生き甲斐の心理学

自分は何の為に生きているのか? 生き甲斐とは何か、自分の魂と成育史と身体を大事にしているか、を思索していきます。

自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2022年09月30日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
精神医学も臨床心理学も勉強していくと嫌になるくらい色々の理論に遭遇します。その理論を臨床の現場で駆使して来談者と真剣に対峙してもその効果は中々現れません。そうこうしている内に自信喪失状態となります。こんな理論は役にたたない、と馬鹿にしだしたら、もうおしまいです。人の心は実に複雑怪奇ですから、簡単にいくわけがありません。悩みについて、今後、どう取り扱うべきか、その思索を暫くしていきますが、答えは必ず存在しています。人の身体は神の神殿と古来から言われていますが、厳しい現実を生き抜くノウハウを愛である神様が示唆しないわけがありません。答えは必ず見つかる、と信じるのも解決の一つのノウハウです。<信じて見えてくるもの>この法則は人類の長い歴史を観察していくと、なるほどなあと感動する事例が沢山あります。同じ時間を経過していく人生ですから<信じて見えてくるもの;比較宗教学的な>視点で書かれていくこのブログをのんびりと楽しんで下さい。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2022年09月29日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
<人は考えるとおりの人間になる>と古来より言われています。ですから森羅万象の解釈を暗く解釈する傾向の人も、明るく解釈する人もいるのですが、何故か、古来から人間のこの傾向を悪用してお金儲けに走る占い師や宗教家が歴史のその悪名を残しています。人を計算しつつ不安感に人をおしやり、その不安感からお金を取りながら御殿を作る歴史が沢山ありました。確かに人間には健康な不安感と病的な不安感がありますので、この違いを巧みに悪用しているわけです。私たちは全員、弱い動物でもありますので、この弱点を十分理解しつつ生きていきましょう。無意識の世界には暗い世界と明るい世界の二つがあることを意識しておく必要があります。光と陰、表と裏、正義と悪、愛と憎しみ、このような宇宙と現実が何故、存在しているのか、その解明は哲学と宗教の世界なので伝統的な比較宗教学をきちんと学んで下さい。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2022年09月28日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
<人は考えるとおりの人間になる>と古来より言われています。ですから森羅万象の解釈を暗く解釈する傾向の人も、明るく解釈する人もいるのですが、何故か、古来から人間のこの傾向を悪用してお金儲けに走る占い師や宗教家が歴史のその悪名を残しています。人を計算しつつ不安感に人をおしやり、その不安感からお金を取りながら御殿を作る歴史が沢山ありました。確かに人間には健康な不安感と病的な不安感がありますので、この違いを巧みに悪用しているわけです。私たちは全員、弱い動物でもありますので、この弱点を十分理解しつつ生きていきましょう。無意識の世界には暗い世界と明るい世界の二つがあることを意識しておく必要があります。光と陰、表と裏、正義と悪、愛と憎しみ、このような宇宙と現実が何故、存在しているのか、その解明は哲学と宗教の世界なので伝統的な比較宗教学をきちんと学んで下さい。
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2022年09月27日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
成育史は人類が80億いるとすると、その気付きの発生契機は80億通りあると言われています。厳しい試練から生まれる気付き、愛の激しい感情からの気付き、仕事の挫折からの気づき、重病からの気づき、それぞれ全部、気付きの誕生は人により違います。ですから信仰の世界からの解釈は神仏の恩寵であったり、深層心理学上の解釈は<潜在意識、無意識の世界>が音楽、芸術、香りなどの刺激による契機からの気づき、大脳生理学者は何らかの刺激により神経細胞が知識内臓の領域に伸びてそこに背潜在していた情報を意識の上にあげた、などなど、それぞれの専門分野で<気付き>の理由を説明しています。いづれにしても<答え>を人間の中に求めているのは正解でしょう。益々、気付きの原理は色々の学問が努力して、その原因をあぶりだしていくことでしょう。人間の素晴らしいところは<希望をもって答えを求めれば必ず見つかる>という信念が人を救うようです。
