歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

" ガングリオン " って ! 知ってました ?足に出現したのです ! エヴァンゲリオンではありません !腫瘤で良性です!

2018年06月27日 | 健康

いつ頃からかは、はっきりとした記憶は無いのです。

なんとなく、半年ぐらい前のような、そんな気がするのでした。

最初は現在の半分程度の「出っ張り」でした。触ると、プニョ・プニョと云うか、ポニョ・ポニョと云うか、特に痛いわけでもないのでしす。

その「出っ張り」が二・三か月前より変化し始め、現在でこの程度に成長したのです。ここ一か月は変化は停止しています。

左足の、人差し指?と中指の付け根の処にあるのです。最近、やっぱり、気になるので、それなりに調べてみたのです。

どうも、「ガングリオン」と云う症状のようです。へんな名称です。なんか、どこかで、聞いたような?気がしたのです。

最近になって、前後の脈略も無く、朝のウォーキング中に、突然、頭に浮かんだのが「エブァンゲリオン」でした。音の響き似ているのです。まあ、当然、何の関係もありません。

それで、ガングリオンですが、中にゼリー状の物質の詰まった腫瘤だそうです。「腫瘤」と聞くと、何か、怖そうで悪性腫瘍の癌を連想してしまいますが、腫瘤であって腫瘍ではなく、良性なのです。

ガングリオンは日本語では「神経節」と云うみたいです。でも、神経の節とは異なると思います。単なる直訳?

関節の付近にできて、神経を圧迫すると、痛みや、痺れの症状がでるとの説明から考えても、何か変です。でも、関節の付近にできる節だから、「関節節」では、もっと変かもね。

ちなみに、治療ですが、 特に、痛みとか、痺れとかの症状がなければ、そのままで治療の必要はないみたいなのです。

と、云うことで、現在は経過観察中。

それにしても、W杯ですが、日本は期待されていないと、それなりに活躍するのです。第二戦のセネガル(2-2引き分け)の時は、翌日、ホント!眠かった!

明日は予選敗退が確定したポーランド戦ですが、それなりに期待され、勝って当然の雰囲気と、引き分けでも予選通過ですから、かなり、余裕で、実力発揮?

でも、見る方としては、第一戦、第二戦とは異なり、予選リーグ通過は、ほぽ確定ですから、かなり緊張感に欠けます。途中で寝てしまうかもね。

それにしても、今日も、蒸し暑い。

それでは、また。

※ガングリオンのでっぱりは、何もしないでほったらかしていたら、今年(2019年)の2月頃に、消えて無くなりました。  

 

コメント (1)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

安部首相と二人「黒澤」でソバ打ちを見る!!・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・夢を見る!!

2018年06月24日 | 雑談

今朝の目覚めは、とても、とても、妙な感じです、妙な夢を見たのです。

まあ、夢なんてものは、妙なもので、ストーリーは支離滅裂がフツウなのです。支離滅裂な故に、目覚めた思考方法では、ストーリーを辿ることが難しいのです。

今朝の夢は珍しくそれなりに、ストーリーをハッキリと覚えているのでした。

普段は、目が覚めると、夢の内容はすぐに消えていきます。

その夢というのは、安倍首相と電車に乗り、玉川何とか駅で降り、昭恵夫人は魅力的な方だと話をしつつ、蕎麦屋に向かうのです。

私は、首相の周りに警護のSPが居ないのを不思議に思いつつ歩いているのです。

蕎麦屋の方向を見ながら、彼が、あの店は二人以上でなければ入れないと云うのです。

店内に入り、周りを見回し、二人で小上がりに座ると、2~3才の少女が近づいて来て、手に握った小銭を差し出すのです。

すると、店主らしき人物が現れ、「これは、これは、珍しい方たちがお出でになった」と、どうも、安部首相であることは分かっているのです。そして、私の上着の襟を見ると、議員バッチが付いているのです。

店主から呼ばれて若い職人が現れ、傍らでソバ打ちを始めるのでした。その時、私は気が付くのです。ズボンのチャックが開いているのを・・・・・・、そこで、目が覚めたのでした。

これまでも、石破さんとか、麻生さんとか、一緒に酒を酌み交わしているのです。まあ、当然、夢の中です。

まあ、最近は、歳の所為で人間が丸くなり、政治的な主張の異なる方でも、それなりの方は、それなりに、人間的には魅力的で、一緒に一杯やるのも、イイかな、何て思える、今日この頃なのです。

まあ、こちらが、そう思ってみても、それなりの方とは、そういう機会はありえないですけどね。

もしかして、あの蕎麦屋は、首相官邸裏の、「黒澤」だった?

