釈いかんでは現実が楽しくありません。この場合は(1)自分は何の為に生きているのか(2)自分の生き甲斐は何か、この二つを考えて下さい。そうすると何となく答えが見えてきます。この二つの意識化が無いと何をしても楽しくありません。
人生では次から次へと疑問が生じ、その答えと知恵を求めて右往左往しますが、生き甲斐の心理学では、どんな場合でもその答えは自分の中にあると指導していきます。当たり前だと思う人と<本当かなあ>と思う人と色々です。これがあなたの答えですよ!と言われても本人が納得していなければそれは本当の答えではありません。思い悩む時、人はああでもない、こうでもないと自問自答します。幾つかの答えを意識してはいますが自信が無いので信用のおける人に相談すると<あなた、何をいつているの>と否定されると益々自信を失います。重要な問題を自問自答する方法はノートに書きだす事が重要です。ノートに書くか書かないかで人生が決まります。この自問自答のノートを後日、宝物として扱う必要があります。そのノートの中での自問自答を暖かく肯定的、共感的に、批判せず、自己否定せずに再読すると、これが答えだ、と気付きます。
どんな人間にも逞しい力が内在しているのですが何故か気付かない人々が沢山います。その理由は逞しい力が内在している理由を勉強する機会がなかったのでしょう。納得がいく勉強の機会はあるようで中々ないようです。信頼出来る人からきちんと聞かないと、この微妙な哲学理論は納得出来ないものです。苦悩やストレスの渦中にあると自信喪失となります。挫折感や生きる気力が無い人生場面に入り込んでいる場合は聞く耳を持てないのが当然です。ですから元気なうちに、この勉強をしておく必要があるのです。自分のストレス曲線(不安感、怒り、身体症状、鬱、錯乱の5つ)を五感と体感で平素、感じとる訓練をする必要があります。このストレス曲線を正直に感じだすと、どこからが危険か、どこまでが安全か、セルフコントロールが出来るようになります。まず自分の限界を平素感じ取る訓練をしていない場合、ストレスを楽しみ、それをばねに逞しく生き抜く知恵は獲得出来ません。人が持つ魂(魂という言葉が嫌いな人はこの言葉を<生命力、自然治癒力に置き換えて解読下さい>)は、人生の厳しいいかなる場面でもその人に生き抜く方法を必ず示唆しています。
殺人、強盗、詐欺をすれば人は当然、おかしくなつていきます。これは当たり前のことですが神様の前で自分の過ちを跪いて許しをこい法治国家である日本社会の法律で処罰される必要があります。ここで考えたいのは、善意の優しい人々が、あたかも犯罪を犯したような異常な反省をしたり過剰な良心の呵責に苦しむ人々があまりにも多すぎるのは何故だろう、と言う問題を考えていきます。人間は本質が<不安の固まり>なのにその実体を知らず、あたかも人は常に平安で落ち着いていて、かつ幸福なのが普通と考えている人々も多すぎます。人間は不安な状態が本質だ、という真理を知らない人々がこれまた多すぎます。さて不安はその人の成育史で培われた理想と現実のギャップから生まれる感情です。現実の解釈を見直す必要もあります。解釈を変えると世界が変わるからです。こうして自己分析を上手にすると自分の理想と現実の解釈が見えてきます。無理な理想を現実吟味力の欠落から樹立していた自分の愚かさにも気づきます。身の丈に合った理想の樹立、明るい人生を感じるような現実の解釈をすれば不安は恐れるにたりません。