生き甲斐の心理学

自分は何の為に生きているのか? 生き甲斐とは何か、自分の魂と成育史と身体を大事にしているか、を思索していきます。

自分は何処へ旅しているのだろう?:人は考えた通りの人間になる:その8:幸福な日々の為の自問自答集

2014年06月30日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
無駄な罪悪感、誤解に基づく罪悪感、感違いの罪悪感、教育不足から生まれてくる罪悪感、家庭教育からくるもの、宗教家の脅迫、商売や利益獲得を狙う人々が購買者を巧みにリードして或種の劣等感や優越感、罪悪感をそそりながら、ものを買わせる、このように自分が感じている罪悪感を分析しないと、人は無駄なストレス曲線(不安感、怒り、身体症状、鬱、錯乱の5つ)に振り回されます。そして明るい人生を暗くし、元気でいられる自分をあえて弱くしていきます。罪悪感は人類にとり貴重なものですが、正しい罪悪感なのか、病的な罪悪感なのか、どうしてそれを識別すべきかをキチンと考えていきましょう。エリクソンは罪悪感を考える時に、その人の生育史における自発性、目的志向性を同時に考えなさいよとアドヴァイスしてくれていますが、どう関連づけて考えたらいいのでしょう?
<自分は何処へ旅しているのだろうか?:325>

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自分は何処へ旅しているのだろう?:人は考えた通りの人間になる:その7:幸福な日々の為の自問自答集

2014年06月29日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
子供は何故「自分が悪いから」と思うのだろう?私の幼少の思い出にも「何と悪い子だろう?」と自分が悪い、と思っていました。この思い出は大人になり、初めて、あの時は、自分が悪いのではなく、周囲の大人、両親、兄弟、近所の友達が、本当は悪かったんだな、と気付きます。本当に悪い事もあるでしょうが、ここでは自分が悪い子でなかった事例が何故、人生にはこうも多いのかを思索していきます。エリクソンの言う「罪悪感」の思索です。自分は悪い、と考えれば、そのような顔つきになり、人相の悪い人、と言われたくないので、ちょっと暫く考えていきましょう。実は、この「罪悪感の取り扱い」は恐ろしい問題ですので、暫く、この罪悪感についてすすめます。エリクソンは何故、3つの概念をこの領域で提示しているのでしょう?罪悪感、自発性、目的志向性の3つの関連です。
<自分は何処へ旅しているのだろうか?:324>

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自分は何処へ旅しているのだろう?:人は考えた通りの人間になる:その6:幸福な日々の為の自問自答集

2014年06月28日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
人は生涯、恥辱と疑惑の中で生きていきます。どんな良い人でも善意で発言したことが親友の心に恥辱を与えたりします。これは人間がその程度だからです。ですからこの哀しい人間の心を慰める為にギリシャ神話や色々の民話が語り継がれ、人々の心を癒します。しかし、大人になり色々の体験を積むうちに、自律、自立、私は私、と確信して生きていかないと、周囲から虐められ、駄目にされていく自分に気付き、悟りを拓き、居直り、堂々と明るく元気に生きようと決意する人もいれば、委縮して、しょぼしょぼと影が薄く、どこにいるのか、その存在も無視されて生きていく人もいます。堂々と生きていく人はいつのまにか意思力も養成され、時々は元気を失いますが、一応セルフコントロールとしての意思力を確立していきます。恥辱と疑惑感、自律性、意思力は、このように深い領域で連動しているものです。人は考えた通りの人間になる、ですから、この関連を考える習慣をつけると、無駄のない存在の有り様を自分流に見つける事が出来、良い日々を送る可能性が出てきます。この深い領域での関連性はエリクソンが生涯をかけて証明しようと努力していました。先輩に感謝です。
<自分は何処へ旅しているのだろうか?:323>

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自分は何処へ旅しているのだろう?:人は考えた通りの人間になる:その5:幸福な日々の為の自問自答集

