歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

女化道標“左右問題”これでスッキリ!

2009年03月31日 | 女化道標問題
昨日は般若院の垂れ桜でしたが、龍ヶ崎まで来たのですから、序でに近くの“女化道標”に寄って来ました。

先だって、牛久市教育委員会に質問を送った件は、3月6日記事にしましたが、その回答が、やっと、3月25日に届いたのです。


---引用開始---

****様

女化の道標について3月6日にご質問いただいた件ですが、不明な点が多く現段階では、回答を用意することができませんでした。

つきましては、4月に行われる“文化財保護審議会”に調査を依頼する予定ですので、回答をもう少しお待ちください。よろしくお願い申し上げます。

  牛久市教育委員会 生涯学習課 **


---引用終わり---

牛久市にも、文化財保護審議会があるのです。最初の“裏表”に関する質問の時は、

“詳しい方や茨城県文化課と検討し、正式な向きを掌握してまいります”

との回答でしたが、やっと、2回目の質問で、やる気を起こしたようで、“牛久市文化財保護審議会”が動き出したのです。


そんなこんなで、道標の様子が気になり覗いてきたのです。

それで、この日は、その場の思い付きで、遂に!大胆にも!独自!の“調査活動”を実施し、新しい事実を発見したのでした。

それで、調査活動なのですが、道標の埋もれている文面を、発掘したのであります。


発掘活動は、道標の足下を被う枯れた雑草を引き抜き、土を靴で踏み固め、道標を5㎝ほど露出させたのです。

この調査の目的は、「左側」に“右わかしば”、「右側」に“左りゅうがさき”と刻まれている問題です。


説明板の文面を図にすると、こう云う事になります。
     

“右わかしば”を「左側」に刻み、“左りうがさき”を「右側」に刻んであると、云うのです。不自然だと思うのです。そこで、「右」は「左」の間違いでは? 「左」は「右」の間違いでは、と思ったのです。

どうですか? “右わかしば”と読めますか? 「右」誤りで、正しくは「左」と刻まれているのでは? 


ちょっと修正して見たのですが、「左」と読む方が違和感が少ないのでは?

それでは、“左りゅうがさき”は、と云うと、


どうでしょうか? 「右」と読めませんか? 書き順から云えば「一」の横棒が先で「ノ」の縦棒が後になって、「左」の書き順になっています。

でも、しかし、大正時代に教育を受けた母は「右」と読みました。書き順も「横棒→縦棒」だと、断固主張しています。

“ああじゃない!、こうじゃない!”と、親子で協議の結果、これは「右」に間違いないとの見解に至ったのです。

それで、道標の地理的な関係を略図にすると、こうなるのです。


“左”に行けば「わかしば」があり、“右”に行けば「りうがさき」があり、道標との関係は“とてもスッキリ”するのであります。

どうでしょうか、この解釈は、牛久市教育委員会の説明板とは解釈を異にします。

今回、わたくしの質問に対して、牛久市教育委員会は「文化財保護審議会」に調査を依頼するそうです。どのような見解が出るのか楽しみです。

それで、次回は、田宮問題をいろいろと考えます。

“ザルツブルクを歩く”は、お休みです。


それでは、また明日。


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咲きました!龍ヶ崎 般若院の垂れ桜

2009年03月30日 | 龍ヶ崎の風景
本日“ザルツブルク”はお休みです。

昨日の日曜日、行って来ました、龍ヶ崎の般若院。

咲いています垂れ桜。満開ではありませんが、それなりに美しいです。


七分咲き? 八分咲き?でしょうか。


3~4日で満開の見頃?


今度の週末まで、何とか見頃を保ちそうです。


咲いてます。


咲いてます。


咲いてます。


撮ってます。


眺めてます。


咲いてます。


咲いてます。


この日は、10時ちょっと前で、花見客も疎ら。


境内の駐車場は混雑する為、閉鎖されています。車で来る方は市役所の駐車場に停めましょう。市役所からは歩いて10分ぐらいです。


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ザルツブルクの “ドレス” はどうなの?

2009年03月27日 | 世界の風景
昨日の続きです。

薪を運ぶおじさん。薪屋さん?それとも運送屋さん? 暖房の季節ではない為、調理用の燃料と思われます。

電気やガスよりも“薪”とは、調理用の設備が古く薪を燃やすタイプだから?それとも、薪でしか出せない“伝統の味”に拘っているとか?

