歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

沖縄県民投票結果で日米安保と地位協定を考える

2019年02月27日 | 世間話し

米軍海兵隊普天間基地の移設にともなう、辺野古沿岸の埋め立ての賛否を問う、県民投票は予想どおりの結果となりました。

投票率が52.48%で、反対票は434,273票で、投票数の71.74%でした。

それでも、安倍政権は、これまでどおり基地建設、埋め立て計画を進めると表明。

どうしても、何があっても、どう転んでも、何が何でも、基地建設を進める、この頑なな態度は、いったい、どうして、何故?

新聞、テレビの報道からは、このあたりの事情が、あまり解説されていないのです。

日米安全保障条約、そして、それに付随する、日米地位協定により、アメリカは、いつでも、どこでも、日本に米軍基地を設置する権利を有しているのです。

日本はアメリカと戦争をして負けたのです。戦勝国と敗戦国の関係は、1945年から、ずっと、ずっと、続いているのです。

この関係を対等にするには、もう一度、アメリカに戦いを挑む?

まあ、もう一度、戦争はありえません。犠牲が計り知れません、そもそも、戦力を比較するまでもなく勝てません。

では、では、そうなると、どうするか?です。

兎に角、あらゆる機会に、あらゆる方法で、しつこく、しつこく、アメリカに対して、敗戦国扱いの日米安保、地位協定の改定交渉を、改定協議を要求、実施の方法しかないと考えます。

戦争に負けてから、はや79年の歳月が流れました。でも、しかし、現在も、過去も、どの政権も、敗戦国扱いの変更については、まったくもって、手をつけることはしませんでした。

いゃ、失礼しました。中途半端に終わった、民主党鳩山政権は、それなりに”戦後レジームからの脱却”に手をつけました。

それとなく米国との従属関係の解消とか、価値観の異なるアジアの国と友好関係を築くとか、普天間の移設は海外、最低でも県外とか、小沢の”日米安保は横須賀の第七艦隊だけで十分”とかの発言。

いろいろ、アメリカを刺激しました。 

そして、それで、対米従属派、現状維持派の官僚に抵抗され、足をすくわれ、騙され、裏切られ、民主党政権はあっけなく崩壊。

それにしても、あのときの小沢攻撃は異常でした。官僚(検察)とマスコミがスクラム組んで、いつもの「政治と金」攻撃で小沢を悪人として、犯罪者として、大キャンペーンを行い、小沢の政治生命を絶ちました。

それで?安倍ちゃんは、”戦後レジームの総決算”を叫び、憲法改正を具体的政策課題としても、憲法より上位にある日米安保・日米地位協定の改定には触れないの?

これまでは、アメリカに従っていれば、経済は繁栄し、日本は豊かになり、楽しく、それなりに安全な暮らしが保障されてきたのです。

時代は変わり、世界は変わり、アメリカも変わり、中国も変わり、日本も変わる?

それでも、それなりに大国のアメリカ、いまでも、これからは、もっと、大国となるであろう中国、経済力が低下した日本。

そんな日本ですが、一癖も二癖もある、米国、中国と、敵対せず、従属せず、対等で友好な関係を、巧妙に探りつつ、模索しつつ、平和で楽しく暮らす。

そんな外交が、そんな政策が、そんな政治家が、そんな政党が、とても、とても、必要、と、思うのでした。

そして、今日から、ベトナムでは、米朝首脳会談が始まります。

世界の、アジアの、政治状況は変わり始めています。

云い忘れました、追記です。

沖縄の基地問題に、沖縄以外の日本国民に関心が無い、薄い、問題ですが、それは、別に沖縄だけに関心が無いのではなく、外交とか、安全保障とか、目先の銭金に直結しない問題には、すべてにおいて関心が無いのです。

これは、誠にもって、これまでの政治教育の「成果・結果」なのであります。

選挙権を18歳に引き下げたのも、それなりに戦後教育の、成果、結果の反映です。

 

それでは、また。

 

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菅官房長官!と望月衣塑子記者の対決は予算委員会の舞台で!そして”モロ出し資本主義”!

