歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

印西市重文“光堂”を正しい経路で辿ります

2011年03月30日 | お寺・神社

先ずは、つくば市の、3月30日午前10時26分の“放射線量は0.18μSv/h” です。

それで、暫く中断していた千葉県は印西市の重文“光堂”の続きを再開します。

それで、その日、道路から案内板に従い光堂に辿り着いたのですが、そこは明らかに裏口と云うか、脇道と云うか、正しい参道ではなかったのでした。


正しい参道は、当然、光堂の正面の石畳です。


しかし、参道の真ん中で行く手を阻む、この木の柱は何て云うのでしょうか? 撮影にも、参拝するにも、ちょっと邪魔なのです。


この先が石段となっています。


かなり急で、かなりの段数があります。


下りて振り返って見ます。右が光堂への道。


したから見上げると、急勾配がわかります。


この急勾配で、少しねじれ気味の石段を登ると、こんな感じで光堂が現れるのです。


左を登ると、光堂の裏手の墓地に辿り着きます。


後ろを振り返った後は、180度身体を回転させて前方に眼を移すと、平らな道のその先はまた階段となっています。ここで、一旦引き返し、この階段の上に繫がる道を探し求めて、通りに戻ります。


戻る途中で見つけました。暗い山の中、苔むした石塔の前で、鮮やかに光る椿の花。


通りに戻り少し行くと「小倉青年館」の案内を発見。距離的にもこの辺りが怪しいと睨みました。


両側は住宅の小道。


右に折れ、


左に折れ、


青年館の前に到着。右側に石段、


水色に塗られた手摺りに見覚えがあります。


石段を下ります。


間違いありません。光堂への路です。


本来、こちらから入るのが正しいのですが、石段を下ったり、登ったり、かなり険しい参道なので、印西市の教育委員会としては“裏道コース”を“見学コース”としたのでしょう。

“参拝”するお方は、正規ルートをオススメします。石段を下りて、また石段を登る、険しい山道を辿った方が、御利益があり、有り難く、そして、“光堂”が輝いて見えるのです。

わたくしは、暗く湿った険しい山道を下り、そして登り、やっと辿り着いたその先の、開けた空間に佇むお堂が、とても、とても、輝いて見えたので“光堂”だと思ったのです。

でも、しかし、“宝珠院観音堂”が、光堂と呼ばれるのは、内部に金色に輝く厨子があるからだそうです。何か、アッタリ前で、身も蓋もないのでした。

これで、震災で一時中断していた“光堂シリーズ”を終わります。


※11時50分現在の放射線量は「0.21μSv/h」です。



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何が起きても東京電力は潰れません!

2011年03月28日 | 世間話し
しかし、困った物のです。

どういう経過で収束して行くのか、まったく見えません。

このまま行くと、ダラダラと、数週間?数ヶ月?数年?、放射性物質を大気中に、海水中に垂れ流し続けるのでしょうか、それとも、臨界?で一気に・・・・・・・。

地震や津波の自然災害に対しては、二重、三重の安全策がこうじられており、安全であると説明されていたのです、が、二重三重の安全策は一瞬で吹き飛んでしまったのです。

原発が自然災害に対して、無防備に近いと主張していた学者やジャーナリストは居たのですが、彼らの主張に対して、マスコミも政治も世間一般の人々も、まったく真面目に採り上げることは有りませんでした。

わたくしも、反原発の本は数冊本棚にあるのですが、今は恐ろしくて手に取ることが出来ません。彼らの主張よりも、現実の原発は、もっと脆かったように思います。

世間一般の人にすれば、原発が、まさかこんなに簡単に壊れ、こんなに重大で、こんなに広範な災害をもたらすとは、夢にも思っていなかったのでしょう。

でも、わたしは、原発がかなり脆く、一度事故が起こると、取り返しのつかない大災害が起きる事を、それなりに知っていました。でも、しかし、とくに何もしてきませんでした。

毎日、身近な事だけを考え、その日が楽しければ、まあ、それで良いと思って暮らしてきたのです。専門は専門家に任せて置けば大丈夫だと、そう思っていました。

原子力発電は国家方針だそうです。単に、電力会社の経営戦略ではないそうです。いつの間にか、そんなことになっていたのです。

原発が爆発しても、東電は独占企業ですから、他に変わる会社が無いので、絶対に倒産しないのです。あんな危ない会社なのに、銀行は資金をいくらでも貸してくれるのです。

どんなことがあっても絶対に潰れない会社、赤字になりそうなら電力料金を上げればイイだけなのです。

そんな会社がまともの経営をしていたとは思えなくなりました。原子力発電が無ければ、日本の経済も、暮らしも、支える事がホントに不可能なのか?みんなで考える時では?と思うのです。

