生き甲斐の心理学

自分は何の為に生きているのか? 生き甲斐とは何か、自分の魂と成育史と身体を大事にしているか、を思索していきます。

ホモサピエンスの愛と感謝と祈りの旅

2019年09月22日 | 第16章ホモサピエンスの愛
元気に生きていたのに突然大腸憩室出血という病気で救急車騒ぎで大勢の皆様に迷惑をかけてしまいました。その際に頂いた友情、愛情、言葉にならない親切、本当に有難うございました。さて長い人類の歴史を勉強していきますと、信じられない非道、恐ろしい復讐、戦争、反乱等で人間不信に陥りますが、自分自身の人生では、あまり、そのような歴史上感じるような恐ろしい状況は、ないようにも感じますが、細かく回想すると、結構、1970年代の南米、1960年代のロシアでの体験、1980年代のアイルランド ベルファーストのIRAの体験があるようです。しかし、何故か私は鈍感なのか、当時はあまり恐怖心がありませんでした。しかし、今回の憩室出血では、臨死体験をしました時に、その時はあまり感じませんでしたが、退院後、何故か、急に死ぬのが怖くなりました。その辺りの心の変化を考えてみたくなりました。若い頃、感じなかった死への恐怖がこの病気の後、何故、死が怖くなったのか?神様の愛を信じている私が、何故、自分の死が怖くなったのか、思索してみたくなりました。
皆様は自分の死を、どう感じておられるのか、ともに嫌な課題ですが、明るく爽やかに、思索していだだけると幸い。


下記の本を時々参照させていただきながら思索しています。感謝です。
(1)人生が変わる英語の名言:晴山陽一著:青春文庫:
(2)ミトコンドリアの新常識:NHK取材班:NHK出版
(3)愛の祈り:ジャンガロ著:大滝玲子訳:女子パウロ:
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ホモサピエンスの愛と感謝と祈りの旅

2019年09月16日 | 第16章ホモサピエンスの愛
今回は自分の体の中で働いてくれているミトコンドリアについて思索してみます。世界の名作を読む習慣も幸福への道ですが、自分を支えてくれている貴重な身体の、色々の働きについて意識化し、その働いてくれている色々のものに感謝する習性も「生き甲斐の心理学」ですので、一緒に考えていただけると幸いです。さて、優しい人々に囲まれ、明るく元気に生きていられる自分に感謝している人、逆に、不満をいつも口にして暗い日々を生きている人、それぞれ人生の事情があり、その生き方を軽率に批判は出来ません。さて、ミトコンドリアという言葉は今では、世界に知れ渡っていますが、時々、このミトコンドリアについて思索したほうが益々幸せ感を感じることが出来るようです。ご存じのように私達人間は約60兆の細胞で構成されていて、赤血球を除いた、その一つ一つにミトコンドリアが存在していて、素晴らしい働きをこつこつと働いてくれているお陰で人間は生きています。このミトコンドリアの働きを知ると人生が変わります。どう変わるかといいますと、元気にいきていますと、ついつい人は自信過剰となり知らず知らずに傲慢になっていくようです。良い友人や先輩が身近にいますと、日々、順調にながれますが、元気ですと、ついつい自分の体を粗末にしてしまいます。最近、私も、こりごりしたことがあり、大いに反省しているところです。人と自分を哀しめてしまいました。他者や自分を寂しい想いにさせる事の反省をしている日々ですが、これからは本物の愛情、友情、思いやりとは何かを、再度思索しつつ生きて行こうと考えている時、ふと或本を書棚にみつけ再読している内に、自分の体で働いていたミトコンドリアに想いがいたった次第です。こんな身近に素晴らしい友、ミトコンドリア君が存在していたのを長らく忘れていました。真の愛とは何か、人と自分を大事にするとはどういう事なのか、もう一度、青年に戻り、初心に帰り、古代の歴史に戻り、地球の色々の国の文化を新鮮な目で、もう一度楽しもうと胸がどきどきしています。ホモサピエンスの歴史を真の愛とは何か、という視点から楽しく思索していきたいもの。


下記の本を時々参照させていただきながら思索しています。感謝です。
(1)人生が変わる英語の名言:晴山陽一著:青春文庫:
(2)ミトコンドリアの新常識:NHK取材班:NHK出版
(3)愛の祈り:ジャンガロ著:大滝玲子訳:女子パウロ:
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ホモサピエンスの愛と感謝と祈りの旅

