生き甲斐の心理学

自分は何の為に生きているのか? 生き甲斐とは何か、自分の魂と成育史と身体を大事にしているか、を思索していきます。

自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2020年08月31日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
意識してしまえば、もうそれは無意識の世界ではありません。現代の優れた量子物理学の学者は何故か、チベットの僧侶とか禅宗の御坊様、カトリツクの観想修道会の一流の神父と盛んに会談をしています。その理由は観想、黙想で到達する真理が量子力学の到達する世界と非常に類似しているからです。古代の哲人は科学がなくても真理に到着していたように、現代の大脳生理学者も面白いことを言い始めました。カトリツクの言う三位一体の聖霊と大脳の気づきを結びつけている発言です。宇宙と地球のすべての営みはこの聖霊と深い関係があるようです。古来からの欧米の大学のホームページをあちこち見てください。とても楽しくこの研究の動きがわかります。科学万能の旗を掲げる人はその教養を疑われる時代に突入しているのをご存じでしょうか?オカルトは駄目ですが優れた科学者の聖霊論はとても面白いです。聖霊と大脳と無意識の世界を研究するとわくわくしてきます。

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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2020年08月30日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
子供の頃読んだ小説で感じた風景なのか定かではありませんが、24歳ころ、生まれて初めての訪問地・イギリスのブライトンの海岸と森で見た風景があまりにも同じなので驚きました。またスコットランド、キングスブリッジの教会の内部の風景も同じなのです。この誰にも言えない驚きは深層心理の勉強で大変役立ちました。森羅万象をどう解釈するかは、人の自由なのですが、私は神様の暗示だと解釈し、ひたすら宗教心理学の勉学の刺激剤として、あえてその体験を利用し、難しい海外での大学の研究に役立たせました。その経験による深く大きな好奇心のお陰で難しい試験にも合格しました。人間の深層心理の世界が宇宙の深層の世界と類似しているのが、また面白いし最近のDNAの世界を知れば知るほど天地万物の創造主、サムシンググレートの存在にも無限の興味が湧いてきて人生の時間をもう少し延長してくださいと神様に祈る最近です.
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2020年08月29日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
世界一流の大脳生理学者、内科医、精神病理学者は夢分析を尊重はしますが、もはやあまり治療に使用せず、信用もしていません。以前と違い名だたる学者のホームページを無料で見ることができる時代に私たちは生きています。なぜ夢を見るのか、その理由も定見はありませんが、もし夢をみなくなると人の大脳が疲労困憊して精神もおかしくなる臨床事例の論文は沢山あります。そんなわけで日々見る夢に一喜一憂している友達がいたら忠告してあげましょう。夢分析で悩むのは馬鹿馬鹿しい営みです。それよりも心を平安にしてくれ、身近な知人友人と温かい会話ができるような時間を意識して生活する方が、はるかに心が健康になります。これから人間が確かに持つ意識、無意識の世界について思索していきます。自分の無意識の世界には実に豊かな世界、神秘な世界、神仏の世界が存在しています。その世界に触れつつ悔いのない人生を送りたいものです。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2020年08月28日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
病気は好んでなるもでなく突然襲ってくる嫌なものです。嫌な病気になれば毎日その事が気になり、あれもこれもと色々の本を読んだり、その病気に固執するのも人間の常です。しかしここからが人生の別れ道で、辛い環境にあっても幸福曲線(平安感、友好的感情、健康感、幸福感、統御感の5つ)を求めて、日々の生き甲斐に意識が向いた人は、どんどん健康になる場合が多いようです。どうせ固執するなら、日々の生き甲斐を意識化する楽しみに固執したいものです。人は考えた通りの人間になる、と言われています。日々何を考えるかで今日の幸福感が決まります.

