歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

千鳥ヶ淵で櫻を観賞 ⑤ イスラムの方達!そして眼下に千鳥ヶ淵を!遠くに吹き上げ御所を!眺望一番の三番町の高級マンションにはどなたがお住みなの?   

2017年04月17日 | 東京の風景

前回の続きです。

我が家の近所の櫻は昨日でほぼ散りました。

それでも、千鳥ヶ淵のお花見は続きます。

本日のコースは千鳥ヶ淵の土手?を歩き、内堀通りに突き当たった処で右折して北上し、「墓苑入り口」の信号を右折し、戦没者墓苑に沿って墓苑の入り口手前まで歩きます。

 

ここが千鳥ヶ淵交叉点、右に曲がります。

 

左手が内堀通り。

墓苑入り口を右折します。あちらからイスラムの方達が歩いて来ます。

ちょっと見、観光客ではなさそうです。たぶん。

それでも、やっぱり、お花見?

以前、地元のショッピングモールで見かけた2~3歳ぐらいの女の子が、全身イスラムファッションで、とても、とても、可愛かったのです。この集団はイスラムファッションのオバサン達しか居ませんでした。

この辺りが、一番混み合っていました。櫻もそれなりに、混み合って咲いています。

それで、この着物姿の女性ですが、道の反対側に建つマンションを指差し、傍らの女性と話しをしているのです。櫻よりもマンションに興味があるようです。

何か、とても、高級そうなマンションです。何と云っても、千鳥ヶ淵を、皇居を、見渡せる都心の一等地です。相当に高級で、相当にお高い筈です。 

買える訳など絶対!に無い物件ですが、兎に角、お値段を知りたくなってネットで調べてみました。

ありました!皇居の周辺ですから三菱地所の物件でした。千代田区三番町の「ザ・パークハウス グラン 千鳥ヶ淵」と云うそうです。竣工は2015年3月、地上14階、地下2階建。

全戸数は73戸で、販売対象22戸で、全戸1億円以上で、最高価格が5億4200万で、最多価格帯が2億7000万円だそうで、即日完売だったそうです。

賃貸が23戸あるそうで、販売が22戸で賃貸23戸で、73戸-(23戸+22戸)ですから、残りの28戸はどうなっているのでしょう。一般販売前にお得意さんに優先販売?

坪単価は800万円前後で、2008年のリーマンショック以降に新築分譲されたマンションの中では坪単価が最高額のマンションとして、富裕層や業界内でも大きな注目を集めたそうです。

即日完売で、平均倍率が5.09倍で、最高倍率が13倍だったそうです。たぶん、最高価格の5億4200万円の部屋が最高倍率では?と思うのです。その筋の情報として、バカ高い方が人気があり、売れるらしいのです。

因みに、現在の賃貸物件では、4階の3LDK(120.65m2)で、賃料は92万円だそうです。安いと思う方もいるし、バカ云ってるんじゃねェ!と思う方もいるし、世間はそう云う事なのです。

しかし、こういう処にお住まいの方は、緊迫する朝鮮半島情勢とか、トランプ政権とか、安倍政権とか、経済情勢とか、秘密保護法とか、共謀罪とか、教育勅語とかに付いて、どのようなご意見をお持ちなのでしょうか?・・・・・・。

兎に角、これで、一応、千代田区三番町の「ザ・パークハウス グラン 千鳥ヶ淵」の物件情報を終わります。

興味がお有りのお方は、三菱地所レジデンスにお問い合わせ下さい。その際「歩く・見る・食べる・そして・・・少し考える」で見たと、告げると・・・・・・特に何の特典もありません。

さて、冗談はこれくらいにして、花見は続きます。

大変な人出で、救急車も出動です。70代と覚しき男性が付き添って乗車していました、たぶん、奥さんが急病? 救急隊員も旦那もそれほど慌てていませんでした。 記憶に残るお花見になった?

満開の櫻。傍らには、櫻は観賞するだけで枝を折るな!立て看板が、英語、中国語、ハングルでも書かれています。今時、櫻の枝を折る人は酔っ払いでも居ないと思うのですが、よその国の方達に危ない人が居るの?

櫻は、眺めて、写真に撮って楽しみます。

ホント!ラッシュアワーの車内状態。

この辺りで、ちょっとした広場に出て、やっと、一息。

千鳥ヶ淵のお花見は、まだ、まだ、続きます。

 

それでは、次回。

 

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千鳥ヶ淵で櫻を観賞 ④ アイスクリーム屋さん生活を賭けての強行販売?かなり繁盛してました!   