世界的、歴史的、文化的、そんな観光地で、毎日、毎日、“薪を運ぶ”おじさん。うん。何か、いいかも知れない。あと“48袋”も運ぶそうです。

薪は良く見ると玉ねぎ等を入れるような、ナイロンで編んだ袋に入っているのです。この辺は新しいのです。


華やかで騒がしい観光地の夜、名残のジョッキ。そして、静かな朝。ジョッキの底にビールが残っていたりすると、それなりに寂しさが・・・・・・・。でも空っぽです。


広場から、来たときとは別の暗い通路を通って路地に出ます。


未だ午前中の早い時間ですが、ショーウインドーには照明が点いています。


明るい陽射しの通りに出ました。クレーン車が作業中です。


窓枠の塗装をしているのです。一年に一度は塗り替えるそうです。白の窓枠は真っ白でなければいけないのです、観光地のショッピング街ですから。


確かに、ヨーロッパの町並みは綺麗なのです。建物の塗装もこまめに手入れがされているのです。風雨に晒され、陽射しに晒され、でも、シミ、黄ばみ、剥がれ、汚れ等が、目立たないのです。

もしかして、そういう処を選んで映像が紹介されているから? わたしは映像でしか外国は知りません。まぁ、一応、バブルの頃に会社持ちで、香港とグァムに行ったぐらいです。


この町並みの建物は、12世紀から16世紀に建てられたそうです。400年から800年も昔です。


古いものに価値を見いだし、大切にする気持ち? 気持ちだけでなく、経済的な蓄積が保存を可能にした?

確かに、ヨーロッパは蓄えがあり豊かそうで、アジアは蓄えに乏しく、自転車操業で止まると、バッタリ倒れてしまいそうです。

日本でも最近になって、古い町並み景観を保存する動きが出てきました。やっとそんな余裕が出来たのか? 

それとも世の中が変わる事に“疲れた”のか? 前を見るよりも、後ろを振り返る方が楽だから?

このお二人、ザルツブルク郊外から買い物に来たのです。ヨーロッパの町並みには、やはり、ヨーロッパの方が似合うようです。


それなりに豊かそうう二人、右の女性が、このドレス“ザルツブルクらしい”、と、思い、買ったそうです。観光地の“ドレス”は、“浅草”で服を買うのとは違う?、のでしょうか?


この二人は“郊外”から来たそうですが、単なる“田舎のオバサン”なのでしょうか?

このショーウインドーのドレス、センスがいいのか? 悪いのか? この方に似合うのか? 似合わないのか? 私には分かりません。

でも、買わなかった金髪の女性の方ならば、それなりに“いけそう”な・・・・・・気がします、金髪に弱いのです。

ザルツブルクの旧市街、まだ、まだ、歩きます。


それでは、また明日。



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ザルツブルクで白洲次郎を考える

2009年03月26日 | 世界の風景
本日より、NHKで放送の「世界ふれあい街歩き」で、“歩くふり”をする“他人のふんどしリーズ”の2回目です。

今回は、オーストリアの「ザルツブルク Salzburg 」を歩きます。今まで「ザルツブルグ」と「ク」を「グ」と、濁ってました。

“Salz”は“Salt”で塩で、“burg”は「砦とか城」だそうです、“bloc”あたりに繋がるのでしょうか、塩で栄えた街なのです。


ザルツァッハ川を挟んで、左側にビジネス街。右側に旧市街。



8世紀に建てられた“ザルツブルク大聖堂”で、“前期ロマネスク建築”だそうです。


旧市街の町並み。


橋を渡って、旧市街からビジネス街へ通勤の女性。毎日、毎日、この橋を渡り、毎日、毎日、同じ景色を見ているのです。それでも、やっぱり、それなりに、景色を眺め、それなりの感動があるのでしょうか?


ビジネス街から旧市街へ通勤される方もいるのです。


川に沿っての町並み、直ぐ後ろは断崖絶壁、この上にザルツブルク城があるようです。

ヨーロッパの街は“厚く重い石造り”、アジアの街は“薄く軽い板ペラ造り”。気候の違いからなのでしょうか?

