歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

つくばカピオは解体で “手打ちで・半殺しで・圓生” です

2010年11月30日 | つくば市の風景
昨日の続きです。

この日は、洞峰公園の駐車場に車を入れ、公園を一周してカビオ方面に向かったのです。

このブログのタイトルは「歩く・見る・・・」なのですが、このところ“看板に偽り”ありで、「漕ぐ・見る・・・」ばかりで、歩かなくなりました。漕ぐ筋肉と、歩く筋肉は多少異なり、漕ぐより、歩く方が数倍カロリーを消費するようです。

「未だァ着かないわねェ!15分過ぎたけど?」
「距離の感覚がちょっと狂ってたかも・・・、このところ自転車ばかりだったから・・・」

この日は“連れ”がいたのです。結局、徒歩で15分との予想は大きく覆り、2倍の30分を費やしカピオに到着しました。

到着してすぐに、これです。エッ! オッ! 何だコリャ!の光景が展開。

牛一頭、丸ごと、解体実演販売です。

何故か?一瞬。不謹慎にも殺人現場のシーンが頭を過ぎったのです。恐ろしいです。こんな人目の多い、こんな場所で、白昼堂々、刃物を手に持って肉を切り刻んでいるのです。

こんなシーンに出会うのは一生に一度ぐらいでしょう。普段、発砲スチロールに綺麗に並べられラッピングされショーケースに並ぶ“お肉”は、こういう工程を経ているのでした。


骨からはずされ、バラバラに解体された肉の塊は、こちらでスライスされています。


でも、しかし、この丸ごと一頭、生解体販売は、何を狙っていたのでしょうか? 輸入冷凍肉ではない、“国産!新鮮!生肉!安全!安心!美味しい!”と云った、ところですかね。

“一頭ま丸ごと骨肉バラバラ解体実演販売”を見て、食欲をそそられる人は居ないと思ったら、かなり長蛇の列をなしていました。マグロの解体実演販売と“そうは、特に、変わらない”と、考える方がかなり居るようです。

解体現場のすぐ隣では、穏やかに“そばの手打ち”実演販売が行われていました。


それにしても、“解体”の隣が“手打ち”と云うのも何かの因縁、


と、思っていたら、その隣では、杵を振りあげ臼で餅をついていたのでした。つきたての餅に、アンコときな粉を付けて販売していたのです。


こちらも長蛇の列、

もし、これが“ぼた餅”だったら、“解体”に“手打ち”に“半殺し”で、冷酷、残酷、虐殺・・・・・・・、何て、非常に恐ろしく、凄惨な三題噺になってしまいます。

まぁ、そんな事、この会場で、考えていたのは、たぶん、わたし一人でしょう。実は“手打ちに半殺し”何て書いていたら、思い出したのです。

・・・山奥の一軒宿で、泊まり客が主人とかみさんが小声で“今晩は手打ちにするか、半殺しにするか”と、相談する声を聞いて、びっくりして逃げ出す・・・何てェ~、まくらです。

そんな、こんなで“六代目圓生”を思い出し、三題噺なんてェ~言葉が浮かんだのでした。

それと、圓生と云うと、もう一つ必ず思い出すのが、

“え~、江戸の名物は、てェ~と、伊勢屋、稲荷に、犬の糞、と申しまして、当時の江戸には、たいそう多うございまして・・・・・・”

何て云う、枕のふりが耳に残っているのです。まぁ、噺の本筋とはあまり関係無い、ホントに大した事では無い、そんな事ばかりなんですが・・・。

それにしても、七代目の跡目争いは、何処までが本気やら、何処までが洒落やら、たぶん、かなり本気なのです。本気過ぎて危険なので、洒落のオブラートで包まないと、かなり凄惨な争いになってしまうのです。

三人で、出方を探り、本音を探り、本気度を探り、世間の見方を探り、互いの有利差を探り・・・、と、いろいろ探りあっているのでしょう。わたしとしては“円丈”が好きなのです、円丈は継ぐと大化けしそうな気が・・・。

こちらでは、日本刀を振り回しての、ガマの油の実演販売。


かなり、会場は危険な様相です。

今日で終わるつもりでしたが、噺が落語関係に逸れてしまいました。

つくばカピオの話しは、明日も続きます。


今晩は圓生のテープなど引っ張り出して“江戸の夢”など聞いてみるか・・・・・・。


それでは、また明日。


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洞峰公園の秋でツワブキの事情

2010年11月29日 | つくば市の風景
昨日は久しぶりに“洞峰公園”に行って来ました。

公園のメインストリートの銀杏並木、4年ぶりです、今年は“う~ん、ちょっとねェ~”でした。黄色の絨毯が薄く斑です。風に飛ばされたの?それとも落葉不足ですか? 