2017年04月14日 | 東京の風景

前回の続きです。

千鳥ヶ淵を歩いています。

前方に移動販売車を発見。こんな場所は通常は駐停車禁止です。お花見シーズンとは云え、いくら何でも販売活動などの許可は下りない筈。でもしかし、それなりに生活を賭けての強行営業。

アイスクリーム屋さんです、オバチャン達が群がっています、商売はそれなりに繁盛の様子。

櫻は所々に、

土手に上がったり、下りたり、いろいろな角度から櫻を観賞。首都高環状線はよく走りました、桜の季節は車窓から一瞬の花見。本日初めてしっかり、じっくりのお花見。

のんびり、ゆったり、花見の散歩。

この辺りが一番かも?

写真を撮る人を撮る。

海外からのお客さんも一枚パチリ。

千鳥ヶ淵をこの角度から映し出す報道を眼にします。こんな処からカメラを構えていたのです。

櫻に、首都高に、ボートに、高層ビル、こんな感じの写真を良く眼にします。

いろいろな人が歩いています。

道路の向かいは皇居。いろいろな人が通りますから警戒は怠らないのです。でも、皇宮警察の若いお巡りさん、カメラを意識して?下を向いています。

こんな場所で、シートを敷いての花見の宴会? ちょっとと云うか、かなり落ち着かない花見では・・・?

見上げれば、ほぼ満開の櫻。

この櫻、立ち姿が、とてもヨカッタです。

千鳥ヶ淵の櫻鑑賞は、まだ、まだ、続きます。

それでは、また。

 

※業務連絡

  さかいクン、お米が昨日の午後3時頃に届きました。ありがとう御座います。

 

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千鳥ヶ淵で櫻を観賞 ② 定番はボートに乗って櫻の観賞ですが2時間待ちだそうです 

2017年04月09日 | 東京の風景

前回の続きです。

千鳥ヶ淵を目指していす。

こちらは、未だ手前の牛ヶ渕からの眺めとなります。正面に田安門の屋根が櫻の間からが少し見えます。

ここで、皇居の位置関係を説明したいと思います。わたくし、どうも、その場所の周囲はどうなっているのか?が、気になる質なのです。

先ずは、皇居の全体像です。東京駅丸の内口を直進すると、そこは皇居となります。

そして、皇居の北方向に北の丸があり、工芸館があり、科学技術館があり、武道館があり、千鳥ヶ淵があるのです。壕を隔てて、靖国神社、昭和館、千鳥ヶ淵墓園があります。

 

こちらは北の丸公園の案内図です。わたし達は武道館に近い、「田安門」から北の丸公園に入ります。

牛ヶ渕と千鳥ヶ淵を分ける土手?を通り田安門に向かいます。

ホントに人の群れです。

土手からの眺めはこのようになっています。短い煙突風の建物が昭和館、となりが九段会館となっています。ビル群と、お堀と、櫻、なかなかの眺め。

兎に角、天気が良いので、人はいっぱい、

いっぱい、くり出しているのです。やはり、この季節、日本人は、何が何でもお花見と、家から飛び出し駆けつけて来るのです。この私もそのうちの一人、いや、今日は二人で駆けつけて来ました。

ハイ!お待たせしました。こちら側が、彼の有名な千鳥ヶ淵。

千鳥ヶ淵と云えば、ボート。

こんな風景をテレビ画面で眼にするのです。この方達は、この為に、ボートを借りるのに2時間も耐え、いま、櫻の下に入るために、またも順番待ちをしているのです。

きっと、きっと、上からカメラを構えている人達よりも、堪え忍んだ分、喜びも、感動も、たぶん数倍えられるのでしょう?話しのタネにもなりますしね。

ハイ、こちらが、感動も喜びも、数分の1?と思われる皆さん。

土手から、靖国通り方面の眺め。

こちら田安門。

田安門をくぐると直ぐに左手には武道館となります。

 こちらの櫻も見事です。

門から入って来る人、出て行く人。

この日、武道館では“専修大学の入学式”が行われていました。時間は1時を15分ほど過ぎていました。明日の準備を始めていました。

櫻の季節は入学式の季節、それにしても、なんと、まあ、素敵な事です。年度の初めを、この季節に決めたのは、いつの頃から、何処の誰が決めたのでしょうか?

まあ、確かに、寒い冬が終わり、暖かい春が来ると、植物も、動物も、みな目覚め、新しい季節の始まりを感じるのは、とても、とても、自然なことなのです。

こちらも、新しい季節の始まりを祝って真っ昼間から宴会が執り行われています。わたくし、お花見だからと云って、いくら何でも、皇居の中での飲酒は御法度だと思い込んでおりました。

でも、しかし、この北の丸公園のこの一画だけは、呑んで、歌って、踊って、無礼講なのでした。たぶんカラオケは禁止なのでしょう。

天気は良いし、暖かいし、酒は美味いし、そして、そして、櫻は見事に咲いているし・・・、もう、見ていて、ホント!羨ましい!