“重厚”と“薄ペラ”では、どことなく、文化とか、文明とか、蓄積とか、財力とか、とても“差”を感じるのです。

それに、体格的にも、ヨーロッパは肉食中心?で“高く重く”、アジアは草食中心?で“低く軽く”、何となく“負けている”と、思ったりして・・・・・・。

背の高さは、やはり、それなりに、考え方にも、態度にも、相手に与える印象にも、かなり影響すると思うのです。

国際会議などで、各国の首脳が整列した時、アジアは低く小さく、外観的に「しょぼく」見えてしまうのです。特に日本の総理は「とてもしょぼい」です。

ロシアの「プーチンさん」は背が低く、大きく見せようと苦労しているようです。「メドベージェフさん」が後継者に選ばれた理由は、プーチンさんより背が低かった事が一番の理由だと思うのです。

そして、あの長身(185㎝位?)の白洲次郎が、160㎝程度であったならば、あのように堂々と占領軍と渡り合えなかったと思うのです。

人は、やはり、見た目が大事なのです。

以前、勤めていた会社で身長が155㎝の部長がいたのですが、どうしても、軽く見られてしまう傾向がありました。

話しが、かなり遠くに逸れてしまったようです。

それで、ザルツブルクなのですが、丘の上のお城には行かず、先ずは路地に入ります。


このおじさん、肉屋さんで、レストランに配達をしている最中です。この方、やはり、肉とビールで立派な体格をしています。タキシードもきっちり着こなせそうです。


こちらは、中庭的な小さな広場、


トラックから薪を降ろしている運送屋さんが居ます。


この方も、立派な体格をしています。ヨーロッパは、建物も体格も、厚く、大きく、立派そうに見えてしまうのです。

確かに、町並みも綺麗なのです。建物の周囲に、雑草とか苔などが生えて無さそうです。町並みが湿っていないのです、気候条件の「差」なのでしょうか。

“からっと”したヨーロッパ、“じっとり”したアジア。

これから暫くザルツブルクを歩き回ります。


それでは、また明日。



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朝の連ドラ“だんだん”詰まらなく

2009年03月25日 | テレビの話し
今週で“だんだん”が終わります。

でも、しかし、わたしの中では、かなり前に終わっていた気がします。それでも、毎日、毎朝、画面を眺めていました。何たって習慣ですから。

それで、今日、あの花雪さんにプロポーズした社長が久ぶりに登場して、「3年前の世界同時不況では祇園も大変だったでしょう」との台詞。

一瞬、エッ! そうだったの! ドラマの中は知らない間に“2012年”になっていたのです。

かなり前から、画面をチラチラ覗く程度の“ながら視聴”が続いていました。兎に角、習慣で観ていただけだったのです。

だんだん詰まらなくなったのは、いつの頃からでしょうか、二人がデュエットを解散した頃からでしょうか?

その後の展開がハッキリ思い出せません。おばあちゃんの癌あたりから、どうも朝から見る気がしなくなって来たようです。

医者になった石橋君も、どうも、何だか、ハッキリしない男です。

祇園の“花むら”と、離島での医療活動の二本立ては、ドラマを散漫にしてしまっているようです。

双子のドラマですし、二人が別々に暮らしている訳ですから、二つのドラマが同時進行する訳です。

一粒の美味しさが倍になるのでは無く、半分半分になっているのです。

これまでになく、終盤の盛り上がらない今回の“だんだん”です。

いつもは、それなりに、“もう、終わるのかァ”との思いがしたのですが、今回は、そんな、気持ちは起こりませんでした。


来週からは、埼玉の川越で“つばさ”です。


東京の制作です。次回シリーズに期待します。




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雑談、そして、雑談。

2009年03月24日 | 雑談
本日は雑談です。

3月になったら東京へと思っていたのですが、もう下旬に入りインフルエンザも峠を越し、花粉の季節もピークを越しつつあります。

東京へ行こう、東京を歩こうと、漠然とした思い。何処にするのか、なかなか決まらず、もうすぐお花見の季節。

上野で降り、旧岩崎邸から水道橋辺りまで歩くか? それとも、西武新宿線の新井薬師辺りを歩くか?

何となく、いまいちなのです。

そう云えば、大相撲も始まりました。あまり代わり映えもせず、興味が湧きません。

WBCは、今日が決勝戦です。イチローは今年で引退するでしょう。もう一人のイチローですが、こちらは引退しないでしょう。

天気がハッキリしないと、気持ちも落ち込むのです。このところ、風が強く、花粉も飛んでいる為、暫く近所を歩いていません。

そして、20日、21日、“2パク”する予定だった孫が、水疱瘡で泊まりに来られなかったのです。今度来るのは5月です。

昨日は、“相棒”の再放送を見ました。始めて見ました、確かに面白いです。今日も見ようと思っています。

そろそろ、WBCの決勝戦が始まります。一応、わたしも日本チームを応援します。


それでは、また明日。




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堀之内妙法寺の “揚げ饅” 繁盛の差は?