2019年09月10日 | 第16章ホモサピエンスの愛
1984年に亡くなったアメリカの教育者・ベンジャミン・メイスという方の名言に「人生の悲劇は、目標が達成できなかったことにあるのではなく、達成すべき目標をもたないことにある」という言葉があります。私達、生き甲斐の心理学で言うところの「自己実現への道」を意味していますが、このメイスさんの言葉は素晴らしいですが、まてよ、というスタンスも大事です。といいますのは、目標が明白でも人生の悲劇はやまほどあるからです。ここではホモサピエンスを悩ませる交通事故、病気、自然災害を、どう解釈するかを思索していきます。これらは、私達の人生が狂わせます。真面目に生きている人々に、何故、悲劇があるのか?ニュースをみれば、すぐ分かります。民話、宗教、哲学を学んでも、自分が心底、納得できる解釈に出会うまで、この虚しさは解決出来ません。さて、最近、思わぬ突然の病気(憩室出血)で、私も相当、大きなショックを受けていたようで、退院して3週間くらい経過し、元気になりましたが、今後の生き方の解釈に大きな変化が出始めています。生きる目標とか日々の在り方は、案外、明確ですが、湧き出す感情が、退院以降、信じがたい「虚しさ」を感じだしていることです。湧き出す感情には深い意味があると長年勉強してきただけに、自分のあまりにも虚しいこの感情を、どう扱うべきか、今、考えています。解釈の方向は、多分、日常生活で関わる家族、親戚、学友、知人とのかかわりへの在り様だろう、と思います。愛と感謝と祈りの生活、というと、何か気障で恥ずかしい感じもするのですが、日常で感じる愛と感謝と祈り、とは、具体的に、私の場合、どんなことなのか、今、思索しています。この虚しさという感情を何故、神様が私に与えているのか、予感ですが、これを乗り越えられたら、大きな幸せが直ぐそばにきているのもと、何となく感じています。


下記の本を時々参照させていただきながら思索しています。感謝です。
(1)人生が変わる英語の名言:晴山陽一著:青春文庫:
(2)ミトコンドリアの新常識:NHK取材班:NHK出版
(3)愛の祈り:ジャンガロ著:大滝玲子訳:女子パウロ:
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ホモサピエンスの愛と感謝と祈りの旅

2019年09月05日 | 第16章ホモサピエンスの愛
私の若い頃のお気に入りの言葉に「恋とは、二人で一緒にバカになることである:ポール・ヴァレリ」がありました。今、想うに、幼稚園時代から大学生徒時代はいつも片思いでしたし、社会に入り結婚するまでも、恋と言える体験はあまりありませんが、一人空想に耽りあの方、この人と心騒がせた思い出はあります。親友の恋を実に冷静な醒めた目で観察したり、小説を読んだりしている内に、このヴァレリの言葉に触れていたく感心し、少々、己の青春の侘しさをひがみながら、この言葉に納得したものです。しかし、もう少し、真面目に、正直に思索すると(当時、変な倫理観があったようで何故か、恋愛を恐れていたようです)、案外、激しい恋をしていたようです。気障なようですが、人間を愛するときは、いつも、神様の愛の領域(今から想うに、どうも軽薄な倫理観なようでしたが)でもありましたし、年齢が高くなるにつれて、神聖な愛を体感していたようです。愛と性という言葉はあまり好きではありませんが、人間らしい五感と体感を神様の前でも恥ずかしくない感覚がしっかりと存在していたのも事実です。新旧聖書に言葉として表現されたいる作品としては雅歌があります。あの愛の言葉での表現は、今でもあの言葉で愛を表現したいという憧れの世界でもありますが、日常生活で感じる人間の何とも言えない優しさ、美しさ、友情、愛情は実にこの世の宝物です。これからも明るく爽やかな感情を大切にしつつ、学びの友たち、生き甲斐の心理学を学ぶ学友達と、ホモサピエンスの長い長い精神史を学びつつ、これからの人生を大いに楽しく生きていきたいなあ、というのが今朝の心境です。人生で初めての入院生活と少々、危険な病状を体験し、何となくあの世とこの世を往復したような、夢か現か、幻聴なのか現実なのかの識別が難しい時空の体験をしたせいか、今、現実に生きている喜びをしみじみと感じる毎日です。これからも私をしる皆様、人生の友として、かつ、魂の友として、宜しくお付き合いいただけると幸いです。友人、学友のありがたさをこんなに感じるのは何故なんだろう?、


