歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

年末のご挨拶

2009年12月23日 | その他
2009年も残り僅か、21世紀が始まって10年が経過し残りは90年ばかりとなりました。

20世紀から21世紀になっても、昭和から平成に変わっても、人の世は、それほど変わるものではないようで・・・・・・。

自民党政権から民主党政権にかわっても、それほど、直ぐには変化が、無いような、有るような、微妙なところです。

変わるべき時には、急激に大きく変化しなければ達成できない事柄があったり、ゆっくり少しずつ変化させたほうが達成できる事柄があったり、いろいろあるようで、なかなかその選択が難しいような・・・・・・・。

それで、いつも思うのが、年末の大掃除です、新しい年を迎えるからと云って、なにもこの寒い季節に、大騒ぎして面倒なことを、大急ぎでやらなくても・・・・・・と、いつも思うのです。

気候の良い、春になったら、ゆっくりと、すこしずつ、やれば良いのでは、と、思いつつも、周囲の眼に押され、急かされながら、それなりにはやってはいるのです。

しかし、掃除とか洗濯と云うのは“復元作業”であり、詰まらないのです。元の状態に戻した処で、何が嬉しいの? 何が楽しいの?と、思ったりして・・・・・・。

でも、まぁ、キタナイより、キレイなほうが、それは確かに気持ちが良いのですが、でも、やっぱり、掃除は面倒で億劫になるものです。

でも、やっぱり、レンジフードのフィルターの油汚れと、網戸とガラスと、照明器具と、風呂場の天井と、それから、え~と・・・・・・・、まぁ、そんなところが私の分担なのです。

そう云う事で、いろいろと忙しくなり、ブログも今年は、ここらで、年内はお終いと云う事にします。

新年は、3日あたりから再開しょうかなァ・・・・・・と、思っております。

それでは、また年明けに、お会いしましょう。

皆さん、良いお年をお迎え下さい。  (^_^)/

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寒い日は寂しい風景で暖まる

2009年12月22日 | 季節の風景
この橋を見つけたとき、とても懐かしい想いがしました。


子供のころ、近所にこんな橋があったような・・・・・・。



町工場の脇を流れる“どぶ川”に架かる、飾りもない、灰色のコンクリート橋。



工場排水や生活排水が流れ、川面は七色に輝き、悪臭も漂っていました。



それでも、少し離れたところには、ソースの会社や、花林糖の会社の工場があった様な気がしています。



そんな、遠い昔を思い出させる、田圃なかに架かる、名前もなく、飾りもなく、この季節、渡る人もいない橋。



もう、そろそろ、この橋にも、寿命が・・・・・・・。



寒い冬の、寂しい橋の風景でした。


冬は、寒いほうが、とても、懐かしくて、暖まって、いいと思います。


それでは、また明日。




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袖スリ会うも他生の縁

2009年12月21日 | 世間話し
あの日(10月31日)は、小貝川を下り、利根川を下り、ひたすらペダルを漕いでいたのです。

前回(いつだったか忘れました)、工場と書いた建物が遠くに見えてきました。


あの時から、どうも、何か、気になっていたのです。もしかして、只の工場ではなかったかも? そう思い、今回、正体を確かめる為、土手下に降りました。

【これは汚泥の処理装置でしょうか?】

やっぱり! そうでした! どうも、何か、そんな気がしていたのです。公共施設の気配が漂っていたのです。


“そうか、そうか、そうだったのか”と呟きつつ、土手の上に戻りました。

周囲は農地、遠くには高圧鉄塔、こんな風景のなかに、ポツンと佇む工場。いいです。


こちらは、パステルカラーの民家。


この日、サングラスをかけていたので、こんな風に見えたのです。現実感のない、とても不思議な風景でした。サングラスで風景が黄昏るのです。


これは面白かったです。


機械が、“ウンチ”しているみたいで・・・・・・。


ポロッ、ポロッ、と、落としていくのでした。


前回来た有料橋を越えて、初めての土手をかなり走ったところで、ここらで、そろそろ引き返すかと、土手を下りたのです。来た道を戻るのでは詰まらないですから、


土手を離れたのです。すると、このバス停の“待合い小屋?”


