歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

“アベノノミックス”3本の矢は跳ね返って致命傷に!

2013年05月25日 | 世間話し
23日の木曜日、東京市場で株が暴落しました。

国債の金利も上昇傾向にあります。

それでも、安倍政権は“アベノミックス”でデフレを脱却し経済は成長に向かうと云っています。

人は“見たいものを見る”と云われています。期待と裏腹な現象は、見たくないし、見えないのが人間と云うものです。見たいものをだけを見て、自分に都合の良い解釈をするのですね。

それと、“何だ、かんだ、云っても、政権は自民党で、“アベクロ”で経済は走っているのだから、兎に角、脚を引っ張るような、否定的論調は控えるべきだし、聞きたくもない!”と、メタボ体型の評論家“シュガー優”が、ラジオをでしゃべっておりました。

突然ですが、何か、第二次世界大戦の末期、沖縄に米軍が上陸しても、首都東京に大空襲があっても、広島に、長崎に、原爆が投下されても、8月15日になるまで、日本の勝利を、固く信じていた、あの頃が、少し理解できたり・・・・・。

“アベノミックス”には賛否両論があり、株の暴落で否定派が新聞やテレビに登場し、“それ見た事か!”と、多少は元気になっているようです。

わたくしも、“それ見た事か派”なのです。

何たって、紙幣を印刷してバラマケば景気は回復する何て、そんな事は、とても、とても、信じられません。有り得ません。

景気が良い時は、いろいろと、“売ったり、買ったり、造ったり”と云う、このサイクルがくり返され、拡大し、回転して、結果として世間に流通するお金の量が増えるのです。

だからと云って、逆も真なりで、お金を大量に流通させれば、売ったり、買ったり、造ったりのサイクルが回り始める、そんな事にはならないと、そう思うのですよ。

いろいろと買いたいと思っている人達には金が無く、それなりに金が回ってくる人達は、モノを買わずに金を貯め込む。売ったり、買ったり、造ったりのサイクルが回らないのです。

紙幣を大量に刷って、銀行から国債を買い上げ、銀行の金庫に札束が積み上がっても、銀行は、買いたくてもお金のない貧乏人に、“ハィ!どうぞ、好きなように使って”と云って、ニッコリ笑って札束を手渡してくれる訳ではありません。

銀行は金庫に札束を寝かせていては商売が成り立ちません。札束を働かせなければなりません。でも、札束が真面目に働く場所が少ないです。投資よりも投機に走るのです。

現在の株式市場は投資ではなく短期の利ザヤ稼ぎの投機です。配当ではなく、値上がりを期待して“買って売って”、値下がりを期待して“売って買って”なのです。

兎に角、短期間での株価上昇、誰しも異常と思い、いつか、かなりの下落が、調整がと思っていたのです、ちょっとしたキッカケで暴落するのです、思惑で買って、思惑で売ったのです。

何か、段々、話しが、逸れて来たような?

それにしても、です。アベノミックスの“3本の矢”と云う表現は、やっぱり変です。

金融政策と財政政策は、それなりに決断すれば可能ですが、成長戦略だけは安倍政権が、決断しても、規制を緩和しても、そんな簡単ではないのです。

ですから“空白の20数年”なのです。3本目の矢は、他の2本とは、質的に異なるのです。2本が上手くいっているようなので、3本目も、もしかしたら?は、相当に甘いのです。

3本目が上手くいかないと、最初に放った2本の矢は撃った方に跳ね返って、日本はもう、とうぶん立ち上がれないほどの、致命的と云うか、壊滅的と云うか、悲惨な事に・・・・・・。

まぁ、兎に角、何ですが、安倍さんは、回りの“政策ブレーン”の主張を“理解”して、政策に取り入れているのではなく、感覚的にその人間を“信頼”しているだけなようで、とても、危ないと思うのです。

これは経済政策だけではなく、憲法も、教育も、美しい日本も、戦後レジームからの脱却も、ホントは良く判っていないのでは? と思わせる空気を漂わせています。お祖父さん、お父さんとは、かなり、かなり、政治的レベルが異次元のような?

もしかして、たぶん、“御輿は軽くて○○が良い”の典型? 身長もあり、血筋もいいし、顔立ちもそこそこだし・・・・・・、たぶん、間違い無く、フツウには、かなりいい人だと思います。

でも、フツウにいい人では、政治家は、総理大臣は、務まりません。それも、平時ではない今は特にそうです。


兎に角、今日は、これでお終い。


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三浦雄一郎の生き方は体質か?