2019年02月11日 | 世間話し

え~~、何と申しましても、ご両人は、もう、ホント! 歴史にその名を残す、偉大なる政治家となりました。

政権に都合の悪い公文書は、官僚に直接的に指示しても、しなくても、阿吽の呼吸と忖度で、改ざん、偽装、廃棄は日常の風景。

国会では、閣僚も、官僚も、白々しくも、厚かましくも、馬鹿馬鹿しくも、すっとぼけと、はぐらかし答弁を連発。

問題発言をした閣僚は、発言内容については撤回せず、誤解を与えたとすれば陳謝する、何て、責任を他人に転嫁するふざけた発言の連発。

問題発言の常習犯、麻生太郎ちゃんは確信犯として、色物閣僚として、色物政治家として、何たって元総理大臣ですから、その地位を不動のものとし、歴史にその名を刻むこと間違いなし。

まあ、世の中は、こんな調子ですから、国家統計の手抜き集計何てことは、お茶の子さいさい、朝飯前なのです。

それでも、安倍自公政権は支持率は下がらず、選挙にも勝利するのですから、やりたい放題は止まりません。

それで、産業界ですが、高度経済成長を牽引してきた、総合電機メーカーも斜陽化しました。我が国の家電メーカーが、台湾資本に買収されるご時世となりました。

残るは自動車ですが、これも、EV化とIT化で、電機メーカーの辿った道を後おいしそうです。

昔は、政治家が駄目でも、官僚が、経済界が、何て、云っていた時代がありましたが、いまでは、役人も、大企業も、無残な姿となりました。

何で、どうして、こうなったの?です。

まあ、敗戦後の”驚異”の経済成長がもたらした、それなりの結果だと考えます。

永久に成長、発展を続けることは不可能なのです。

高度経済成長の時代でも、皆が皆、頑張って働いていた訳ではありません。現に、この私などは、適当に働いていました。

あの頃は、それなりの能力でも、それなりの所得があり、それなりの暮らしが可能でした。

でも、しかし、いまでは、才能があり、それなりに頑張っている人に、異常に所得が集中し、それなりの人は異常に所得が少ないのです。

これは、才能があり、それなりの努力した人には、それなりの所得は当然で、所得の少ないのは、個人の”努力の問題”とする、ソビエト崩壊以降の、弱肉強食、”モロだし資本主義”が原因です。

でも、しかし、やりたい放題の資本主義にも、そろそろ、限界の兆し? 

モロだし資本主義のアメリカも、国家資本主義の中国も、そろそろ、互いに、限界に近い? と、希望的観測の今日この頃。

でも、しかし、だからと云って、高度経済成長の時代を懐かしみ、オリンピックや万博を開催しても、あの時代には戻れないのです。

オリンピックも万博も、結果であって、繁栄の原因ではありません。

万博と云えば、過去の栄光にすがりついて、”夢よもう一度おじさん”の堺屋太一さんの悲報が今朝の新聞に載っていました。

オリンピックや万博は、他の国に任せましょう。

話が、なんか、逸れ気味?

兎に角、官房長官会見の、望月衣塑子ちゃんの質問に対する、政府の、嫌がらせ、発言封殺、発言無視、規制、抑制行為は、民主主義に対する破壊行為です。

政府は、権力者は、批判されて当然、当たり前、正常、自然、なのです。

嫌なことを云われても、丁寧、にこやかに反論するぐらいの、知識と、度量と、根性と、人格があって当然。

菅ちゃんも、あの程度の質問に、顔をこわばらせて、冷たく、拒絶するのは、あなたに官房長官として、政治家として、大人として、人間として、不適格であることを、証明しているようなものです。

それにしても、会見で、抑揚無く、元気なく、とても、とても、義務的に、事務的に数秒おきに「質問は簡潔にお願いしま~す」と、「合いの手」を入れる司会のお役人さん。

内閣報道室長の上村秀紀さんと云う方だそうですが、彼としては、一点の曇りもなく、天下国家のため、親、子供、兄弟一族郎党に恥じない、立派な行いと、堅く、堅く、信じて、毎日、毎日、「質問は簡潔にお願いしま~す」を連呼しているのでしょう。

これまでも、そうでしたから、これからも、そうだと信じ、役人として将来のポストと収入に期待しての連呼生活。

兎に角、望月衣塑子ちゃん、もう、菅ちゃんと会見場でやり合うのは、そろそろ終わりにしましょう。

これからは、予算委員会の舞台で、菅ちゃんと対決するのを見たいです。

そうです、あなたは、議員に向いています。

いろいろ問題はあるけど、立憲民主党あたりから、次期参議院選挙に出馬したら如何かと考える次第。

と、云う事で、本日は、おしまい。

それでは、また。

 

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我が家の裏は! 荒野で! 原野で! 夢の世界へつづく道?アダプト ア ロードでした!