下記の本を時々参照させていただきながら思索しています。感謝です。
(1)人生が変わる英語の名言:晴山陽一著:青春文庫:
(2)ミトコンドリアの新常識:NHK取材班:NHK出版
(3)愛の祈り:ジャンガロ著:大滝玲子訳:女子パウロ:
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ホモサピエンスの愛と感謝と祈りの旅

2019年08月30日 | 第16章ホモサピエンスの愛
青春時代か30代前半ぐらいまでなら、周囲の人々を恨んだり、憎んだり、嫉妬したりする生活は人間成長の糧となりますが、晩年になっても未だ、周囲の人々を恨んだり、憎んだりする人は、本当に不幸です。何故、そうなのかは一概に分かりませんが、とにもかくにも、恨み、憎しみ、嫉妬は人間関係にしても国際政治にしても平和、幸福への道は歩めません。これはホモサピエンスの歴史を少し勉強すれば、直ぐ分かります。60代以降、幸せな日々を送りたい人は、この問題を正面から取り組む必要があるようです。今回の16章は少々気障なテーマで気が引けますが「愛と感謝と祈りの旅」とは、人生の晩年に、どうしても到達したい哲学の領域だからです。臨終の人々を見送るとき、憎悪、恨み節、不幸の連続だった、と叫びながら死にゆく人々を沢山みてきましたが、見送る人々は最悪です。それにくらべ、重症の患者さんでも、心から「有難う」と言いながら天国に旅立つ人を見送る遺族は幸せ。この違いは、その人の平素の思索内容が支配しています。私のブログ、今、書いている第16章のテーマ「ホモサピエンスの愛と感謝と祈りの旅」のテーマについて、何故、このようなテーマか、という質問が多いのは、現代思想を研究していく良い機会です。この16章の話題はアフリカ、欧米、南米、古代から現代までのホモサピエンスの歴史と、あちこち飛びますが、これも現代に生きる人々が、どんな困難、事件、事故、病気に遭遇しましても、サムシンググレートを信じて、明るく、元気に、爽やかに生きていく思想を、ご一緒に思索し、元気に生きていく知恵を、お互いに探していきたい一存からです。さて、「平和構築」という言葉がありますが、最近の日本やアメリカ、欧米の首脳は、何故か、この「平和構築」という努力目標を口にしません。何故でしょう?この平和構築と言う言葉こそ、今、一番政治家に求められている概念です。ホモサピエンスの歴史の中で、この平和構築という概念が無視されていた時代を、皆さま、是非、勉強してみて下さい。この概念「平和構築」を無視しますと、実に惨めな歴史が生まれてきています。愛と感謝と祈りの日々を送るためにも、是非、平和構築、という言葉を意識しつつ生きていきたいものです。言い訳じみた今日のブログとなりましたが、多くのご質問に答えさせていただきました。
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ホモサピエンスの愛と感謝と祈りの旅