現在の地点は、赤バッテン印 の池に架かる橋の付近に居ます。

これより、千鳥ヶ淵を一周したいと思います。

この続きは次回。

それでは、また。

 

 

 

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千鳥ヶ淵で櫻を鑑賞 ① 暫くぶりの都心に興奮しました!お上りさん気分を満喫しました!

2017年04月06日 | 東京の風景

昨日は、もう、5月の気候で、最高のお花見日和で、とても、とても、楽しめました。

かねてより、“一度は”と思っていた、お花見シーズンの定番、“千鳥ヶ淵”に行って来ました。

先ずは、常磐線で北千住へ、そして、千代田線に乗り換え、新御茶ノ水で下車、改札を抜け、B-5出口を目指して地下道を200メートルほど歩き地上に出ました。

ふり返って出口をパチリ。これより靖国通りを歩き千鳥ヶ淵を目指します。約1.5㎞ほどの距離です。

それにしても、都心は人がいっぱい歩いているのです。むかし、東京に住み働いて居た頃は何とも思わなかったのですが、ホント!東京は毎日がお祭りのような人出です。

人混みは疲れます、でも都会暮らしの人々は、疲れを、ストレスを感じなくなっているのです。でも、しかし、それは、自覚が無いだけなのです。

でも、しかし、天気が良くて、久しぶりの都心で、千鳥ヶ淵でのお花見ですから、ワクワク、ドキドキで興奮するのです。カメラをアチラこちらに向けて、撮りまくります。本日は連れ合いも一緒です。

この辺は、スポーツ用品店が多く、本屋さんもあります。

こちらは、コンサイスの三省堂です。

こちらは、価格表示で、最近、何かとお騒がせのABCマート。

ま直ぐ行くと靖国神社で靖国通り。

はい、こちら、毎度、お世話になっているサイゼリヤです。ここで予定どおりランチタイム。入店が11時半で待つ事15分でテーブルに付き、ランチセット500円にドリンクバーが110円。ホントは生ビールが飲みたかったのですが、トイレが心配で断念。

ランチを済ませ、トイレを済ませ、いざ千鳥ヶ淵です。しかし、それにしても、ダークスーツ姿の新入社員風から定年間際風の男女が、とても、とても、眼につきました。4月は、いろいろあって、あいさつ廻りに忙しい?

内堀通りとの交差点の左手方向に九段会館が見えて来ました。千鳥ヶ淵はもう直ぐそこです。

靖国神社の鳥居も見えます。九段坂を大勢の、まさに人波が押し寄せて来るのです。花見客とか、武道館での入学式帰りとか、靖国神社の参拝帰りとか、兎に角、“ゆるい下り坂”のため人波が“強調”されて見えるのです。

ひとり杖を手に信号待ちの「白髪のおばあちゃん」は靖国神社の参拝帰りのようです。ご苦労様です。気を付けてねェ!我が家の白髪の94歳のオバアチャンは本日はお留守番です。

歩道を渡って直ぐ左手に昭和館。覗いて見たかったのですが、本日はお花見の為、ちらっと横目で眺めて通過。

昭和館の裏手は、もう、そこは御堀端。カメラを構える人々がいっぱい、いっぱい、こちらも、何故か、遅れてはならじと、カメラを構えます。

人々は、皆さんこちらの“牛が淵”にカメラを向けています。

テレビ中継で映し出される、春の定番「千鳥が淵」は、ほんの少し先になります。

それにしても、ざっと見、外国人観光客の混入率は20~30%ぐらいです。

この続きは次回。

 

それでは、また。

  

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志村坂下・蓮根町 ⑮ スダジイで「こころ旅」で火野正平で山手線か?山の手線か?で占領軍の影が! 

2017年03月30日 | 東京の風景

一週間とちょっとのご無沙汰でした。

東京歩き、志村坂下・蓮根町シリーズです。

そして最終回です。

兎に角、歩いたのは1月の7日で、今日は3月29日で我が家のご近所でも、ちょっぴり櫻が開花しました。

そして、朝のウォーキングでマスクを外しても、眼も鼻も異常無しになりました。スギ花粉は峠を越えたようです。まあ、歳の所為で身体も年々花粉に過剰に反応する能力が低下したようです。

まあ、兎に角、それで、氷川神社に居るのです。

境内の木々は板橋区の保存樹木に指定されていました。

スダジイだそうです。所謂、ドングリの木です。

ちょっと調べたら、驚きの事実が判明しました。もしかして?驚くのは私だけ?