高圧鉄塔の下に、波板トタンの“待合い小屋?” なかなかの風景、物語を感じます。


はじめて走る田舎道のバス通り。知らない道、“遠く感”が堪らないです。


遠くの地平線に、何やら、町が? 利根川土手を相当に下ったので、もしかして、たぶん、きっと、知らない町が? と思ったのでした。


遠くに見える、あの町は? と、期待に胸脹らし走り続けてたのです。


でも、しかし、そこは、龍ヶ崎だったのです。こちらから市街に入るのは初めてです。


龍ヶ崎と云えば、あの“諸岡さんの赤煉瓦塀”です。最近、移築先がきまったとの、新聞記事をみたのです。この八坂神社の裏だったと、


それにしても、向かいの“まいんバザール”の会場はどうしたの? 工事中です、何ができるのでしょうか。


新聞記事からすると、たぶんこのあたりに赤煉瓦塀が移築されると思います。


移築先を確認し、町中を走っていると、このポスターが目に留まり、自転車を降り、まいんバザールの会場等を確認していると、


中年の男性に声を掛けられたのです。まいんバザールのポスターの上に、このポスターが貼ってあったのです。


オャ? と思い、ポスターの顔と、男性の顔を、見比べたのです。すると、

「本人です。ちょっと写真は古いので・・・」 

確かに、頭髪の具合に微妙な変化が・・・。

それで、蛇沼の赤煉瓦屋敷とか、諸岡邸の赤煉瓦塀の移築とか、街並みのこととか、まいんバザールの会場とか、市長選挙のこととか、そんな話をしたのです。

龍ヶ崎市民でない事は、最初に告げたのですが、それなりに、丁寧な受け答えをしてくれました。

そして、本日の朝刊で、彼が市長に当選した事を知ったのです。

“袖スリ会うも他生の縁”で、やはり、立ち話でも、“知り合い”が当選したようで、それなりに嬉しいのです。

それで、あの時、彼は“赤煉瓦塀の移築費用は市が負担すべき”だと、云ってました。きっと、近いうちに、市の予算で移築が実施されるかも?

それでは、また明日。



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今年も沢庵漬けの作業を開始

2009年12月18日 | 季節の風景
今年も美味しい沢庵漬けを作ります。

沢庵作りも、今年で、たぶん?3年目だったと思います。

はじめての時は10本で、旨い、旨い、と食べていたら、アッと!云う間に無くなり。

2年目は、15本を仕入れて、旨い、旨い、まだ、まだ、と思っていたら、残りわずかで、アレ? もう無いの? でした。

そこで、今年は、一挙に! 何と! 40本も!仕入れたのです。



それで、40本ですが、それが何と! 1本20円なのでした。農家の方に申し訳ないような値段です。40本でたったの“800円” デフレ?

10日から2週間ほどしっかり干して、生糠と塩で漬け込みます。生糠は近所で無料で手に入るのです。



早く食べたいので、5~6本は二つに割って漬け込みます。一週間から10日で、半割沢庵の浅漬け?が食べられます。

今年は、何と云っても、40本ですから、残りを気にせず、思う存分、食べられるのです。

自家製沢庵漬けは、ホントに、ホントに、美味しいですよ!

そのうち、いつか、自家製の大根で、自家製の沢庵漬けに、挑戦してみたいと思っています。

それでは、また来週。


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小沢幹事長あなたは傲慢で小心です!

2009年12月17日 | 世間話し
小沢一郎氏は結局“二流の政治家”だったようです。いや、三流かも?

先日、中国副主席を天皇と無理矢理会見させたのは小沢一郎氏であり、その目的は、国益を重視したのではなく、彼個人の権力誇示と私益です。

副主席の習近平氏は、日中の友好関係を発展させる為に、天皇との会見を望んだのではなく、彼の権力闘争を有利に展開する手段の一つとして、会見を要求したのは、誰の眼にも明らかです。

だからと云って、彼が権力の座について、その事を感謝して、それなりの恩返し、何て事は、有り得ません。そんな事をしたら、彼の権力基盤は危うくなります。

それにしても、宮内庁長官の羽毛田氏の対応も、かなり“政治的”でした。彼が本心から、純粋に、天皇の政治的利用を避けたければ、黙って辞任するべきでした。

もしかして、羽毛田氏は、民主党政権の寿命は、もう、風前の灯火と見て取り、官僚として、揺さぶりをかけたのかも? それを、察知した小沢氏が、感情丸出しで怒ったのかも?