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2022年09月26日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
言葉は<恐ろしいし便利だし宝物>でもあります。比較文化学という世界では<言葉>も大事にしていますが、何を言わんとしているのか、その本質を大事にしていて、決して<言葉>で論争したり激しい議論はしないのが普通です。思想が違う、という理由で戦争をするのは一番愚かな事だ、とも断言しています。ホモサピエンスがアフリカで誕生し、色々の気候風土の違う各地に移動していくと、アフリカでは見た事もない森羅万象に触れたり動植物に触れたりしますと新しい言葉、概念、感情表現をする必要に迫られてきます。土地になじむようにDNAが必死に働いて順応させた結果が人種誕生で、姿、形、皮膚の色がその地に順応しつつ変化して今日の人種が誕生しました。感情も同じなのですが、表現する言葉が違いますので、世界中に色々の表現言語が誕生しました。そんな長い歴史を考えているのが比較宗教学、比較文化なのです。ですから言葉は大事にしますが、言葉で喧嘩はしません。さて人間が所持している<無意識の世界>にはこうした長いDNAの情報が隠されているようです。気付きは人生の宝物ですが、この気付きを誕生させる契機は色々あるようです。この色々を明日、また思索してみましょう。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2022年09月25日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
今日の課題を読んで、あれ、無意識の世界って本当にあるのかなあ、と思う人も居れば、当然、存在している、と思う人もいるでしょう。DNAの研究が深まるにつれて確かに無意識の世界は大脳に存在するだろう、と今では殆どの学者が是認している世界です。無意識の世界とは意識する前の心を意味していますが、心理療法の世界では具体的には、どんな患者さんの問題でも、その答えは患者さんの中に存在している、とう事になり、治療に当たる医師やセラピストは学問を応用しながら、その答え、治療目標を患者さんの中から探しだそうと努力していきます。人の身体は神の神殿とも言われ、人間の尊厳もこの思想から生まれてきています。暫くこの無意識の世界について、どう取り扱うと私が益々私らしく幸福に生き抜いていけるかが、明瞭になってきます。無意識の世界には沢山のダイヤモンドが存在しているようです。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2022年09月24日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
<私は誰?>という自問自答をすることが人生で一番、重要だ、と古来から言われていますが、この自問自答を笑うような相手の相談者の場合は、あまり相談する価値のない相手だと考えたほうが賢明でしょう。それほど、この思索課題は古代ギリシャからこの質問は神聖なものと言われています。答えがみつからない難問ですがこの質問には3つの不思議が隠されています。1:人は何の為に生きているのか。2:生き甲斐は何か。3:自分は自分の魂、心、身体を大事にしているか。この3つです。この3つの自問自答を生涯して楽しんで生きていると、何となく答えが見えてくるそうです。マンネリズムが人を駄目にしていきますが、時々、この自問自答をすると何故か、天の神様がその自問自答を楽しむ人に聖霊を送り、知的な刺激を与えてくれ、生き甲斐を感じる人にしてくれるそうです。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2022年09月23日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
古来から人々はその時代の不安感を抱えて生き抜いています。飛鳥、奈良時代も海外からの侵略をめぐり政治家は議論していましたし戦国時代も、明治維新も、それぞれ独特の不安感に国中が苛まれていました。今もそうです。不安感の処理の仕方は自分の成育史にあった方法でないと効果が出ません。ですから今<生きている自分が存在>していれば、それなりに不安感を処理しつつ生き抜いてきた証があるわけで、その成功の理由を学問としてキチンと説明出来ないだけの話です。不安感を克服した事例を3-4つ思い出す作業、不安感を処理出来ずに今日まで引きずってきている事例を3-4つ思い出してみましょう、そうすると自分の成功した傾向、うまくいかない傾向が見えてきます。どちらにしても成育史で養われてきた<理想:こうありたい、こうあらねばならない、こうあるべきだ、の世界の事>と現実のギャップが不安感の実体ですので、解決方法としては、理想を諦めるか、現実を100パーセント受理するか、その中間の納め所をほどほどに自分流に決めるのが一番良い解決方法です。<これがあなたの答えです>と言われて、その気になつていると生涯、解決しません。納め所は自分で決める必要があります。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2022年09月22日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