スダジイのドングリは食べられるようなのです。それも生でもOKだそうです。ドングリはすべて食べられないと思って、60有余年生きてきたのです。椎茸のホダ木もシダジイだそうです。

スダジイは鎮守の森の代表だそうです。もしかして、飢饉に備えて植えたのでしょうか?アオダイショウなどの住処になっていることもあるそうです。以前、我が家の庭にも青大将は姿を見せたことがありました。 

そう云えば、思い出しました。あの、「こころ旅」の自転車オジサン火野正平が以前生で囓っている場面がありました。

それにしても、「こころ旅」は7年目に入ったそうです。火野正平が自転車に乗れなくなるまで続きそうです。彼と私はほぼ同年齢。

それで、兎に角、話しは氷川神社を後にして、帰途につくのでした。都営三田線の駅を目指すのです。

蓮根駅前通りに出て、さて、右に行くか?左に行くか迷ったのですが、右に曲がった方が巣鴨に近く乗車料金が安いと判断。

地下鉄の高架?を辿って駅を目指します。

高架下を通って左に曲がります。

駅が見えて来ました。

志村三丁目駅です。

こんな処に駅があるのです。駅前広場もありません。バス停もありません。お洒落な店もありません。でも、都営三田線なのです。

都営三田線は板橋区の外れから、都心の大手町、日比谷を通り、三田、白金、高輪、目黒まで通っています。ここも東京、ここが東京、これでも東京と、沿線の風景は驚くほどの変化するのです。 

Suicaで改札を通過します。地下鉄ですが階段を登ります。

ホームにはホームドアが設置されています。

志村三丁目の先で、三田線は本来の地下鉄になります。

巣鴨で降りて、JRは、アレッ!山の手線?山手線?どっちだったっけ? はい!直ぐに調べます。

調べました。そうでした! 山手線と書いて「やまのてせん」が正解でした。第二次大戦後、占領軍の命令で「山手」と書いて、「やまのて」は判りにくいので、「やまて」となったのです。

そして、1971年に駅名に「ふりがな並記」が決まったとき、「やまて」から、歴史的経緯を考慮して、本来の「やまのて」に戻ったのでした。こんな処に戦争の影が、占領軍の影があったのでした。

私は1950年の生まれですから、物心が付いた頃には「やまてせん」でした。そして、21歳になって「やまのてせん」となり、いまでも、時々、どっちだか?判らなくなるのです。

1971年頃までは、「やまのてせん」と云うと年寄りと見られ、若い人は「やまてせん」と呼んでいたのです。

そして、いまでは、若い人は「やまのてせん」で、年寄りはいまだに「やまてせん」と呼ぶ方がいるのでした。

兎に角、まあ、わたしには「やまのて」でも、「やまて」でも、この際、どっちでもイイのです。

兎に角、都営三田線志村三丁目から、巣鴨で山手線に乗り換え、上野で常磐線に乗り換え、帰宅の途に着いたのでした。

と、云う、事で、今回の「志村坂下・蓮根シリーズ」は、どっちでもイイ話しで終わります。

 

それでは、また。

 

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志村坂下・蓮根町 ⑭ 懐かしの氷川神社で!幼稚園に!コヨリに!お祖母ちゃんに!思いを巡らします

2017年03月20日 | 東京の風景

志村坂下を、蓮根町を、まだまだ歩いています。

やぶ岩で550円のタヌキそばを食べ終わり、目指すは氷川神社です。

このバス通りは、十数年前までは、年に一度か二度は車で通り過ぎる事がありました。車窓からチラチラと横目で景色を懐かしんでいました。

そして、本日、ゆっくり、ゆっくり、懐かしのあの頃に思いを巡らし、想い出に浸りながら、歩きまわります。

この交叉点の、角から二軒目のビルは、小学校の同級生の「やまぐちクン」の家です。

「ヒコー堂 山口書店」彼の家は、昔から文房具と本を商っていたのです。私の方は山口クンを記憶していますが、山口クンは間違いなく私の事を記憶していない筈です。真ん中の子が山口クンです。

店の前には池袋行きのバス停がありました。このバスに乗って池袋のデパートに行って買い物して、大食堂で「お子様ランチ」を食べるのが、当時、我が家の一大イベントでした。今は何処行きのバスが通っているの?

あの頃、東口には三越、西武、丸物が、西口には東武と、4つのデパートが池袋にはありました。三越は何か高級そうで縁がありませんでした。西武と丸物が行き付?でした。

いまでもあの頃のデパートの夢を見ることがあります。屋上の遊園地にお子様ランチは、とてつもなく心躍らす夢と感動の世界だったのです。

神社を目指して、大東文化大の方向に歩きます。

見えて来ました。

変わらない風景です。

 大正13年(1924年)にこの地に「還座」したようです。そうすると、私が子の地に生まれたのが1950年ですから、私よりも26年先輩なのです。と云うことは、あの当時はそんなに古くは無かったのです。

この佇まい、そう、こんな感じです。

この石畳に石橋、とても、とても、何か、落ち着いてしまうのでした。ひんやりと湿っていて、苔のような神社の匂いを感じます。

本殿?拝殿?は鉄筋コンクリート製で新しそうです。

実は、実は、わたくし、そのむかし、この本殿の前で記念撮影をしているのです。

幼稚園の頃の写真です。全員紙で折った兜を被っているので端午の節句、こどもの日の記念写真のようです。 

あの頃の私にズームアップします。

 

