生き甲斐の心理学

自分は何の為に生きているのか? 生き甲斐とは何か、自分の魂と成育史と身体を大事にしているか、を思索していきます。

自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2018年09月30日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
猫に嫌われた夫。仕事、仕事で生涯働き続け、定年退職と同時に退職金を持ち逃げした妻、単身赴任先から時々帰宅すると家の猫も娘も隣の部屋に逃げていき、庭のわんちゃんだけが尻尾を振ってくれると嘆くお父さん達。原因を分析しても始まりません。理由は愛がないから。ではどうするか?誰も分かりません。沢山の成功事例を観察すると、家庭の一人一人が、それぞれの孤独感があり、どうしようもない焦燥感、諦めの日々を送る中で、その夫が<お父さんは寂しいなあ、こんな時、どんな話題を出したら、いいのかなあ>と言い切った男が、家庭の小さな幸せ感を獲得出来るようです。日常生活での<好きな話題><嫌いな話題>を識別し、提供しあえる家族は人類の鑑。



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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2018年09月29日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
お別れは速い内に。<固執障害>は健康な人にも散見出来る現象。何かに囚われて飛躍出来ない精神状態を言います。人と別れるのは至難の業ですが、古い自分を捨てて新しい自分に変身するのは実に気分の良い物です。ところが、上手く行く場合はハッピーですが、そうはいかないのが人間業の辛いところ。せっかく人生の夢を3つ4つ見つけたのに、中々突撃できない自分に愛想を尽かせている友がいます。そのいずれの夢も実現出来れば悔いがない、と思うのに、中々、実行出来ません。現在の心理療法理論では<成功イメージ>が有力。悔いのない一番好きなものを一つ選び、努力する方法を考えるのではなく、成功した時の自分をイメージする方法です。イメージしたら、次はその成功の喜びを言葉にする事。そうしながら成功イメージを楽しんでいる内に自然と心と体がその実現に向かって動いてしまいます。成功イメージが強ければ強い程、成功の確率が高くなります。<求めよさらば与えられん>は真理です。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2018年09月28日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
嫌いなものは嫌い。生き甲斐探索の旅で、特に定年後の生き方を模索する過程で、何がこれからの生き甲斐か、分からないと嘆く親友が大半です。世界中をビジネスで駆け回った友が、理由のない微熱に苦しんだり、何をしても面白くない、と言う姿を見るのは辛い話です。さて話は昔に戻りますが、学生時代も終わり社会に入り、世間から厳しく叩かれて私達は育ちます。その間、どれだけ自分を抑制し、我慢したことか。嫌な上司に仕え、辛い仕事も我慢、我慢の連続で生きてくる内に、深層心理の世界では<混濁現象>が定住してしまいました。さあ、もう一度、悔いのない人生を生きる為に<嫌なものは嫌!>という意識訓練を開始しましょう。好き嫌いが五感と体感で知覚出来ないと心の病になりやすい人間の真実を認識しておきたいもの。
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2018年09月27日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
恋人にお世辞を言う異性のお話。生き甲斐探索の旅で出会う男女で一番困る事例は好きか、嫌いかを識別出来ない男女です。何故か、親密な関係になろうとすると、避けてしまうのです。相手がいい加減な異性ならその現実吟味力を評価すべきですが、誠実な愛を識別出来ない場合は悲劇です。両親が子供の頃、突然、交通事故等で帰らぬ人となったような場合、幼い子供は、幸せが突然消失した生育史からの知恵で、幸せな雰囲気が突然、消滅していく恐怖を避ける為に、親密に幸福になりつつある雰囲気を、何故か、意に反して避けてしまいます。この解決方法は、この習性を意識化すると治ります。お世辞を言う異性の人生にこのような過去があるのかどうか、武士の情けで、冷静に洞察するのも、愛の一つの姿:。
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2018年09月26日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
お地蔵様と二人のカウンセラー。私の散歩道に昔からのお地蔵様が静かに座っておられます。或日、知り合いと3人でその前に着きました。無神論者と自称するAさんですがそのお地蔵様の前で立ち止まり挨拶して通りすぎました。Bさんは宗教が違うから、と無関心に通過しました。あなたはどちらの人に関心がありますか?人間には3つの本能があります。食欲、性欲、見神欲。19世紀末までヨーロッパの大きな大学で教えていたこの見神欲(ケンシンヨク)は20世紀では殆んど無視されましたが最近また注目されています。何故でしよう。本能としての見神欲を無視すると心の病が発生しやすい臨床事例の蓄積が豊富となり宗教心を原初感情として大切にする意味が判明してきたからです。無関心で通過した友達と無神論と自称していた友達の運命はいかに?
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2018年09月25日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
肉声の愛が最高の癒し、というお話。赤ちゃんは胎内で色々の声を聞いて育ちます。優しい母の語りかけの声を聞けば喜び、怖い声を聞けば萎縮します。この世に生まれ落ちた後も、機嫌が悪い時に優しい母の肉声を聞けば安心して眠ります。肉声のトーンは正直なので耳を澄まして相手を識別すれば、その人の本音が見えてきます。嘘を見抜くのも肉声(聴覚)が一番。眼差し(視覚)を加えれば鬼に金棒。大人になれば好きな音楽で心を癒します。人生ではいつも愛し合う人に恵まれる訳でもなく哀しい日々も続きます。そんな時、両手の指を両方の耳に当てて、静かに<愛しているよ>と、自分の声を聞いて安心させる療法もあるくらいです。本当にあなたを愛してくれている友人の声は身近に沢山あり、見過ごさないように。更に<人の身体は神の神殿>とも言われ深層の奥からいつも、あなたに愛の語りかけをしてくれている神様を信じている人はもっと幸せ:
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2018年09月24日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
ワインの味と恋の味のお話。世界中で愛読されている小説<ダ・ヴィンチ・コード>を読んだ友人がパリ郊外南西にあるシャルトル大聖堂を訪ね、生まれて初めてカトリツクのミサに預かりました。そこで神父さんから人々がパンとワインを貰い口に入れている情景を驚きながら見た話を私に語りました。大脳生理学を学ぶ友人は驚きます。神の愛を信徒に想い出させる為にパンとワインを使用する知恵に驚いたのです。古代エジプトやローマ帝国、古代ギリシャの時代からパンとワインの味は人々の幸福の象徴。旧約聖書の詩編や特に<雅歌>ではワインの味わいを美しく詠み上げています。舌の先で味わう優れたワインは神聖な愛の味、人類を繁栄させ幸福にした味の一つです。神様の愛の伝達に使用された五感の一つであるパンとワインの味覚の意味をもう一度、静かに考えたいもの。




