歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

『人新世の資本論』⑦ 官僚組織は無謬性から詭弁性の時代へ!そして人間の生理を超えて!

2022年01月28日 | 世間話し

前回の続きです。

『人新世の資本論』を読んでます。

本日は小見出し『11.オランダの誤謬-先進国は地球に優しい? 』です。

初っ端から話しは逸れるのですが、この「誤謬 (ごびゅう)」ですが、「ゴ」も、破裂音「ビ」も、口先が尖らかって、そして「ビュー」で語尾が伸びてしまい、言葉の意味とは裏腹に、お馬鹿ぽっく聞こえてしまうのです。これって私だけ?

それで意味としては、

『論理学における誤謬(ごびゅう、英: logical fallacy) は、論証の過程に論理的または形式的な明らかな瑕疵があり、その論証が全体として妥当でないこと。つまり、間違っていること。意図した論述上の誤謬は「詭弁」と呼ばれる。論証において、誤謬には「形式的」なものと「非形式的」なものがある。←Wikipedia』

「誤」も、「謬」も、あやまる、間違う、の重複で、強調としての熟語ですね。兎に角、日常では使いません。あっ、そう言えば、「合成の誤謬」とか「無謬性」なんて言葉は、以前、ときおり耳にしました。

「官僚組織の無謬性」何て言葉は、時折目にします。そう云えば、先日、国会で官僚の作成した予算書?関連文書?に、誤りが多いとの指摘がされ、岸田首相が予算委員会で謝罪などしていました。

もう、「官僚組織の無謬性」は「森・加計・桜」で死語となり、いまでは「官僚組織の詭弁性」の時代?

国語のお勉強はここまでとして、本題に入ります。

ここで、何故オランダなの?と調べて見たら、オランダは豊かな国として、それなりに環境政策の進んでいる国として、槍玉に挙げたようです。

槍玉に挙げたのは、ポール・ラルフ・エーリックと云う米国の生物学者で、人口増加と有限な資源の帰結に関する警告で、その筋で「オランダの誤謬」の「エーリックさん」として有名な方のようです。

汚い物、危険なもの、これらは、貧しい国に押しつける。以前、日本でも産業廃棄物を貧しい国に輸出していた事実がありました。輸出国、輸入国ともに廃棄物ではなく、資源としてリサイクルされると言いながら、そのまま廃棄していたのです。

そう言うことで、

『先進国の環境改善は、単に技術発展によるものだけではなく、資源採掘やゴミ処理など経済発展に付きまとう否定的影響の少なからぬ部分を、グローバル・サウスと云う外部に押しつけてきた』

と、述べています。「よるものだけではなく」とか「少なからぬ」とか、かなり控えめな表現。 

「オランダの誤謬」とは、ザックリと云えば、豊かな国の環境は、その国だけで完結していると思うな!と、云う事

でも、しかし、兎に角、エーリックさんらの御陰で、今や先進国の人々も「先進国は地球に優しい」何て、信じている方は、とても少数派だと思います・・・。と、思いたい。

次ぎ、『12.外部を使い尽くした人新世』

『人類の経済活動が全地球を覆い・・・収奪と転嫁を行うための外部は消尽・・・安価な資源も安価な労働力も・・・資本は無限の価値増殖を目指すが地球は有限・・・拡張がもたらす否定的帰結は、先進国へと回帰する・・・人新世の危機の本質』

経済は成長し拡大し続け、企業は前年度よりも、市場を拡大し、売り上げ、利益を拡大し続けることが至上命題。後退は許されないのです。

そのために、国家間で、企業間で、企業内の労働者間で、厳しく、激しい競争を強いられているのです。

現代は、企業戦士として争い闘う以前より、教育期間においても、厳しく激しい競争を強いられています。

その結果、精神を病むとか、自殺するとか、引き籠もりになるとか、他人を道ずれにした凶行とか、世の中、病んでいるのです。

本書では、自然は、資源は、有限と云っていますが、私としては、人間もそれなりに限界があると考えます。

みんな仲良く、のんびり楽しく、平和に暮らすための労働が、金儲け正義として、人間の生理を超えて、精神と肉体をすり減らし、争い続ける世の中は、そろそろ終わりにしましょう。いや、終わります。

と、云うことで、このへんで終わります。

 

それでは、また。

 

 

 

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『人新世の資本論』⑥ 自然環境も搾取の対象でパンデミックで歴史は変わる?