今でも放射能の数値を気にしながら生きておられる方々がいます。本当にご苦労様ですが、該当地のマイクロシーベルトの数字をキチンと読み解けば、該当する数値以外は、直接の被爆を恐れる必要はありません。遠慮しないで正規な担当医と相談して欲しいです。さて、私たちは現実の不安感から逃避しないで、きちんと対処していかないと、余計な経症を使い疲れ果ててしまいます。いかなる現実からの逃避は自分を益々、不幸にしますので厳しいようですが自分の不安感を上手に処理する方法を身につけていきましょう。不安感は自分の理想と現実からうまれますので、時々、自分の理想の内容を親友と語り合い、現実の解釈をも友達を語り合い点検しつつ生きていきたいものです。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2022年09月21日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
私も時々、世間が悪い、とか他者のせいにして自分の不安感から逃れる場合がありますので、あまり人の事は言えません。何でもひとのせいにする人、そうかと言えば、何でも自分が悪い、と思う人,両極端の人もいたりして、様々です。さて、どうしたらいいか、という事になりますが、生き甲斐の心理学では<理想と現実>をとても大事にしています。自分の成育史は最大限に重視していますので、自分の成育史から生まれてくる<こうありたい、こうして欲しい、こうあるべきだ>という想いを<理想の領域>としておきます。<現実の解釈>も自分の成育史上の習慣的な解釈があり、その習慣的な解釈に病的なものもあり、その病的な解釈があるか、ないかを意識化しておく必要もあります。バランスのとれた<ひとのせい><自分が原因>、この二つの識別は案外、難しい。バランスのとれた感覚で<人のせいでなく、自分が悪いんだ>とストレスを感じないで意識化するには相当の訓練が必要です。何でも人のせいにする人には救いがないので、程よい程度で自分のせいにする習慣が生まれると大いなる楽しみ、希望、的確な平安感が生まれてきます。この理想と現実の解釈方法を健康的にしながら生きていきたいものです。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2022年09月20日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
不思議な現象なのですが一つの理論を大切にすると必ず見えてくるものがあります。例えばNHKを見たい場合はそのヘルツに会わせるとNHKの画面が見えてきます。親の愛を信じると親の深い配慮が見えてきますが信じないと親の不快な干渉しか見えてきません。このように自然界にはそれぞれの定率がありその定率を知らないと四季の移り変わりの原因が分からないように、大事なものは目に見えないものです。人の心も見えにくいものですが臨床心理学の理論、例えばロジャース理論の自己成長理論とか、エリツクバーンの交流分析、エリクソンの発達論、フロイトやユングの精神分析理論など、どれかを一つ選んで自分流に調整しつつ人の心をあぶり出すと非常に面白いものが見えてきます。私を大学病院で支えてくれた理論はフロイト、ユング、ロジャースでしたので、その理論が私の人生観(ローマンカトリツク)と混合し自分の個性と融合した視点が生まれ、それが私を支えてくれています。一つの理論武装が出来ると、その良い所、悪い所も意識化されてきて、とてもよい仕事が出来るように思います。長所と短所、自分の限界を知覚すると気楽に生きていけるようです。暫くこの<一つの理論を大事にすると何が見えてくるかを思索します。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2022年09月19日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