なかなかの面構えです。とても、とても、悪戯小僧だったようです。

この頃、親爺の自動車修理工場の景気がよかっようで、長屋住まいの身には、幼稚園は身分不相応だったのです。たぶん一年ほどしか通わなかったと記憶しています。

それで、幼稚園と云うと、今でも、時々思い出すと、とても、とても、とても、悲しくも寂しい、胸キュンの想い出があるのです。

当時、幼稚園の送り迎えは父の母(私の祖母 )がやっていました。父は母親が50代前後にできた子供で、当時は80歳近かったと思います。いつも着物姿でした。

ある日、幼稚園に行く途中で、私が突然思い出したのです。前日に先生から「明日は“???”を一本持ってきましょう」と云われて、細い紙の紐を見せられたのです。

今にして思うと、それは、当時、ホッチキスの無い時代、閉じ紐として、事務用品として、閉じ紐として、一般的に良く使われていた「コヨリ」だったと思います。

私はもちろん、事務用品とは無縁なお祖母ちゃんも、コヨリなど知らなかったのです。知らない人が、知らない人に説明するのですから、これは、もう、絶望的。

祖母には、よく判らない言葉で「細い紙の紐」を何とか説明しようとしたのです。祖母は胸元から取り出した、鼻紙にする新聞折り込みチラシをぐグシャグシャと棒状に丸め、見ていた私は、違う!違う!と叫び、祖母は困惑し、悲しそうな顔をして・・・・・・・。

この後の、顛末は、まったく記憶に残っていません。きっと、きっと、悲しすぎる結末に、子供ごころに、自己防衛の為に、記憶を消し去ったのだと思います。

いまでも夢に見ることがあるのです。おばあちゃん!ホントに!ゴメンなさい!

話しを変えます。氷川神社でした。

最近はやりのポリエチレン製のしめ縄。稲藁に意味があると思うのですが、これがご時世?、神様もそれなりに妥協し納得?

とにかく、氷川神社で、幼稚園で、紙の閉じ紐で、おばあちゃん、ゴメンなさい!なのでした。

それにしても、幼稚園でコヨリは、いったい、何に使ったのでしょうかね。

今日は、これまで。

次回が最終回です。

それでは、また。

 

 

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志村坂下・蓮根町 ⑬ お昼は志村坂下一丁目の生そば「やぶ岩」で「たぬきそば」を美味しく頂きました! 

2017年03月13日 | 東京の風景

前回の続きです。

生まれ故郷の東京は板橋区蓮根町・志村坂下界隈を、過去の痕跡を探しつつ、想い出と夢と妄想の世界を楽しみつつ、彷徨っています。

そろそろランチタイムで、そば屋を探しつつ歩いて居ると、この町に相応しい?そば屋を見つけて暖簾をくぐります。

内装はこんな感じで、テーブルも、腰掛けも、壁の色も、黒塗りの板に白文字の“お品書き”も、テレビの配置も、とても、とても、町のおそば屋さん的な佇まいです。

先客は一人、チビチビとビールを飲んでいます。店内禁煙はとても良い事です。

右から左に向かって価格順に見事に整列(丼物の一部を除く)。価格設定は、東京の外れで板橋区の外れとしての価格設定となっています。

上段の「ちゃんぽんうどん」の隣で消されているは「八宝うどん」です。その下の黒マジックは「冷やし中華」で、その右の黒マジックは「八宝丼」です。

中華系を抹消したようです。それにしても、「ちゃんぽんうどん」とか、「八宝うどん」とか、「八宝丼」は見たことも、聴いた事も有りません。「八宝丼」は、世間で云う「中華丼」だと思います。

見たことも聞いた事も無いモノを、味わってみたい衝動に駆られたのですが、ここは、やはり、店に入る前から、堅く心に秘めていた私の定番「たぬきそば・550円」を注文。

やはり、何と云っても、日本ソバと云えば「たぬきそば」で決まりです。ホントは「もり」が一番なのですが、この日は冷え込んでいた為、暖かいモノが美味しいのです。

奥でオッサンがビールを飲んでいたので、注文しようかどうしようか迷ったのですが、以前、寒い日に外出してビールを飲み、突然の尿意に焦り、トイレを探し駆け込んだ苦い想い出が蘇り断念。

こちら、今では遠い昔の想い出「セットメニュー」です。50代の前半頃までは「カツ丼にもりそば」とか「カレーにもりそば」とか、セットでないときは、必ずすべて「大盛り」で注文。きっと、きっと、あの頃から、食後血糖値は爆発していたのです。

