生き甲斐の心理学

自分は何の為に生きているのか? 生き甲斐とは何か、自分の魂と成育史と身体を大事にしているか、を思索していきます。

自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自

2019年03月31日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
不幸だなあ、と感じている事例を分析すると、ほぼ間違いなく感情の流れが固定化されています。恨み、憎しみ、不安感に固定化されていて、心が自由ではありません。つまり幸福で爽やかなときは、心は自由で、感情は自由に羽ばたき、美しい森の小川のように、色々の落ち葉や、色々の魚が、自由に美しく流れています。不安と平安、怒りと友好的感情、不幸感と幸福感、健康感と不健康感、統合と錯乱、これらの感情が、明るく、爽やかに、固執することなく、のびのびと流れているものです。どんな感情が意識し、知覚されても、平然としています。これが健康そのものの人間の心の状態です。こうあるために、どうしたらいいのでしょう。
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2019年03月30日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
終戦の日、小学生3年生の私は兄に引率されて父の故郷越後の山奥の村・某村に逃げていきました。終戦時、父親が横須賀通信隊の司令だった関係上、家族も殺される危険があるとの情報で逃げたようです。少年の私は、越後の某村では戦犯の子供だということで相手にされなかったようですが、そんな大人の感情や、何故大人やその家族が私の事を避けるのか、事情が分からず、日々山奥の森や林を一人で歩き回っていました。のどが渇き、ふと出会う美しい泉に感動していました。以来、青年になり欧米の大学研究室に住んでも、イギリスの森の美しい泉を見ると人間の美しい感情の流れと同じだなあ、と思うようになりました。今日から5回にわたり人間の豊かな感情の泉について思索していきます。
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2019年03月29日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
今から5500年前のギルガメッシュ叙事詩の時代にも官僚の汚職事件が明記されていますし、防衛省のTの汚職事件を含め、いつの時代でも、人々を哀しめる歴史的事件が起きてきます。善人と悪人の定義は難しいのですが、私たち一人ひとりがそれぞれ胸の奥深くで考えている善人と悪人のイメージが歴史を左右します。深層心理の善と悪の違いは、或人が善と考えたものが善、悪と考えたものが悪、愛と感じたものが愛なのです。<A>さんが<好きな人・B>さんに<愛しています>と叫んでも、BさんがAさんの愛を感じなければ、うっとおしいだけの話です。哲学的な解釈は大事ですが、人類全てが哲学をしているわけではありません。65億の人類一人ひとりが感じている<善と悪>がこの世界を支配しています。時々立ち止まり自分の善と悪を再考したいものです。


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2019年03月28日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
「真善美」と「DNA」の関係を思索してみたいと思います。<5万年前>と言う本が世界で愛読されています。アフリカで誕生した人類が、どう地球に広がり、世界各地で独特の人種となり、独特の文化を創造し、今日まで生きてきたかを非常に面白く書いています。生き残るには雄大な夢と神話を持つ人種が成功していますが、真善美に近い神話を作り上げた人種とその文明が現代に繫がっているようです。同じ人生の夢に生きる場合でもこの<真善美>とは何かを思索しつつ自分独自の人生を生き抜いていきたいものです。真善美とは何かを思索する場合、自分の真善美を探求し、自分に相応しい真善美を探し出し、それが独善的かどうか、を検証するのは、生涯の課題です。一日で結論はでませんが、それを探求する喜びを生き甲斐、と定義しています。
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2019年03月27日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
人生の夢とDNAは深い関係があるみたいです。さてDNAの科学者が沢山の本を書いていますが、その中でも面白い学説が<人類の夢とDNAの関係>を説明したもの。女性が綺麗になつたのも厳しい歴史の生き残りの闘争の中で<美しくなる必要があり、かつ、そう願った男女の夢>だというのです。古代から<人は考えたとおりの人間になる>とも言われていますし<求めよ、さらば与えられん>とも言われています。暗く希望の無い人生よりも、どんなに現実が厳しくても大きな夢だけは生涯求め続けたいものです。
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2019年03月26日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
「善人って、どんな人?」、社会での善人についての会話を分析してみると、自分の考えに賛同する人が善人で反対する人が悪い人、と言う診断基準が横行しています。さて、幼少時代、青春時代の親友も大人になりそれぞれの道を歩んでいます。数十年ぶりで再会して嬉しいのは道が違っても<自己肯定、他者肯定の思想>を中心に相手の個性の美を尊重して生きている友もいれば、いつのまにか<自己肯定、他者否定>、<自己否定、他者否定>の友もいる現実です。どんな思想、考え方、道を歩んでも、自己肯定、他者肯定の思想を中心に生き抜いて欲しいものです。
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2019年03月25日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
「自分が死んだら、どうなるのか、あの世はあるのか、ないのか?」。現代社会ではこの課題はあまり口にされなくなりましたが、個人レベルでは相変わらず大きなテーマです。特に老人ホームで質問されます<わしが死んだら魂はどうなるんじゃ?>。誠実に答えても多分誰も素直に聞かないでしょう。私は比較宗教学の話をします、特に、<信じて見えてくるもの、信じて見えなくなるもの>の話をします。両親は本当に自分の親だろうか?と疑問を持っても、DNA検査をするわけにもいきません。信じて初めて親の愛が見えてきます。神の存在を証明する、思索する、探求する時間は生涯かかるかもしれません。不可知論に近いものです。それよりも<信じて見えてくる世界>を楽しみながら研究、思索すると<神の存在問題>がもう、どうでもいいと、思うようになります。いつも傍で暖かく見守って下さる神仏を肌で感じるようになると、存在論は無用となります。
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2019年03月24日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
日々生きていく人間的指針としての自分の良心は目安にはなりますが、あてにしてはいけません。入院してくる患者さんの中には、このあてにならない良心の呵責を苦にして自殺する人がいるからです。自分の良心の呵責を絶対視している哲学、考え方は病的です。大脳は嘘を言う、という精神医学書がありますが、大脳には過去の体験情報がインプットされていて、その情報に基づき動き出す危険があるので、何が本当の良心の呵責か、単なる独断と偏見による思い込みに基づく呵責なのか、真実の呵責なのかを十分確かめた上で生き抜く必要があります。
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2019年03月23日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
どの動物でも赤ちゃんや子供は何とも可愛らしい、何故、可愛らしいのだろうか、生物学者に言わせると生き抜く条件として<可愛らしさ>をDNAが数万年をかけて可愛くしたらしい、と主張しています。特に男女の間では、意識するしないにかかわらず、愛情保持の為のDNAが働き、相手に気に入られるような表情、体つき、心に発育していくそうです。神仏に気に入られるように変形していく人々も沢山います。子供は変な親がいた場合に変に成長する理由はこの理論が背景にあります。子供は環境で生き抜く為に、どんどん変形します。良い方向に変形させたいものです。
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2019年03月22日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
<親切>と<おせっかい>がどうしても分からない人々がいます。余計なお世話をしてしまう人が何故いるのでしょう?責任をとれないのに浅い配慮で助言をする人、知恵が無いのに軽率な支援活動をして相手に結果として迷惑をかける人、しかもそれが良いこと、親切な事だと確信しているので、いつまでも余計なお世話をし続けている嫌われ者がいるのです。善意ほど怖いものはありません。静かに、困窮している人を観察すると、本当は何を欲しているのか、直ぐ分かりますが、この静かに観察をする、沈黙のうちに、さりげなく、相手に気づかれないように支援をする、というスタンスが中々難しいものです。
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2019年03月21日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
どの時代にも子羊のように素直過ぎる心優しい人々が生きています。両親、先生、指導者の言う教えをそのまま素直に受け入れた為に、あたかも操られたかのように、自由意志がないかのように生きていきます。恐ろしいことです。子供時代、中高生くらいは素直なことが良い場合もありますが、指導者を冷静に批判する力が無いと大きな悲劇が誕生してしまいます。正常な人々は実際に神仏の声、天の声は聞こえません。聞こえたらまず精神病院に行く必要があります。経典、聖書、宗教指導者の言葉を誤って解釈するとテロリスト、虐殺、サリン事件等を平気で断行してしまいます。愛と許し、和解と平和、無償の愛以外の神仏の声、天の声には注意しましょう。