これは四年前の12月10日に撮した銀杏です。黄色い絨毯が、とても、とても、美しく感動したのです。この時“洞峰公園の秋景色”を初めて経験し、そのイメージは強烈で、しっかり記憶されています。


でも、こちらの、この感じは、なかなかイイです。


ベンチに銀杏は秋の風物詩。何か、どこからともなく、シャンソンが流れてきそうです。


シャンソンは流れて来ませんでしたが、隣の体育館の方から“かけ声”が流れて来ました。男が集団で旗を振り回しているのです。何ですかこれは?競技ですか? 


並木の下では、ママと、パパと、お爺ちゃんと、お婆ちゃんと、子供達が、いっぱい、いっぱい、でした。


落ち葉、枯れ葉、紅葉・・・・・・。


この寒い時期に、一生懸命咲いている“ツワブキの花” 何で、こんな時期に花を咲かせるのでしょうか? まぁ、深くは詮索しませんが、きっと、それなりの“深~い事情”がツワブキにはあるのでしょう。


公園の池でカモに餌やり、これは楽しいものです。以前、孫が3才の頃“ケンカしないで仲良く食べなさい”と、優しく声を掛けながら、可愛い手で餌をやっている情景を想いだします。


下を見れば、緑のキャンバスに、落ち葉、枯れ葉、紅葉、これもイイです。


空を見上げれば、青空のキャンバスに桜の紅い葉。これもイイです。


根元の落ち葉もなかなかです。


遠くを見たり、下を見たり、上を見たり、公園を一回りして、カビオに向かって歩く事にします。

カピオ手前、“つくば国際会議場”をバックに色づく銀杏。


カビオ前の広場で、本日は“何かを”やっていると、ちょっと耳にしたのです。


それでは、また明日。


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水海道の迷い道で京の夢を手酌で

2010年11月26日 | 水海道の風景
昨日の続きです。

竹村酒造店を振り返りつつ、いまでも酒造りをしているのか心配しつつ、

路地を出て「旧報徳銀行」の前に戻ります。

最近はこの建物もいろいろと使われているようで、何とか?健康体操の会場にもなっているようです。

よそ者としては、レストランとか喫茶店とかビャホールなんかが、こんな処の、こんな建物の中にあったら、いいなァ~、楽しいなァ~、何て思うのですが、まぁ、絶対に、採算的に無理ですからね。


そんな事を思いつつ、脇の路地を通って裏に回ると、いつの間にか、こんな洒落た空間が出来ていました。前は、ここに、何があったっけ?


隣のお宅から、可愛い声が聞こえて来ました。3人姉弟のようで、一番上のお姉ちゃんが、妹や弟と戯れながら駐車場の掃除をしているようでした。


以前に銀行建築を見学する為に、この路地には入ったことがあるのですが、路地の奥には関心が向いていませんでした、しかし、この日、奥に眼をやると、何やら趣のある板塀が続いてたのです。

“これは、これは、何とも”と思い、板塀の終わる処まで行ってみたのです。そして、振り返り、じっくりと眺めます。

大谷石を積み上げた基礎に黒い板塀、板塀越しに見える大きな庭木。黒い塀の続く路地は、何か、遠い昔に続いているような・・・・・・そんな想いにさせる、不思議な空間です。


黒板塀の終わったその先には、


居酒屋“迷い道”がありました。この景観にこの店名、なかなか巧いネーミングです。

水海道の路地裏の“迷い道”で、ひとりカウンターの隅に座り、ここは、やはり「竹村酒造」の“京の夢”などを手酌で一杯なんて、かなりイイかもしれません。

二、三本飲んで店を後にし、ここに腰掛け路地を眺め、ぼんやりと酔いを醒ます。


ぼんやりしたところで、これで、今回の“水海道路地裏シリーズ”を終わります。


それでは、また来週。



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水海道に三井財閥と肩を並べた醸造所が!