2019年02月06日 | つくば市の風景

それで、夢の話なんです。

夢と云っても、まあ、当然、将来の夢を語る何て事ではありません。

当然、寝ている時に見る夢の話です。

我が家の周囲の風景と云うか、様子が、変なのです。

似ている風景のようで、よく見ると、見知らぬ建物とか、見知らぬ道とか、周囲に崖があったり、丘があったり、坂があったり、荒れ地、原野があったり。

でも、見知らぬようでいて、よく見ると、懐かしいような、いつか見ていた風景に思えたりする、不思議な風景なのです。

ここは何処? 私は誰? そんな、不安を抱きつつ、眼を覚ますのです。

そんな夢を、これまで何度か見たような?気もしたり、いつも同じ風景を見ているような?気もしたり、でも、もしかして、一回きりしか見ていないような、そんな気も?

それで、ある日のこと、ウォーキングの時、いつものコースを外れて、この風景に足を踏み入れたのでした。

 

いつもは、横目で見ながら通り過ぎていた湿地帯です。夏場は木も草も茂り、この風景よりも、未開の原野感・荒野感があります。

左側を眺め、右側を眺め、

未舗装の道に分け入ります。

こちら、左手方向にチラホラ見える住宅の一画に、我が家も在るのです。この方向から我が家を眺めるのは初めて。

しばらく眺めていると、エっ! これって! もしかして! 夢の中で見た風景!では、と、そんな気がしてきたのです。

とても、不思議な感覚でした。

こんな風景が、我が家の、直ぐそばにあったとは、30年近くも知らずにいたとは、なんとも、なんとも、不思議で、新鮮。 

と、そのとき思ったのです。

で、そのときは、いまから2年前ことでした。

あれから、週に1・2回とか、2・3回とか、このコースを歩くようになりました。ここに掲載した写真は2年前のものです。

道は、ほぼ中間地点で二股に分かれ、一方は住宅地に上がって行きます。

左手方向、原野沿いに進みます。 

陽当たりも、風当たりも良さそうな家。 

こんな風景がつづきます。

このあたり、道を横切るタヌキと遭遇したことがあります。タヌキと云えば、昨日も買い物に行く際、道路の端に横たわるタヌキを見かけました。

まあ、タヌキとは昼間でも年に数回遭遇します。 

遭遇と云えば、蛇、こいつは、あまり、好きではありません。この道でも3回ほど出くわしました。

一度は、もう少しで踏みつけるところでした。蛇は、他の生き物の気配を感じると、じっとして、固まることで、気配を消し、姿を消す、そんな習性があるようです。

と、云うことで、夏場、このコースはあまり歩きません。雑草が生い茂り、歩きにくかったり、蛇が発見し難くなったりするからです。 

こちら、見にくいのですが、湿原を横断する木道です。

 

我が家がある一画につづく木道。ここを横断して我が家に帰ると、ホントに、ホントに、別世界から、突然、現実の世界に戻る感覚があるのです。

でも、残念ながら、その感覚を楽しめたのは、2回目まで。 

そろそろ終点です。

 

この朽ち果てたポンプ、いい風景です。

ここで終点。

それで、この原野道は、実は、実は、つくば市より危険なので通行は禁止されているのです。

でも、何故か大きな禁止看板の側に、小さな「ADOPT a Road(アダプト ア ロード)」の看板。この看板は強行突破した後で気づきました。

ボランティアが、月に一度、歩きやすいように草刈りなどしているのです。

※ADOPTには「養子にする」と云う意味もあるようです。

私も利用させてもらっているので、たまには草刈りの手伝いをと、考えてはいるのですが、いまだ実現していません。集団行動は苦手なのです。

 ネットで調べてみると、全国的にアダプト・プログラムとして、市民と行政が協働で進める、新しい「まち美化プログラム」だそうです。

危険なので通行は禁止しているのに、歩きやすいように整備している、何だか、よくわからない道なのでした。

私としては、珍しく、通行禁止の立て看の文面を素直に受け止め、30年近く通行を差し控えていたのです。

そして、立て看を無視して、分け入って、別世界の経験をしたのでした。

やはり、お上の言葉は、そのまま素直に受け止めてはいけないのでした。

まあ、兎に角、身近でいい体験でした。

そうでした、距離にして800メートルほどの道です。

 

それでは、また。 

 

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