2013年05月23日 | 雑談
それにしても、今朝の新聞、ねぇ、三浦雄一郎さんです。

80歳でエベレストの登頂を目指しているのです。成功すれば史上最高齢の記録だそうです。

1966年に富士山をスキーで滑り降り。

1970年にエベレストの8000メートル地点から滑り降り。

1985年には世界7大陸最高峰からスキーで滑り降り。

2003年に70歳でエベレスト登頂。

2008年に75歳でエベレスト登頂。 

ホントに、登ったり、滑ったり、大変な方なのです。

常に、上を目指して、目標をたて、目標に向かい、努力を重ね、達成していく、世間的に、とても、とても、立派な方なのです。

世間的評価としては、たえず目標に向かって生きていくのが、“エライ人”で、目標もなく、何となく生きていく人は、エラクナイ人となります。

見方を変えると、“エライ人”はある意味で、目標が無いと生きられないと云うか、走り続けないと、泳ぎ続けないと、死んでしまう、マグロ体質とも云えるのでは? 何て、思ったりして・・・。

唐突ですが、

“人間は二つのタイプに分けられる!目標が無いと生きられない人間と、目標が無くても生きられる人間に!”

※この二つに分ける表現は、知っている人は、知っている、映画“スウィングガールズ”の野球部の先輩の口癖です。世の中を二つに分類する単純さがイイです。

ホント!唐突でした。

それで、エラクナイ人ですが、目標が無くても、走り続けなくとも、それなりに、毎日、生きていく、“与太郎体質”こそ、圧倒的多数で、一般庶民なのだと・・・思うのです。

それにしても、登頂が成功したら、次の目標は85歳あたりで、何か、やるのでしょうか?もしかして、大気圏を脱出して宇宙に!?

三浦雄一郎さんの生き方は資質ではなく“体質”なのか?

それにしても、登頂の成功をお祈りしています。

ホント、本日は、与太郎的な話しでした。


それでは、また。




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慰安婦が必要悪なら軍隊も戦争も必要悪?とすれば・・・

2013年05月20日 | 世間話し
橋下発言は、日本中で、世界中?で大騒ぎです。

この間の世間を騒がせた発言としては、

1.軍隊には慰安婦制度は“必要”である。 

2.過去の戦争において、日本以外の軍隊でも“慰安婦制度”が存在したのは事実であり、日本だけが非難されるのは不当である。

ここまでは、過去の問題ですが、いま現在の問題として、

3.沖縄の米軍司令官に“風俗嬢の活用を進める発言”をした事実。

ホント、云ってくれました。やってくれました。立場も、場所も、相手も、考えない、ある意味で、とても正直な発言でした。

この報道に接して、私としても、正直な発言を綴って見たいと思います。“軍隊と慰安婦”の問題ですが、過去、そして現在も“必要”としていると思います。

但し、平時ではなく“戦時”においてです。それだけ戦争は異常な状態であり、極限状態であり、人間の正常な生理を超えているのだ、と、思うのです。

生理を超えた異常状態のなかで、一時的に、人間を忘れ、単なるオスとなる為に、アルコール、ドラッグ、セックスを・・・・・・、と、思うのです。

世間の圧倒的大多数は、“慰安婦”は女性差別で、人権侵害で、違法で、存在してはならない!と、主張すると思います。

でも、しかし、現実には、あってはならない“慰安婦”は、過去も、現在も“必要悪”として存在しているのです。

慰安婦は“必要悪”ですから、公式には、本来的には、間違い無く“悪”なのです。あってはならないのです。

ですから、公の立場の方は、公の場所で、話したり、認めたりしてはアウト!と、云う事になっているのです。

それで、考えてみると、軍隊と戦争と慰安婦は三点セットです。そのなかで、“慰安婦だけ”が必要悪なの?

“軍隊と戦争”は、どうなの? この二つも“必要悪”なのでは? あってはならないのでは?