2010年11月25日 | 水海道の風景
昨日の続きです。

駅前から来た道とは別の路地伝いに、“おもてなし館”方向に戻ります。この辺りは何度も通っているので、特に目新しいモノはないのです。

と、思いつつ、何気なく“旧報徳銀行”向かいの路地に眼をやると、奥の方に“竹村酒造店”の“立て看”を発見。“酒店”ではなく“酒造店”です、売っているのではなく、醸造元です、造り酒屋です、酒蔵です。


水海道には何度も来ているのですが、こんな町中に醸造所があるとは、今の今まで知りませんでした。商工会の観光パンフにも、何度も覗いた“おもてなし館”にも、そんな紹介あった?

あったとしたら、もしかして、たぶん、“ほう、水海道でも酒を造っている会社があるのねェ”で終わっていたのかもしれません。

通りすがりに、路地の奥に眼をやり、“おゃ、これは”と思ったのは、この佇まいで、そして、町中で、路地奥で、それが造り酒屋であったこと、この組み合わせ、この重なり合いが、魅力的で、とても心惹かれたのだと・・・。 


この日は日曜日、構内には人影もなく、


麹の匂いも酒の匂いもなく・・・、ふつう外部には漂わないものなの?・・・、


何となく、これは、もう“醸造元”ではなく、もしかして“元醸造元”になってしまったの? そんな空気が辺りに流れていました。


兎に角、塀に沿って観察します。灰色の上塗りが剥げ赤茶色の錆止め塗料が露出した波板トタンの塀、赤茶色の板戸、板張り外壁の建物、そして、ゆるく折れる路地、とても“わびさび”です。


折れた路地は、何故か、ふりかえりたくなります、塀に取り付けられた“清酒富士龍”の
琺瑯看板が哀愁です。


この白い建物が酒蔵でしょうか。


奥の住居のような建物、視界を遮蔽するような、火災の際に火を遮蔽する“卯建”ような壁、崩れかかり、倒れかかり、つっかい棒で支えられています。

手前のコンベヤー、大きな樽に“もろみ”を入れ時に使うのでしょうか?何か、そんな映像を見たような気がします。でも、このコンベヤーは、もう現役ではなさそうです。


こちらの板張りの建物を見上げていたら、


こんな片隅に、何とも、秋の彩りが・・・、板張りを這い上がる“蔦紅葉”風情です。俳句でもひとつ、ひねりたくなります。


こちらが酒蔵でしょうか、外壁が膨らんで湾曲しています。かなり老朽化しているようです。


板塀越しの酒蔵、なかなか趣のある路地です。この先は通りに出ますので、ここで引き返します。


帰り際、入り口脇の塀に貼られた“水海道商人博物館”の案内板に気が付きました。


この竹村酒造は、何と“近江財閥七人衆のひとり”に数えられ、“三井、高島屋に並ぶ豪商”だったようです。

それにしても、三井と高島屋と竹村酒造店が同一に並んでいますが、三井財閥は、三菱財閥、住友財閥と並んで“日本三大財閥”のひとつでした。

高島屋は近江商人ですが、近江財閥との言葉はあまり耳にしません。遠い昔は、近江財閥七人衆何て言葉があり、あの三井と、高島屋と、近江財閥七人衆のひとり竹村酒造が肩を並べていたのですか?

しかし、この水海道の、この路地の奥で、ひっそり営む、この造り酒屋さんが、一時代、あの三井財閥と、肩を並べていた豪商であったとは、もう、大変な驚きです。

竹村酒造さん、ホントに“恐れ入谷の鬼子母神”でした。

水海道には、まだ、まだ、いろいろ有りそうです。


それでは、また明日。




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水海道は路地裏の理容所に歯科医院がイイです

2010年11月24日 | 水海道の風景
昨日の続きです。

354号線を越えて市街地に入ります。

水海道は時々来たくなるのです。寂れ感、うらぶれ感、田舎町感がとても良いのです。

“おもてなし館”の前を通り過ぎ、駅前に続く“絵画の道”を進みます。

この米屋食堂さんは、数年前にはじめて水海道を歩いた時には営業していたのですが、


最近、とうとう店仕舞いしたようです。


営業中だった頃のサンプルケース、食品サンプル達が痛々しい姿で陽に晒され、哀愁を漂わせていました。通りすがりの傍観者には、こんな風景がイイのです。


これまで数回訪れて、曲がったことのなかった角を曲がり、路地に入りると、見つけました哀愁漂う“小林理容所” 「アイパー・コールドパーマ」の赤い文字がイイです。こちらは、しっかり営業中。