2022年01月25日 | 世間話し

前回の続きです。

小難しいタイトルの本を、ぼけ対策として読んで綴って、記憶と記録に残す作業をしています。

それで、その前に、先日、晩酌をやりながら、それでは相撲を見ようかと、6時過ぎにテレビのスイッチを入れ、録画リストを起動し、大相撲中継のタイトルを探したのですが見つかりません。セットするのを忘れていたのです。

相撲は録画して、6時から見る事にしているのです。「毎回録画」にセットしておけば、その都度セットの必要が無くなるのですが、いろいろあって、毎日セットしていたのです。そんな失敗が時々ある今日この頃なのです。

阿炎、御嶽海、照ノ富士の巴戦が見られず残念でした。それでも来場所、負け越す不安のある御嶽海です。

これからは、阿炎、豊昇龍の時代かも?

それでは、惚け予防の始まり始まり。

第一章小見出しの「8.労働者も地球環境も搾取の対象」からです。

私は知りませんが、その筋では有名なイマニュル・ウォーラースティンの「世界システム論」として、資本主義は「中核」と「周辺」で構成されているとの説を紹介しています。

この話し、「中核と周辺・フロンティアの消滅」で、「利潤率低下、資本蓄積・経済成長の停滞」として、昨今、巷で、それなりに語られている「資本主義の終焉」のお話。

それで、これに一歩踏み込んで著者は、

『資本主義による収奪の対象は周辺部の労働力だけでなく・自然もまた単なる掠奪の対象とみなす・・・このことが本書の基本的主張のひとつをなす』

と述べています。

うん、まあ、私も、そう考えます。

はい、次ぎ、小見出し「9.外部化される環境負荷」です。

加工食品に広く使われているパーム油を例として、

『栽培拡大による、熱帯雨林の乱開発→土壌浸食、肥料、農薬の河川への流出→川魚の減少→住民の蛋白源を奪う→蛋白源の外部からの購入→現金収入を求める→絶滅危惧種の捕獲の連鎖』

『このように、「どこか遠く」の人々や自然環境に負荷を転嫁し、その真の費用を不払いにすることこそが、豊かな生活の前提条件』

まあ、この話しは、それなりに見聞きし、NHKの番組等でも採り上げていたような気がします。

そして、この「不払い」は、いつか必ず、「ツケ」として、遠くの、外部の、方々にも請求書は回ってくるのです。

でも、まあ、そんな事を知りつつ、良くない事とは思いつつ、スーパーでパーム油使用のパン、マーガリン、即席麺、ポテトチップス、ビスケット、アイスクリーム、カレールー等々、買い物カゴに入れる日々なのです。

はい、次ぎ「10.加害者意識の否認と先延ばし報い」 

『先進国の人々は「転嫁」に対する「無知」を強制されるだけではない。自らの生活をより豊かしてくれる、帝国的生活様式を望ましいものとして積極的に内面化するようになっていくのである・・・人々は無知の状態を欲望するようになり、真実を直視することを恐れる・・・知らないから、知りたくないに変わる』

バッサリと一括りにしていますが、戦後の経済成長時代から、東西対立の時代、そして、資本主義の勝利、新自由主義の時代、そして、先進国での格差貧困、グローバル・サウスの時代へと意識の変遷だと。

そして、次の行では、

『しかし、自分たちがうまくいっているのは、誰かがうまくいっていないからだと、暗に気が付いているのではないかと』

そして、そして、資本主義の終焉の始まる時代、これは、まさに、いまだと思うのです。「暗に」ではなく、それなりに「明らかに」なりつつある時代。

そもそもです。この『人新世の資本論』がベストセラーになったり、NHKBSで「欲望の資本主義」なんてタイトルの番組が放送される時代なのです。

これは、やはり、現状が、資本主義が、もう限界に近づき、幕は閉じつつあると、個人として、集団として、意識の底に、浮かび上がりつつある事の証?時代の流れ?