羽毛田長官が記者会見で事の経緯を発表した事で、天皇は権力闘争の渦中に巻き込まれてしまいました。いつの世の権力闘争も、錦の御旗なのです。

一番、この状況を憂慮し危機感を抱いているのは天皇陛下かもしれません。

それにしても、この件の記者会見は酷いものでした。小沢氏は本性を丸出しにし、感情的、威圧的、権力的、独裁的で、傲慢で、不遜で、反民主主義的でした。

習近平氏の会見要求を受け入れた事での、様々な波紋の広がりを、小沢一郎は、どうも、読み切れていなかったようです。目先の、利益しか見えなかったようです。これでは、政治家として指導者として失格です。

彼は、割と単純で、手続きとか、経過とか、道筋とか、他人の意見とか、説明とか、説得とか、話し合いとか、他者への配慮とか、そういう回路が頭の中に存在していないようです。

人間が、とても、とても、小さくて、小心なのです。

これで、鳩山内閣、そして民主党の支持率は10%は低下したでしょう。小沢氏の顔色を見ながら、政策決定がおこなわれている現状は、とても、とても、異常な事態です。

そもそも、“事業仕分け”の“仕分け人”を政府が決定した際、選任された三十数人の議員を、小沢氏の一声で、ほぼ総入れ換えした、あのドタバタ劇の頃から、おかし動きになってきたのです。

どうして、誰もが、黙って、小沢氏のやりたい放題にしているの? そんなに小沢氏が恐いのでしょうか?

“剛腕・傲慢”だけではなく、何か、見えない“闇の部分”に彼の怖さが隠されているのでしょうか・・・・・・・? まぁ、他の民主党議員がだらしないしから、そんな噂が囁かれるのです。

選挙屋が居ないと、選挙に勝てず、政権交代も無かったからと、選挙屋を恐れる事はないのです。選挙テクニックではなく、政策で選挙を・・・・・・何て、云っても、現実は、選挙に勝ってはじめて国会議員ですからね、ここが、とても、困るのです。

政策を勉強し、語るよりも、駅頭で、毎朝、毎晩、只々、頭を下げて挨拶する方が、票になり、国会議員になれる、動かしがたい現実があるのです。

小沢さん、日本国民の幸福と、未来と、平和と、繁栄のために、選挙コンサル業に転身して下さい。

あなたの、能力と性格は、新しい時代の政治家に向いていませんよ。


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鳩山総理殿ハッキリしゃべってスッキリしたらァ!

2009年12月16日 | 世間話し
普天間基地の移設問題に関して、テレビとか、ラジオとか、新聞とか、週刊誌(広告見出し)の報道を見ていると、鳩山さんは、どうも、ハッキリ自分の考えを、持ってもいないし、しゃべっていないと思われて、しまいます。

彼は、どの場で、どのタイミングで、ハッキリしゃべるか、そして、その事による、政治的、経済的、外交的、軍事的な影響を、いろいろ推し量っている段階と思われます。(贔屓の引き倒しだったりして)

