生き甲斐の心理学

自分は何の為に生きているのか? 生き甲斐とは何か、自分の魂と成育史と身体を大事にしているか、を思索していきます。

自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2021年10月31日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
身辺の人々の苦しみを見ると、その人の考え方、生きる目的いかんで相当の違いが生じてくるのが見えます。人は天に向かってつばを吐きながら生きているようにも見えます。自業自得というか、自分の責任なのに他者のせいにしたり社会のせいにしているので、いつまでも同じ愚かさを繰り返しています。こう言う私もそうです。いつも同じ過ちを繰り返しています。案外意識出来ていないのですが自分の夢を追い求め、その実現に努力した時、自分が物凄いストレス曲線に立たされているようです。色々自分と他者を観察していくと<自分にもプラスになり相手にもプラスになる道・方法>を選択した時は自分も他者も同時に幸せになつているようです。共存共栄の道を知恵をしぼって選択するとストレス曲線が無く幸福曲線にいる自分に気づきます。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2021年10月30日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
私も小心者ですからあまり人の事は言えませんが現実をあるがままに受容できる大物になると心の防衛機制を張り巡らす必要はなく、平素安心して居直りながら堂々と生きる事が出来ます。どんな現実でも逃避せずこれが運命だ、と一旦諦めて受容しますが、心の奥底ではなにくそ、と思っています。今にみておれ、と牙を磨きながらチャンスを狙います。<求めよう、さらば与えられん>は真実です。いつも希望と情熱をもつて機会をうかがいます。燃えるような願望は人生での武器。どんな現実が訪れようと恐れません。この居直りがないといつも小心者としてこそこそと生きていなければなりません。あるがままの現実を恐れずに一旦受け入れたいものです。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2021年10月29日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
病気でもなく食べていける状況にもある、しかし、現実が楽しくない、という人々がいます。何故でしょう?楽しめない100人の事情は全部違うので一概には言えませんが、共通しているものがあります。それは解釈の仕方です。楽しむという知恵は相当修行しないと得られませんしどう解釈すれば楽しくなるか、その意識化の修行を日常生活で試みていかないと無理です。どんなに健康で食べていける状況にある人でも解釈いかんでは現実が楽しくありません。この場合は(1)自分は何の為に生きているのか(2)自分の生き甲斐は何か、この二つを考えて下さい。そうすると何となく答えが見えてきます。この二つの意識化が無いと何をしても楽しくありません。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2021年10月28日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
現実は厳しい、辛い、切ないと感じて生きている人々もいれば、現実は何と楽しく天国のようなものだ、と感じている人々もいます。終末治療を受けている人々の中にも同じ感情をもつている人々がいますが、この違いは森羅万象の解釈の違いから生まれています。どうせ生き抜いていかねばならない人生ですから、何とか現実を楽しいもの、と解釈する方法を考えてみましょう。これから数回に分けてこの<現実は楽しいもの>と解釈出来る方法について思索していきます。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2021年10月27日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
<自分を大事にする>方法は3つあります。一番重要な事は<自分が死んだらどうなるか、あの世は本当に存在するのか、自分の魂はあるのか?>という領域の勉強を比較宗教学というきちんとした学問として勉強することが一番重要。二番目は自分の成育史を嫌なものと否定するのではなく、どんな人生であつてもそれを暖かく優しく受容する考え方を努力して確立しておかないと真理に到着できません。自分の成育史を否定すると自虐的になつていきます。三番目は自分の身体を医学的に大事にすることです。この3つを大事にする考え方を確立出来ると、自然に、人生のそれぞれの場面で明るく健全に上手に生き抜いていける知恵が湧いてきます。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2021年10月26日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
人生では次から次へと疑問が生じ、その答えと知恵を求めて右往左往しますが、生き甲斐の心理学では、どんな場合でもその答えは自分の中にあると指導していきます。当たり前だと思う人と<本当かなあ>と思う人と色々です。これがあなたの答えですよ!と言われても本人が納得していなければそれは本当の答えではありません。思い悩む時、人はああでもない、こうでもないと自問自答します。幾つかの答えを意識してはいますが自信が無いので信用のおける人に相談すると<あなた、何をいつているの>と否定されると益々自信を失います。重要な問題を自問自答する方法はノートに書きだす事が重要です。ノートに書くか書かないかで人生が決まります。この自問自答のノートを後日、宝物として扱う必要があります。そのノートの中での自問自答を暖かく肯定的、共感的に、批判せず、自己否定せずに再読すると、これが答えだ、と気付きます。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2021年10月25日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
人は何かを取り込んで成長していきます。赤ちゃん時代から小学生時代はまさに取り込みの時代です。エリクソンという人は人間の根本思想の一つである<希望力>は0-2才の頃の人を信頼するかしないかという経験から、その人が持つ<希望力>が決まると主張しています。大人になり厳しい人生の場面、例えば自分の会社が倒産した時など、這い上がるには希望力が支配します。挫折から立ち上がるエネルギーも希望力いかんにかかわってきます。人への信頼感を取り込んでいるのか、人への不信感を取り込んでいるのかが希望力を支配します。人を信頼すると希望力が高まります。あとは現実吟味力さえ修行すれば益々人生が幸福になります。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2021年10月24日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