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2018年09月23日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
洞窟絵画の神秘のお話。西南フランスのクロマニヨンの洞窟絵画は今から約35、000年前の絵画です。どんな人が、どんな思いで描いたのか、誰も知りません。この人々は現代人と同じ大脳組織を持つているようですので、五感や体感は私達とほぼ同じ、と考えて良いでしょう。そこに描かれた基本文様は京都の神社仏閣でも描かれている文様と同じようなものがあり、不思議な感じです。話は飛びますが明るく元気に人生を送っている人々を調査すると、どの人もどの人も<日常生活>で<大変な努力>をして<美しいもの>を爽やかに楽しむ傾向があるようです。朝、目が覚めて夜寝るまで、目には美しいもの、耳には心地よい音を、美しく感じる香り、心地よい触覚、体に相応しい健康的な味、この<五感と体感>に<美>を感じるものを<理性>で探求する。洞窟絵画の文様が現代人を感動させるように人間の原初感情を無視した人々の幸せはあり得ません。美しいのもを求める人間の原初感情を大切にしたいものです。



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2018年09月22日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
ルーシーは恋をしたのか?というお話。1974年エチオピアで300万年前の骨が発見され世界を騒がせました。ルーシーと命名され推定20才くらいの女性?メス?、と言うべきか、論争されました。ルーシーは猿人とも違い、立って歩いた形跡があるのです。さて、ルーシーは恋をしたか、感情が在ったか、これも論争され続けています。心理療法の世界では<原初感情>をとても大切にします。現代社会ではとかく<教養>がこの原初感情を無視させてしまい、原初感情を無視した生活から心の病が生まれています。<怖い:恐怖心>を無視すると五感が発育しません。言葉の発育していない私たちの遠い遠い祖父母たちはこの恐怖心を頼りに危険から身を避けて生き延びる事が出来ました。現代日本社会が危機管理能力が著しく欠落しているのはこの恐怖心を無視したから、とも言われています。この原初感情を大切に育てないと、人は生き甲斐探索の旅でも成功しません。



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2018年09月21日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
悩みは幸福への道筋を示す、というお話。学問は現実の深刻な悩みの前では役立たず、虚しく感じる事がありますが、勇気を奮い起こして応用する事が賢明なようです。悩みの実体を殆どの人は把握していません。心理療法ではその人の<理想>と<現実>の<ギャップ>を<悩み>と定義しています、つまり赤ちゃんの頃から大脳にインプットされた<こうありたい、こうあらねばならない>と言う想いを<理想>と呼んでいますが、その理想と現実のギャップから身体症状(眠れない、食欲が無い)が生まれてきます。この悩みを4つから5つをノートに書き出す努力だけで幸福への道筋と悔いのない人生のあり方の方向が見えてきます。この手法が<エゴ・ダイナミックス・ノート>と呼ばれ世界中で使用されている一番有効な手法と言われています。さてもう一つ、人生から悩みを取り除いたら幸福への道筋は把握できなくなります。自分の悩みこそが幸福への道筋を教えてくれる唯一つの重要なシグナル。