え~~、本日は、まことに、くだらないお話しで失礼しました。

それでは、また。

※こちら過去の関連記事

https://blog.goo.ne.jp/cocoro110/e/748dfca6d33875cb6c3e650fa3a568be

 

 

 

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

耳鳴りでトリノシンとメチコバールを服用!耳鳴りに変化はありません!

2018年06月20日 | 健康

今年の3月26日に受けた人間ドックでの、精密検査を要すの最後の項目、「聴力の低下問題」です。

ドック受診後の3月末に予約して、やっとこさっとこ、6月8日に受診できました。当日、10時の予約で、受付の端末に診察券を挿入したのが9時45分でした。

耳鼻咽喉科の前で待つ事約20分、中待合室で待つこと約5分、名前が呼ばれ診察室に入ると、座らせられた椅子は、どことなく歯医者さんの椅子風でなのです。

医師は30代半ば?の女医さんです。

問診で何か自覚症状は?と聞かれ、静かな環境とか、意識したときに、左耳に耳鳴りを感じる、と応えました。

以前に、中耳炎とか耳の病気は?と聞かれ、少し考え込み、記憶を辿り、たぶん、中学生の頃に中耳炎に罹りました、と応える。

右ですか?左ですか? 記憶に有りません、と応える。

人間ドックの検査結果を画面で確認し、先ずは、両方の耳穴に、金属のパイプを入れて覗き込み、「鼓膜は大丈夫ですね」と云われ、・「再度、聴力検査を行います」と告げられました。

因みにこの女医さん、最近結婚したようで、「・・先生は、・・先生と変わりました」と、中待合室の壁に貼り紙があったのです。

「・・」の苗字が、どちらも「田中から山田」みたいな、よくある苗字から、よくある苗字に変わったのです。何か、妙に、可笑しかったです。本人もいろいろな意味で、この貼り紙を気にしているかも、と思ったりして。

それで、聴力検査の場所を看護師から説明され、案内看板、廊下の矢印を辿って検査室に向かったのです。20数年この病院には来ているのですが、初めて足を踏み入れる区画です。

検査室前には二人の先客が、入り口の貼り紙には検査時間は20分から30分と、ありました。と、云う事は、40分から1時間待ち?

でも、実際には、30分ぐらいで私の番になにました。私が検査室に入るときは、順番を待つ人は誰も居ませんでした。それほど忙しく無いようです。

検査をするのは50代後半?の、ちょっと怖そうな女性看護師?さんでした。

いつものように、両耳のヘッドホンをして左右交互に、ピーピーとか、プープ-とか、ポーポーとか、の連続音が、小さく始まり、聞き取れたら手元のスイッチを押すのです。ここまではドックの検査と同じでした。

次は、片耳のヘッドホンに付け替え、左右別々に検査をします。この時、ピーピー、プープー、ポーポーの音の背景に、シャーとか、ザーとか、の音が流れるのでした。

検査は15分ほどで終了。検査済みが記入された紙を持って、耳鼻咽喉科の受付に戻り、紙を提出して、中待合室で待つ事約10分。

診察室に入り医師からの説明を受けます。

聴力は加齢による低下の範囲内で、特に病的な異常はありません。補聴器の必要もありません。

耳鳴りについては、30日分の薬を出します。でも、耳鳴りに効く薬はあまりありません。これで治るとは云えません、中には治る方もいます。

とのことで、検査、診察は終了。外の薬局で薬をもらい帰宅。

検査診察が500円ぐらいで、薬代が1500円ぐらいでした。 

こんな薬をもらいました。

栃ノ心ではなく、トリノシンですが、耳鳴りの専門の薬ではなく、血流の改善のようです。血流が改善すれば、耳鳴りも、もしかして、改善されるかも、程度なのです。

メチコバールは、何か、聞いたような名前です。でも、初めて、かも? こちらも、耳鳴り専門の薬ではなく、末梢性神経障害の治療薬でした。

耳鳴りの原因は解っていないのです。何となく、血流障害らしいとか、何となく、末梢性神経障害、らしいとか、その程度なのです。

それで、特に改善の期待もせず、服用し始めてから13日が経過して、予想していたとおり、耳鳴りに変化はありません。

と云う事でした。

 

それでは、また。

 

 

 

 

 

コメント (1)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東京駅で八重洲ブックセンターとジュンク堂で時代の移ろいを知り!3倍パスタで納得!