向かいは“中村歯科医院”二階が診察室のようです。ガラス越しに白衣を着た中年女性の姿がチラット見えました。


年季の入った看板には、一桁局番の電話番号だけが風雪に耐え、僅かに往事の姿を留めて・・・いや、失礼しました、まだ歯科医院は現役バリバリでした。


床屋さん、歯医者さん、そして、お煎餅屋さん、この路地は新しい発見の連続でした。


路地を出て。通りの向かいには、どことなく?、なんとなく?、惹かれる、屋根に煙突の工場風の建物が、


赤茶けた塀、木製の大扉、スレート屋根に煙突。この感じがイイのかも。


歩道が広く取ってあります。前はここに“名残のクネクネ模様”が描かれていました。昔ここには小川が流れていたそうで、道路を拡張整備する際に埋めたそうです。


“ロコ・レディ”洒落た名前の洋品屋さんです。


よく見ると、こんな貼り紙が、“5才若く見える洋服たちが舞い踊っています” 5才ぐらいだと、何となく納得して店内に入るかも。

かなり若くない客層を狙ったお店のようです。


駅前に出ました。“ブラジルスーバー”はそこそこ繁盛している様子。


駐車禁止。ポルトガル語ではこう書くようです。


水海道は、千姫と、羽田美智子と、ブラジルなのです。


それでは、また明日。



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水海道二高で月には行かなかった羽田美智子?

2010年11月23日 | 水海道の風景
昨日の続きです。

旧つくば市役所谷田部庁舎を後に、354号線を走ります。みどり野駅前の二股を右側方向に進みます。こちらが354号線です。左側方向は何号線か分かりません。

左側方向に進んだ方が水海道市街に入るには近道なのですが、途中で歩道が無くなり車線走行になるのです。この道は大型トラックの通行量が多くとても危険なのです。

みどり野駅前を過ぎ、福岡堰脇の福岡橋を渡り、294号線を渡り、裏道伝いに市街地に入ります。途中、あの“羽田美智子サン”が卒業した水海道二高前を通過するのです。

それで、その、通過する、何故か?その時、

“えッ! えッ! どうして?なんで? ココに「一高」がァ?”

一高と二高の、校舎と周囲の風景の、記憶が頭の中を、走り周り、衝突し合い、転び廻り、混乱したのです。

何故か見え隠れする校舎の影を遠目にして「一高」と“見間違えた”ことが原因でした。段々、歳を重ねてくるにしたがい、見間違いとか、言い間違いとか、聞き違いとか、勘違いとか、“違いの起きる歳”に差し掛かったようです。

それで、あの羽田美智子サンの“勘違い”なのですが、彼女が旅行雑誌のインタビューを受けていた時、
「京都へはよく行かれるそうですね」
「ハイ」
「月に、何度ぐらい行かれます?」
「えっ!?・・・月には・・・一度も行ったことは・・・」
彼女はかなりの“天然ボケ”のようです。

黙っているときの表情は、かなり“キツイ感じ”がします。また、そんなイメージの役柄も多かったかと思います。

こんな話しをテレビでする、と、云う事は、イメージチェンジを計った営業政策の匂いがしないでも・・・・・・。まあ、女優として40歳を一つ二つ過ぎて、そろそろ、いろいろと、考える年頃に差し掛かっているのでしょう。

それで、市街に入ります。

それで、この橋なのですが、それなりに演出はされているのですが、どうも、まわりの景観とは“いまいち”です。この先に、神社とか、お寺とか、古い民家とか、そんな風景の中にあればと、思うのです。


まあ、こんな風景も、それは、それで、イイのですが、橋の造りを良く見ると、プラモデルチックなのです。塗装が色褪せた所為もありますが、もうすこし、何とか・・・です。


橋を渡り、354号線を越えて市街地に入ります。

水海道と云えば、どうしても羽田美智子サンが登場するのです。

本日は“勤労感謝の日”で休日です。

まあ、そんなことで、今日のところは、これで・・・・・・・。


それでは、また明日。


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水海道を目指して田舎道を走ります

2010年11月22日 | つくば市の風景
昨日は久しぶりに水海道に行って来ました。

今回は、354号線を通って福岡堰を掠め、水海道の市街へ北側から進入します。

ここは未だ“つくば市”の田舎道、畑道です。とっても、田舎っぽい風景。


いゃ~、この手の大根は、偶に?よく?ある、二股大根です。とっても白くて、艶々のピカピカの美しい肌、とても、とても色っぽいのです。葉っぱの緑色も鮮やかで、今朝採れたて新鮮大根です。


土壌が酸性化すると、大根は股割れするそうです。まあ、土壌の酸性化は良い事ではないのですが、それは、それとして、色っぽい二股大根は、それは、それで、楽しませてくれるので、良い事です。

青い空、


白い雲、気持ちい~~~!


