生き甲斐の心理学

自分は何の為に生きているのか? 生き甲斐とは何か、自分の魂と成育史と身体を大事にしているか、を思索していきます。

自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自

2019年02月28日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
80億の人類一人ひとりには独特の個性の美があり、それが発揮されて初めて人類が幸せになります。日常生活でも同じ事が言えますが、何故か、皆萎縮していて、のびのびと生きようとしません。その理由は感情を素直に表出する自信を喪失しているからです。自信を喪失させたのは多分、子供時代、青春時代の周囲の人々でしょう。そろそろ感情を抑圧せず、のびのびと生き抜く決意が必要なようです。自然体で生き抜く知恵さえ身につければ可能です。のびのびと自然体で感情を抑圧せずに生き抜く決意をするとその人の個性の美が誕生します。類は類を呼んで居心地の良い環境で生きていくことが可能となります。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自

2019年02月27日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
親子、恋人、夫婦の関係の中で大切な<わたしとあなた>の関係性における<あなた>の愛の原型とは何だろう?と関心を持ち始めると、二人の間に暖かい心が必ず流れだします。相手の愛の原型(愛を感じるパターンのこと)に関心の無い人間関係は幸福になれるはずがありません。この人はどんな食べ物が好きか、どんな小説、映画、音楽、お花、宇宙、森や林、相手が好きなものを真剣に考えたことが無い人は幸福感を感じるはずがありません。どんな夢、どんな人生がすきなのか、病気の場合でも病床にあってどんな夢を描いているのか、相手の愛の原型を楽しんでみましょう。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自

2019年02月26日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
愛し愛されて生涯を終わるのが人生ですが、愛し方、愛され方が分からないと言う人の場合はどうしたら、いいのでしょうか?答えは<愛し愛される方法は人間である以上知っている>のですが、分からないと言う自分の自信の無さが、どこから生まれてきているかを分析し、治療していきます。正常な愛の感じ方、正常な愛し方、と言う内容はその人が所属している職場、家庭、友人等の交際文化に支配されていますので、愛を感じる程度、愛する程度を研究しないと答えは出てきません。自分の愛の原型、愛し方、愛され方の自分のパターンを<私とあなた>の関係の中でまず正常か,異常かを会話してみましょう。二人の会話が冷静に行われる関係が重要で、会話をしようとすると、どちらかが怒り出す関係には愛はありません。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自

2019年02月25日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
一番怖いのが、自分の感情(好き、嫌い、怖い、怖くない)を正直に意識し、知覚出来ない心の状況です。信念、頑固さ、思い込み、倫理道徳感の強い人は、自分の心に見てはならない感情を、自分に限りこんな下品な感情が湧いてくるのが怖くなり、湧いている真実の感情の存在を否定する精神現象を、精神病理学、特にプロセススケールという測定法では一番低い状態(不健全な状態)と診断します。逆に、どんな感情が湧いてきても、流れていても、あるがままを平然と受容できる状況を一番健全な人と診断します。この真実の感情に基づいた人生を大切にしないと心の病になりがちで、不幸の始まりとなります。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自