2018年06月15日 | 東京の風景

前々回の、そのまた前回の続きです。 

東京駅にいます。

東京駅に来たら「KITTE」です。「KITTE」は、キッテ、切手、で、“来て”という意味も込められているそうです。

その思惑に見事に嵌り、「KITTE」に向かいました。

キッテの6階、展望デッキです。

東京駅が一望です。

芝生の広場が気持ちイ~~イ ! ホント!ここは、絶対! ビャガーデンですよ!

コチラが5年前に来た時の駅前広場。

そして、こうなりました。

 

タクシー待機場です、どのような順番で乗り場に向かうのか、いまいち不明でした。二列目に停車する際も、右からとか、左からとか、規則性無く停車しているのです。

これって、もしかして、ここに入っている車は登録車で、それなりの装置搭載して、入場の際にセンサーが検知して、乗り場に向かう指示は自動的に行われている? システムとしてそれほど難しくはなさそうです。

まあ、関係無いのですが、暫く、眺め、考えてしまいました。

ハィ!これで、丸の内側を終わり、八重洲口に向かいます。連絡路は北側にあるのでした。丸の内北口に向かいます。

狭くて、くねくねと曲がる「北自由通路」を通って八重洲口に到着。八重洲口に来るのは、かれこれ、たぶん、え~と、あの頃、あの方と待ち合わせしたのですから、え~と40数年ぶりかも?

あの頃とは、風景が変わった!何て思いは無いのです。そも、そも、風景の記憶がまったく無いのです。でも、しかし、何故か?当時はやりの「ラジカセ」を買って、それを大事に抱えなが待っていた記憶はあります。 

ハィ!、八重洲口と云えば、「大丸」です。でも、この、何か、テント風の日除け?風除け?雨除け?は、とても、とても、暫定的、仮設的なのです。 

こちらもそれなりに緑が眼につきます。

 

八重洲口にはJR高速バスターミナルがあります。それなりに、出会いと別れがあるようです。

 

JR高速バス、調べて見たら、驚きです!まあ、驚かない方も居ると思います。ここから、北は北海道から、南は九州までバスが走っているのでした。

この仮設テント?の一階に切符売り場とか、待合室がありました。それにしても、鉄道屋さんが、こんなに全国に、手広く、バスを走らせているとは知りませんでした。何と、何と、JRの鉄道がない沖縄でもJRバスが走っているそうです。

 

 それで、バスターミナルを抜けて向かった先は「八重洲ブックセンター」です。折角だから覗いて行こうとなったのです。

八階建てです、今回、初めての入ります。エスカレーターで各階を巡ります。各フロアーにはお客さんはチラホラで数えるほどでした。

思っていたよりも、各フロアーは狭く、天井も低く、照明も暗く、全体に老朽化?して、へぇーこんな感じなの? 近所のイオンモールの本屋さんの方が、明るくて、広々している、何て、思ったりしたのです。

1978年開業ですから、かれこれ40年の歳月が流れていたのでした。私が訪れたあの頃には未だ無かったのです。

6階まで来て、窓際にあるカウンターのイス席に腰掛け、バスターミナルを眺めつつ、暫しの休息。

「八重洲ブックセンター」は私の中では、「日本一の本屋さん」だと思っていたのです、でも、しかし、調べて見たら、時代は変わっていたのでした。

 1.MARUZEN&ジュンク堂書店 梅田店 2062坪
 2.ジュンク堂 福岡店 2060坪
 3.ジュンク堂 池袋本店 2000坪
 4.MARUZEN&ジュンク堂書店札幌店 1800坪
 4.八重洲ブックセンター  本店     1800坪
 6.丸善 丸の内本店 1750坪
 7.ジュンク堂 新潟店 1615坪
 8.ジュンク堂 三宮店 1500坪
 8.ジュンク堂 那覇店 1500坪
10.ジュンク堂 大阪本店  1480坪