2009年03月23日 | 東京の風景
先週の続きです。

墓地と住宅の密集地帯を抜けて、堀之内の妙法寺に戻って来ました。

お昼の“デラックス海苔弁”だけでは、何となくもの足りず、又、以前より一度は味わって見たいと思っていた“揚げ饅”を食べることにしました。

“妙法寺名物”の「揚げ饅」は、二軒のお店が並んで商っているのです。左側は、見るからに“和菓子屋さん風”のお店。右側は見るからに“駄菓子屋さん風”のお店。


“和菓子屋さん風”には、お客さんがいっぱい居て、饅頭が揚がるのを待っています。


お隣、駄菓子屋さん風には、誰も待って居ません。こちらには“元祖揚げ万じゅう”と書かれています。“元祖”の文字に効き目はまったくない模様。


錆の浮いた看板にも、“揚げまんじゅう”と大きく表示されています。


こちらのお店では、“揚がったまんじゅう”が、客を待っているのです。隣は、客が饅頭の揚がるのを待っています。

こちらは120円、隣は130円です。価格が高い隣に客は来るのです。


我々も、迷わず、和菓子屋さん風に入ってしまいました。そして、「粒あん」を2個注文して待つ事にしました。揚げ饅は、つぶ餡、こし餡、カボチャ餡の3タイプがあります。

揚がるのを待ちながら考えてしまいました。小綺麗な店の外観に惹かれて、店を選択して良いのだろうか? 客の来ない隣が心配になってきたのです。

ここは、やはり、男として? 弱いものを助けなければ!と、堅い決意を抱き隣の店へ向かったのです。

店内は、まさに下町の駄菓子屋さん。丁度、小学校の1年生か2年生ぐらいの女の子がお菓子を買いに来ていました。


その子が、お財布から小さな指で10円玉、50円玉をつまみ出し、おばさんに渡していました。その仕草がとても可愛いのです。孫もそのうち、こんな風に、一人で買い物をするのでしょう。

女の子が買い終わって、わたしの番が来ました。「揚げ饅頭を一つ下さい」「そこにありますから、どうぞ」と、おばさんは、店先を指さしました。

そうでした、ここでは、“揚待ち”ではなく、饅頭が“客待ち”をしていたのです。客を待つ“揚げ饅”は、ポリ袋の中で“油汗”にまみれています。


“地井さん”も、きっと、店の繁盛ぶりの差を眼にして、義侠心からこちらの店を選択したのでしょう。でも、この貼り紙の効き目はまったくなさそうです。


それで、客待ちしていた揚げ饅ですが、これは、もう、汗にまみれ“べたべた・ふにゃふにゃ”でした。


隣の揚げ饅頭は、紙に包まれ、揚げたてで“からっと・さくさく”でした。


元祖揚げ饅の駄菓子屋さんは、元祖に胡座をかいたのか?、云うに云えない事情あって、店を改装できなかった? その結果として、揚げたてを売る体制がつくれなかったのか? 

それとも、元々“揚げ置き販売方式”だった処に、後から小綺麗な店を出し、“揚げたて販売方式”で新規参入して来た隣に敗北したのか?

和菓子屋さんの“おばさん”は、明るくにこやかで客扱いが上手でした。駄菓子屋さんの“おばさん”は、あまり“あかるく”も“にこやか”でも、ありませんでした。

これは、商売状況の差の、結果なのか?、原因なのか?


兎に角、元祖の方も、“ちい散歩の貼り紙”をしているのですから、それなりに現状を打開したい気持ちはあるのでしょう。

先ずは、揚げ置き方式を止め、ポリ袋を止め、笑顔で応対すれば、良い勝負になると思うのです。

その結果、店の改装資金も信用金庫で融資してくれると思うのです。同じ外観で勝負すれば、互角の戦いとなる筈です。

でも、しかし、2軒の揚げ饅の合計売り上げは、たぶん、大して変化しないと思われます。大きさの決まったパイの切り方問題だと思います。

もしかして、もしかして、結果を見通して・・・・・・、“駄菓子屋さん風”は、のんびり、子供相手に商いを続けている・・・・・・・。

何か、余計な詮索をしてしまいました。

それで、揚げ饅ですが、食べつつ、見つめつつ、出生の理由など考えたのですが、まぁ、たぶん、売れ残って、冷たくなって、堅くなって、処分に困った饅頭を、衣を付け、油で揚げ、再生を図ったものと思われのです。

数年?の思いを叶え、頂いた揚げまん、まぁ、何とも、一応、食してみました、と云う、そんな、思いを抱きつつ、妙法寺の駐車場に向かい、トイレに入り、帰宅の途に着いたのです。

これで、妙法寺界隈シリーズを終わります。


それでは、また明日。



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杉並区 “真盛寺は三井寺”で入れませんでした!