誰が、どう考えても、可能であれば話し合いで国家間の紛争を解決する事が本来は望ましいと、そうあるべきだと、圧倒的多数の人達は、フツウ、そう考えていると思いのす。

いゃ、それは、理想主義だァ!と云う方は、“慰安婦制度”を否定するのは理想主義であり、“必要悪”ではない!と、正々堂々と主張して下さい。

そうなのです。“日本維新の会”の両代表は、橋下氏も石原氏も、慰安婦制度は必要悪とは思っていないと、云うか、石原氏はハッキリと“軍隊と売春は歴史の公理”と発言しています。

国内から、国外からも、いろいろ批判され、橋下氏は表現の仕方に問題があったとか、報道の仕方に問題あるとか、いろいろ弁解していますが、発言は撤回していません。

軍隊も、戦争も、慰安婦も、必要悪ではなく“必要”と考えているのです。

新聞もテレビもアメリカが怒っているとか、そんな外圧を使って橋下氏を批判しないで、、戦争と軍隊と慰安婦を三点セットと“憲法改定”を、正々堂々と、真正面から採り上げるべきです。

これは明らかに、憲法改定への、96条改定への、9条改定への、地ならしで、橋下氏の単独行動ではなく、もしかして、誰かが書いた?脚本がありそうで、安倍総理とも繋がっていそうで・・・。

自民党も、安倍総理も、他党の問題として、知らん振りを決め込んでいますが、世論の様子見をしているのでしょう。

世の中は、時代は、徐々に、少しずつ、そして、ある時点で、大胆に、急激に、方向が、形が、変化すると・・・、そう思えて来る、きょうこの頃でした。


それでは、また。


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湯西川温泉に行きます

2013年05月16日 | 旅の話し
湯西川温泉に行くことになりました。

湯西川温泉は栃木県で、鬼怒川温泉の先、川治温泉のそのまた先なのです。かなり、奥まったところなのです。


山の温泉と云うと、全国どこでも、真ん中に川が流れ、川に面して旅館が並び、背後には山並みと云う、そんなロケーションなのです。そんななかでの温泉選び、距離を考えると栃木県となります。

鬼怒川は賑やか過ぎで、川治では中途半端な寂れ感で、この際は、ぐっと山奥?の湯西川あたりが、ひなびたと云うか、素朴と云うか、“山の温泉”何て、情緒が、それなりに漂っているのでは?と、思ったのです。

今回は初めて、母と、私達夫婦と、姉と、姉の娘夫婦の“6人の大集団?”で出掛けます。今月の23日で91歳になる母の“最後の温泉旅行”(本人の弁)とのことで、このような大編成?となったのです。

湯西川温泉の周囲にはどんな観光スポットがあるのか? 地図を見て直ぐに眼に入るの“五十里湖”です。五十里と書いて“いかり”と読むそうです。

鬼怒川、川治には、2、3度泊まったことがあるので、五十里湖には、一回か二回は行ったような記憶があります。人造のダム湖だったような?そんな気がしてしてきました。

早速、ウィキペディアで調べてみたら、やっぱりダム湖でした。この辺りは人造のダム湖が点在しているのです。

ダムからの放水は、何故か、それなりに見ていて飽きないのです。水が落下する、それだけで、気持ちがイイのです。まぁ、云ってみれば、“人工の滝”なのです。

※ウィキペディアから転載

単に、水が貯まっているだけの、池とか、沼とか、湖とか、ただそれだけで人は癒されるのです。

※ウィキペディアから転載

貯まっているのと、落下するのと、いっぺんに両方見られる、ダム湖と、ダムの放水は、それなりに観光資源なのです。

当日は、五十里湖を眺めて、旅館で貸し切り露天風呂にノンビリ浸かって、囲炉裏端で酒を飲んで、御飯を食べて、お休みです。

翌日は、249号線をドライブして、霧降高原の大笹牧場で、羊や牛を眺めたり、私以外は甘いソフトクリームを舐めたり、お昼でも食べたりして、帰途につく予定です。

まぁ、出掛けるのは再来週の平日です。


兎に角、本日は、ブログの更新と旅行計画を同時進行でお伝えしました。


それでは、また。


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上野のお山で“ケーナと清水の舞台”

2013年05月13日 | 東京の風景
先週の続きです。

“パキスタン・日本友好市場”を後にして、約束の場所“西郷どんの銅像”に向かっています。

右手奥に上野動物の入り口が見えます。ママとお手々をつないでこれから動物園ですか?カワイイ!


遠くの方から聞こえてきました笛の音が、この音、この響き、


南米で、ペルーで、ボリビアで、フォルクローレです。


青い空、白い雲、緑の草原、岩山の遙か上空を舞うコンドル! 雄大で、永遠で、儚く、空しく、寂しく、悲しく、とても、とても、心に染みてくるのです。


上野のお山で、パキスタンに、南米に、いろいろなお国に思いを馳せつつ、右手に眼をやると、階段の先には弁天堂です。


左手には、清水観音堂。


確かに、それなりに、清水の舞台。


清水の舞台から眺める弁天堂は江戸の風情。それにしても、よくもここまで曲げたものです“月の松”