発電から供給までを独占させるのは危険では?と思うのです。そして、先ずは、原発に頼らず、本気で、死ぬ気で、自然エネルギーに変換していくべきだと思うのです。

毎日、毎日、福島第一原発の冷却作業の状況を注視し、マイクロシーベルトの値や水道水のベクレルの値を注視し、ビクビク怯えて暮らす生活は、もう、嫌です。

もし、次の衆議院選挙が行われ、ただ一点、原発反対を掲げる政党に投票します。兎に角、“命あっての物だね”なのです。

それにしても、戦時中の、あの嘘八百の“大本営発表”を、国民が疑わずに、よく信じたものだと、以前は、そう思ったのですが、今回の原発事故で、何か、それなりに、判るような気がしてきました。

誰しも、嫌な事は聞きたくないのです。疑いつつも、そうあってほしいと願い、そうだと信じるほうが、精神的に楽だったのです。

兎に角、それでも、原発の安全停止に携わる、東電の下請け、孫請け、消防、警察、自衛隊の決死的な行動に期待したいと思います。ホントに頭が下がります。

毎朝、毎晩、神様、仏様にも祈っております。


それでは、また・・・・・・。

山崎ハコ 「アカシアの雨がやむとき」


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原子炉が安全停止したら“国民栄誉賞”ものです

2011年03月24日 | 世間話し
毎日、毎日、第一原発です。

マイクロシーベルトに、ミリシーベルトです。

つくば市では、11日以降「0.05」から徐々に増加し、「0.25」前後で推移しています。一時は「0.5」を瞬間越えたこともありました。たぶん雨の所為だと思いたいです。

そして、昨日からは、水道水で“ベクレル”が出てきました。

放射線の発見者で、その功績により1903年ノーベル物理学賞を受賞した。フランスの物理学者の“アントワーヌ・アンリ・ベクレル”(1852年 - 1908年)さんから付けた単位だそうです。

こんな人です。


ホントに、毎日、毎日、現実とは思えない映像がテレビ画面に流れます。

これまで観たこともない、放射線学者?や原子力学者?が画面から、大丈夫です。安全です。と、云ってくれているのですが、彼らのほとんどは、事故前には、原発は安全、大丈夫と云っていた方々だそうです。

それでも、危ない!もう手遅れだ!と、云われるよりも、そんな過去を持つ方々でも、現状では、信用した方が精神的に良さそうなので、画面を見つめて、そうか、そうか、と、頷いています。

アルコールに放射線障害の“軽減効果”があるとの学説を堅く信じて、原発から立ち上る、白や、灰色の煙を見つめながら、焼酎のお湯割りを飲む毎日です。

昨日の夜、寝る前に精神をリラックスさせようと、“南伸坊”の「単なる冗談」(ちくま文庫1989年)を引っ張り出して読んでいたら、

“・・・なにも原子力発電所がバクハツしたわけじゃあるまいし・・・”なんて事が書かれていたのです。

原子力発電所はバクハツしたのです、これにはかなり応えました。伸坊さんも、まさか、22年後にバクハツするとは夢にも思わなかったでしょう。本はその時点で部屋の隅に放り投げ、“ラジオ深夜便”を聞く事にしました。

“バクハツ”と云えば、NHKの“岡本太郎”の特集番組の前宣伝で、“芸術はバクハツだァ!”の台詞がカットされていました。

そう言えば、民放は水素爆発で原子炉の建屋が吹き飛ぶシーンを流していましたが、NHKは流しませんでした。自主規制でしょうかね。まぁ、あまり観たくはないシーンですけどね。

東電職員、消防、警察、自衛隊、皆さんの決死的な行動には頭が下がります。原子炉が安全に停止し、放射性物質の流出が止まったら、全員に“国民栄誉賞”を授与しても良いと思います。

兎に角、原子力には手も足も出ません。

それにしても、原子力保安院の“広報官”は、どうにかして貰いたいです。優秀な方なのでしょうが、見た目に、安心感がなく、会見途中で部下に聞いたりして、とても頼り無さそうなのです。

人は、兎に角、先ず、見た目です。


それでは、皆さん、神様、仏様に無事を祈りましょう。


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震災後本日(3/22)ガソリンを満タンにしました!供給は正常化しました!