そして、現代ドイツを代表する哲学者マルクス・ガブリエル曰く『関係無いこと、見ないことに・・・私たちが不公正を起こしている原因と知っていながら、現在の秩序維持を暗に欲している』と引用。

この引用は特段必要ないと思うのです。そして、

『帝国的生活様式は一層強固に、危機対応は未来に先延ばし、それによって、私たち一人ひとりが、この不正に加担することになる。だが、その報いは気候危機として中核部にも忍びよってきている』

と著者は続けます。

でも、しかし、いまでは、「忍びよってきている」段階はもう既に通り越し、パンデミックとして「世界を覆い尽くしている」と、考えます。

資本が地球環境も搾取の対象とした結果、人間が野生動物の生活領域に侵入、野生動物のウィルスが人間に感染し、瞬く間に地球的規模で拡大し、そして、パンデミック。

歴史的にも、パンデミックの後、世界は変わるそうです。

コビット19で、歴史は、世界は、日本は、どう変わるのか、とても、とても、楽しみ。何とか見届けたい。

本日はここまでとします。

 

それでは、また。

 

 

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『人新世の資本論』⑤ 遠ざけ・見えなく・忘れさせ・そして戦争放棄と主権放棄!

2022年01月20日 | 世間話し

前回の続きです。

惚け防止対策で『人新世の資本論』を読んで、綴って、記憶と記録に残す作業を続けています。

本日は第一章、小見出し「7.犠牲を不可視化する外部化社会」から始まります。

『代償を遠くに転嫁して、不可視化してしまうことが、先進国社会の「豊かさ」には不可欠』と、ミュンヘン大学の社会学者シュテファン・レーセニッヒさんが指摘しているそうです。

これって、前回の「犠牲に基づく帝国的生活様式」と、ほとんど同じ事ですね。

「犠牲は、遠ざけて、見えなくして、当事者以外には、気付かせない」この方式は古今東西、支配する側の常套手段です。

この典型が沖縄の基地問題です。今回、米軍基地を発生源とした、コロナ感染の拡大で、米軍基地の存在があらためて注目されました。

沖縄以外でも、「まん延防止措置」がとられた、山口県の岩国、隣接する広島でした。岩国基地は海軍と海兵隊が共用する航空基地で、沖縄の嘉手納よりも戦力的に上回り、国内最大の米軍基地だそうです。

米軍基地は、入国も出国も、検疫も、あらゆる物の持ち込みも、持ち出しも、みんな、みんな、自由なのです。日本の領土ではなく、アメリカの領土なのです。

日本国憲法の上位に、日米安保条約、それに基づく日米地位協定があるのです。1945年にアメリカに負けて、77年の歳月が流れました。いったいいつまで、この従属的関係が続くの?

「遠ざけ・見えなくして・忘れさす方式」ですが、でも、見ようと思えば、見えるのです。面倒だから!日常生活には支障が無いから!見たくない!気づきたくない!

まあ、そんな事だと思います。兎に角、面倒な事には関わりたくない!は、それなりに人情なのです。

でも、こんな日米関係を、世界は、特に当事国のアメリカは、きっと、きっと、日本はいつまでも、どこまでも、こんな従属的関係に耐えているの?人間として、国民として、国家として、矜持はないの?と、思っている筈、笑っている筈。

でも、これって、もしかして、もしかして、敗戦時に秘密協定で、日本はアメリカに対して、国家の統治権・主権を放棄させられていた? そうとしか考えられない卑屈で、屈辱的な態度。

戦争放棄と主権の放棄、ありそうかも?もしかして?天皇制の存続を条件にしていたりして? まあ、それは、いくら何でも、と、思いますが・・・・・・。

ですが、いつでも、どこでも、何にでも、アメリカに遠慮して、物が言えない日本、やっぱり、無くも無い話し。

話しが、かなり、かなり逸れてしまい、危険な領域に踏み込んだかも?