政治、経済、芸術、どのような学問の世界にもお師匠さんがいます。専門知識がノーベル賞級のお師匠さんでも実に嫌な人がいます。天才かもしれませんがAさんには弟子が行きたがりBさんは敬遠されます。その理由は弟子を愛するか愛さないかの違いです。犬と馬は自分を大事にしてくれるご主人の為なら命を提供するようです。私の友達が教えてくれた話ですが森の中での練習中に木に頭をぶつけ失神したのに平素可愛がり餌を与えていた大学乗馬部の馬でも気絶した時、顔をなめ続け意識を回復させてくれたそうです。専門知識集団でも<弟子を愛する思想>を<伝授すべき専門知識>よりも重視する師匠は人類社会の宝物です。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2021年10月23日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
本人は気付いていないようですがAさんは福の神を大事にしているしBさんは口では福の神が好きですと言いながらも内心は貧乏神を大事にしているようです。人間は中々難しい動物で意識と無意識が分かる時と分からない時があります。Aさんには人が寄っていきますがBさんには何故か人が寄り付きません。Bさんと会話していると何となく惨めな感じになるからです。Bさんも時々、何故人は私を敬遠するのだろうと悩んでいます。暫く福の神と貧乏神について思索していきます。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2021年10月22日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
信仰があるなしにかかわらず神社仏閣にお参りすると大勢の善男男女がお守りを買っておられます。この姿、風景は日本文化の美しい場面です。大切な人が海外に行く場合もお守りを密かに手渡す恋人の姿は暖かく切ない愛の場面です。このようにしてもらったお守りを密かに胸に納めて旅をする情景は古代からの愛の文化でもあります。心が安定し危険な戦地に出かけた兵士がどれだけお守りのお陰で錯乱せずに帰国出来た事でしょう。また戦場で無念の死を遂げる場合でもお守りがある場合と無い場合はその兵士の精神衛生は相当、違った事でしょう。お守りを大事にしたいものです。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2021年10月21日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
どんな人間にも逞しい力が内在しているのですが何故か気付かない人々が沢山います。その理由は逞しい力が内在している理由を勉強する機会がなかったのでしょう。納得がいく勉強の機会はあるようで中々ないようです。信頼出来る人からきちんと聞かないと、この微妙な哲学理論は納得出来ないものです。苦悩やストレスの渦中にあると自信喪失となります。挫折感や生きる気力が無い人生場面に入り込んでいる場合は聞く耳を持てないのが当然です。ですから元気なうちに、この勉強をしておく必要があるのです。自分のストレス曲線(不安感、怒り、身体症状、鬱、錯乱の5つ)を五感と体感で平素、感じとる訓練をする必要があります。このストレス曲線を正直に感じだすと、どこからが危険か、どこまでが安全か、セルフコントロールが出来るようになります。まず自分の限界を平素感じ取る訓練をしていない場合、ストレスを楽しみ、それをばねに逞しく生き抜く知恵は獲得出来ません。人が持つ魂(魂という言葉が嫌いな人はこの言葉を<生命力、自然治癒力に置き換えて解読下さい>)は、人生の厳しいいかなる場面でもその人に生き抜く方法を必ず示唆しています。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2021年10月20日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
神様は耐えられない不安やストレスは絶対に与えません。たまたま体の調子が悪く落ち込んでいる時はストレスの解釈が異常な場合があります。そんな自分を見極める修行を平素していないと人生を過ちます。ですから平素、ストレスをどう楽しもうか、という視点の修行をする必要があります。ストレスを楽しむ。この概念に嫌悪を感じるようでしたら希望はありません。健康な人はストレスをばねにして飛翔していくものです。自分の不安、怒り、身体症状、鬱、錯乱を上手に活用していく方法を自分なりに考えて下さい。何のためにストレスを活用するか、その意味を考えましょう。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2021年10月19日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
殺人、強盗、詐欺をすれば人は当然、おかしくなつていきます。これは当たり前のことですが神様の前で自分の過ちを跪いて許しをこい法治国家である日本社会の法律で処罰される必要があります。ここで考えたいのは、善意の優しい人々が、あたかも犯罪を犯したような異常な反省をしたり過剰な良心の呵責に苦しむ人々があまりにも多すぎるのは何故だろう、と言う問題を考えていきます。人間は本質が<不安の固まり>なのにその実体を知らず、あたかも人は常に平安で落ち着いていて、かつ幸福なのが普通と考えている人々も多すぎます。人間は不安な状態が本質だ、という真理を知らない人々がこれまた多すぎます。さて不安はその人の成育史で培われた理想と現実のギャップから生まれる感情です。現実の解釈を見直す必要もあります。解釈を変えると世界が変わるからです。こうして自己分析を上手にすると自分の理想と現実の解釈が見えてきます。無理な理想を現実吟味力の欠落から樹立していた自分の愚かさにも気づきます。身の丈に合った理想の樹立、明るい人生を感じるような現実の解釈をすれば不安は恐れるにたりません。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2021年10月18日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
光太郎は妻が死に、何とも言えない寂しさに襲われる時は妻が愛していた彫刻をそーっと自分の懐にいれます。そうすると優しく暖かく自分を愛してくれた妻が自分にぴたりと寄り添ってくれた安心感に満たされ強烈な孤独感が消滅していきます。この心理を<摂取>といいますがこの摂取という営みを上手に応用しながら逞しく生き抜いていく方法について思索していきます。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2021年10月17日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
どんなに厳しい現実の中にいても何故あんなに明るく爽やかに元気なのでしょう?終末治療を受けているAさんは偽善ではなく本心から明るく毎日を生きています。体のあちこちに激痛が走るその時はうめきますが、その時が終われば元通りで全てを神様にゆだねているようです。そして息をしている間は色々楽しい話を周囲にばらまいて生きています。信仰の力の底力に驚きます。彼は天国への旅をシュミレーションしているのです。
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