時代はジュンク堂になっていました。わたし、これまで「ジャンク堂」と思っていたのです。失礼しましたジュンク堂さん。

因みに「ジュンク堂」の名称を調べて見たら、創業者の父親が「工藤淳」で、「クドウジュン」で、「ジュンクドウ」で、「ジュンク堂」だそうです。ブリジストンとか、サントリーの類なのでした。

折角、立ち寄ったので、以前より、気になっていた古い地図を探しました。古いと云って昭和20年代の頃です。

地図売り場で探すと、それに近い本が見つかりました。光村推古書院から出版されている「重ね地図シリーズ・東京・マッカーサー時代編」(2000円+税)を購入し、八重洲ブックセンターを後にしました。

それでは、そろそろランチタイム。八重洲地下街に潜ります。

イタリアンです。本日は少し奮発して、いつものサイゼリヤとは、かなり価格帯の異なるイタリアンレストランです。

先ずは、私はビール、連れはグレープフルーツジュース。ジュースはこんな容器で出てきました。ビールは一杯850円だったと記憶してます。

パスタ(写真は撮り忘れ)を注文したのですが、サイゼリヤ価格の3倍以上でした。味の方は2倍くらい美味しかったです。テーブルの間隔も2倍以上離れていたので、2倍+2倍で、3倍の料金に納得?

食事を終えて帰路に着きました。 

はい、これで、東京駅周辺の散策はおしまい。

 

それでは、また。

 

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

米朝シンガポール合意!北は無条件降伏した訳では有りません!はじめの一歩!で正しい選択!

2018年06月13日 | 世間話し

昨日は10時頃よりテレビの画面を見つめていました。

各放送局の、コメンテーターの、とらえ方は?解釈は?報道姿勢は?と、アチラコチラと、いろいろと、チャンネルを変えながら4時過ぎまで、画面を見つめていました。

兎に角、一番、気になったと云うか、不愉快になったと云うか、頭に来たと云うか、オイ!君達!この歴史的場面を真面目に考えているのかァ!と叫びたくなるのでした。

先ず、第一に、北朝鮮は戦争に負け、無条件降伏したわけでは有りません。

非核化に対しての、具体的に期限が示されていない!とか、核放棄の検証方法が不明とか、完全かつ検証可能で不可逆的な非核化(CVID)に触れていないとか。

そして、これまで同じような合意は北朝鮮によって破棄され何度も裏切られてきたとか、会談の失敗を密かに企んでいるのか!と、思いたくなる発言が目立つのでした。

これまでと、これからは、客観情勢が異なるのです。

もう一度確認します。北朝鮮は無条件降伏した訳ではありません。

兎に角、今回は、米朝の最高権力者が、直に会って、握手をして、話し合って、一緒に飯を喰って、不信感を少しでも払拭できれば、先ずは成功です。

そして、そして、包括的でも、抽象的でも、「非核化と体制保証」が盛り込まれた、それなりの合意文書が交わされたのです。先ずは、それなりに大成功でした。

考えても見て下さい!比較してみて下さい!思い起こして下さい!去年の夏からの戦争前夜的状態だった頃を!

北朝鮮が弾道ミサイルを次々と発射し、米軍は臨戦態勢で北を脅し、日本国内では、Jアラートが鳴り響き、可愛い子供達が頭を抱えて机の下に潜る。

こんな状態だったのです。それが、両首脳が笑顔で握手で、一緒に飯を喰っているのです。

「非核化と体制保証」の実現には、時間がかかるのです。

危険な北朝鮮!何をするか判らない金正恩!に、緊張状態の継続に、とても、とても、恩恵を受けている人達と、米国、北朝鮮、中国、ロシア、韓国、日本、等々の、利害調整、駆け引き、いろいろ絡んで、これからなのです。

戦争で苦しむよりも、平和の為に苦しむ事の方が、正しい選択なのです。

兎に角、時間はあります、これからなのです。

はじめの一歩なのです。

 

それでは、また。 

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新潟県知事選挙が終わって”べ平連”的な”市民連合”に想いを馳せる!そして望月衣塑子さん!