2019年08月28日 | 第16章ホモサピエンスの愛
「真の愛」という言葉に若い頃から悩まされてきました。小学生から大学を卒業するまで、色々の場面で「人を大切にしなさい」と教師には言われ親からも説教されてきました。戦争中は神奈川県の葉山に住んでいましたが、そこには御用邸があり、昭和天皇に対する敬意をいかに表現するかを小学校の先生たちは盛んに私達に教育すます。戦後、越後の山奥に疎開しますと、今度はアメリカの軍人たちをいかに歓迎すべきか、先生たちに教育されます。何が何だか分からなくなり、子供の私は混乱していきました。高校に入ると、戦時中、軍事教練をしていた先生が学生に戦後は、あべこべな事を言うので、冬でしたが、その教師は学生につかまり、この嘘つきめ、と冬のプールに叩き込まれたのを見たことがあります。その先生は戦時中に言う「人を大切に、国を大切に」という内容が、戦後まるで逆になったからでしょう。こうして時代が変わり、政府がアメリカの影響を受けて大いに変わり、言う内容があべこべ、という風潮が出てきます。ギリシャ、ローマ時代の「真の愛」と中世期、近代、現代、さらには中国、欧米、南米、太平洋等、国が変われば、「真の愛」に解説も、それぞれ違ってきます。地球のあちこちで、人を、自分を大切にするには、どうしたらいいのか悩む人々に、びしっと、この「真の愛」について解説した名作は無いものでしょうか?哲学の世界で言う「真善美」をびしっと語る名作は、日本では西田幾多郎「真善美」しかありませんが、それとても非常に抽象的で分かりにくい本です。愛の孤独感で生き甲斐を喪失した人々に長年、関わりながら、いまでも答えらしいものが見えてきないのは何故なのでしょう?この問題について、これから思索していこうと思います。ホモサピエンスはアフリカで誕生して以来、この愛の領域についてギリシャ神話で語り、聖書で語り、それぞれの民族の民話で語り続けている理由は、何でしょう?一人ひとりの答えは全部、違うようですので、それでは、どうしたらいいのでしょう?多分、納得のいく答えは、自分の成育史の中での過去の事例を意識化する方法しかなさそうです。例えば、あの事例では、自分は心の底からA君との友情に感謝しているなあ、とか、B子さんとの恋、愛情に感謝している、とか父、母、兄弟、おじさん、おばさん、先生とのあの風景が、我が人生での「真の愛」だったかも、という事例を色々思い出し、その事例から「真の愛」は、あれかもしれない、という事例を10から20ほど思い出すと、自分なりの「真の愛」が見えてくるようです。一番の早道は、それぞれが出会う伝統宗教の哲理をまず検証し、それに加えて自分の事例を加味して学友と語り合う方法が無駄のない方法かもしれません。ホモサピエンスは、永遠に「真の愛」に飢えている生き物なので、この探求、追求が「生き甲斐の心理学」を学ぶ醍醐味です。私の結論はお会いした時に、恐る恐る語ります。ほんものの愛、恋、友情、信仰が人を一番幸せにすることは間違いないようですので、この思索は続きます。皆様の「真の愛」について、勉強会で語り合いたいです。 



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ホモサピエンスの愛と感謝と祈りの旅

2019年08月25日 | 第16章ホモサピエンスの愛
人を大切にする、人を愛する、という意味が未だに分かっていないようです。男の友情とか、女の友情とか言いますが、その違いも、真剣に問い詰められますと、明確な返事も出来ません。こうして数十年の人生が流れて、今日にいたった次第ですが、もう、このような理屈は、哲学的に思索する必要がないのかもしれない、と今、ふと、気づきました。それよりも身近な友達や学友達が、どう人々と関わって、泣いたり、笑ったりしているかを、明るく楽しく爽やかに、ひそかに観察してみたくなりました。そこにこそ愛情、友情の人間らしい現実が見えてきて、身近な人間関係での喜怒哀楽の中に大きな人生での愛の姿が見えてくるのかも、とふと、思いました。愛について思索する方法は、大げさな、ドラマチィックなものではなく、日常生活でのマンネリズムの中で垣間見られる人間関係での喜怒哀楽にこそサムシンググレートの配慮、摂理、愛の姿があるらしい。心がジーンとくる相手の眼差し、言葉、雰囲気をこれから大事にしていきたくなりました。ギリシャ神話、新約聖書、旧約聖書、ケルト神話、日本神話を気楽に読んできましたが、どの物語も現代の人間関係での喜怒哀楽を大げさに表現してはいます。これらの大げさな物語が何を示唆しているかを私は長年、少々考えすぎたような気がしてきました。日常生活での喜怒哀楽の奥に潜む真理を古代の人々が大げさに言いたくなる気持ちがわかってきたような気がします。現在の人間関係を益々大切に生きていくために、ギリシャ神話や古典を益々、愛読していこうと、としみじみ思う今日日曜の朝です。
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ホモサピエンスの愛と感謝と祈りの旅