2019年02月24日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
ヘルパーさんが強盗になる、信じられない事件でした。介護のあたる人々の基本試験に「愛」をチェックする方法はないものでしょうか?さて相談者さんの中に時々<人の愛が分からない>と本気で悩んでいる人がいます。解決する方法は色々ありますが、二つの基本を行います。一つは抽象的な愛の話ではなく、必ず具体的な<わたしとあなた>の関係性の中で考えさせます。二つは目は悩んでいる人の側の<愛の原型>について思索させます。愛の原型とはその人が感じる愛のパターンのことです。80億の人類の<愛の原型>が全部違うことを理解すると、初めてあなたの愛の原型って何? 私の愛の原型って何?と、その疑問点を理解しようと思うようです。他者の愛の原型を理解しようと努力する営みを生き甲斐の心理学では<愛を理解している人>と定義しています。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2019年02月23日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
患者を愛せない苦しみを訴える医師が沢山います。原因を調べると、人間とは何か、という哲学・思索に修行が足りないのが分かります。人間は3つで構成されています。魂、心、身体です。魂の悩みは優れた宗教学や宗教、心は現代の心理学、身体は現代医学が担当すると、ふさわしい答えが見つかります。患者を愛せない理由は沢山ありますが、医師と患者が両方とも互いに心と身体からの発想からのみの考え方で相対していたら決して愛し合うことは不可能でしょう。患者は弱者の立場なので、医師の立場が魂の視点で対処する必要があります。人間の魂はどんな相手であつても愛し合つているという人間観を持たぬ限り、医師は本当の意味で患者を愛することは不可能でしょう。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2019年02月22日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
<わたしとあなた>の関係で考えます。怒ると可愛いと感じる場合の人と、なんと憎たらしいと感じる場合の人との違いは何でしょうか?<真善美の愛情>と<利害得失の愛情>の違いです。受け止める側の人物の器の問題もあるでしょうが、きりがないので、真善美の愛情とは何かを考えて見ます。優しい母親からの命がけの忠告や恋人、友人、上司などが自分を母親の愛情に近い心境で怒るのですが、涙が出るほど嬉しい場合が<真善美の場合>です。<人間の魂>は<真善美の塊>、心と身体はそうでない場合が多いので、愛しあう<わたしとあなた>の関係では相手の魂をじーつと見つめながら愛し合いたいものです。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2019年02月21日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
過去を反省すると、どうしてあんな意地を通したのか、と悔やまれます。見栄、プライド、複雑な心理を経過しつつ人生が過ぎていきます。愛には、やはり、正常の愛と異常の愛があるようですが、意地を通した事例は、どうみても異常な愛の領域なようです。愛の正常と異常は、自己愛の領域ですが、<人>と言う字がまさに異常と正常の違いを教えてくれているようです。二人の<人>がこの世の価値関係でバランスを保つ象形文字ではありますが、真善美のバランスを欠落した途端、<人>のバランスも崩れます。更には<利害得失のバランス>と<真善美のバランス>のバランス、このかねあいが人生では難しい。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2019年02月20日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
<わたしとあなた>と言う具体的な関係で愛を考えないと、愛の世界は混沌としていきます。二人の関係に於いて具体的に考えれば直ぐ解決する事なのに抽象的、哲学的、神学的思考に入ると不可知論に陥る悲劇が多いようです。感情を抑圧して生きている現代人は、深層心理で<憎悪>を感じていても、意識の上で<愛している>と感じてしまう愛の錯誤、倒錯患者が激増しています。感情を倫理道徳に関係なく、素直に意識の上に上げる訓練をしていないからです。口にするか、しないかの訓練さえしていれば、世間で嫌われません。深層心理の世界での感情を素直に意識していかないと、本当の幸福感は感じません。まして愛している人に素直に愛しています、と言えなくなります。愛し,愛される二人の世界では、素直な愛の表現が益々二人を幸せにしていきます。この訓練をしていると神仏からの愛を素直に感受できるようです。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2019年02月19日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
心ならずも人を苦しめる羽目になることが人生で時々あります。そんなとき、兄姉に言われた一言の思い出が、さもありなん、自分はもともと意地悪なんだなあ、と自己嫌悪、やぶれかぶれ、のような気分となり、とても哀しくなります。直ぐ上の姉から聞いた話ですが、幼稚園時代に田舎から来た祖母に対して<早く帰れ>と言ったそうです。何十年もその自分を気にしていましたが、最近の父母の法事のとき、その話を兄姉達の前で話しましたら、あら、それは一番上の兄だわ、と長女の姉が言いました。私を苛めた直ぐ上の姉が、あらそうだったんだ、悪かったわね、と一言。それで全て解決したのですが、そのように兄弟親子の一言が私の長年の悩みの遠因だつたのです。自分の嫌な性格をあまり深刻に考えたくないものです。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2019年02月18日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
青春時代は色々の愛の歴史があります。思い出しても嫌な愛の歴史がある場合とか、幸福だった子供時代に突然両親が交通事故で死亡した思い出がある場合は、今、幸福感を感じだしたとき、その幸福感が突然、喪失した過去ゆえに、今の幸福感を自然と避ける習性を人間は持っています。これを防衛機制、といいます。この<今の幸福感を避ける習性>は病的な傾向といえるものなので、是非、克服しておきましょう。この領域を5回にわたり思索していきます。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2019年02月17日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
愛の不安感は人生で一番大切な感情かもしれません。首相であつても愛の孤独感には弱いものですし、宗教界、患者、医者、看護師、夫婦、恋人、全てこの愛の孤独感に苦しみます。愛し愛される関係での不安感は何とか解消しておく必要があります。一番まずい思索方法は愛を抽象的に考えてしまうこと、つまり<あなたとわたし>という具体的な関係式で考えないことです。愛とは何か、と考えてしまうと「蟻地獄」になります。絞り込んで、更に絞り込んで、<あなたとわたし>に焦点をあて、自分の直感とインスピレーションを信じて<わたしとあなた>の愛が本物かどうか、大きさ、深さに不満を持たず、浅くても軽くても、小さくても愛が確実に存在していることを信じると必ず答えが見えてきます。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2019年02月16日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
数学に方程式があるように生き甲斐の心理学にも方程式があります。人々は平安感・心の安らぎを求めますが<その必要条件>が<不安感>であることを案外知りません。宇宙や大自然を冷静に観察すれば、すぐ分かる事ですが、宇宙も大自然も、まして人間は安定しているようで安定していません。永遠普遍なものは一つもありません。<人間の本質>はもともと<不安>なものなのです。平安は恩寵・恵みである事をまずは意識し知覚すると不安感の意味がだんだん、わかつてきます。不安におののく前に、人間の本質がもともと不安感があたりまえ、平安感、心のやすらぎは恩寵であることをしばらく思索していきます。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2019年02月15日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
<あなたの愛が欲しい>と言う叫びは古来からの人類の願いです。対象が男女であっても、神仏であっても、深層心理の世界では同じ精神作用です。生涯,得られなくても身体症状(眠れない、食欲がないなどの)が出ない人もいれば、1週間で心の病になる人もいます。神仏の場合は森羅万象の現象を上手に解釈できれば、呼吸や心臓の音にも神仏の愛を感じ取ることが出来ますが、男女間の場合はなかなか難しいのは何故でしょう?美しい詩心で生き抜けるならいいのですが、切羽詰まった愛欲は人を狂わせていきます。略奪等の強引な求愛は悲劇のもとになるので、この求愛方式を成功させる秘訣は求愛を逆転させて、まずは誠実に相手を愛していく方法に切り替えられるない限り、この蟻地獄は解決できません。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2019年02月14日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
愛と言う問題を思索する場合は、人生でも恐ろしい瞬間だ、と思う事があります。学問として愛を思索する場合と、<私とあなた>の関係で思索する場合はまったく異なるからです。この違いがわかっていないと、大切な人との幸福感は確立出来ないでしょう。<私とあなた>の感情の流れを楽しむには、心の余裕が必要なので、もし、喜怒哀楽に直接のめりこみ、相手が今、怒っている事に余裕をもつて、二呼吸の間合いを図る余裕のない恋人は激しい争いに巻き込まれていきます。自他の感情の意味を推察するほどの余裕は訓練で獲得できますし、獲得できると日々、とても楽しい人生となります.
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