2011年03月22日 | 世間話し

ずっと、ずっと、心配していたガソリンを“満タン”にしてきました。

“そろそろ給油”と思っていた矢先に震災が発生、あれから車を動かしたのは2回だけでした。走行距離から推測して、あと100㎞は何とか走れる残量でした。

自転車で出掛ける度に、給油待ちの数百台の列を横目で観ながら、“被災地優先・被災地優先”と呟いて、“給油衝動”を抑えて来たのです。それに、列に並んで待つのが大嫌いですし。

兎に角、もう少し経てば、もう少し経てば、と思いつつ、それなりに不安を抱きつつ、過ぎた10日間なのでした。

そして、新聞報道等で、ガソリンの供給は問題ナシの情報により、本日、朝8時、近所の給油所に向かったのです。給油待ちは20台程度で、10分程待って給油できました。

特に制限もなく満タンに出来ました。ついでに灯油20リッターを購入。ガソリンは前回、確か、リッター132円だと思ったのですが、今回は147円でした。灯油は80円だと思ったのですが、今回はリッター88円でした。まあ、兎に角、確保できました。

給油所の係員の人は“ガソリンの供給は、もう、問題ありません”と、云ってました。

※追記

先ほど〈2時前〉に行ったら、行列は消え普段どおりの風景に戻っていました。

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光堂で正一で山頭火?

2011年03月18日 | お寺・神社
こういう、ときですから・・・・・・。

印西の光堂を再開しました。
















“ふりし世代”字余り。正一? 種田正一? 種田“山頭火”?


“ふりし寂けさ 降る木の実”これだけだと、山頭火の匂いがします。 頭の”ふりし世代”が判らん?

“ふり”は、振り? 不離?、不理?










こちらが、表参道。


光堂でした。


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道路工事はいつからこんな事に?

2011年03月16日 | その他




















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敗戦直後の様相になりそうです

2011年03月14日 | 世間話し
一から出直しです。

清く、貧しく、美しく、まさに、暫くは清貧の時代?

第三の開国ではなく、第二の敗戦出直しだと思います。

近所のガソリンスタンドは売り切れで閉店していました。

食料品スーパーもめぼしいモノは売り切れていました。

断水していますが必要量は何とか確保できる状況です。

もう、これは、配給制度に移行した方が、混乱も無く、平等に物資の
配分なされると思います。

我が家は、細々と食いつなげば1ヶ月は持ちそうです。

それにしても、福島の原発はニュースを見るのも恐ろしい状況です。

いつかの日か、こんな事故が、もしかして?と思っていた事が
現実になってしまいました。

ワカメに、ヒジキに、昆布はそれなりに買いだめしてあります。

兎に角、原発技術者の、知能と、知恵と、技術と、決死的覚悟に
期待したいと思います。

兎に角、最善の努力をしていれば、必ず道は開けるものと信じています。
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大地震みんな無事です