それで、話しはすこしだけ戻して「グローバル・サウス」と云う言葉ですが、著者の説明では「南北の位置関係が必然では無くなりつつある」として、従来の「南北問題」と云う言葉と置き換えた、との主張。

以前より気になっている、この言葉、その筋では、それなりに使われている?と思って調べて見たところ、著者の斉藤幸平さんだけが使用しているみたいでした。

南北問題の英語表記は 『Global North and Global South』で、直訳すれば、「地球的北、地球的南」となります。

前回か、前々回で、「グローバル・サウス」と云う表現は、グローバル化で東西南北は無くなったので、変だと書きました。

しかし、私の解釈は浅くて、狭くて、局地的解釈だと、先ほど気付きました。

著者が「南北問題」を「グローバル・サウス」と表現したのは、「サウス」と云う言葉に、「地球的南」が意味する、搾取、犠牲、差別、貧困等を込めていたのでした。

「サウス問題」は世界の至る所に広がり、存在するとして、「グローバル・サウス」と表現したのです。学者ですから言葉は厳密に使用しているのでした。

と、云うことで、人新世の資本論はここで終わります、

それで、オミクロン株の感染拡大ですが、「まん延防止等特別措置」ですが、過去に5回も出されていますが、一度も防止した実績は無く、緊急事態に移行します。

いきなりの緊急事態では、いろいろと差し障りがあるので、先ずは「まん防」でそれなりの受け入れ準備、そして緊急事態、との手順だと思います。

過去5回の状況から、緊急事態が発せられると感染拡大が収束に向かう、と、云うよりも、ウィルスの「自壊」が始まるタイミングで、緊急事態が発せられている、そう感じるのです。

それで、今回、まん防、緊急事態の発出基準を緩め、遅らせ、緊急事態の発出は極力さけ、まん防段階にウィルスの自壊タイミングを合わせ収束させる。そんな政府の狙いを感じるのです。

緊急事態は、早すぎても、遅すぎても、どのタイミングで出しても、評判が悪く、内閣支持率低下を招く、とても、とても、禁じ手なのです。

その点、まん防は言葉の響きからして、世間の受け止めは穏やかになり、内閣支持への影響は極力抑えられるのです。

まあ、兎に角、もう、そろそろ、コビット19は収束ではなく、終息向かうことを願っています。百年前のスペイン風邪も2年で自然終息しました。

と、本日も、あっち、こっちに、とっちらかりましたが、これでお終い。

 

それでは、また。

 

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『人新世の資本論』④ 格差と貧困!非正規雇用の拡大はグローバル・サウス問題

2022年01月17日 | 世間話し

前回の続きです。

ぼけ対策、ぼけ予防で『人新世の資本論』を読んで、綴っています。

今回は第一章の小見出し、

5.「グローバル・サウスで繰り返される人災」から、はじまり、はじまり。

先ずは、「グローバル・サウス」の説明から、

『グローバル化によって被害を受ける領域並びにその住民を指す。・・・以前は南北問題と呼ばれたが、現在、新興国の台頭や、先進国への移民増大によって、南北格差は地理的位置関係が無くなりつつある』

まあ、そう言う事なんだそうです。

ですが、私としては、グローバル化と云いつつ、「サウス」を使うのは、ちょっと、ちょっと、矛盾を感じるのです。

グローバル化で「新興国の台頭、移民増大で地理的位置関係が無くなりつつある」ならば、「サウス」要らないと考えます。

貿易ルールの統一、労働市場の世界的平準化等々により、市場原理主義、競争原理主義、新自由主義で、世界は「もろだし資本主義」で「金儲け正義」となり果て、世界は、格差と貧困、1%と99%、富の偏在の時代となったのです。

まあ、本書でも、追々語られる筈ですが、一応、一言だけ云わせて貰いました。兎に角、グローバル化ですので、今や、東西南北は無くなったのです。

それで、小見出しのタイトルは「グローバル・サウスで繰り返される人災」ですので、繰り返される人災として、メキシコ湾の原油流出事故とか、多国籍アグリビジネスによる熱帯雨林での火災とか、商船三井のモーリシャス沖重油流出事故とか、挙げられています。

はい、次ぎに進みます。

小見出し「6.犠牲に基づく帝国的生活様式」です。

この「帝国主義的生活様式」と云う言葉は、2名のドイツの社会学者、ウルリッヒ・ブラント、マルクス・ヴィセンが、グローバル・サウスからの資源・エネルギの収奪に基づいた、先進国のライフスタイルをそう呼んだそうです。

と云うことは、ふたりは「南北問題」と表現していた時代の学者?

そして、『問題は、グローバル・サウスの人々の生活条件の悪化は、資本主義の前提条件、南北の支配従属関係は、例外的事態ではなく、平常運転なのである』

これは、もっと、ストレートに「資本主義はグローバル・サウスの犠牲を必要としている」と、表現すべきでは?