2018年06月11日 | 世間話し

新潟県の知事選挙が終わりました。

投票率が58.25%で、前回の知事選を5.20ポイント上回りながら、与党候補が勝利しました。

-----------------------------------------------------------

花角 英世  

「支持」・・・自民・公明  

元新潟県副知事 546,670票 得票率49.6% 

池田 千賀子 

「推薦」・・・立民・国民・共産・自由・社民

元新潟県議会議員 509,568票 得票率46.2%

-----------------------------------------------------------

投票率が上昇すれば、一般的に野党有利となるのですが、今回はその法則は当て嵌まりませんでした。上昇分は与党候補に多く投票されたのです。

何故なの? と考えると、そもそもこの知事選、前回野党候補として当選した、米田知事の「少女買春?スキャンダル」・・・私としては辞任ではなく謝罪で済む話しと思います・・・での辞任が発端だった事。

与党候補が原発再稼働に対して、米田氏の慎重路線の継承を掲げ、自公も「推薦」ではなく、ゆるい「支持」に変えて、与党色を表から消し、裏から組織的締め付けを強化した事。

米田氏も、その前の泉田氏も、もともと保守派で、反原発でもなく、脱原発でもなく、単なる原発慎重派だった事。

しかし、今回の野党候補の池田氏は、原発慎重派ではなく、反原発派だった事。そして無名。やはり、反原発だけでは票が集まらない現実。やはり、経済が優先するのです。

景気、明日の銭金、将来への不安、いち地方の政策では、如何ともしがたく、やはり、何だかんだ云っても、政権与党、中央官庁への繫がりを意識するのです。

やはり、反対!だけでは、有権者の票は集まらないのです。

そして、そして、これまでの国政選挙と同様で、もう、いまの野党連合方式では、新たな支持者は獲得できないことが証明されました。

既成政党、既成政治家、これらからは、自民党的政治と対峙する、自民党的政治を退治する、新たな流は、絶対に生まれないのです。

学者とか、経済人とか、芸術家とか、文学者とか、ジャーナリストとか、芸能人とか、スポーツ選手とか、それなりの著名人に、それなりの市民が参加して、緩やかな市民連合を組織し、国政に参加し、既成政治を変えていくしか、もう方法は無いのです。

既成政党、既成政治家は、消え去るか、裏方に回って下さい。

それにしても、東京新聞の”望月衣塑子さん”には驚きました。YouTubeで偶然見かけたのです。噂は知っていたのですが、喋る姿を初めて見ました。

まあ、兎に角、しゃべりに切れがあり、チャキチャキの江戸町娘的で、お茶目で、明るく、元気で、そして、美人で、ファションセンスが抜群なのです。

こういうタイプの女性とか、男性も、数十人揃えた「緩やかな市民連合」が、国政に討って出れば、もう、過半数は間違いなし?

組織的には、むかし、昔の「ベトナムに平和を市民連合」的なグループの出現が待たれるのです。

政策的には、これまでの延長線上ではない、小賢しい対案的な政策ではない、新たなる世界観からの政策を提示。

「誰でも政治に市民連合」略して「だせいれん」、「D・S・R」とか、「誰でも国会に市民連合」略して「だこくれん」、「D・K・R」とか、名前だけは考えました。

最後は、冗談的な話しになりましたが、ホント!冗談抜きで、野党連合に変わる、新たな政治運動、新たな政治組織が必要だと思います。

来年で平成の世は終わります。

明治維新から敗戦まで77年。

敗戦から77年後まであと2年。

そろそろ、何かが、大きく変わる出来事が、起こりそうな予感。

と、云う、事です。

 

それでは、また。 

 

コメント (1)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東京駅前広場で裸で愛を叫ぶ男!それには複雑な背景が!主張が!思惑が!想いが!

2018年06月07日 | 東京の風景

先日です、「久しぶりに大都会の東京の、玄関、東京駅へ、ちょっと、行って見るか」と、なったのでした。

常磐線の品川駅乗り入れが始まって、初めての東京駅です。まあ、すべてが品川乗り入れでは有りません。今回は、11時46分位着?が運良く品川乗り入れでした。

それで、その日は土曜日で、車内はずっと肩が、触れるか、触れないか、程度に混んでいたのです。そして、日暮里到着。

以前ですと、ここで山手線、京浜東北線に乗り換える人達が降りて、車内は立っている乗客はチラホラ状態になるのです。

でも、今回は、品川乗り入れですから、ほとんど降りないと思っていたら、何のことはない、以前と同じく、乗り換えでぞろぞろ降りて行くのでした。

品川乗り入れで、「乗り換え無しで、東京、品川」とのうたい文句でしたが、品川乗り入れは、あんまり関係なかったような、皆さん、山手線で池袋方面や、京浜東北線で浦和方面に行かれる乗客の方が多かった?