2011年03月11日 | その他
家族は無事で元気です。

周りでは、屋根の瓦が落下した家が数軒あります。我が家は無傷でした。

古今亭志ん生ではないですが、慌てて酒を買って来ました。

細見橋の通りは、帰宅の為に渋滞しています。

地震が起きた時は、自転車で外を走っていました。帰宅する途中であったので、10分ほどで家に到着。

途中で、屋根の瓦が壊れて落下している家が5~6家ありました。

電気も水道もガスも通常通りで問題なし。


以上

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念願の宝珠院“光堂”です

2011年03月10日 | お寺・神社
3月9日、一昨日です。小貝川を下り、利根川を下り、念願の“光堂”に行って来ました。

とうとう、遂に、利根川を渡って、


ここから、千葉県は布佐の町に足を踏み入れます。


1月24日から2月9日の5回シリーズ“千葉ニュータウンを目指して”を“書いた時”に発見した“光堂”です。“行った時”には見逃していたのです。

この石柱は、前回も発見したのですが、


500㍍先で眼に入ったのは、


天龍山泉倉寺で、


この本堂が、なかなか良かったので、光堂のことは頭から消え去ってしまったのでした。


帰宅後に“光堂”を調べてみたら、何と、なんと!国の重要文化財に指定されているほどの貴重なお堂だと知り、残念至極だったのです。

脇をかすめた1月23日、あれから45日?の歳月を過ぎた、この日、しっかりと、約500㍍先、泉倉寺の脇で、これを発見したのです。

“光堂”とは書かれていませんが、間違いない筈です。

他人の庭先に入って行くような道なのです。


あそこにも、何か立っています。


鉄柱の方はほとんど何が書いてあるのか判読できません。石柱の方は“光堂道”の文字がうっすら見えます。


右に曲がって、


左に曲がって、


狭くて暗い道を進みます。


民家の脇を右に折れると、


何か、お寺や神社の裏手で良く見かける、


行事用の資材置き場風のものが現れました。


見えてきました。


さあ、宝珠院観音堂、別名“光堂”に到着したようです。


本日はこれまで、この先は、次回と致します。

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“礼遇の資格”凶器のバゲットは資格不足?

2011年03月08日 | 雑談
昨日は寒かったです。

朝から雪で勤めに行く方達にとっては、最悪の“月曜日”だったのでは?でも、わたしは家でゴロゴロです。それでも、運動の為に、午後からは雪かきをしたのでした。

一昨日の日曜日は従兄弟の一周忌の法要でした。月日の経つの早いもので、遠い過去の出来事のような気がします。わたしも、いつの日にか、こうして、忘れ去られ、消え去って行くのかと、思ったりしたのです。

それで、前回の松本清張の続き新潮文庫の「巨人の磯」の話しです。残り三編は、「礼遇の資格」「内なる線影」「理外の理」「東経139度線」です。

それで、「礼遇の資格」なのですが、前回、“冷遇の資格”と誤って書いたことに気付きました。内容的には、“礼遇”されず、“冷遇”された男の犯罪事件ですから、誤った変換に気が付かなかったようです。

主人公は“丈が小さく肩が落ち、顔も身体も細く、薄い眉にリスのような眼、ちんまりした鼻、締まりのない口もと、貧弱な顎”と云う身体的理由で、能力があるのに“礼遇”されること無く、冷遇されたのでした。

それにしても、酷すぎる外観です。もしかして?“締まりのない口もと”あたりは、清張先生自身の事かと?思ったりもしたのです。清張先生は“若い女性が好きだった”何て、噂を風の便りで、むかし、耳にしたような記憶が、うっすらとあるのです。

まあ、それで、冷遇と云っても、現役時代は都市銀行の“副頭取”で、退職後は国際協力銀行の“副総裁”をやったり、銀行協議会の“副会長”をやったりする方なのです。

“人は見た目が大事”なのは、それなりに“オトナの常識”ですが、それなりの能力があれば、それなりの顔つきと態度になり、それなりに見えて来る、地位が人をつくるのも事実です。

それで、その冷遇の男ですが、妻が亡くなり、57歳のときに26歳の水商売の女と再婚するのです。31歳の差です。ここから不幸が始まるのです。痴情のもつれによる殺人、良くある話しなのです。まぁ、もつれて殺されるのは、とばっちりに近いアメリカ青年のハンソン君なのですが。

「巨人の磯」では、県会議員と秘書の奥さんで、今回は、若い奥さんが結婚前の愛人と、ずっと関係を持つ、世間ではありそうな話しですが、殺人にまで行き着くことは、そうそう無いのです。

冷遇された男は、フランスパンの、あのバケットを凶器に使用するのですが、いくら日にち経って堅くなったとしても、冷遇された男が剣道2段であったとしても、バケットで気絶させるのは、どうも、いまいち、納得できませんでした。

それにしても、“古代織り-コブト”の使い方とか、最後に犯人の夫をかばう婦人の供述が、なるほど!と思わせるのです。このへんの人間描写がさすがです。

犯行動機、凶器の以外性は今ひとつでした。30年前に書かれた文庫の解説では、凶器のバケットが奇抜だと賞賛しているのです。30年前にバケットが一般的ではなかった所為もあるのかとは思います。

でも、拘るようですが、バケットは堅くても、とても軽いので、衝撃力が不足です。精々、頭にコブができるか、切れて多少出血する程度だと思います。仮死状態に至るほど致命的なダメージを与えるのは、剣道二段の腕を持ってしても無理がある、と思います。

その辺を考えて、清張先生も、バケットで頭を一撃されるアメリカ人教師を、「髪の色、眼の色を別にすれば、小柄で東洋人だと思われる」体格に設定しているのでしょう。死体の移動運搬の問題もありますが・・・・・・。


それでは、また。



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