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"光る君へ" ⑧ 清少納言の ”ファ―ストサマーウィカ” この顔!この名前!一発で覚えました!

2024年05月01日 | テレビの話し

今回も、またしても、前回に引き続きです。

”光る君へ” 15回『おごれる者たち』のお話です。

道隆の、やりたい放題の、身内びいきの、驕る、傲、奢るの、”おごれる者” たちの独裁が始まります。

長男である道隆は、父の兼家に、可愛い、可愛いで、甘やかされて育てられ、世間知らずで、我がままで、まさに総領の甚六の見本だった?

道隆は、先の円融院天皇の中宮 ”藤原 遵子” を、一条天皇の母で道隆の妹の詮子を、内裏から追い出し、娘の定子を中宮にします。

ここで、引っ掛かるのです。中宮、皇后、皇太后。

調べてみました。

『中宮という言葉の意味は「皇后の住居」である。 転じて、そこに住む 皇后 その人を指して「中宮」と呼ぶ』

先の天皇の皇后は、皇太后ではないの?旦那の円融院が退位しても、中宮にいるのも、よくわからん。そして、中宮の政治的な役割もよくわからん。

それでも、考えれば、中宮ですが、皇后で、妻で、女で、男と女で、天皇に対して、それなりに、公私ともに影響力を行使できる立場、やり方によっては、影の権力者?

一条天皇ですが、定子の手玉に取られているようで、一条天皇の母、詮子は面白くありません、定子も詮子が邪魔くさい。

その結果、お父さんの道隆に、叔母さんの詮子を内裏からの追い出しを嘆願。道隆も詮子をよく思っていなかったので、追い出し決定、と、いったところか。

兄弟姉妹で叔母と姪の権力争いと云うよりも、これは単なる、内輪の仲たがい? 

そんな、こんなの、変わりゆく世の中で、出来の悪い、まひろの弟、惟規が「擬文章生」に合格。変われないで、立ち止まっている自分に、思い悩む ”まひろ”

そんな “まひろ“ のところに、ある日 ”ききょう” が訪れ、皇后定子の ”女房” となった事を知らされます。

夢が叶い、うれしそうな ”ききょう” とり残され感がつのるばかりの  ”まひろ”です。

それで、この ”女房” ですが、宮廷や貴族の仕えた女性使用人で、女房の名称は、彼女らにあてがわれた ”専用の部屋“ に由来するそうです。旦那が自分の妻の事をこう呼ぶ方を、いまでも、一部にお見受けします。主人の世話をする女性と云う意味で、現在も使用されているのでしょう。

それにしても、中宮定子に初めて会った時の ”ききょう” の表情は、とても、とても、違和感。それほど、ぶったまげるほどの美人とは思えません。

それよりも、なによりも、”ききょう”役の、この方、初めてお目にかかったのですが、”ファーストサマーウイカ” と云う俳優さんだそうで、バラエティー番組からブレイクしたようです。この表情、確かに、バラエティーの匂いが漂います。

それにしても、この顔、この名前、一発で覚えました。本名は ”初夏” と書いて、”ういか” と読み、初はファーストで、夏はサマーで、”ファーストサマーウィカ”  なかなかの命名です。

平安時代の朝廷を舞台としたドラマで、硬くなりがちで、時々は合間に、柔らかく”色物キャラ” の出番も有りかと。

それで、ひとり取り残され感のつのる ”まひろ” は、気分転換に石山寺にお詣り、そこで、蜻蛉日記の作者で、兼家の妾で、道綱の母に出会い。

『心と身体は裏腹・・・日記を書くことで己の悲しみを救いました・・・』との言葉、これは、そのまま、自分にも・・・と、まひろ。

それにしても、”こころと身体” は裏腹と云う表現ですが、”身体” と云うと、何か動物的で、本能的で、この表現では、意思と動物的本能との対立になってしまいます。

理屈では、分かっていても、感情として、受け入れがたい・・・。理屈は頭にあり?感情は身体に? こころは何処にあるか問題?

まあ、兎に角、”書くことで己の悲しみを救う” との言葉に出会い、源氏物語への、紫式部への、誕生へと繋がっていくのでしょう。

 

それでは、また。

 

 

 


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