2009年03月20日 | お寺・神社
昨日の続きです。

環七に出て来ました。この辺り環七の外側は、妙法寺から繋がる、お寺だらけ、お墓だらけの寺町となっています。

先ずは、環七に面した日蓮宗の宗延寺。こぢんまりした境内に観音様が目立ます。かなり新しそうです。後は、特に眼を引くものは無さそうでした。


こちら、お隣の真盛寺は、以前より車で通過する度に、気になっていたお寺です。両側の長い塀、長い石畳みの参道、環七に面しているとは思えない佇まい、期待できそうです。


教育委員会の案内板を読むと、現三越の創業者三井高利の菩提寺だとか、書院と本堂は江戸時代の建築だとか、客殿と庫裡は細川侯爵邸から移築しただとか、庭には謂われのある池があるだとか、数多くの文化財が所蔵されているだとか、これは、もう大変なお寺のようなのです。


立派な山門です。


ところが、足下を見ると、一般の参拝見学は受け入れていないのです。これだけの寺が、と云うか、ふつう、寺は参拝を拒絶することありません。はじめて見ました、こんな立て札。


やはり、三井家一門だけの、極々私的な寺のようです。まぁ、事前に連絡していれば、三井家でなくても参拝見学は可能だと思いますが、それにしても、守りの堅い真盛寺です。

なかなか、良さそうに見えます。


しかたなく、参道を引き返します。両側は桜、満開になると綺麗なことでしょう。


左側を歩く二人の女子、寺の中から出て来たのです。小学校3、4年と云った年格好、どことなく、それとなく、歩き方と云い、顔つきと云い、服装と云い、三井家の関係者のような、育ちの良さを漂わせていました。ちょっと考え過ぎ?

真盛寺を出て、寺の脇の路地を奥に入って行きます。密集した住宅の屋根越しに、宗延寺の屋根が覗きます。


コンクリート塀の間を分け入ります。塀から卒塔婆が覗く風景。


左側は、ずっと、ずっと住宅地。右側は、ずっと、ずっと墓地。寺と墓地の隙間に住宅が密集しているのです。


この辺り、お彼岸、お盆になると、お線香の煙と匂いが立ちこめるのです。

夏になると、どこからともなく、冷く妖しい風が吹いて来たり、妖しい光が飛んでたり、風も無いのに卒塔婆が揺れていたり・・・・・・。

マンションの窓から眺める墓地の風景、それなりに風流かもしれません。


まだ、もう少し、堀之内界隈を歩きます。


それでは、また来週。


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大学生協 路上から見下ろす“真っ赤な立体アート”

2009年03月19日 | 東京の風景
昨日の続きです。

蓮光寺のお参りを済ませ、路地を進むと“真っ赤な芸術作品”が地下から頭をもたげています。


それで、こう云う芸術作品は、いったい何て呼ぶのでしょうか? 制作方法、素材、目的から、彫刻でもなく、オブジェでもなく、モニュメントでもなく・・・・・・。

立体的な芸術ですから、“立体アート”と云ったところでしょうか。

この作品、路上から“見下ろす通行人”にとっては、もう一階分高さがあれば、地下から立ち上がり、空に向かって伸び上がる力強いインパクトを感じるのですが。

でも、しかし、この作品は、あくまで、地下のホールから“見上げる”ことを前提に創られているのでしょう。

地下ホールからの視点から見上げることで、始めて作品の意図が理解できる、そう云うことなのでしょう。

館内に入って、地下から見上げて見たいと思ったのですが、地下ホールでは“立食パーティー”の真っ最中、入れそうにありません。見上げるのを諦めました。


それで、ここは、いったい何なの?と、傍らを見たら“大学生協会館”とあります。

あの大学生協が、こんな処で、こんな施設を運営していたのです。知りませんでした。

この建物には、“ヴァーシティホール”と云う名の300席ほどの貸しホールがあるそうです。何か、何処かで、いつか、聞いたような気がしてきました。

で、そのホールなんですが、今月の31日で、“会館の都合”により利用が中止されるそうです。何か、いろいろ、生協にも外部には、云うに、云えない、都合や事情があるのでしょう。