世界の誰もが、もう、アメリカが、経済的、政治的、軍事的に世界を単独でリードする時代は終わったと思っている筈です。たぶん。

あの小沢一郎さんにも、「日本には第七艦隊の基地だけで十分だァ」発言があります。鳩山さんは以前より「駐留なき日米安保」を主張していました。

アメリカも嫌がられてまで駐留する必要はないと、そろそろ、潮時だと思っている筈です。たぶん。

アメリカの傘の下に居ることによる利益、また、アメリカにとって傘の下に日本を置く事の利益。これまでは、お互いに利益があったのです。

でも、しかし、時代は変わり、傘の下に「居る事・置くこと」の利益は、お互いに、いろいろと、無くなりつつあります。

確かに、日米安保体制は、これまで軍事的には少ない費用で平和をもたらし、経済の発展に貢献しました。

が、いまでは、日本も、イラク・アフガンでは、アメリカの“要求”で、金銭だけでなく、軍事的な責任を持たされています。もう、金だけでは済まされないのです。

でも、しかし、金も人も出せと云われていますが、それでも、“くち”は出さないで、アメリカに黙ってついて行く方が楽だと、そう思っている人達が居るようなのです。

アメリカを怒らしたら大変だァとか、もう、相当に怒っているとか、そんな事で騒いでいる方達は、黙って、いままでどおりついて行く派の方達です。

確かに、このまま、ズルズル引っ張るのは、それなりに、お互いに、マイナスになる段階に入ったように思われます。

あの北朝鮮にも、日本は交渉相手では無いと思われています、アメリカと交渉し、その結果が日本にどのように影響しても、日本はアメリカ出した結論に従うと、そう思われているのです。

日本が国連の常任理事国になりたがり、いろいろ工作していますが、独自の主張が無い日本がイスに座っても、あまり意味が無いと思われているから、未だに成れないのだと思います。

経済力があっても、政治的な主張はしないで、アメリカの下で、黙々と金儲けに励んでいる国と思われているのです。

アメリカの核の傘の下に居て、唯一の被爆国として、核廃絶を訴えても、それは、相当に、かなり、ムリなのであり、矛盾しているのです。

そんな、こんなで、これまでの関係を、ずっと、ずっと、維持したい人達と、そろそろ、変えようと云う人達の、主導権争いが、いま、起きているのです。

普天間移設は、大きな流れの変化の、小さな一つなのだと思います。

鳩山総理、そろそろ、ハッキリ、しゃべって下さい。そうしないと、表面的には、あなたが、とても、フラフラしている様に見られますよ。

ここらで、ひとつ、“鳩山ドクトリン”を世界に向けて発表して下さい。

たぶん、記憶に寄れば、あなたは“防衛上”において核兵器の保有を認めていたように思います。それも、ハッキリさせて下さい。

対等な日米関係はアメリカに要求するのではなく、日本が、それなりに覚悟と、方針を決める事で、成し遂げられると思います。

特に、安全保障の面では、どういう事態を想定し、軍事的にはどの程度の武装で行くのか?

安全保障に関しては、タブーが多く、議論を避けてきましたから、ここらで、ハッキリさせる必要があります。 

中距離核ミサイルを保有し、戦略爆撃機、航空母艦を持つ「重武装」にするのか?

軍事力が強大化すれば、またも日本は軍国主義国家になるとか、戦争を始める危険性が生じるとか、生じ無いとか。

中武装では、中国、北朝鮮からの“脅威”に晒され危険だとか、いや、“脅威”は実態のない、軍国主義者の脅しだとか。

それとも、非武装中立で他国から侵略の危険性は、それなりに覚悟するとか、非武装でも他国からの侵略の危険性は、中武装や重武装と対して変わりませんとか。

まぁ、みんなで、いろいろ、議論をすればよいのです。

まぁ、そういう事で、鳩山さん、そろそろ、ハッキリさせて、スッキリしましょう。

献金問題の方ですが、こちらは、勘弁してあげます。


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坂野家住宅で寂しく、侘びしく、せこく、情けなく・・・・・・

2009年12月15日 | 建物の話し
昨日の続きです。

午前中は、“gooブログ”のシステムメンテナンスの為に更新できませんでした。午後からの更新は、とても、何か、調子がでにくいのです。

でも、しかし、本日は、坂野家住宅の最終回ですので、1日空白があった後での最終回も、何だかな~~と思いつつ、昼食後であろうと、ココは一つ、頑張って、何とか、決着をつける所存であります。

昨日に続き、庭先をウロキョロしております。


それらしく、添え木を施し、無理矢理?枝に捻りを加えているような? そんな分けではないの?