やはり、グローバルでも、未だ未だ南北問題が主?サウスの生活条件の悪化例として、バングラデシュでの、ファースト・ファションの縫製工場崩壊で、千人以上の死者が発生した事故とか、採り上げられて居ます。

ここで、サウスの犠牲について一言。最近、巷では「フェアトレード」なんて事が云われるようになりました。

自分たちが買う商品が、何処で、どのような環境で、どのような人達によって、どのような労働条件で、どのような取引条件で、造られ、流通し、販売されているのか、そこに不正は無いのか、何て事が問われ始めています。

悪いことではありませんが、資本主義は「フェアトレード」では成立しません。これは資本主義の問題を、単なる道徳やモラルの問題にすり替え、自己満足、自己肯定感を得る為だけの行為です。

それで、先進国の「貧困・格差拡大」、特に日本における「非正規と正規」の賃金格差は、これこそ「グローバル・サウス」の、身近な典型だと考えます。

現在、低賃金で、いつでも、何処でも、解雇自由の、非正規労働者を必要としているのは、例外的事態ではなく、必要条件なのです。

先日、日本郵政で、正規と非正規の格差解消策として示されたのが、正規の条件を、非正規に合わせて、格差を解消する策でした。

そんな時代が、いつか来ると思っていたのですが、早くも現実となりました。

格差と貧困は、世界的な問題で、資本主義の問題です。  

周辺からの収奪によって発展してき資本主義は、グローバル化で周辺部は開発し尽くし、サウスだけではなく、ノースの労働者に向かっているのです。

最近、巷では、チラホラと資本主義の限界が語られ始めています。

あの岸田首相もそれなりに、「新しい資本主義」なんて云い始めました。古い資本主義と何処が異なるのかは、良くわかりません。

そのひとつとして税制面の優遇で、賃上げ誘導を狙っているようですが、安倍チャンと変わりません。そんなことで可能ならば、とっくの昔にやっているのです。

現在、資本主義にそんな余裕はありません。「格差と貧困・非正規雇用」は必要条件なのです。

と、云う事で、今回は此処までとします。

 

それでは、また。

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『人新世の資本論』③ 資本主義システムそのものに挑む!

2022年01月12日 | 世間話し

前回の続きです。

『人新世の資本論』を、惚け防止の為、読んで綴って、記憶と記録に留める作業を行っています。

前回は本のページを前後して、思いつくままに書き散らし、頭の中もとっちらかってしまったので、今回よりそれなりに各章・各小見出しに沿って綴っていきます。

それでは前回に多少触れた『第一章 気候変動と帝国主義的生活様式』です。小難しい小見出しが二十あります。

1.ノーベル経済学賞の罪

これは、それなりに前回触れたので割愛。 

2.ポイント・オブ・ノーリターン

『気候危機はすでに始まっている・・・急激で不可逆的な変化が起きて、以前の状態に戻れなくなる地点「ポイント・オブ・ノーリターン」は、もうすぐそこに迫っている

2100年までの平均気温の上昇を、産業革命前の気温と比較して1.5度C未満に押さえ込む行動計画。

そのために、「2030年」までに二酸化炭素の排出量の半減、2050年までに排出量ゼロを目指す。しかし、現状の排出ペースでは、2030年に1.5度Cラインを超え、2100年には4度C以上の気温上昇が起こる』

ここでお詫びと訂正で、一回目で二酸化炭素とか、温暖化とか、気候変動とか、海面上昇とか、排出ガス規制とか、SDGsとかを声高に叫ぶ連中は怪しいと書きました。

この表現は、とても、とても、十把一絡的で誤解を招くと反省しています。叫ぶ方々の中には、清く正しく美く、将来の地球環境を憂い活動されている、個人や組織も間違いなく存在します。

でも、しかし、です。主導権を握っているのは、金儲を目的とした連中だと思っています。温暖化対策は単なるお題目で、脱炭素で、ゲームチェンジで、新しい投資で、新しい商売で、一儲けを企んでいます。