空の青が眼に染みました。


新緑も、とても、とても、鮮やかで眼に染みました。

いろいろ眺めて、いろいろ染みて、青い眼とブロンドの髪に混じって、観音堂に御参りをして、石段を下りました。

さぁ、いよいよ、西郷さんに到着。それらしき年配者の顔を窺いつつ辺りを一周、まだ彼は来ていないようです。約束の時間まで30分以上あるので、時間潰しに周辺の様子を調べることに。


それにしても、西郷さん!しばらくです! 本人とはまったく似ていないそうです。除幕式で親類縁者が顔を見て、アッ!と、叫んだとか?叫ばなかったとか?でも、もう、この顔が西郷さんなのです。


上野お山から眺めるスカイツリー。


もうすぐ、45年ぶりの再会です。

再会のお話は、前後しますが、4月の28日の記事に綴りました。

これで、“上野のお山シリーズ”はお終い。


それでは、また。


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上野のお山でパキスタンと日本の友好を考える

2013年05月09日 | 東京の風景
一昨日の続きです。

この日、上野のお山では、パキスタンと日本の友好市場が開かれていました。パキスタンの日本語表記の正式国名は“パキスタン・イスラム共和国”

パキスタンと云えば、う~ん、何が、想い浮かぶかと・・・、それなりに考えたのですが、何故か、“ブット首相”しか思いつきません。ブットさんはイスラム諸国で初めての女性首相でした。


ここで、社会科のお勉強です。パキスタンは、その昔、“英国”の植民地で“インド帝国”と呼ばれていたのでした。第二次大戦後に独立し、ヒンズー教徒の地域が“インド”となり、イスラム教徒の地域がパキスタンとなったのです。

そう、思いだしました。パキスタンはインドを挟んで東西に飛び地になっていて、“西パキスタン・東パキスタン”何て、云っていました。東のパキスタンが現在の“バングラデシュ”となったのでした。


インド、パキスタン、バングラデシュは兄弟と云うか、親戚と云うか、とても、とても、近い間柄なのです。でも、仲が悪いのです。隣同士は、どこでも、仲が悪いようです。インドとパキスタンは、1947年、1965年、1971年と、3度も戦争をしているのです。


民族衣装姿の女性です。なかなかイイです。民族衣装と云っても、パキスタンには大まかに云って、五つほどの民族で構成され、それぞれの民族衣装があるそうです。


もう一度社会科のお勉強です。宗教はイスラム教(国教)で97%、ヒンドゥー教1.5% 、キリスト教1.3%、ゾロアスター教0.2%など、いろいろあるのです。

そして、言語も、ウルドゥー語(国語)、英語(公用語)、パンジャーブ語、シンディー語など、いろいろあり、かなり、ゴチャゴチャしています。


料理はカレーとかナンがメインのようで、


ほとんど、いわゆる、インド風料理です。


辺りには、インドぽっい香辛料の香りが漂っていました。


こちらでは女性の民族衣装を販売しています。


男性の民族衣装姿。そうです!この衣装、この姿、“ムシャラフ大統領”を思い出します。あの頃、何故か、彼の姿を見ると、いつか?何処かで?お会いしたような、私が過去に出会った誰かに?似ていたのです。とても懐かしく不思議な親近感を抱いたものです。


久しぶりに彼の消息が新聞に載ったのは今年の春でした。いろいろあって2008年に大統領を辞任、その後は国外に亡命し、今年の3月に帰国し大統領在任中にのいろいろな事で、裁判の被告になっているそうです。

パキスタンは外交でも、内政でも、いろいろ大変なのです。民族と宗教とが絡み合うと、なかなか解けないのです。

こちらは、それなりの来賓の方を接待する特別テントのようです。それなりのご馳走?が振る舞われているようです。


会場全体を見回すと、まあ、まあ、それなりの賑わいなのでしょうか? どこが主催で、どこが後援なのか?よく判らないイベントでした。


兎に角、パキスタンはインドと仲が悪く、インドは中国と仲が悪く、因って、パキスタンと中国はそれなりに仲がイイのです。

と、云う事で、中国とそれなりの関係ですから、日本とパキスタンの関係はイマイチのようです。それと、核保有国であるパキスタンが、北朝鮮の核開発に密かに関与している疑惑もあるので、パキスタンと日本の友好関係はいろいろとムズカシイのです。

兎に角、日本とパキスタンの友好市場は、それなりの賑わいでした。

もう少しで、西郷さんです。


それでは、また。



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上野の森でとてもポップな“特殊車両”に遭遇

2013年05月07日 | 東京の風景
先週からの続きです。

世間ではゴールデンウィークが昨日で終わったようですが、私は一年中ゴールデンウィークなので~す!