こういうセットメニューの写真を見つめていると、何か、やっぱり、とても、とても、魅力的に見えてくるのです。

 それで、「たぬきセット」ですが、価格が850円から840円に書き換えられているのです。経営的な判断で、価格の微調整をおこなったの?と思ったら、上の「おしながき」を見ると、840円となっており、調整ではなく、書き間違いの訂正のようです。

この写真入り「おすすめセットメニュー」は、きっと息子か娘にパソコンで作らせたのでしょう。店は私とほぼ同年代の夫婦で商っていました。

それで、この奥さんですが、やたらに腰が低く、馬鹿丁寧な応対なのです。もしかして?サングラスに口ひげで、店内を撮影している私が、とても、とても、怪しく見えた?

それで、たぬきソバが到着。汁の香り、揚げ玉の香り、そばの香り、久しぶりの、日本そば屋の香りです。最近は汁を飲むための道具も付いてきます。そして、おしぼりも。

なかなかケッコーなお味でした。最後の、一本、一滴、一欠片まで、美味しく頂きました。

東京都板橋区志村坂下一丁目の「生そば やぶ岩」さん、ごちそうさまでした。そうでした、器もヨカッタです。

本日は、ここまで。

 

それでは、また。 

 

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志村坂下・蓮根町 ⑫ ガラスは割れ!鉄扉は赤錆!夢まぼろしの町工場の前はモダンな外観の富士ゼロックスでした!

2017年03月09日 | 東京の風景

未だ、まだ、マ~ダ、志村坂下、蓮根町辺りを彷徨い歩いています。

今では暗渠となってしまった「どぶ川」を辿り、生まれ故郷の、面影と痕跡を探し求めて・・・。

 

この「元どぶ川」の暗渠の上に作られた緑道、そして、方向的に、距離的に、この場所辺りに「花林糖工場」があった気がするのです。

家から、坂下方面に向かい、城北公園を抜けて、二・三百メートル歩き、どぶ川を渡った右側にその工場がありました。写真では左側のマンションが建っているあたりです。

兎に角、この辺りには、零細工場的と云うか、町工場的と云うか、そんな中小零細企業の工場が建ち並んでいたのです。そんな工場の間を縫ってどぶ川が流れていました。

暫く佇み、当時の工場の姿を想い浮かべつつ、マンショの方向を見つめていると、川面には得体の知れない油が流れ、得体の知れないニオイを漂わす、そんな風景が蘇ってくるのです。

それにしても、どぶ川も、お洒落に変身しました。あの頃のニオイはまったくしません。

 

そんな想いを抱きつつ歩いていると、驚きの光景が出現。

まさに、まさに、これこそ、あの頃です。

夢幻の風景と云っては大袈裟ですが、夢のワンシーンに登場しそうです。

スレートの外壁、割れたガラス窓、ガラスに針金が・・・。

赤錆びた鉄板の扉。残念なのはフェンスが、とても、とても、新しいのです。

この工場の佇まいから、母が一時、近所の主婦仲間と連れだって働いてた、町工場を思い出しました。そこで母達は、ミカン箱と云うか、リンゴ箱と云うか、そんな木箱の解体をしていたのです。短期間だったと思います。

「株式会社 高垣商店」さんのお蔭です。それにしても、高垣さんは、何を商っていた?いる?のでしょうか? 入り口の門柱と鉄の扉は、それなりに最近の塗装とお見受けしました。

道路を渡り、暫し、高垣商店の全景を見つめてしまいました。

そして、遠~い、遠~い、昔の、想い出の世界に誘われた風景の真ん前には、何と、何と、真逆の、現実の世界に引き戻す、あの富士ゼロックスのサービスセンターの姿。

時代は変わって、こんな大企業がです、どぶ川が消え暗渠となり、町工場が消えマンションが建つ、そんな志村坂下なのでした。

そして、向かいには大企業を睨んで建つ、中小零細企業の味方?日本共産党の板橋地区委員会?の事務所です。板橋区は土地柄?革新系?が強いのです。

東京の外れ、板橋区の外れ、志村坂下には、いろいろと、ゴチャゴチャと、あるのです。 

こんな、何でもない風景がイイです。

こちらの櫻は、私が生まれる前から、ずっと、ずっと、ここで花を咲かせていたように思います。

  

こちらの、何でもない風景もイイです。

志村坂下を彷徨っていますが、そろそろお昼の時間になりました。

昼はそば屋に入りたいと思い、ウロキョロとそば屋を探しつつ、ある神社を目指します。

この先は次回とします。

それでは、また。

そうでした、記録的な意味で、書き記すのですが、3月1日、朝のウォーキングで「つくし」を発見。そして、その2日後に「ウグイス」の鳴き声を聞きました。

春が来たので~~~す!