2019年08月24日 | 第16章ホモサピエンスの愛
私達の祖先のお話。アフリカまでさかのぼるお話ですが、笑いながらご一緒に楽しい旅をしていきましょう。さて私を産んでくれた母、その母を産んだ女性、こうして人類誕生の地アフリカまで旅をしていくと、私の空想は無限に拡がります。最近、憩室出血という病気になり救急車で某大学病院へ。23日間、入院していました。今日で退院して8日目。そんな次第で、日本の縄文時代に生きていた女性、私の直系の母達の色々の病気を想像しています。その頃、どんな病気があったのか、色々の本には、色々の医学者が現代に残された土偶から空想をしつつ検討していますが、私も興味があるので、こんな空想をしています。私のミトコンドリア(母から子に遺伝していく遺伝子)はC3というグループなので日本列島に来るルートは、どうもシベリア経由らしい。しかし、いい加減かもしれないので、縄文時代の直系の母をとりあえず日本に住んでいると仮定してイメージを膨らませていきますが、アフリカでホモサピエンスが誕生したとして、私の直系の母は、私が存在しているので、どの時代にも、直系の母(女性)は確実に存在しています。私の大好きな日本の縄文時代に生きていたとして空想を拡げます。さて、縄文時代の平均寿命は31才、と私の愛読書には書いてあります。その縄文時代には、私の、今回の病気「大腸憩室症」も存在していたかどうか知りませんが、どうもあったらしい。縄文時代の病気は遺跡から推察すると、(1)むし歯(2)インフルエンザ(3)筋萎縮症(4)慢性結膜炎(5)食中毒(6)結核(7)小児麻痺、ほとんど無いと推察される病気としては(1)癌(2)糖尿病(3)高血圧や動脈硬化。あとは争いによる出血多量死、出産による死亡、何んといいましても生存平均年齢が31才という時代。現代医学の無い時代はただひたすらにサムシンググレートに祈りを捧げていたようです。どんな言葉で祈っていたのでしょう?多分、神様、助けて下さい、というようなホモサピエンスの叫びだと確信します。その証拠が土偶です。世界各地の遺跡から出土する絵画、石器、土偶には切ないほどのホモサピエンスの祈りと叫びが描かれています。こうして、今までも、これからもホモサピエンスの本当に祈りが続いていきます。日々の心の底からの叫びは、遠慮することなく天に向かって本音で、正直に語り続けていく人間の姿は何んと美しいものでしょう。心の底から正直に語るホモサピエンスを小さな倫理観で軽蔑したり、馬鹿にしたりする事無く、互いに愛と感謝と祈りで助け合える世界がくると良いですね。

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ホモサピエンスの愛と感謝と祈りの旅

2019年08月20日 | 第16章ホモサピエンスの愛
今日は異性への魅力について思索してみます。ポール・ヴァレリーの名言に「恋とは、二人で馬鹿になることである」があります。私はそうはおもいませんし、幼稚園時代から今日まで、異性が好きになるときは、いつも真剣だったように思います。アフリカでホモサピエンスが誕生し、地球上、いたるところに私達の仲間が生きていますが、異性との関係については、あの二人は、まじめ、いいかげん、不責任等と批判されながら世界各地で、男女の歴史が流れています。アフガニスタンの動乱のさなかで、香港、ケニア、中国、日本、アメリカ、ロシア等でも、日々、男女の歴史が展開しています。ホモサピエンスの歴史、例えば、ロマノフ王朝のアナスターシャ、ジュリアスシーザーとクレオパトラ、則天武后、色々の歴史の評価を受けながら時が過ぎていきます。私のこれからの人生では、恋とは二人で馬鹿になることである、という生き方はしたくありませんが、異性への魅力感を生き抜くエネルギーにして、大いに活用していこうと思います。この年齢になりますと、薔薇の花をめでるような感情で異性を大切にしようと思えます。若い頃のような感情はないとはいえませんが、神様の美しい創造物という視点で見られるようになりましたのも真実です。サマセットモームが「恋とは、互いに相手を知らない男女の間に起こる出来事である」と言いましたが、それも真実でしょうが、やはり旧約聖書の雅歌の思想が何んといいましても私は大好きです。恋の世界を神様との愛として解釈しているこの雅歌は、異性に対する愛の在り方を永遠に説き続ける名作、人類の宝物と言えます。異性に対する哲学は万とありますが、雅歌を読まずして恋をするのは本当にもったいない。異性とのお付き合いで感じるストレス曲線(不安感、怒り、身体症状、鬱、錯乱の5つ)は、実に多くの知恵を悟らせてくれます。その5つのストレスには、これからの生き方を示唆してくれる自己実現への道を暗示さえしてくれています。理想と現実のギャップがストレスですので、何故、この異性は自分を不安感に追いやるのか、ノートに書きだしていきますと、自分の理想の領域に過ちがあることが分かったり、現実の解釈が間違っていることに気づいたりします。自己分析していくうちに、今、お付き合いしている異性が自分にはもったいない人間であることにも気づきます。大切な異性は、仕事上であれ、学問上の仲間であれ、宝物です。こうしてホモサピエンスの理想の生活 愛と感謝と祈りの旅が始まります。