何の為に自分が生きているのか、その答えが明確でない場合は、日常のこまごました不安感をあまり真面目に考える事は意味がありません。生きる目的、生き甲斐が明確な人は、ひたすらその方向に向かって突進していきますので、日常のこまごました雑な不安感を無視します。重要な不安感、例えば自分の生きる目的や生き甲斐を妨げるものは真剣に対処していく価値がありますので戦いますが、あとはほどほどに、かつ、ケ・セラ・セラで行きましょう。ここ一番、という領域でハッスルするエネルギーを蓄積しておく必要があるからです。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2022年09月18日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
身体症状が出るまで我慢することを<自虐>と定義すると多分、大勢の哲学者、倫理学者、教師は反対するでしょう。反対する人は<不安感>の処理方法を知らない人が大半だと推察されます。不安感にも<健康な不安感>と<病的な不安感>があります。地域、国、文化により何が病的か、と識別方法がまた違います。例えば或地方では直系以外の親戚の納骨を本家のお墓に納めると<祟り>があると信じている地区があり、これに反する人を病的、変な人と断定しますが、逆にこの排除を病的と思う人もいるようです。その地区に住む人はその習慣に反すると周囲から排除され次第に身体症状が出てしまう人もいるようです。ですから、とりあえず、ここでは本人が身体症状になるまで我慢することを病的と定義しておきます。そのあと、その人の理想と現実の解釈の仕方を医学的に検討しつつ洞察していきますが、ここではとにかく身体症状が出るまで我慢する事例には難しい沢山の問題があることを意識しておきましょう。不安感をキチンと処理しておかないと第二段階の怒りの状態となり、更に放置しておくと<身体症状>がでてしまいお医者さんの世話にならないと治癒は難しくなります。自分の不安感を正直に感じ取る習慣をつけ、その不安感は理想と現実のギャップから生まれてくると言う人間のシステムを自覚しつつ、自分をまずは大事にする習慣を作りたいものです。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2022年09月17日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
奇妙なお話で少々きがひけますが、ふと意識すると何かグレイの廊下を歩いていました。その先は行き詰まりになっていて、つきあたりにもグレイのドアがあります。ノックして開けてもらおうとしたのですが、シーンとしています。その向こうは天国だなあ、と明らかに感じていたのですが、開かないので諦めて、また、とぼとぼと廊下を戻りだしたのですが、眼が醒めました。実はこれは私が緊急入院していて意識を失っていたらしいのですが、治療室で目がさめた時の記憶です。血圧は40くらいだったそうです。後日、この話を信頼のおける友達のドクターに話しましたら、君は死にかかっていたよ、と言われました。この種の話は昔から知人や友人からきかされますが、私は馬鹿にしていましたが自分がこのような幻聴を体験すると昔の民話や神話を頭から軽蔑しなくなっている自分に驚いています。あの幻聴はなんだったのかなあ、と改めて神話を読み直しています。自分が奇妙な体験をすると人間、どうしてこのように理屈なしに考え方が変わる動物なのか、改めて驚いています。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2022年09月16日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
<人を大切にする>前に<自分の心を大事にする>という意味を教えてくれる人はあまりいないようです。子供の頃から<人さまに迷惑をかけないように>とか<人を大事にしなさい>と言われ続け<自分の心を優先して大事にしなさい>とはあまり言われた経験がありません。ここに大きな問題が潜在していました。<自分を愛するように人を愛しなさい>は欧米の基本哲学ですが、ここで忘れられている重要な事があります。それは人を愛する前に<自分を愛するように>という前提が忘れられている事でした。さて自分を大事にしないから、精神病院に入院してきた患者さんが大半でした。全てその方法を知らないで生きてきたからです。自分の身体症状が出るまで忍耐、我慢をする事を<自虐>といいます。不安感、怒りを抑えていると、どんな頑強な人でも眠れない、食欲がないなどの身体症状が出てきます。我慢、忍耐は美徳になる事例もありますが、神様が下さった身体を自虐する事ほど罪深い事はありません。まずは身体症状を出すほど忍耐と我慢をする事がいかに問題か、そこからもう一度、自分の有り様を再検討して欲しいものです。
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