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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2020年08月27日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
太極拳を演舞した後、親しい仲間と軽く生ビールを飲む!演舞中も水分には気をつけていますが、汗をかいたあとの少量の生ビールはなんとも美味しく幸せを感じます。太極拳の誕生の歴史をめぐる色々の話があり、その一つに<古代の中国の仙人が長寿を願って開発した>と言う話も面白いのですが、大学病院での神経関係の患者さんの症状をどんどん良くした経験があるだけに、この太極拳の効果には大きな尊敬の念を感じています。不思議なのは演舞した後にふと、心に懸案の答えが意識化出来ることがあります。あの問題、この問題、それらへの回答が太極拳のあとにふーっと湧き出しているのです。健康な汗のあとには気づきが湧き出ます.
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2020年08月26日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
人生の色々の場面で人間は善人ぶつたり悪人ぶったり自然体でいたり、さまざまです。どんな人生場面でも自然体でいたいのですが、そうもいかないものです。道路で倒れた人を受験日に見て見ぬふりをして通過するときは本当に辛かった思い出があります。あーあ自分は何と情の無い人間だろうと思いながら大学の試験会場に向かいました。以来、似た場面をたくさん経験します。心理療法の勉強にエンカウンター訓練というものがありますが、私が世話人の時は、敢て人を不安にしたり不快にしたり、鬱、錯乱にいたらしめるエンカウンターは禁止し、相手を平安感、友好的な感情、幸福感、統御感にいたらしめるようなエンカウンターを展開していきます。人間性の中にはキリストを十字架にかけるような諸悪の性質が数えきれぬくらい沢山あることを知っているからです。仏教でもそのことを<業:ごう>と呼んでいます。訓練をするなら人間の美しいもの、愛情ふかいもの、優しいものを引き出す知恵を修行したいものです。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2020年08月25日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
心理療法を勉強する上で、正直な自分をキチンと自己覚知する訓練を何故しなければならないのか、案外理解されていません。心の悩み、病は本音と建前が混濁するところから始まります。理想と現実を混濁したり、母子のように自他混合したり、そんな切ない人間心理から子供を我がものと勘違いして道連れ自殺を平然としてしまう場合があります。自分は誰、と悩むのも本音と建前の混濁から始まります。自己開示訓練は必要ですが、自分を不安にしたり、相手を不安にしたりする自己開示は正常とは言えません。現実吟味力を働かせ、その場の空気を読み取り、相互が愛と信頼の関係に発展していくような自己開示が健全と言えます。疑惑、不信頼、怒り、鬱、錯乱になるような自己開示は異常と言えるでしょう。自己開示訓練の一番面白い楽しい方法は愛と平和を相互に構築出来る関係に発育させる為の自己開示が重要と言われています。平安、友好的感情、健康感、幸福感、統御感を構築する為の自己開示訓練を大切にしたいものです
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2020年08月24日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
心理療法を学ぶ人は何故、自己開示訓練を生涯こつこつとしなければならないのでしょうか?赤ちゃんから高齢者まで人は危険がせまると本能的に体を防衛する為に身を縮めます。そのように心も大人になるにつれて、いつのまにか心が傷つかぬように閉ざす傾向があり、また、それは厳しい社会では必要な事でもあります。信頼出来る相手にしか本当の思いを伝えません。無防備に心を開く人を人は軽率だなあ、と心の底では軽蔑しています。ところが心の病を治療する過程ではこんがらがった糸のもつれを、ほどいていくと身体症状まで出ていた心の病が治っていくのです。信頼できる心理療法家に心のもつれを、ほどいてもらうと神経症が治っていくのです。この上手な治療をする為には心理療法家の方から自己開示していかないと相手も心を開きません。自己開示出来ない心理療法家が相手にのみ開示を求めても治療は成功しません。その為に信頼できる勉強仲間と生涯、この訓練をするのです。この訓練をする度に心理療法家も心がのびのびと解放され幸せになっていく快感を感じリラクゼーションが出来る体験をしますと、そのコツを覚えていきます。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2020年08月23日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
人生を生き抜き晩年の人生で愛に囲まれて生きている人々は最高の人生と言えるでしょう。可愛いお孫さんに囲まれた日々もよし、私のように生き甲斐の心理学の普及に人生をかけた日々もよし。今の私は本当に幸せです。生き甲斐支援活動の為には、どうしてもテキスト<生き甲斐の心理学>を学ぶ必要があります。このテキストは世界の学会で親しまれたすぐれた諸理論で構成され、しかもこの50年間大学病院をはじめ政治、経済、教育の現場で使いこなした諸理論だけに、とても便利なテキストです。この勉強をした仲間とのNPO活動をしているのも生きる大きな喜びとなっています。その普及活動の仲間との愛と信頼の生活は本当に温かい幸せ感をもたらしてくれます。感謝感謝です。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2020年08月22日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