それで、そんな企みと、思惑の象徴が、中国、欧州、米国、日本が絡んでの「2030年」とか「2035年」とか、化石燃料を使用した車の販売規制です。

これって、気候変動対策に乗じて、日本の自動車メーカー、特に、トヨタ攻略を狙っています。この覇権争い、日本のメーカーの敗北が決定的?になりました。

EV化は世界の流れとなり、トヨタも流れに抗しきれず、最近になって新たなEV化計画を発表しました。

内燃機関から電動モーター化で、自動車産業は大きな構造変化で、またしても家電・半導体の道を辿り、日本は衰退の道を辿る?と、巷では囁かれています。まあ、私もそう思ったりしています。

話しがながくなるので次。 

3.日本の被害予測

 ここは割愛。 

4.大加速時代

『私たち現役世代が無関心でいることは許されず、いまこそ「大きな変化」をはっきりと求め、起こしていく必要がある』

私としては耳が痛い言葉。求めもせず、起こしもせずの日常。そして車はガソリンを燃やして走ってます。

『本書が最終的に掲げたい「大きな変化」とは、資本主義システムそのものに挑むことである』

ここで、すっごい事が語られます。「資本主義システムに挑む」のです。「資本主義体制に挑む」と表現すると、「共産主義」とか、「革命」とか、そして、「ソ連」とか、「中国」とか、「北朝鮮」が頭を過るのです。

でも、しかし、「システム」と表現し、「体制」と表現しなかったところが、この本の「味噌・醤油・味の素」で(←とっても昭和的で好き)、それなりにマルクス主義・共産主義に対するマイナスイメージを考慮したのです。

ここが、とても、とても、本書『人新世の資本論』の肝なのです。でも、しかし、著者は上記の後に、

『だが、そのような非現実的に見える要求を先走って掲げる前に、まずは気候変動という形で顕在化している環境危機の原因についてきちんと考える必要がある』

と、来たので、私としては、オットットッです。著者はそれなりに、

『資本主義システムそのものに挑む』と、初っ端から大見得を切ったり、

『非現実的に見える』何て、それなりの不安を覗かせたり、

『環境危機の原因についてきちんと考える必要がある』と、

まあ、そこは当然、学者先生ですから、それなりに結論に至った、証拠、裏付け、科学的根拠を提示するのです。

と、まあ、ここ迄で、第一章の小見出しの4です。小見出しは20あります。これは、これは、かなりの長旅、まあ、何処まで続くかは、私にも分かりません。

兎に角、今回は、ここで終わります。

それでは、また。

 

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『人新世の資本論』② 欧米は気候変動で!日本は地殻変動!

2022年01月04日 | 世間話し

年が明け2022年となり、今年最初の更新です。

前回の続きになります。

『人新世の「資本論』を読んでいます。

タイトルが小難しいですが、中味もそれなりに小難しい。

それでも、惚け防止対策としてページを捲っていきます。

それでは第一章「気候変動と帝国的生活様式」です。このタイトルも、かなり小難しい。帝国的生活様式なんて言葉は、ふつうの人は日常的には使いません。

紹介が遅れましたが、著者は「斉藤幸平」さんと云い、1987年生まれですから現在34歳、大阪市立大学大学院経済学研究科准教授で、専門は経済思想、社会思想だそうです。

出版は2020年9月22日で、私が購入したのは21年9月14日の第15刷りです。一年で15刷り、かなりのベストセラー本です。たぶん40万部近く売れていると思います。

※斉藤幸平さん、このところTV出演が続いています。いずれもNHKで、一本は1月1日放送のBS1スペシャル「欲望の資本主義2022 成長と分配のジレンマ」、もう一本は1月3日Eテレの「100分deパンデミック論」、どちらもこと録画はしましたが、未だ観ていません。

それでは、本論に入ります。

先ずは、冒頭から2018年にノーベル経済学賞を受賞した、イェール大学のウィリアム・ノードハウス批判です。この方の専門は気候変動の経済学で、気候変動を経済学に取り入れた先駆者で、炭素税導入を提唱した方だそうです。

「経済成長と新しい技術があれば、現在と同じ水準の自然環境を将来の世代のために残しておく必要はない」と主張していた方がノーベル賞。

かなり、かなりの楽観論で、一部の?環境運動家から受賞決定に対して、厳しい批判の声が上がったそうです。

それで、そもそもですが、気候変動とか、異常気象とか、温暖化が世界的に問題となりつつあった1988年、「ICPP・・・気候変動に関する政府間パネル」が、「UNFP・・・国連環境計画」と「WMO・・・世界気象機関」によって設立されたのです。