そして、明日は早めの、お彼岸の墓参りを予定しています。

もうすぐ、櫻の開花、お花見です。

では、また。 

 

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志村坂下・蓮根町 ⑪ 懐かしの“青星ソース”は“ユニオンソース”から“おたふくソース”へ

2017年03月02日 | 東京の風景

前回の続きです。

志村坂下から蓮根町を彷徨っています。

坂下にあったヘビ屋と三木屋の探索を諦め、中山道を戸田橋方向に引き返します。

懐かしいあの頃の匂いを漂わす風景です。

木造モルタル二階建てのアパートです。外壁がモルタル塗りでなく板張りであったら、私が住んでいた“引き揚げ者住宅”に似ています。

アパートと云えば「UR」です。この辺には、UR物件が、あちら、こちらに散らばっています。

ホンダの2輪専門の販売店です。その昔は2輪車で、少し昔は4輪車の販売店で、そして、今は二輪車販売に祖先帰り、都内で車が無くても暮らしに不便は感じません。地方では車は必要不可欠、一家に2台、3台はあたりまえです。幼い頃には考えられない変化です。

あの頃は、車を所有するのは“お大尽”だけでした。でも、しかし、我が家にはいつも車があったのです。父が車の修理屋をしていたので、商売モノを乗り回していたのです。その頃、私は「車屋のしんちゃん」何て、呼ばれたりしていたのです。

中山道から裏通りに入ります。モルタル二階建てに惹かれます。

 モルタル二階建ての民家、以前は食べ物屋を商っていたようです。所謂、仕舞た屋。

有りました!これです!この風景が、あの頃です。

この屋根の上に、もう一つ屋根が、こんなのがあったのです。

この排気筒も、とても、とても、むかしなのです。

我が引き揚げ者住宅の向かいにあった城北公園のその先は、こんな感じの町工場(まちこうば)が点在していました。町工場好きは幼き頃に刷り込まれたのでした。

そう、工場(こうば)で思い出しました、それは「こうば」と云うよりも、「こうじょう」的規模のソース会社の「製造所」があったのです。脇を通るとソースのイイ匂いがしました。

名前が思い出せないのですが、ネットで調べたら有りました! 「青星ソース」です。「1957年(昭和32年)には板橋区坂下2丁目9番7号に板橋工場を建設」とありました。

そうです!「青星ソース」でした、思い出しました。

  • 1949年(昭和24年)12月:青星ソース株式会社として台東区で創業。
  • 1957年(昭和32年)3月:板橋工場完成を機に、本社・工場を板橋区に移転。
  • 1968年(昭和43年)3月1日:大町ソース株式会社ら2社と合併し、青星大町ソース株式会社に社名を変更。
  • 1969年(昭和44年):ユニオン食品株式会社ら8社と合併し、現社名ユニオンソース株式会社に変更。
  • 1970年(昭和45年):京塚昌子を起用し、スポットでCMを流す。
  • 1991年12月:今市市(現日光市)にマヨネーズとケチャップの製造工場完成。
  • 2005年(平成17年)
    • 1月:本社を現在地に移転。生産拠点を日光工場へ集約し、ソース専用工場棟完成。板橋工場閉鎖。
    • 4月:オタフクソース株式会社と業務資本提携。
  • 2006年(平成18年):オタフクソースがユニオンソース特級ウスター・中濃・とんかつソースを発売[9]
  • 2009年(平成21年)10月1日:持ち株会社化に伴い「お多福グループ」の子会社となる[10]
  • 2010年(平成22年)9月期:業務用ウスターソースなどの生産がをオタフクソースから当社へ移管[11]
  • 2012年(平成24年):本社を日光工場内に移転。営業部はオタフク東京本部に移転。

 ※wikipedia調べ

1957年に板橋工場が操業開始したのですから、私が7歳の頃です、私が匂いを嗅いだころは、まだ、できたてのホヤホヤだったのです。

私にとっては、遠い、遠い、そのむかしの、懐かしのソース工場は、現役バリバリで今も活躍しているのでした。

それにしても、青星ソースは、私の知らないところで、波瀾万丈の道を辿っていたようです。通産省の行政指導による業界再編ですか? 

それにしてもソース業界は大変な業界なの? 青星ソースは、企業として、それなりの“リソース”を持っていたので、現在まで生き延びたのでしょう。 

ユニオンソースでは、ソースに、マヨネーズに、ケチャップに、焼き肉のタレも作っているようです。

今度、スーパーに行ったら、ユニオンソースの製品を探してみたいと思います。あったら必ず買い求めたいと思います。

60年前には匂いを嗅いだだけなので、しっかりと味を確認したいと思います。

フライにソース、メンチも、コロッケも、トンカツも、ハムカツも、クジラカツも、レバカツも、イカフライも、ポテトフライも、ウィンナーフライも、とんかつソースをいっぱいかけて食べるのは、最高に!大好き!で~~~す!