真白い漆喰の壁、真白い障子、とてもイイです。


主屋は二重の塀に囲まれているのです。


この紫の実をつけているのは何でしたっけ? “紫式部”何て品種もありますが、これではなかったような・・・・・・。


こちらは、江戸時代の風景です。


主屋の方から見る、重要文化財の薬医門。


大八車があります。“大八”が有れば、“中八”とか、“小八”とかも有ったりして、前回書いた、裏庭の小さい車輪は“小八車”のものだったりして・・・・・・・。冗談です。


これで、ほぼ、坂野家住宅の見学は終わりです。


見学料金300円を払った分けですが、まぁ、それなりに、適正な料金だったような、チョット物足りないような気も、有るような? 無いような?

そうでした、300円も!払ったのですから、入場者にパンフレットの一枚も配ったら如何なモノかと、薬医門をくぐり、主屋を振り返りつつ、思ったのであります。

最終回は、かなり、寂しいと云うか、侘びしいと云うか、せこいと云うか、情けない感想での締めくくりとなってしまいました。

テンションが完全に下がったところで、お終いとなります。


明日からは、何を書こうか?


それでは、また、あした。


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坂野家住宅で庭から眺める月波楼

2009年12月14日 | 建物の話し
先週の続きです。

月波楼から、主屋の茶の間を抜けます。ここには何代目?かの当主ご夫妻肖像画の掛け軸がありました。


お二人の髪型、とくに奥さんの方からは、大正から昭和の初期の当主かと?思われます。ここには、家系図があったような気がしました。写真に撮ってくばヨカッタァ!と、今になって思うのです。


茶の間を抜け、土間に下り、裏庭に出ます。主屋と書院を繋ぐ太鼓廊下、苔の生えた地面は大正ロマンです。


この風景、これは、かなり、計算された演出です。江戸の匂いを感じます。ドラマ撮影時の背景としてセッティングされ、それがそのまま残されたような?


大きい方は大八車の車輪ですが、大八車は二輪車です、残る二つの小さい車輪は何でしょうか? 坂野家住宅は、かなり時代劇の撮影現場として使われているのです。

“大きい車輪”の方が、小さい車輪より、車軸の入る穴の内径が“小さい”のです。そこのところが、何となく、とても気になったりして・・・・・・。

裏側も、それなりにイイのです。


このあたりの湿っぽさに、時代の想いとか、時の移ろいとか、物語とか、いろいろなものが、漂っているような・・・・・・・。

口の小さいこの瓶は、油でしゅうか? 酒でしょうか? それとも醤油でしょうか? もしかしてお酢でしょうか? なにを入れていた瓶?

北側からの月波楼。


南側からの月波楼。


庭の植木越しに望む月波楼。


文人墨客達も、庭をそぞろ歩き、いろいろ語りあったのでしょう。


こちらは主屋です。


本日は、これで、次回は主屋の方を眺めます。

今日は、何だか、眠い。

それでは、また明日。

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坂野家住宅は月波楼の大正ロマン

2009年12月11日 | 建物の話し
昨日の続きです。

まだ、月波楼の二階に居ます。

この時、二階には見学者も居ませんでしたので、一人座敷の中央に座り部屋をぼんやり眺め、当時ここに集った文人墨客に思いを馳せたのであります。


説明板に東京からも文人墨客が訪れたと記されていましたが、固有名詞の記述はなく、それなりに著名な人たちが訪れていた様子はなさそうです。なかには、食いっぱぐれの“自称文人墨客”が居候などしていたかも?

江戸から明治かけての、第11代当主の久馬、第12代の信寿は、文人としても知られていたそうで、久馬は“耕雨”、信寿は“行斎”と名のっていたようです。

“文人”の父や、祖父に育てられ、そのあとを継いだ大正の当主が、この月波楼を建て替えたわけです。そうなると、先代、先々代より、ずっとずっと文人意識が強かったと思うのです。