それで、上野を過ぎて暫くして、新しく建設された専用高架を走ります。新幹線より高いところを走ります。高いところなので、途中駅はなく、上野の次が直ぐに東京駅。

東京駅で降り、通路を歩き改札に向かうのですが、人混みの多さに、「君達は、何処から来て?何処に向かっているの?」何て、思ったりしたのです。

丸の内南改札を抜け、駅前広場に出ます。う~~ん、東京です!この景色!

毎日、毎日、田圃の畦道を歩き、トンボや、シラサギや、カエルや、ウグイスや、ホトトギスに囲まれた生活から、この景色は、とても、とても、刺激的!

この先は、皇居となります。

高層ビル乱立で、とても、とても、刺激的。

丸の内側のこの広場が、最近完成したのです。まあ、今回の、小さな目的が、この広場でした。まあ、どんなもんやら?と見に来たのです。

確かに、以前よりも、ゆったりと、広々で、豊かで、落ち着いた雰囲気になりました。中央の芝生は我が家の近所の田圃一枚程度ですが、それなりに景色を創っています。

各国の大使が着任すると、この景色を見ながら皇居に向かうのです。

日本のイメージを決める景色?

カンヌ国際映画祭で「万引き家族」を見て、この景色を見ると、イメージに混乱を生じたり?生じなかったり? 古今東西、何処の国でも、表があれば裏がある、当然の常識!として、特に問題無し!

芝生越しに駅舎を眺めます。木陰で休息する人達、ここは、とても涼しいのです。食事している方も、ちらりほらり。でも、ここで、コンビニ弁当を一人食するのは、ちょっと寂しいです。本日、わたくしは二人連れ、小さく、小さく、写っています。

東京駅は駅舎も復元して、広場が整備され、これで平成の再建計画は一応終了でしょうか?そして、もうすぐ平成の世もおしまい。

以前来た時は気が付きませんでした。こんな処で、腰布一枚で、大空に向かって両手をひろげ、こんな男性が、立っていました。

テーマは”愛”

それで、ちょっと調べて見たのですが、この像、かなり、かなり、複雑な歴史を背負っているのでした。

実は、第二次大戦後、連合軍による東京裁判で戦争犯罪者として裁かれた、関係者や遺族が、昭和30年に平和を祈って建立したのです。

そんなことで、ふつうであれば、堂々と、建立した関係者の名前とか、目的とか、いろいろな経緯が記された説明板が設置されるのですが、それなりの配慮が働いているようです。

配慮と云えば、この像が、東京の玄関に建てられたこと、皇居を背にして立っていること、そのあたりに、複雑な、配慮と、思惑と、主張がありそうです。

建立した遺族には、A級戦犯の関係者が含まれているのです。

話しが、とても、とても、重たい方向にながれました。

はい、このあたりで、それでは、駅前を一望できる「キッテ」の展望デッキに上ります。

あちらが、皇居方面となります。ホントに!ホントに!これが平成の東京!刺激的!

今回は、これまで。

次回は八重洲口に向かいます。

 

それでは、また。

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新潟知事選挙で池田候補の応援に中村喜四郎氏を発見!何で?どうして?選挙の秘密兵器?

2018年06月04日 | 世間話し

先日、気になる新潟県知事選挙の様子を窺う為に、ネットをあちらこちらと覗いていたのです。

それで、です。驚きの映像を目にしたのでした。何と、何と、あの”政界史上最強の無所属”と云われる、あの茨城県選出衆議院議員の”中村喜四郎氏”が応援演説をするお姿でした。

自公が推薦する候補であれば、別に驚かなかったのですが、野党が推薦する再稼働反対派の”池田千賀子候補”を応援しているのです。

何で?どうして?と思ったのですが、まあ、あの小泉元首相でさえ「反原発派」ですから、 保守派イコール原発推進派とは限りませんから、それも、有りかなと思ったりしたのです。