2014年06月27日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
日本の大学1年生徒の頃、青春の悩みがあり、理想に燃える自分を誇大妄想と勘違いした時期があり、大学の文化祭の「ほらふき大会」で優勝しようと想い出演(檀上にあがりほらふきをする大会)しましたが、つまらない小さな話をする奴は引っ込め、と大合唱となり、すごすごと檀上を降下した楽しい青春回想があります。その時の優勝者はその後、外交官試験に合格し、国連で活躍しました。以来、誇大妄想はつつしみますが、夢と理想は相変わらず保持しています。ほらの特技があると確信し、特殊な技能を持っていると考えた青年でしたが、人は考えた通りの人間になる、という哲学からすると、私の思考は小さなものでした。人は劣等感に困惑する場合がありますが、どんな小さな特技でも人の劣等感を軽減させるようです。勤勉でないと何故か、人は劣等感を持ちやすいといわれていますので、どうか勤勉性という本能に振り回されることなく、ほどほどの劣等感を楽しんで下さい。劣等感は人類を向上させる本能です。
<自分は何処へ旅しているのだろうか?:322>

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自分は何処へ旅しているのだろう?:人は考えた通りの人間になる:その4:幸福な日々の為の自問自答集

2014年06月26日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
何かの困難に遭遇し、心が乱れた経験はありませんか?私も時々戸惑い、困り果て、さてさて、どうしたものか、と自分の混乱感に戸惑う事があります。これは人類共通の心の乱れで、エリクソンはこの場合の簡単な解決の道は、とりあえず誰か親友とか、身近なしかるべき人を信じ、多少、その人の意見を忠実に聴く、と解決すると言っています。神様を信じるような絶対の忠誠は、人の場合は大変危険(或程度、人を信じるのは幸福への道の基礎ですが、神を信じるような感覚で人を信じると、色々問題が出てきます)、とりあえず、一時的に何かに忠誠心を結ぶと、不思議や不思議、一時的に自己混乱感は統合され、それなりのアイデンティティが誕生します。全面錯乱よりも、一時的でいいから、錯乱を防ぎ、時間を稼ぎながら、良い道を模索するのです。この現象は、人生では繰り返し死ぬまである現象ですので、慣れる事が大事なようです。忠誠心という精神安定剤は薬より大きな効果を示すようです。忠誠心は人を奴隷のよにもしますが、使い方では天下の宝刀となります。変な人や色々の変なものに忠誠を捧げると自分を破壊していく事もあり、何に忠誠を誓うか、深く哲学をする必要があります。忠誠は人を安定化しますが、要注意です。
<自分は何処へ旅しているのだろうか?:321>

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自分は何処へ旅しているのだろう?:人は考えた通りの人間になる:その3:幸福な日々の為の自問自答集

2014年06月25日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
花子とアンの或場面でした、蓮子さんが10年ぶりで花子さんに会い、英語の辞書の中に走り書きのメモを残して、何とも言えない覚悟の内に蓮子さんは、また、厳しい人生へと戻っていきました。この別れの場面は白蓮の人生を色々調べている私としましては実に感動的な場面でした。かたや花子さんは、その残された蓮子さんのメモで身近に潜在していた深い愛に気づく場面もありました。このように愛は、いつ、どのように展開していくのか、神秘的な領域です。この神秘的な愛は、人間には理解出来ない神様の恩寵のような領域が多く、生き甲斐の心理学では太刀打ち出来ません。愛の孤独感に苦しむ人への対応が心理療法の中心ですが、本物の愛に対する親密性の程度の問題もあり、なかなか愛の世界は宇宙と同様、非常に複雑で、人間そのもの、神仏そのもの、宇宙そのもののような領域です。病的な孤立感、病的な親密性、病的な愛、かたや健康な愛、健康な親密性、健康な孤独感もあります。ここで,たった数行では解説したり、簡単には書けませんが、何が病的で、何が健康かは考えていく価値のある領域です。貴重なそれぞれの人生での時間で何を考えるか、が人生の別れ道のようです。やはり人は或程度、考えた通りの人生になるようです。
<自分は何処へ旅しているのだろうか?:320>

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自分は何処へ旅しているのだろう?:人は考えた通りの人間になる:その2:幸福な日々の為の自問自答集

2014年06月24日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
いくら考えても、このところ、どうも沈滞して意欲が停滞しているなあ、と人は落ち込む時があります。しかも数週間、数カ月、数年単位、という事もありますが、その年代は35才から60才くらい、とエリクソンは言います。この空しさを解決する方法として、そろそろ周囲の人々をお世話しなさい、そうすれば、この停滞感は解消するかも、とエリクソンは言うのです。さもありなんです。ではどうしたら出しゃばりにならない、素敵なお世話が出来るのでしょう?こればかりは、その人の置かれた環境、コミュニテイ、家庭、仕事場で、いろいろ違います。自分の事ばかり考えてきた私達ではありますが、そろそろ哲学的にも、成長した人間としてもこの「世話」という領域を考えなさい、というわけです。この世話の内容について、それなりに真面目に思索し、考えないと、人は晩年、寂しい日々を送る羽目になるようです。aさんへの世話の仕方、bさんへの方法は個性を考えないと良い世話の仕方は掴めません。世話の仕方を考えると、考えるほうが幸せになりそうです。わざとらしい世話を受けると、ひたすら惨めになります。難しい領域なだけに、考える価値はありそうです。人は考えた通りの人間になる。実に価値のある刺激的な思想です。
<自分は何処へ旅しているのだろうか?:319>

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自分は何処へ旅しているのだろう?:人は考えた通りの人間になる:その1:幸福な日々の為の自問自答集

2014年06月23日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
自分は知恵がないなあ、と考えていると、知恵がない劣等感の強い人間に見えてくるし、お陰さまで何とか適当な知恵をいただきながら今日まで生きてこれたと考えれば、それらしく統合されている人間に見えるというお話です。さて普通の人間の実情ですが、厳しい現実を生きていると、人は、時々何と自分は知恵がないのだろう、と悩みます。中にはもう諦めて自分は学歴がない、貧しい家に生まれた、もともとやる気が無い人間だから等、いいわけしつつ生きていく羽目になりそうです。本当にそうでしょうか?現在まで生き抜いてこれた理由を真面目に考え、その理由を意識化し、書きだす事が出来れば、これから逞しく生き抜いていける自信が生まれます。過去へのその言いわけは正しいかもしれませんが、多分、生き抜いてきた理由を書けないのは、残酷なようですが、「過去の思索の結果」だと言えます。私は現状は全て過去の自分の思索の結果だと思っていますし、当然のことだ、と諸先輩に言われ続けてきましたので、人は考えた通りの人間になる、という考え方を大事にしています。現実をそのまま一旦錯乱することなく受容するには案外、勇気がいりますし、哲学が無いとなかなか出来ない事です。今からでも遅くありませんので、現在の自分は過去の思索の結晶、という考え方をしていくと、これからの人生に大きな希望が湧いてきます。その為にも、これから生きていく目的を先ずは明確化しておきませんと、この現実を先ず、ありのままに一旦認める事が出来ません。認めた上で次の手を打つ生活態度がないと、この思想「人は考えた通りの人間になる」という貴重な真理を活用しつつ、自分の近い将来の幸せを確立出来ません。絶望感は人類を非常に不幸にします。特にローマンカトリツクでは全知全能の愛である神様を信じないのを最大の罪と定義しています。これくらい、人間の絶望感は恐ろしいものです。絶望感から離脱出来る知恵が案外、最大の人類の知恵かもしれません。
<自分は何処へ旅しているのだろうか?:318>

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自分は何処へ旅しているのだろう?:人は考えた通りの人間になる:幸福な日々の為の自問自答集

2014年06月22日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
「人は考えた通りの人間になる」と言う言葉は古来から言われている諺です。この思想について暫く思索します。現在の自分は子供の頃から考えてきた全ての結果である、と言いましたら、或席で罵倒されたことがあります。この席は元気のよい会社での勉強会でした。この思想を語っては誤解される場所もあります。例えば、終末治療で苦しむ病棟とか、自然災害の被災地の現場、悲劇に苦しむあらゆるグループでは、この言葉は口にしてはいけない概念です。これから語り続けるものは多少の持病がありましても、一応日々元気に生きられる人々、生き甲斐を求めている人々、考え方を変えたり、体験の解釈を変えると、目の前にある自分の幸せに気づきそうな人々には役立ちます。この私の心配を理解していただいた方々が読んで下さい。数千年生き延びてきたこの思想はとても大事な思想ですので、暫く検討してみましょう。
<自分は何処へ旅しているのだろうか?:317>

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自分は何処へ旅しているのだろう?:ドラマ等で見る自分の人生:その23:幸福な日々の為の自問自答集

2014年06月21日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
周囲に八つ当たりをし、毒ガスを振りまいている人には多分、そうしなければ心が落ち着かない理由と生育史があるのでしょう。ここではこのタイプの流れゆく先は見えているので、話題にしません。それよりも先ずは自分は日々何を考え、湧き出す感情をどう処理し、どんな行動をしているかを明確化するにはどうしたらいいのでしょう?明確化する手法を間違えると、自分を苦しめるだけですので、楽しく意識化出来る方法について考えてみます。人のふり見てわが身を正す、その為のドラマです。花子とアンのドラマを見ながら、自分の思考、感情、行動の傾向を笑いながら、楽しみながら比較考察するのです。夫、妻、姑、子供たちと比較考察すると腹がたったり、嫌いになつたり、うんざりしてくる危険がありますので、花子とアン、という面白いドラマを観察するのです。心当たりのある場面を生き甲斐の心理学から分析すると、不信感、疑惑感、罪悪感、混乱感、絶望感の感じ方のくせ、傾向が面白いほど見えますね、蓮子さんの不信感、花子さんの混乱感、手に取るように、その傾向が見えてきます。逆に現実に対処する場合の考え方、人生での希望の取り方、意思力、技能、愛、知恵、この視点で観察すると、あるある、自分の事を言われているようで恥ずかしくなり画面から目をそらしたくなります。鈍感な人、神経質な人、思いやりのあるひと、嫉妬心の深い人、こんな視点からドラマから自分の傾向を意識化し、楽しむ事が出来ます。
<自分は何処へ旅しているのだろうか?:316>

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自分は何処へ旅しているのだろう?:ドラマ等で見る自分の人生:その22:幸福な日々の為の自問自答集

2014年06月20日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
生きる目的を明確化する為にも、今日一日、自分は何を考え、湧き出す感情をどう処理し、どんな行動をしているかのんびり思索してみましょう。この自分の傾向をきちんと意識化出来る人と、出来ない人は人生が大いに違うようです。湧き出す感情に流されている人が周囲にいませんか?感情に正直なのはいいのですが、正直すぎて、八つ当たりする人がいます。このタイプは嫌われ者となりはじきだされていきます。八つ当たりして、毒ガスを吐き出す人は、人を不幸にするタイプです。逆に何故か、泰然自若として現実を平然と受け入れ、周囲の人々の悩みを誠実に傾聴し、説教をしないタイプは人々を幸せにしていくタイプです。30才を超えて、この違いがあるのは何故でしょう?
<自分は何処へ旅しているのだろうか?:315>

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自分は何処へ旅しているのだろう?:ドラマ等で見る自分の人生:その21:幸福な日々の為の自問自答集

2014年06月19日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
自己愛に健全な自己愛と少々異常な自己愛があります。なかなか難しい領域ですが、気楽に、楽しく思索を進めたいと思います。まず、日常生活が自分の人生をきめていくわけですが、自分は何を考え、湧き出す感情をどう処理し、どんな行動をして目的達成の為に努力しているのか、それが自分の人生をきめていく、という真理に気付いているかどうかが大きな問題です。こう言われてしまうと、ここですぐ問題になるのが、目的達成の方向が分からない、という大問題で、だからこそ、苦しんでいるんだ、と苦情を言われそうです。それを含めて考えていきましょう。花子とアン、の物語を見ましても、それぞれ生きる目的に苦労しているのが分かります。翻訳家として生きていく道がそろそろ花子さんの意識に上がりはじめていますが、ここに来るまで大変でした。人生はそんなものでしょう。ああでもない、こうでもない、と考えている内に生涯が終わるのが大半かもしれませんので、せめて、今日一日、なにをしたいのか、その目的意識をまずは明確にしていきましょう。貴重な今日一日、何をしておきたいのかさえ分かりませんと、多分、悔いを残す人生をあるくでしょう。
<自分は何処へ旅しているのだろうか?:314>

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自分は何処へ旅しているのだろう?:ドラマ等で見る自分の人生:その20:幸福な日々の為の自問自答集

2014年06月18日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
森羅万象の奥に全知全能の愛そのものである神様を信仰心という領域で信じる人は恐れるものがありません。キリシタンの歴史、クオバディスという映画で観るようなローマ皇帝ネロの話に出てくる競技場の殉教者のように、信仰の力は物凄い安心感、信頼感、平安感を人々に与えていますが、人類全てが、このような状況に置かれていませんので、ここでは心理学的に考察をすすめます。自分が納得するようなアイデンティティを身につけるには、自分の過去の生育史の中で、どのような事例があるかを先ずは焙り出す必要があります。さて、どんな人にでも、多少は信頼している人が側にいたと思います。母親、父親、おじさんおばさん、親友等、必ず信頼感があり、幸福だった過去の事例を思い出しておく必要があります。健全な楽天主義を確立していく前提として、この人間への信頼感が前提となります。周囲に信頼出来る人が居なかったけれども、大変な困難を乗り越えた事例が自分にあるとすると、それはひたすら自分を信じて、その困難を乗り越えたのでしょう。この成功事例は自分の人生での思い出の中の最大の宝でしょう。一人で生まれ、一人で死んでいくのが人間の宿命ですので、人に期待しつつ自分の幸福を創造していくのは大事なことではありますが、ここで一番大事な安定的楽天主義の根幹は正しい自己愛、正しい自己信頼感のようです。宗教学を導入する前に、この健全な自己愛が重要と言われています。では何が健全な臨床心理学的な自己愛なのでしょうか?
<自分は何処へ旅しているのだろうか?:313>

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自分は何処へ旅しているのだろう?:ドラマ等で見る自分の人生:その19:幸福な日々の為の自問自答集

2014年06月17日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
生まれつきの楽天主義者っているのでしょうか?私の知り限りはいません。一見、そう見えても眠れない、食欲がない、と口にしないだけ。その根拠は人間の思想史で一流の思想史を勉強すれば、人間が誕生以来、いかに苦労してきたかが歴然と見えてきます。人生の意味、死の意味、神仏が存在している、という宗教学的な領域、民話神話の誕生、全てが、この不可解な人生の意味を模索し、解釈する為でした。生き甲斐の心理学では、下記のように思索していきます。ストレス曲線(不安感、怒り、身体症状、鬱、錯乱)の中から、自分の人生に必要としている知恵を探ろうと努力すること、その知恵に基づいて、明るく逞しく生き抜いて幸福曲線(平安感、友好的な感情、健康感、幸福感、統御感)に生きる為の思索をしていきます。いきなり自分に合わない楽天主義を取り入れると、かえって自分を変な人にしてしまいますので、自分に相応しい楽天主義を取り入れます。この取り入れを自分に相応しく取り入れる方法について暫く思索していこうと思います。
<自分は何処へ旅しているのだろうか?:312>

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自分は何処へ旅しているのだろう?:ドラマ等で見る自分の人生:その18:幸福な日々の為の自問自答集

2014年06月16日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
花子さんも白蓮さんも、どんな人生を送ったか、本を見ると色々書いてあります。私達は、どんな最後を迎えるのでしょうか?気になる所です。過去の自分の生育史、周辺の親戚や知人、先輩の人生、生育史を垣間見ていくと、何となく先が見えるような気分になる時があります。今、あんな生き方をしていたら、将来、多分、駄目だろうなあ、とか。今日もサッカーを見て、開始16分くらいで1点を獲得した時の気分と、2対1で逆転された時の気分は、まさに人生を見る思いでしたが、案外、私達の人生はあのように激しく逆転しないのではないか、とも思いました。青春時代から今日まで実に色々の事がありましたが、その時を真剣に生きていると、その時点でも大変だなあ、とは感じていた記憶はありますが、将来を恐れ、不安を感じる事はあまりなく、過去を振り返って、改めて、ぎょっとする自分がいるのが不思議です。人間はどんなに厳しい現実を経過中でも、案外、のんびりしているようです。自分に限っては死なないと思っていますので、保険のコマーシャルではありませんが、大きなビルの下を鼻歌を歌いながら通過した、そのすぐ後に、上から大きな落下物が、どーんと大きな音と共に落ちてくる、それでも平然と気付かずに鼻歌を歌いながら歩いていく、そんな領域もあります。地面が割れて落ち込む心配をしている人がもしいたら、少々問題でしょう。この楽天主義?について暫く考えてみます。
<自分は何処へ旅しているのだろうか?:311>

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