それで、何ですが、私も、いろいろ、云うに、云えない事情と都合があり、本日はこれでお終い。

それでは、また明日。



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“蓮光寺のボース” と “中村屋のボース”

2009年03月18日 | 東京の風景
昨日の続きです。

コンビニから公園に戻ります。途中、カレーのイイ香りに足を止め、振り返ったり・・・・・・、でも、しかし、もう弁当を購入し、公園で食べることは決定しているのです。

多少の未練を残しつつ、数分で公園に到着。


門から入ってすぐのベンチに腰掛けました。この日は、陽当たりが良い場所は長く居るとちょっと暑く、日陰は長く居るとちょっと寒くなるといった気温でした。

座ったベンチは日陰でしたが、こもれびが背中をポカポカと暖め、絶好のベンチでした。しかし、残念なことに、私の眼の前には“男の裸像”の後ろ姿が・・・・・・、珍しいです。ここは、やはり、裸婦像でしょう。

男の尻を鑑賞しつつ、コロッケ・唐揚げ・白身魚のフライ・竹輪の天ぷらを頂いたのでした。


空を眺め、ケツを眺めての公園ランチは、それなりに美味しかったです。久ぶりの豪華な海苔弁でした。野菜ジュースを飲み、暫く休んでランチタイムを終えました。

食後は来た時とは異なるコースで公園を半周し、入ったときとは別の裏門から外に出ました。帰り道も、来たときとは異なる、環七寄りの路地を歩きます。


歩きながら“何か昼飯が物足りないなァ”と、考えていたら、配偶者が“なんか、面白そうな銅像があるよ”と云って、右手の奥に視線を向けました。

わたしよりも視力が良いのです。一瞬立ち止まり、銅像の存在を確認して、真っ直ぐに銅像に向かいました。

そこはお寺の境内です。仏様とか、お坊さんとか、その手の銅像ではありません。外国の方のようです。


軍服のような出で立ちです。


下に“スバス・チャンドラ・ボース像”との銘板。


そうか、そうか、こんな処に。

“彼はインド独立運動家で、第二次世界大戦当時に日本に亡命し、その時、新宿中村屋にインド式のカレーを紹介した、あのボースだょ”

と、配偶者に解説したのですが、あまり興味を示しませんでした。

多少、記憶に不安があったので、翌日調べてみたら、大間違いだったのです。ボースは二人居たのでした。知りませんでした。

チャンドラと、ボースと、インド独立運動家と、中村屋と、カレーと、くっついて、何処かで、いつの間にか、ゴチャゴチャの一塊りになっていたようです。

中村屋の“カレーのボース”は“ラス・ビハリ・ボース”で、“スバス・チャンドラ・ボース”とは、まったくの別人だったのです。

同時代に、同じような名前で、同じインド人の、二人の独立運動家が、日本に来ていたのです。勉強になりました。

二人には血縁関係はないそうです。何故に蓮光寺にお墓が?と思ったら、二人のボースには親交があり、カレー屋のボースの側近が、蓮光寺の近くに住んでいた関係で、チャンドラさんが葬られたそうです。

チャンドラ・ボースの死については、いろいろあり長くなるので、興味のある方は調べてみて下さい。

インドでは“スバス・チャンドラ・ボース”は英雄で、インドの国会議事堂脇には、銅像が立っているそうです。ネール首相や、ガンジー首相など来日の際にお参りに来たそうです。

横には、訪れた人が記帳するノートが置かれ、開いて見たらほとんどすべて英文で綴られていました。インドの人は日本に来ると、かなりの人がココに来るみたいです。

日本人よりも、インド人に有名な“日蓮宗蓮光寺”だったのです。私が一人でウロキョロ歩いていたら、見落とすところでした。二人で歩いてよかったァ。


蓮光寺は、こぢんまりとした、イイお寺です。


牡丹があったりして、こんな境内です。


それにしても、銅像の下から覗くエアコンの屋外機・・・・・・相当に良くないと思います。インド独立の英雄です、これを見たら“印度人もビックリ!”だと思います。


屋外機は別の場所に移動しましょう。インドとの外交関係に悪い影響を及ぼす可能性があります。中国を牽制する意味においても、今後、インドとの外交関係は重要になってきます。

まぁ、兎に角、もう少し、高円寺界隈を散策します。


それでは、また明日。


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