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ホモサピエンスの愛と感謝と祈りの旅

2019年08月18日 | 第16章ホモサピエンスの愛
愛読者の皆様、命拾いをした今回の病気「憩室出血」を契機に、気楽に書く事を決意し、この16章は「ホモサピエンスの愛」について書いていきます。毎日は書けませんが気の向くまま自分の為に書いていきますので、皆さまもあまり学術的に批判せず、おバカちゃんのたわごと、と笑いながら読んでいただけるとありがたいです。

さて大学病院の検査室での場面:下血が止まらない状態、つまり肛門からどくどくと暖かい血が流れ出ている状態ですが、モニターには私の大腸の中を内視鏡が、どこが破裂した憩室かを探し求めて動いていくのが見えます。大腸の中がカラーで映し出されているのですが、美しい細い肉の糸状の林の中を、どこが爆発した憩室か、カメラが動いていきます。耳元で医師があったぞ、と叫びます。血止め作業も見えてきます。何んとか探し当てて血止めに成功したようです。


モニターを見ている私の血圧が40くらいになったそうです。半死状態ですが、まだ意識はあります。今から思いに、その時、幻聴幻覚を見ていました。

救急車で搬送された日から3回目の内視鏡検査でした。

さて、こうして23日後に退院した私ですが、現代医学で救われた私ですが憩室は縄文時代にも、世界各地にも、当然ありました。この憩室爆発での下血で死んでいった私達の祖先も沢山いたわけですが、この第16章 「ホモサピエンスの愛」では日本ばかりでなくロマノフ王朝、イギリス王朝、ギリシャ、ローマ、アフリカ、中国、世界中の歴史や現代nミトコンドリアを中心とした遺伝子的人類のお話を、あちこち気ままに飛びながら書いていきます。下血のお話は今日で終わりです。

この退院までの23日間に受けた講座生徒の皆様、医師の方々、天使の看護師さん、色々のカトリツクの修道会の神父さんやシスター方、友人たち、親戚、学友、なんと大勢の未知の新聞、ラジオ等の愛読者の方々のお祈りのお陰で無事、こうしてブログを書くことができました。

毎日は書けませんが気ままに、歴史が古代だろうが現代だろうがロマノフ、イギリス、フランス、あちこと気ままに飛び歩きだすのが今日です。ホモサピエンスの愛を巡り、心理療法から学習したホモサピエンスの生き甲斐の心理学とは何か、いよいよ愛の世界の本質に迫ります。


ではまた。

猛暑の中、皆さまも憩室出血になりませんように、御身大切に。




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ホモサピエンスの愛と感謝と祈りの旅

2019年08月17日 | 第16章ホモサピエンスの愛
皆様のお祈りのお陰で、無事退院できました。憩室出血という病気で20日以上入院を余儀なくされ一時は血圧40になり、あ、これが幻聴幻覚だなあ、とあの世への旅を少し垣間見ました。宗教心理学の講義で再三、勉強した世界でしたが、生まれて初めて自分で体験しますと、先輩の諸理論の正確さ、深さ、体験からくる理論の面白さを改めて知りました。私の嫌いな分野でしたが、実は,大学病院の検査室に救急車で搬送され、その手当を受けていました。大腸の中の治療の画面を医師が見ながら、どこが出血の憩室か、必死で探している様子を私も見ています。その時、私は廊下の奥の扉に到着し、この扉の奥が天国であることを知ります。しかし扉を開けようとしても開きませんでしたので、諦めて戻り、あ、生きていた、と意識します。こんな混沌とした体験をしました。この23日間の体験でしみじみ思ったこと、それはやはり「愛」という領域と「感謝」という美しい心と、人間の限界を思い知らされた命の儚さに基づく永遠の神仏への「祈り」という営みの神秘現象です。赤ちゃんのような素直な叫び、それが基本となり、それぞれの天が与えた「個性の美」を加えた「祈り」がいかに重要か、80億の人類が、それぞれの「個性の美」を天からも賜物と意識して、これからの地球の平和に活躍する方法はないものか、それを「生き甲斐の心理学」という姿で大いに残された人生を生きていきたい、と思いました。毎日は書けませんが、のんびりと想いを書いていこうと思います。宜しくお付き合い下さい。

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