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2019年03月20日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
患者さんが、自分の治療の過程で気づく馬鹿馬鹿しい悩み、何故、こんな事を真剣に悩んでいたのか,と気づきます。人々はこうして成長していきます、つまり、自己破滅しなくなります。幼児時代の教え、学生時代の教訓、色々の社会、特に自分が幼少時代育った環境での倫理観、例えばロンドン、ニューヨークの現代社会での倫理と日本の各地の文化は相当違いますが、時代の流れ、国それぞれの文化環境での人類の<良心の呵責>の内容も違います。自分を苦しめる良心の呵責と心の発病経過の内容葉、果たして、信用してせて良いものか、時々、再検討する方法をテキスト「生き甲斐の心理学」で学習して下さい。
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2019年03月19日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
何ともない秘密なら心身の健康を左右しませんが、人生を辛くしたり、自殺願望の原因だったり、身体症状にまで出る秘密を保持する事は不幸の始まりです。殺人等は法の裁きを堂々と受ける決意と共に解消しますが、法に触れないけれども生涯苦しむ秘密の場合はどうしたらいいのでしょうか?心理療法の場面で時々遭遇する問題です。何故苦しむか?その人の<理想と現実のギャップ>が原因ですが、何が理想(こうあるべき、こうありたい)か、体験の解釈はどうなつているのかを心理療法ではきちんと分析していきます。90パーセントは解決します。しかし残りの10パーセントは神仏の前で偽善的にではなく正直に許しを乞いながら、自分の心を明かしつつ許しを祈る手法が最適です。神様は<真剣に許しを祈れば>必ず無償の愛で返答してくれます。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自

2019年03月18日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
よくある事例ですが、とても大切な事柄です。偶然、隣に昔の恋人が、その家族を引き連れて引っ越してきます。突然の現象の場合、平素思索し訓練している<愛と許し><過去への固執障害>の健康度が試される事例でもあり、厳しい運命の時でもあります。このような場合こそ、明るく健康的に爽やかに幸福を享受しつつ生き抜いていきましょう。人生の秘密保持の思想が試されます。身体症状(眠れない、食欲がない等)が出た場合は、この運命の解釈に問題点がありますから、ストレス曲線(不安、怒り、身体症状、欝、錯乱)と解釈しないで、幸福曲線(平安感、友好的感情、健康感、幸福感、統御感)として解釈出来るよう考え方を修正しましょう。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自

2019年03月17日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
この講座は複雑な人間の心理の世界を意識しながら、人々が本物で悔いのない生き甲斐を感じていただきたい一念で毎日書いています。生き甲斐支援活動を通して思う驚きの一つに<告白したがる人、しかも、あちこちで告白し、同じ内容の繰り返しの人>が居ることです。この現象はストレス曲線(不安、怒り、欝など)を未解決のまま生きている時に起きる現象です。告白する内容はその人の理想と現実のギャップから生まれるストレスなので、その理想の内容と現実の解釈に病的なものがないかどうか点検する必要があります。この点を上手に対処すると同じ告白はしなくなります。
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