と、云う事で、本日は青星ソースでした。

それでは、また。

 

 

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志村坂下・蓮根町 ⑩ 蓮根川緑地からマムシのヘビ屋と餅菓子屋の三木屋を探し求めて歩きます

2017年02月28日 | 東京の風景

前回の続きです。

氷川神社の先、幼き日の面影を痕跡を探し求めて、どぶ川を覆った?緑地帯を辿り、中山道に出ました。

この「中山道」と云うと、必ず頭に浮かぶのが「1日中山道・・・いちにちじゅうやまみち」のフレーズです。

フジテレビの女性アナウンサーが、原稿に「旧中山道」と書いてあったのを「1日じゅう山道」と読んでしまったのです。

たぶん、フジサンケイグループの御曹司と結婚された方と記憶しています。読み間違いの最高傑作だと思います。

それは、さておき、話しは戻して、中山道に架かる歩道橋を渡ります。昔は、ここを都電が走っていたのです。お祖母ちゃんと二人で、都電に乗って巣鴨のお地蔵さんに行った記憶があります。

都電と云えば花電車です。たぶん、都民の日にだったか走っていた記憶があります。「見るだけで“人は乗せない”花電車」何て、“別口”もあります。

まあ、判るヒトは分かり、判らないヒトには判らないお話。過去の事と思っていたら、いまでも、現役のようです。

話しが、それとなく、卑猥系男性向け大衆娯楽に逸れてしまいました。先ほどより逸れっぱなしで失礼しました。

兎に角、高島通りが中山道に突き当たった辺りに都電の停留所がありました。その先、埼玉方向、一つか、二つ先の停留所が終点だったような気がします。

歩道橋を渡った先にも、どぶ川の痕跡がありました。

 こちら側にも緑地帯が続いているのです。帰宅して調べたら、この先で隅田川に流れ込んでいました。

緑地帯の入り口の看板には、板橋区立蓮根川緑地と記されていました。これまで、どぶ川、ドブガワと呼んでいたのですが、「蓮根川」と云う正式な名称があったのです。

そろそろ蓮根川を後にして、高島通りと交わる地点で横断歩道を渡ります。

中山道を巣鴨・坂下方面に向かいます。目指すのは、懐かしい「ヘビ屋」と「和菓子屋」です。

ヘビ屋は、まさしく「蛇」を売っていたのです。そして、想い出とは、ヘビ屋に「まむし」を持ち込み500円で買ってもらった事があるのです。

このマムシは、現在、「大東文化大学」の少し先にあった、「ドングリ山」に近所の悪ガキと連れだって遠征した時に捕まえたのです。

その中に、苗字が前島で、あだ名が「土手カボチャ・・・頭の形から」と云う2~3歳年上の子がいて、彼の指揮の下で捕獲したのですが、マムシ捕獲を目的としての遠征だったのか、たまたま発見して捕獲したのかは思い出せません。

前島君は、いろいろ知っていて、それなりにマムシの危険性も、捕獲方法も知っている様子でした。でも、今考えたら、捕獲したマムシを「袋」に入れてヘビ屋に持って行ったのですから、予め袋を容易していた? やはり、捕獲目的の遠征だったのでしょう。

500円は2~3人で分けたと思います、でも何に使ったのかは覚えていません。一ヶ月のお小遣いが300円ぐらいだった頃ですから、それなりに使い道があった筈です。

いま、書いていて思い出しました。ヘビ屋のオジサンが持って行ったマムシをカゴに入れるとき、ヘビの頭を持って口を開き、牙にハサミを押し当て毒液を出して見せたのです。

そして、『前達、もしも噛まれたら、この毒で死んでいたぞ』と、ヘビ屋のオジサンに警告を受けたのでした。それなりに危険なことは知っていたのですが、マムシを眼の前にしての警告は効き目がありました。

それで、捕獲場所からヘビ屋までは歩いて1時間ほどの距離です。坂を下った辺りにあり、まさに坂下でした。ヘビ屋は十数年前に車で通り掛かった時には現役でした。

中山道の坂下辺りをキョロキョロしながら歩いたのですが、結局、ヘビ屋も和菓子屋もありませんでした。和菓子屋は“三木屋”と云う店で、酒が飲めない甘党のオヤジが時々おみやげで買って来てくれたのです。

和菓子と云うか、餅菓子と云うか、きんつば、あんこ玉、だんご、大福、鹿の子、スアマ、吹雪、そして、シベリアも、いろいろ思い出します。

残念ながら、いまは、もう、食べられないのです。食後高血糖なのです。

そうでした、土手カボチャの前島君は、数年前、風の便りで、亡くなったと聞きました。

今日は、これまで。

坂下、志村、蓮根歩きは未だ続きそうです。

 

それでは、また。

 

 

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