まあ、前任も、その前も、いわゆる保守派の”原発再稼働慎重派”でしたから、池田陣営も、反原発派、慎重派、保守派、革新派、反安倍派と、ウイングを大きく広げるのは、それなりに結構な事です。

それにしても、ホント! お久しぶりの喜四郎さんでした。因みに、彼とは、ほぼ同い歳で、母の実家は彼の選挙区なのです。

それで、以前、彼とは、同じ屋根の下で食事をした事があるのです。と云っても、テーブルをひとつ隔て、衝立を隔てての事です。

実は、彼の選挙区板東市の日本そば屋で昼食を摂っていたとき、前方に、何処かで見たことがある男性を発見。暫く考えていたら、あの、汚職逮捕議員の中村喜四郎と気が付いたのです。

顔はどす黒く、目は鋭く、かなり、人相は良くないのです。何やら、ひそひそと連れの二人の男と話し込んでいました。アレは、十数年前の事ですから、出所して直ぐの頃だと思います。

因みに、彼の簡単な政治経歴です。

1972年 日大卒業、田中角栄の秘書

1976年 衆議院議員初当選 木曜倶楽部田中派に所属

1988年 田中派分裂、経世会(竹下派)事務局長に就任。

1989年 宇野内閣で科学技術庁長官。

1992年 宮沢内閣で建設大臣。

1994年 ゼネコン汚職事件で逮捕。

2003年 最高裁で懲役1年6ヶ月、追徴金1000万円実刑確定、議員失職。

2004年 2月10日刑期満了。

2005年 第44回衆議院選挙で2年半ぶりに復活当選。

2017年 第48回衆議院選挙で14回目の当選で現在に至る。

復活当選後は、自民の院内会派に所属したり、無所属のままで自民党伊吹派に入会したり、2012年の選挙では、森元総理の応援を受けたり、自民党とはつかず離れずなのでした。

でも、2017年の総選挙後の首班指名では、民進党の大塚耕平に投票し、今年になって、岡田克也が代表の「無所属の会」に入会したようです。

岡田氏(90年初当選64歳)とは、経世会以来の付き合いがあるようで、中村氏(76年初当選69歳)は先輩にあたるのです。

と云う事で、「無所属の会」所属として、恩師田中角栄の地元として、反安倍として、そんな繫がりから野党候補の応援演説となったようです。

それにしても、中村先生は国会の会期中だけは永田町にいるのですが、その他は選挙区に張り付いているようです。

彼の政治活動は、兎に角、選挙で当選する事に集中しているようで、国会での活動は法案への投票行動以外は、永田町でも誰も知らないようです。

若くして大臣(戦後生まれで初めての大臣)になり、将来の総理大臣候補として、いろいろ騒がれ、本人もそれなりに将来を見据えた絶好調のとき、逮捕、実刑判決、服役。天国から地獄へ、まさかの展開。

彼は、取り調べでも完全黙秘、裁判でも全面否認、選挙に勝つことで、自身の無実を、国家に対する怨念と反発を、政治活動=選挙活動のエネルギーにしている?

でも、しかし、いつまでも、人生、恨み辛みをエネルギーにして生きるのは、それなりにと云うか、かなりと云うか、辛いものがあると思います。

彼は演説の名手と云われるそうで、1時間でも2時間でも、観衆を飽きさせる事無く、感動を呼び起こし、感涙させる技を持っているそうです。

こちらが、新潟県知事選の応援演説です。かなり、細かい数字をいろいろと諳んじて、言葉巧み、言語明瞭、抑揚の付け方、聴衆への目配り、まとめ方、確かに<聴衆を惹き付けます。

 https://www.youtube.com/watch?v=EhSw8L9rt9w

十数年前、そば屋で受けた印象とは大夫変わって、表情も、目つきも、とても穏やかになっています。 

田中角栄の遺伝子を持つ最後の議員と云われているそうですが、マスコミ嫌いで茨城七区の選挙民以外は、彼の名前も顔もを知らないと思うのです。

何故、いま、彼が、県知事選の応援に新潟に入ったのか、理由がいまいち不明?

もしや、新潟自民党に手を突っ込み、票を奪い取る秘密作戦を指揮する?伝授する?秘密兵器? そして、最終盤で逆転、安倍晋三クンに一泡吹かせる。 

そんなストーリーだと、とても、とても、面白いのです。

それでは、また。

 

 

 

コメント (1)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする