歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

旧岩崎邸で沢田美喜のエリザベス・サンダーホームと秘密情報機関との関わりに思いを巡らす!

2019年03月29日 | 東京の風景

前回の続きです。

旧岩崎邸を見学中です。

岩崎邸ですが、昭和22年(1947年)財産税として屋敷を物納して、国有財産となっています。それにしても、都心の広大な土地です、財産税はもの凄い額です。

それで、この岩崎邸は1896年(明治29年)に岩崎彌太郎の長男で三菱第3代社長の久彌の本邸として造てられました。”往時”は約1万5,000坪の敷地に、20棟もの建物が並んでいたそうです。

現在の敷地は”往時”の3分の1だそうで、現存するのは 洋館・撞球(ビリヤード)室・和館の3棟だけとなっています。 

緑色が現在の敷地で、薄い線が往時の敷地。

 

それで、敗戦後は占領軍に接収され、情報機関の「参謀第二部(G2)」の秘密情報組織が本部を構えたのです。

懐かしい名前が、いっぱい、いっばい、頭の中を巡るのです。G2のトップが「チャールズ・ウィロビー少将」で、秘密組織のボスが「ジャック・キャノン中佐」で、人呼んで「キャノン機関」。

キャノン機関の本部要員は二十数名で、配下に、柿の木坂機関、矢板機関、日高機関、伊藤機関、等の工作員を組織。

これで、G2ウィロビーで、秘密情報機関で、キャノン機関で、矢板機関で、下山事件と繋がっていき、戦後の三大謀略事件へと繋がっていき、戦後の黒い霧、闇の歴史となるのです。

と、云う事で、旧岩崎邸の見学は、建物への興味よりも、敗戦後の闇の時代への、謀略の時代への、思いを馳せ、空気を、気配を、匂いを、感じる為の見学なのでした。

昭和20年(1945年)に接収され、昭和28年(1953年)に返還される8年間キャノン機関の本部が置かれました。

接収されたのは「洋館」だけで、この間、岩崎家は「和館」の方で暮らしていたのでした。

それで、この岩崎家ですが、どうも、なんとなく、占領軍情報機関と、それなりの関係にあったのでは?と、思われる節があるのです。

それで、沢田美喜(1901~1980年)なのです。私と同年代の方は、それなりに聞き覚えのある名前だと思います。
 
敗戦後の混乱期、「エリザベス・サンダーホーム」を創設し、米国兵との混血孤児を育てたのが、岩崎弥太郎の孫娘の沢田美喜でした。
 
美喜は、クリスチャンで親米派と云われ、戦時中は、それなりに監視対象だった、外交官の沢田廉三(1888~1970年)と結婚(1922年)
 
 
エリザベス・サンダーホームは岩崎家の大磯別邸に1948年に設立。本邸にも、別邸にも、情報機関が同居していました。
 
岩崎家と米国とは、と云うよりは、岩崎家と、米国情報機関のメンバーとは、個人的にも、それなりの親交があったようなのです。
 
云い忘れましたが、下山事件とか、三鷹事件とか、松川事件とか、戦後の闇を象徴する謀略事件に、米国の秘密情報機関が関与している説を、はじめて唱えたのが松本清張でした。
 
 
それで、よく誤解されているのですが、松本清張は「キャノン機関説」は否定しています。私も、表にその名前が出てこない秘密情報機関説が正解と思います。
 
成功した、謀略、破壊工作、暗殺では、実行した組織の名称は表には出ません、疑われるようなヘマはしないのです。
 
と云う事で、「鹿地亘事件」で名前が表に出たキャノン機関は「ヘボ」なのです。
 
 
 
特に、下山事件は、いろいろと、関連書籍が多数出版され、私も、それなりに、いろいろと、書き散らしております。
 
興味のある方は、ブログ左側のカテゴリー「下山事件」をクリックして見て下さい。
 
この日は、休日でしたし、連れも居たし、洋館は一階だけの見学で、洋館は見学者も多く、戦後の闇に思いを馳せるには、あまり適切な環境ではありませんでした。
 
チャールズ・ウィロビー少将とか、ジャック・キャノン中佐とか、キャノン機関とか、鹿地亘事件とか、戦後の闇に浸ることは叶いませんでした。
 
いつの日にか、もう一度、平日に、一人で訪れたいと思います。そのときは、一日たっぷり、ゆっくり、静かに、戦後の闇に思いを馳せたい、と思います。
 
 
それでは、また。
 
 
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旧岩崎邸のトイレクリーナーは!もしかして!?不届き者が見学記念のお持ち帰りに!

2019年03月23日 | 東京の風景

前回の続きです。

旧岩崎邸の内部を見学します。

内部の撮影は平日のみで、見学者が多い休日は禁止となっています。

と云う事で、当日は休日でしたが、他の見学者の迷惑にならない場所で、ひっそりと撮影を行ったのでした。

と、云う事で、あまり見学者の居ないところですので、あまり被写体としては? 面白くも可笑しくも無い、そんな写真が多々あると、事前にお断りしておきます。

なァ~んだそりゃ!とお思いでしょうが、そこはひとつ、最後までお付き合い下さい。

そんなことで、最初の一枚は、なんじゃこりゃ!の代表です。自分でも、何処を撮ったのか?何故撮ったのか?記憶が無く、まあ、兎に角の一枚。それなりに美しいステンドグラス?

先ずは、人気の少ない「和の館」から見学を始めます。

いきなりの看板。

こちらは警告。

こちらは、休憩へのお誘い看板。価格設定としては、こんなものですかね。 

右側紅い絨毯が敷かれた部屋が休憩室。従業員の女性1名と男女一組の高齢の方が休憩中でした。

こちらは大広間、大名屋敷の謁見の間的な趣。 

 

こちらは、これで、行き止まり。

ここで、久しぶりの、トイレチェック。広くて、新しくて、明るくて、きれいでした。 

右のベビーベットの上に置かれたポリ袋は私の靴が入ってます。館内は土足厳禁で土足を手にぶら下げての見学になります。

こちらは持ち去り防止対策として、こんな表示をしているのでしょうが、これって逆に”見学記念”に丁度いい!何て持って帰る不届き者が現れそうです。

洋館のビデオ室。ここは”大食堂”だったそうです。全体のバランスからは、”大”が付くほどの広さとは思えません。 

 天井はこんな感じ。

こちら玄関。こっそりと人の居ないことを見計らって撮ったので手ぶれでピンボケ。 

順路に従い、和の館に戻り、庭に出ます。 

 それなりの、一般的な日本庭園。

 芝生の庭に出ます。何か工事中のようです。 

はい、本日は、ここで、お終いとします。

 

それでは、また。

 

 

 

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旧岩崎邸で占領軍参謀第2部に!キャノン機関に!戦後の闇に!思いを馳せる!

2019年03月21日 | 東京の風景

前回の続きです。

湯島天神を参拝してランチタイムとなり、事前に調べておいたファミレスに向かったのです。

そして、記憶した地図を頭に浮かべつつ歩いたのですが、それが、その店が見つからないのです。通りを一本間違えたかも? と、思いつつ、連れには「大丈夫なの?」と云われつつ、彷徨ったのでした。

記憶より、かなり離れたところでそのファミレスを発見! でも、事前調査では店舗は2階なのに、発見したその店はビルの1階にありました。

後で調べてみたら、目的の店は「上野広小路店」で、入った店は「妻恋坂店」だったのです。まあ、距離的には予定より1.5倍程度の差でした。

そんな事で、見つかって!よかった!よかった!で食事の写真を撮り忘れました。食べたものは、私は、糖質オフで、奮発してローストビーフにサラダ、そして、ハイボール。連れは何とかの盛り合わせ?のようなものでした。

食事を終わって、これより岩崎邸に向かいます。

途中で、こんな建物に出会いました。

この一画だけ昭和が残っていたのです。これは、ランチの場所を間違えた御陰?

天神下交差点を左折して、春日通りを10数歩のところで右折。

右折して、数十歩のところを左折。

この民家も昭和の香り。

工事用遮蔽板には旧岩崎邸の写真。

入り口に到着。

門を入って数十㍍直線の緩い坂。

数十㍍の緩いカーブ。

数十㍍先に入り口が見えてきました。

 木々の間から、大邸宅が見えます。思っていたよりも、かなりデカイ!

敷地の外周部を半周ほど巡ることで、屋敷の広大さを演出しているのです。

入り口で入館料200円を払います。65歳以上は半額です。ここは都立公園。

なかなかの建物。

明治29年(1896年)に建てられたそうですから、123年の時が流れているのです。設計は英国人のジョサイア・コンドル。

17世紀の英国・ルネサンス様式の西洋木造建築として有名だそうです。コンドルと云えば、現存する有名どころとしては、北区滝野川にある「旧古河庭園の洋館。こちらは石造り。

古河庭園と云えば「古河財閥」で、旧岩崎邸と云えば、三菱財閥の創始者、岩崎家の邸宅です。財閥の方たちは、明治時代にこんなお屋敷に住んでいたのです。

話は逸れますが、三菱と云えば、造船部門は大型客船で大赤字、原子力はお先真っ暗、家電・ICは台湾・韓国・中国に負け、自動車は燃費不正でルノー・日産グループの傘下に、期待の国産旅客機のMRJは開発計画が大幅に遅れる等、最近の三菱グループには、暗い話題ばかりです。

まあ、腐っても?三菱財閥、金融部門は大丈夫?そのうち息を吹き返す? そういえば、三菱マテリアルも何か不正があったよね? ホントに日本の企業は歴史的後退期?  まあ、私が、そんな心配をしたところで、ねぇ・・・・・・。

それにしても、たいしたものです。お城のような建物です。

玄関から振り向くと、周囲の風景はこんな感じです。

それにしても、この角度から見ると、何か、戦争中、南方にあった、陸軍司令部的な趣。三菱のスリーダイヤには、それなりに戦争の匂いと云うか、陰と云うか、漂うのです。 

戦争と云えば、この邸宅は、第二次大戦後の一時期、占領軍に接収され、占領軍参謀第2部(G2)直轄の秘密諜報機関、キャノン機関の本部になっていたのです。

まあ、そういう、敗戦直後の混乱期、裏の、影の、闇の、舞台となった場所なのです。

戦後の三大謀略事件、下山事件、三鷹事件、松川事件、それぞれが米国の秘密諜報機関が、関わっているとか、いないとか、いろいろあるのです。

まあ、そういうことで、謀略事件に関わっていたかも知れない、そんな歴史的場所を、この目で見て、この脚で歩き回り、この手で触って、カメラで記録にとどめ、何かを、感じとりたかったのです。

そういうことで、旧岩崎邸の見学となったのでした。

それで、建物は重要文化財で、すべて手で触れることは禁止。当日は休日で、建物内部の撮影は禁止。この目で見て感じるだけとなりました。

本日は、ここらで、おしまい。

次回は、内部の見学となります。

実は、何を隠そう、ここだけの話ですが、こっそり、影に隠れて内部も撮ってきたのでした。

と云うことで、次回、内部の写真も掲載します。

それでは、また。

 

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湯島天神で菅原道真と!婦系図で!お蔦と主税に!想いを馳せ!懐メロを聴く!

2019年03月16日 | 東京の風景

前回、3月6日の続きで、湯島天神のお話です。

本日は、始めに、歴史のお勉強です。

正式名称は、湯島天満宮だそうです。

天満宮と云えば、かの”太宰府天満宮”が有名です。

太宰府は、平安時代、権力闘争に敗れた”菅原道真”(845年~903年)が左遷され、没した地です。

道真が亡くなった後、平安京では、疾病、天変地異が相次ぎ、これは、きっと、道真の祟りとして、道真を祀り、祟りを鎮めるために、太宰府天満宮が創建されたそうです。

神社仏閣の起源には、祟りを鎮めるための創建が、かなりあるようです。

権力闘争は、それなりに、謀略、策略と、血なまぐさい闘いですから、勝った側としては、負けた側の、恨み辛みを、それなりに恐れるのです。

それで、湯島天神ですが、太宰府天満宮とは直接的に関係は無いようです。

社伝によれば、雄略天皇の頃(458年)、天之手力雄命(あめのたぢからをのみこと)を祀る神社として創建されたそうです。

その後、1355年に住民の請願により菅原道真を合祀し、湯島天満宮となったようです。江戸時代に、富くじが盛んになり、江戸の三富の一つになり、庶民に親しまれたのでした。

それで、”道真”と”梅”の関係ですが、梅にまつわる歌を多く残しており、梅を愛した人物として有名だったそうです。昔は、花見と云えば”梅”だったそうです。

天神様で、学問の神で、東大に近くて、もしかして、受験に御利益?、となり、いまや、受験の神様で、合格祈願で大繁盛。

でも、しかし、湯島天神を有名にしたのは、なんといっても、明治から昭和にかけてベストセラーとなった、泉鏡花の小説「婦系図」でしょう。

戦前から戦後にかけて、何度も映画化され(62年が最後)、芝居にもなり、大ヒット、テレビドラマ化(73年が最後)も何度もされています。

『婦系図 湯島の白梅』

♪ 湯島通れば ~ 思い出す ~ お蔦 主税の・・・・・・

冒頭は、私でも知っています。調べたらこの曲は、戦前の昭和17年(1942年)ビクターから発売、歌が「小畑実」、 作詞が「佐伯孝夫」、 作曲が「清水 保雄」でした。

長くなりました。歴史?のお勉強は、これでおしまい。

それで、こちらの紅毛碧眼の女性も合格祈願?でも、表情に切実感は無く、単なる参拝記念の絵馬?

それにしても、もの凄い量の合格祈願の絵馬です。絵馬を括り付けるのも大変そう、失敗して絵馬を落としたら、と考えると手が震えたりして。 

この日は、境内でいろいろな催し物が行われていました。こちらは、福島県の物産展。帽子の方は、ミス何とか? タスキの文字が見えません。 

福島県は天栄村から来られたようです。いまいち興味をそそられる物産はありませんでした。

境内の裏手に仮設舞台。

こちらにも梅の花。 

休憩時間? 

このしだれ梅は、なかなか見事。 

懐かしの昭和歌謡が流れて来ました。 

お年寄りがほとんど、でも、流れて来たのは戦前の流行歌、リアルタイムで聞いた方は、多分皆無。それでも、戦後生まれの私としても、それなりに懐かしいのです。 

歌手のお兄さん?おじさん?

衣装もそれなりに決まっています。髪型も、眼鏡も、顔つきも、とても、とても懐かしい昭和レトロ。

ドラムのおじさんの服装からプロではなさそう。歌手の方だけは、それなりに寄席で通用しそうです。もしかしてプロかも? 

当然!『湯島の白梅』も歌われるのです。 

狭い境内の裏手でも、こんなのとか、

 こんなのとか、

こんなのとか、

 いろいろ売られていました。しかし、店の前に立ち止まる客はいません。

そろそろランチタイム、流れる懐メロを聴きながら、湯島天神を後にします。

事前に調べていた、ファミレスに向かいます。

そして、ランチタイム後は、実は、実は、本日の本命! 旧岩崎邸の見学がひかえているのです。

それでは、また。

 

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双子ちゃん!とDA PUMP!とドクターヘリ!にカッパ!で元気をもらいました!

2019年03月11日 | 双子ちゃん

昨日、双子ちゃんが遊びに来ました。

玄関で、ふたりは元気に、自己紹介も、ご挨拶も、できました。来月には4歳になります。そして幼稚園です。

名前を聞いて、顔を覚えようとしたのですが、その時は、それなりに判るのですが、すこしすると、どっちが?どっちだか?判らなくなります。

すこしほっそり顔と、すこしふっくら顔と、云われてみれば、判るのですが・・・、歳のせいで、顔認識力?が低下しているようです。 

 ちらし寿司に、

鶏の唐揚げで皆で仲良くランチです。

ふっくら君の方がたくさん食べるそうです。脚の筋力が発達していて、三階まで蛙跳びで上がるそうです。ビックリ!です。太ももの筋肉を触らせてくれました。

ランチを食べた後は、♪カ~モンベイビーアメリカを、元気!に上手に!歌って踊ってくれました。DA PUMPの『U.S.A.』です。

食後は大好きな「お山の公園」に行きました。

途中、前を走る車、すれ違う車のを見て、車名とか、会社名を云ったり、ひらがなの看板を読んだりするのでした。ひらがなは全部読めるそうで、自分の名前も書けるそうです。

公園に着くと、駐車場の隣の競技場周辺には、赤色灯を点灯した 救急車一台と、消防車が二台、周りには人集り。

直ぐに上空にヘリコプターが現れ競技場のフィールドに着陸。ドクターヘリです。

はじめは救急車からヘリに患者を乗せるの?と思っていたのです。見ていると、何か、それほどの緊迫した様子は感じられません。

近くに居た、服装的に関係者と覚しき人に「訓練ですか?」と尋ねると「いいえ違います!」キッパリと告げられました。

二人は興奮した様子でヘリと救急車に注目!

その後、近くに居た関係者のやりとりを小耳にはさみ、千葉方面から緊急患者を搬送してきた事が判明。公園脇の総合病院に搬送された模様。

お山の中腹から、プロペラの回転音を轟かせヘリが離陸するのを眺めました。 二人は”ヘリの救急車”と叫んでいました。ママに教わったようです、ママはナースさん。

”ドクターイエロー”に、”ドクターヘリ”、最初はすこし混乱したようですが、直ぐに正しく、二人の頭に刻まれました。今日も一つお利口になりました。

ふたりは、いつの日か、パパのようにドクターとなって、ドクターヘリに乗って活躍するかも知れません。

お山には階段があるのですが、いつも階段は上りません。

日曜日で子供がいっぱい、いっぱい遊んでいます。

帰り道は、カッパの公園に寄りました。 

犬にも乗りました。

帰ってきて、イチゴをいっぱい、いっぱい食べて、帰って行きました。

帰るとき、車の中から、笑顔で「また明日来るね!」と、私も笑顔で「待ってるヨ!」と答えました。

踊って、歌って、しゃべって、飛んだり、跳ねたり、走ったり、笑顔と元気を振りまいて帰って行きました。

おばあちゃんも、元気を、いっぱい、いっぱい、もらったようです。

双子ちゃん、ありがとう! 

また来てね! 待ってます! 

 

 

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土筆!タンポポ!ウグイスの声で春が来た!

2019年03月09日 | 季節の風景

本日は、季節の”記録”です。

朝のウォーキングで、土筆を見つけたのが、今週の月曜日の4日です。

キャンディーズ 春一番 

https://www.youtube.com/watch?v=KJYPpSLIdoA

 

タンポポは、それなりに、冬でも、時折、その姿を見かけます。

 

ウグイスの鳴き声を聞いたのは、先週の金曜日、3月1日でした。

 

今年も春がめぐって来たようです。

 

スギ花粉も盛大に飛んでおります。

 

兎に角、春です。

 

季節の記録でした。

 

 

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湯島天神のお詣りは「女坂」からがお薦めです!

2019年03月06日 | 東京の風景

久しぶりの東京。

行って来ました、十と四五年ぶりの湯島天神。

この日は、天気は晴れ、風もなく、暖かく、観梅日和。

湯島天神の梅祭りは、3月8日迄、この日は3月2日の土曜日。それなりの人出。

東京メトロの湯島で降り、地上に出て周囲をキョロキョロ見回し、記憶を頼りに交差点を渡り、見覚えのある「よろずや」を確認して、「おんな坂」から天神様を目指します。

前方に本殿が見えます。この狭い路地が、なかなかの風情、行きは”よいよい”天神様への路。

立ちどまり、外壁の板張りを見つめていると、いろいろな想いが・・・、でも、本日は連れと一緒、思いにふけっていると見失うのです。

俗世間の喧噪から天神様の神域へ、その間を繋ぐ入り口として、この”よろずやさんの路地”が、とても、とても、最適です。

なんにしても、世の中、表よりも、裏の方が、それなりに味わいが・・・。

本殿が近くに、梅の花も視界に入ってきます、だんだん興奮してきます。

 

梅祭りの文字に、紅い梅に、白い梅に、何だか、とても、嬉しくなってきます。

女坂は思っていたよりも、梅の花は、まだまだ、いっぱい、いっぱい、咲いているのでした。思わず、きれい!と小さく呟きました。花粉対策としてマスクを着用していた為、香りを感じるこを忘れました。残念!

坂の途中で振り返ると、あたりはこんな風景。

こちらが、急勾配の男坂。

ちなみに、境内はこのようになっています。

境内は、思っていたより人がいっぱい。

お店もいっぱい。しかし、この「豚骨焼きラーメン」は閑散。

こちらは飴やさん。

こちらは、なんか?飾りの実演販売。

兎に角、いっぱい、いっぱいの、人とお店。

梅と、青空と、狛犬。

まだまだ満開の梅。

本殿参拝待ちの、50㍍ほどの行列。

我々は参拝は諦め、梅の花に集中。

こんな大混雑のなか、赤ちゃんのお宮参り。こちらは、本殿に上がっての参拝。行列には並ばなくてよいのです。残念ながら赤ちゃんの可愛いお顔は拝めませんでした。

本日は失礼して、こちらの脇から天神様に参拝。

一応、それなりに、木端を確認。まあ、それなり。

当日は境内で、いろいろな催し物があり、これから、そちらに向かいます。

ホント! 私としては、湯島天神は女坂からがお薦め!

今日はここまで。

 

それでは、また。

 

 

 

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