文人は生産よりも消費ですから、そうなると、よくある話で、祖先代々の財産を食いつぶしてしまう危険が高まるのです。

この月波楼に文人墨客が集った大正時代が、もしかして坂野家が一番輝いていた時代だったのかと、畳の上に胡座をかきつつ、そんな想いを巡らしたのです。


でも、しかし、坂野家は大正ロマンの時代を乗り越え、今に続いているのですから、文人当主には食いつぶされなかったようです。

裏に眼をやると、それなりに新しい立派な蔵が建っていますし、


その隣には、たぶん、現在のお住まい?と思われる、新しい立派なお家も建っております。


静かで落ち着いた大正ロマン漂う座敷で、他人様の懐など、余計な心配をしてしまいました。あくまでも、私の、勝手なモウソウです。

モウソウから覚め、モウソロソロ一階に降りるかと、階段に向かうと、洒落たデザインの“ツマミ”と云うか、“取っ手”云うか、雨戸を内側から開け閉めする、戸袋の引き戸に付けられて三日月の細工。これは、なかなかと思いました。


でも、しかし、視線を移すと、このチョーク書き“オィ!オィ!チョット!チョット!”でした。


そも、そも、ですよ、雨戸一枚も文化財です、この感覚はどうにも、いけません。三日月の細工が台無しです。

せっかく大正ロマンにひたっていたのが、この大胆なチョークの矢印で現実に引き戻されました。

“引き戸で引き戻されでは洒落にならん!”な~んて、駄洒落の一発を、一人呟いたのであります。兎に角、300円も払ったのですから、少しは云わせてもらうのです。

それで、まだ、坂野家住宅の見学は今のところ、だいたい200円分は見たようなので、残りの100円分をこれから見たいと思います。

残りは、外回りです。庭の方向から建物を眺めて見たいと思います。まだ、まだ、続く坂野家住宅です。

それでは、また来週。


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坂野家の月波楼はキンチョーの夏で二階です。

2009年12月10日 | 建物の話し
昨日の続きです。

“月波楼”の二階に上がります。それにしても、「月」に「波」に「楼」は、見た目には美しいのですが、読みが“ゲッパロウ”とあまり耳に心地良くありません。

楼は楼閣で、摩天楼ですから、高い処なのです。人は見上げるよりも、見下ろす方が心地良いのです。財力もあり、広大な敷地を所有する坂野さんが、二階建てにしたのは、眺望を楽しむ為であったと思います。


階段を上がり、見下ろすとかなりの勾配です。むかし、むかしの家は階段と云うよりも、梯子段に近いのです。これって、むかしの人は足腰が強かったからなのでしょうか? 


まぁ、まぁ、の、お庭です。


こちらの竹林の眺めがいいです。


こちらは主屋、


瓦屋根ですと、ここには“鬼瓦”が積まれる位置ですが、この“寿”の文字、色違い?か、 品種違い?の、藁か茅で造られているようです。こう云うの初めてみました、何て云うのでしょうかね。


説明板にあった、当時としては、最新式の“巻き取り式日除け”です。でも、しかし、これって、“風情”とか、“情緒”とか、“趣”とかに、かなり云うか、相当と云うか、良くない影響を与えそうです。

ここは、やはり、日本家屋で書院造りですから、何と云っても日除けは“簾”でしょう。


夏は簾越しに竹林をぬけた風、風鈴の音、浴衣に団扇で冷酒をかたむける・・・・・・、う~ん。一度やってみたい。それにしても、竹林と云えば藪蚊が付き物ですから、蚊取り線香を相当焚ないとね。“キンチョーの夏、ニホンの夏”


この月波楼には、東京から“文人墨客”が集まったそうですから、きっと夏にはそんな風景が見られたかもしれません。冷酒の前に先ずはビールですかね。


ふすま絵、


かなり“シブイ”です。


この書院を建てた当時の当主は、文人だったようです。お金が貯まると、ふつうの人は誰しも、それにふさわしい、地位とか、名誉とか、教養とか、欲しくなるのです。


そんなことを思いつつ額を見上げていたら、天井に変なモノを発見。


戸の下に取り付ける“戸車”のようです。何故?天井に? ココに紐など通してモノを上下させたり、ぶら下げたりして滑車として使用したような?でも、何を?紐に結んだの? 重いモノはムリですから、書画などを吊り下げ鑑賞したのでしょうか?


まぁ、何をぶら下げようが、上下させようが、兎に角、やはり、月波“楼”ですから、見下ろす眺めの、二階が良いのでした。

まだ、まだ、坂野家住宅の鑑賞は続きます。


それでは、また明日。


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