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2018年09月20日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
気配りは天使の世界、という少々大げさですがとても大事な世界のお話です。<綺麗だなあ><汚いなあ>と感じる内容は人により違いますが、学問としてきちんと洞察し統計を取ると<綺麗なもの>はあくまでも綺麗なものとして人間の魂と身体に<綺麗なもの>として響かせている真実が見えてきます。また別な調査としては<人は何故狂うか>、その原因調査の臨床事例からも明確に分かります。さて或人の<日常生活>はその人の<人生のたどり着いた終結場面>を現しています。それだけに悩みが深いので、さりげなく<天使の気配り>をされると人は感動して深い愛を感じます。<天使の気配り>は<でしゃばり、おせっかい>と違います。さあ、何が<天使の気配り>でしょう?それは<さりげなく、優しく、そーっ>と陰で、沈黙の内に愛される事。気障なようですが私のまわりには沢山の天使が居て幸せ。
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2018年09月19日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
恋人を苦しめる「自己愛パースナリティ障害:NPDと省略」について思索します。<あなた>と<私>の関係の中で<あなた>がNPDの場合、しかも、その心の病に気づいていない場合、<わたし>は少しずつ変になっていきます。不安感、言葉にならないモヤモヤの怒り、身体症状、憂鬱、錯乱の症状を呈しますが<あなた>は反省するどころか、更に<私>を追いつめていきます。このの診断は一流の大学病院等の相当勉強しているNPD専門家に相談する必要があります。素人が判断してはいけませんが、素人が判断する目安はNPDの人は<ありがとう>と感謝する事を全く知りません。健全な人は涙を出して<ありがとう>と言う事がしばしばあります。有難うと言わない<あなた>には要注意。
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2018年09月18日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
自己愛パースナリティ障害の見分け方の一つとして、下記のお話を意識しておいていただけると幸い。私は音楽が大好きです。好きな音に触れると魂が踊るのを感じます。また人の話を聴くのもいつの頃からか好きになりました。気障なようですが人が不安や悩みを語り出すとその背景の人生の厳しさ、愚かさ、哀しさが宇宙の色々の音のように感じだします。色々の音が交差すると何故か、2000億あると言われる銀河を想い出します。恐ろしい音と光、甘い音と光、人間の感情<不安感や平安感、怒りや友好的な感情、錯乱や統御感>等の種類は多いようですが、案外少ないのです。感情の処理方法も沢山あります。楽しい方法の一つ:人間の感情を観察し、その上で、その感情と持ち主を自然の動物、花、木、星、銀河に例えて考える方法です。お猿さんは誰さんに似ているなあ、薔薇はA子さん、蛇は誰、と考えている内に心は楽しく、冷静になっていきます。妻は蛇、夫はサソリになりませぬように。自己愛パースナリテイ障害の人はあまりこのような思考、感情は持てませんので専門知識が無くても見抜く事も出来ます。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2018年09月17日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
自己愛パースナリティ障害という心のお話です。生き甲斐探索の旅で、相談相談が自己愛パースナリティ障害の人とも気付かずに人生を決めていくと悲劇が生まれてきます。この病はNPDと呼ばれていますがこのNPDを持つ相手をAさんとします。Aさんはカリスマ性もあり個性豊かな感じですがそのAさんの示唆を受け入れていくと段々とゆっくりですが相談に行った人はかえって混乱し、不安な生活に追いやられていきます。明日から数回にわたりこの識別の目を養う方法を考えます。この人格障害は案外、大組織の中の上司、親、恋人、夫婦に見られる悲劇で、愛していればいるほど、その愛している相手が、この病気の場合、健全な方が破壊していく恐ろしい相手です。相手が自己愛パースナリティ障害の人だ、と意識すると、案外、救われるのですが、知らないと悲劇です。




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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2018年09月16日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
血と汗を流した恩人の話。パッションと言う映画を見ながら私の為に血と汗を流してくださった恩人の事を想いだしました。父母を始めとして、私が今、幸せに生きていられるのは全て恩人の汗と血の賜だと改めて感動しました。私の身代わりに死んで下さった恩人を思うと生きる勇気と知恵が泉のように湧いてきます。いつのまにか恩人の生きざまが私の生き抜く指針になっています。人の後ろ姿に無言の迫力と知恵を感じるだけに私の後ろ姿が恥ずかしい。さて、どうしよう!
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