私は自分の魂を意識したのはいつの頃だろうか?戦争中は神奈川県の葉山に住んでいてアメリカの戦闘機は時々来襲しましたが幸いにして死者を見たことはありませんでした。戦後疎開した新潟県栃尾市栃堀村で見た野外の火葬場での場面も刺激的でしたが、やはり魂を感じたの高校生の時死んだ48歳の母だったようです。息を引き取った後、何とも言えない温かい愛情というか、愛情の塊のような霊のようなものが私を覆ってくれ安心するように、私は今、天国にいるのよ、とささやいているような雰囲気を感じたのを覚えています。この母の死から魂を意識したのが新しい人生のスタートのようでした。欧米の大学で比較宗教学に触れだすと人間の魂を学問として理解できる喜びを感じだし、その探究が私の生き甲斐となりました。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2020年08月21日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
人は誰でも、時々自分はジギルか、ハイドか、と思い悩みながら生きています。そう思ったり感じたりしない人は余程おめでたい人でしょう。人間の心は時と場合により相当激変します。古来からの哲学者の課題です。善か悪かの識別は軽率に出来ません。フランス革命、ロシア革命のお陰で人類は正義と愛に目覚め法治国家の誕生が出来ました。そのフランス革命時代には今でいうテロリストが活躍したわけですが、何が正義で何が悪か、非常に難しい領域です。人類誕生から人類最後の日まで、このジギルかハイドかと悩みながら人は生きていかねばなりません。この問題の解決は信仰の世界にしか拠り所はありません。愛と許し、十字架の贖罪と復活の思想(ドストエフスキーの罪と罰)はこのあたりの心、悩みに大きな希望を与えてくれる名作です。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2020年08月20日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
自分は悪人だと悩んでいたA壮年の話です。少年の頃から相当悪だったようで、九州から大阪、名古屋、東京と組織に従って流れてきました。数回の刑務所暮らしのあと、暴力団が解散となり地下に潜行、何と生き延びるために海外の慈善団体を装った組織に身を置きます。シベリアで嘘の活動をしている内に若いお母さんたちが極貧のうちに流産して死んでいく姿に触れていきます。Aさんは自分の幼児時代を思い出し真剣に支援活動に情熱をかけだします。ふと案外自分の中に天使の姿を垣間見ます。今Aさんは或神父と出会い今は本物のNGOスタッフとして働いていましたが、2020年8月現在、どうしているかわかりません。元気でいるといいのですが。
いつもクリックして下さり有難うございます。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2020年08月19日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
本人は人生に必要な信念だと確信していても、治療をしている私には、明らかに固執障害症だと判断する事例があります。本物の信念は実に楽しく生き甲斐を感じますが、にせものの信念はちつとも楽しくなく苦痛で、いきいきしていません。ほんものの信念は周囲の人々を明るく希望のある心に人々をいざないます、しかも自然に、水が流れるように心地よくことが運びます。信念と固執を識別出来ないと人生そのものが悲劇的に流れます。勉強は苦痛な時もありますが、心の奥底では何とも言えない深い喜びがあります。好きこそものの上手なり。生き甲斐の喜びは探究心と健全な好奇心をおいてありません。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2020年08月18日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
本人は人生に必要な信念だと確信していても、治療をしている私には、明らかに固執障害症だと判断する事例があります。本物の信念は実に楽しく生き甲斐を感じますが、にせものの信念はちつとも楽しくなく苦痛で、いきいきしていません。ほんものの信念は周囲の人々を明るく希望のある心に人々をいざないます、しかも自然に、水が流れるように心地よくことが運びます。信念と固執を識別出来ないと人生そのものが悲劇的に流れます。勉強は苦痛な時もありますが、心の奥底では何とも言えない深い喜びがあります。好きこそものの上手なり。生き甲斐の喜びは探究心と健全な好奇心をおいてありません。

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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2020年08月17日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
時々出会う事例ですが、自分は両親から期待されて生まれたのではない、又は男の子と期待されていたのに女だったから愛されなかった、などなどの話です。この想いは生涯を支配しているようです。しかし現実の解釈は人により違います。どう解釈すべきかは、その人の自由なのです。生命はどんな誕生でも愛そのものである神様の創造物ですから解釈も明るくすべきなのです。自分の成育史に疑問を持つ人は現実の解釈が病的と言えます。現実を解釈するときは自分をストレス曲線(不安、怒り、身体症状、鬱、錯乱)へ追い込む自虐的な解釈はすべきではありません。現実の解釈はどんな場合でも自分の心が幸福曲線(平安感、友好的感情、健康感、幸福感、統御感)を感じるように解釈すべきなのです。この生命の法則を知らないと長い人生はいつも暗い日常生活を送る羽目になります。



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