1988年と云えば、いまから34年も前の話しです。私が未だ30代後半の頃です。ずっと、ずっと昔の事だったのです。

そして、気候変動に注目した世界は、手に手を取って対策に取り組むことに・・・、とはならなかったのでした。

それは、何故だったか?と云えば、答えは、翌年1989年に「ベルリンの壁」が崩壊し、ソ連が崩壊し、共産圏が崩壊し、資本主義の勝利で冷戦が終結しからです。

これが、とても、とても、環境を悪化させる原因となったそうです。なるほど、そうか、そうかのお答えです。

わたしも、かねてより、社会主義という競争相手があってこそ、資本主義はその本性を「もろだし」せず、それなりに社会に、労働者に、富を分配していたのだ、と考えます。

競争相手が居なくなれば、資本はやりたい放題になり、市場原理が、競争原理が、アメリカ型の新自由主義が、世界を覆い、日本も覆い、構造改革とか、郵政民営化とか、「アベノミックス」何て政策も生まれたりしたのです。

データ的には、人類がこれまで使用した化石燃料の、なんと、なんと、約半分は、冷戦が終結した1989年以降のものだそうです。当然、結果として二酸化炭素の排出量も急拡大したのです。

それで、タイトルにある「帝国的生活様式」なのですが、簡単にバッサリと云えば、強い表現としては「強い国が弱い国を支配し富を奪いとる」事です。

弱い表現では「弱くて貧しい国の犠牲の上に成り立っている、強くて豊かな国の生活」の事です。

日本も当然、帝国的生活様式なのです。ガソリンも、衣類繊維、食料、牛肉・豚肉・鶏肉から、バッテリーの希少金属まで、海外へ依存する日本。その末端では、長時間、低賃金、危険な労働環境、そして児童労働等で支えられているのです。

いわゆる、「南北問題」、そして中心と周辺、資本主義の拡大・成長には常に、未開の地、未開の市場、未開の低賃金の労働力が必要なのです。

翌年1989年に「ベルリンの壁」が崩壊し、ソ連が崩壊し、共産圏が崩壊し、資本主義の勝利で冷戦は終結。

資本主義は、新たに共産圏の市場と低賃金の労働力を手に入れ、経済はグローバル化し、金融化し、アメリカに一極化したのです。

そして、30年の歳月を経過し、世界は米中の二極化へと向かい、貧困と格差は拡大し、二酸化炭素の排出量は増加し、百年に一度の災害が毎年起き、世界は対策を迫られているのです。

ところで、欧米と云うか、特にヨーロッパでは、気候変動・温暖化への関心が高く、政権選挙において気候変動・温暖化対策が大きな政策課題となっています。

それに比べて、我が日本では、それほどと云うか、あまりと云うか、気候変動で大変な事に、と、云うよりも、それよりも、二酸化炭素の削減対策で経済が大変な事に、と、受け取られている風に見えます。

まあ、二酸化炭素削減の筆頭、車のEV化を巡る争いですが、これは明らかに米、欧、中は、日本の自動車産業を標的にした、覇権争いが絡んでいると思います。

欧米の自動車メーカーは、化石燃料の排ガス対策でも、ハイブリッドでも、日本に後れを取り市場を奪われてきました。EV化は巻き返しのチャンスなのです。

この争いには、後発の中国も加わり、世間で危惧されているように、EV化シフトで日本自動車産業は追い詰められ、追い越される、家電、半導体と同じ運命を辿る予感がします。

これからは、日本は中進国として、それなりに、目立たず、温和しく、ゆっくりと、静かに、こころ豊かな国を目指しましょう。

話しを戻し、それで、欧米は温暖化で、熱波で、毎年死者が発生したりしていますが、日本で一番心配される自然災害は、地震と津波です。まあ、そんな、こんなで、気候変動・温暖化への関心が薄いのかも知れません。

兎に角、欧米は気候変動で、日本は地殻変動なのです。

話しが、あっち、こっち、と、いつものように飛んで、本の内容から幾分それてしまいました。

長くなったので、ここらで終わります。

最後までお付き合い頂きありがとう御座います。

この続きは次回と致します。

 

れでは、また。

 

 

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