それで、谷中の墓地を抜け、“愛玉子”を横目で見て、この路地を抜け、


東京芸大の通りに出ました。さすがです、この木立、この煉瓦造りの校舎、歴史で、芸術で、伝統で、権威で・・・・・・、凡人には近寄りがたい雰囲気を漂わせています。


門の前には、


オジサン一人とオバサンが二人。ガイドパンフを見ながら、目的地の方角を確認しているようです。谷中の墓地巡りでしょうか?


上野公園に入ります。この日は天気は快晴、新緑の木陰が、眼にも、躰にも、心地良かったです。


左手方向に眼をやると、青い空をバックに、“ 旧因州池田家表門”の


本瓦葺き越しに浮かぶ“表慶館”のドーム屋根、とても、とても、絶景でした。


そして、右手方向に眼をやると、反射板に照らされ、カメラマンの指示で、ポーズをとる女性モデル?

これは、これは、と、近づいて見たら、それほど若くもなく、それほど・・・でもなく、フツウのそれなりの女性でした。

いったい、何の? 単なる、個人的な撮影?何て、考えつつ歩いていると、路上を移動する不思議な車両?に遭遇。


色とりどりのガムテープで“デコレーション”された、路上放棄物の採取運搬と宿泊設備を兼ねた?、“特殊車両”とお見受けしました。

それにしても、このカラーテープの色使いは、只者とは思えません! さすが芸大が近いだけに、上野の森では、いろいろとアートがいっぱいなのです。

ホント!絶対に!かなり!意識して!車両を創作していると思いました。 

国立博物館の前に出ました。


何か、イベントをやっているようです。


待ち合わせまで時間があるので覗いていきます。

この先は次回。


それでは、また。

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愛玉子は健在でした!

2013年05月02日 | 東京の風景
一昨日の続きです。

谷中の墓地を裏?から入って、表?から出ます。

墓地の入り口には、お墓参りセット?を商うお店が両側に数軒並んでいます。どちらのお店も、かなり古くから営業しているようで、創業は“寛永年間”何て看板が掲げてあったりします。

こちらのお店の軒先は竹を編んだ柵?衝立?に、


いろいろな花が咲き乱れています。こんな感じが、江戸情緒?下町情緒?


この日、天気は快晴で、ゴールデンウィークの初日で、墓地も華やいで?見えました。

後ろをふり返ります。これが谷中墓地のメインストリートでお花見の名所、“さくら通り”です。


谷中の墓地を抜け、道なりに進みます。もしかして、もしかして、もう、無くなっているかも?と、思いつつ歩いていたら、ありました!愛玉子!オーギヨーチィ!


まだ営業しているのです。7~8年ほど前に入って食べましたよ“愛玉子”、旨いか?不味いか?と問われれば、ナンダか良く判らない、味を楽しむと云うよりも、食感を楽しむと、云ったような、“へんてこな味”だったような?


その時は、連れ合いと二人だったのですが、オーギヨーチイを口に入れた瞬間、互いに顔を見合わせ、眉間に皺を寄せて、何だコレ?のサインを送り、店内を改めて見回した記憶があります。


店内は、これは、もう、テーブルと云い、イスと云い、壁と云い、床と云い、お品書きと云い、昭和がそのまんま!と云うか、かなり、古ぼけ、傷んで、めいっぱい哀愁を帯びていました。

お店は、70代後半のご夫婦?で営んでいましたが、この店の現在の外観から察して、未だご健在のようです。


それにしても、このご時世に、この店の存在は、ほとんど“奇跡”だと思います。以前は、中華そば、五目そば、何て食事のメニューがあったのですが、いまでは、愛玉子と飲み物だけにメニュー絞って頑張っているようです。

愛玉子の味を思い出しつつ、店の存続を願いつつ、店の前を通り過ぎます。変わった色の都営バスが“言問い通り”から左折して来ました。


右手の喫茶店もご健在。


左手の“酒屋資料館?”もご健在。この日は大道芸のイベントをやっていたのですが、客か一人も来ず、演じてのオジサンが手持ち無沙汰に歩きまわっていました。


久しぶりに酒屋の店内を覗くと、


以前と、ほとんど、変わらず、それなりの趣。


この細い一方通行の路地を40~50㍍ほど進むと“東京芸大”の脇に出るのです。この路地に入るのも久しぶり。


この先は、次回に。

それでは、また。

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