秋です、樹に絡まる蔦紅葉。


下では、カマキリさんが日向ぼっこ。


何か、変なモノを着けて枯れています! 何じゃコリャ?


それにしても、ホントに気持ちイイ~~!


枯れ葉に囲まれた、色褪せたカラスウリの集団、晩秋です。


旧“つくば市役所”あたりに到着しました。

隣の運動公園です。

どの葉っぱが、“最後の一葉”になるのか?


旧庁舎の脇に何か銅像が。


県会議員だった方です。


しかし、この碑文、とても、力強い表現になっています。とても、ドラマチック、波瀾万丈の人生だったようです。


郷土の発展に尽くした方のようです。


市庁舎はつくば研究駅に移転しました、この跡地はどうするのでしょうか? 

市庁舎がなくなって銅像だけが残る。“渡辺安重先生”としては、ちょっと寂しいのでは、銅像も新しい庁舎の方に移転したらいかがでしょうか?

このあたりが、水海道市街までの中間地点では?

この先は次回とします。


それでは、また明日。




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南千住・三ノ輪橋・早稲田あたり

2010年11月19日 | 東京の風景
































とても、とても、不味かった。薬味のネギはぶつ切りでした。





それでは、また明日。


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長野別所温泉あたり

2010年11月18日 | 旅の話し






























美味しかった!


本日は写真だけです。


それでは、また明日。


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取手市 長禅寺さざえ堂 ⑥ 境内を散策します

2010年11月17日 | お寺・神社

12日から途絶えていました「長禅寺さざえ堂シリーズ」を再開します。再開した途端に、今日が最終回となります。

それにしても“稀勢の里”ですが、昨日は日馬富士に負けるのでは?と、心配していたのですが勝って安心しました。日馬富士には10連敗中でしたので、そろそろとは思っていましたが、昨日の白鵬戦の後ですから、気力の緩みが心配だったのです。

今日の魁皇戦に勝って、中日まで一敗で行けば、これはもしかして初優勝も何て、考えたりしてしまうのです。でも、ホントに、優勝を狙って一番一番取ってほしいと思います。

さて、それで、長禅寺ですが、さざえ堂を出て、周りを眺めていたら、脇にこんな方の胸像がありました。


“宇田川源次郎像”と刻んであります。住職でもない方が寺の境内に胸像ですから、これは、たぶん、もしかして、寺の発展に貢献した“檀家総代”の方かも知れません。

この方調べて見たら、むかしの県会議員の方でした。この地に胸像が建つのですから、取手選出なのでしょう。茨城で“宇田川”と云えば、石油販売関連の“宇田川グループ”がありますが、何か、関係があるのかも知れません。

まあ、それは、それとして、本堂の方に向かいます。

神社仏閣に来ると、どうしても、この石畳が気になるのです。


やっぱり、直線ではなく、曲げてあるのです。意味ありげに、意識的に、直線を避けているのです。やはり、これは神社と同じく“正中線問題”なのか?この問題、時間がかかりそうなので、別の機会に譲るとします。

石畳の右手は池が、そして、その先に大師堂です。境内の中心に池がありその周りに建物が配置されているのです。


池の畔に腰を下ろす“旅装束の僧”


何を想っているのか、何を見つめているのか、水面に視線を落としているような、遙か彼方を見つめているような・・・・・・。煩悩から解き放たれているような、いまだ迷いを残しているような・・・・・・、そんな後ろ姿が、とてもイイです。


ここ長禅寺は“新四国相馬霊場”の最終地八十八番札所と思っていたら、一番と五番と八十八番の三箇所もやっていたのでした。


一回で三回分です。それに、“利根川七福神めぐり”の大黒天でもあるのです。う~ん、かなり有り難いお寺です。神様も仏様も、ヒンズー教も仏教も道教も、日本古来の信仰も、みんな、みんな、入り交じって神仏習合です。


この辺の、曖昧なと云うか、些細なことに拘らないと云うか、懐が深いと云うか、世界の未来を象徴していると云うか、暗示していると云うか、もう、何と云ったらいいのか・・・・・・です。

ありました。新四国一番。


取手本陣もこの期間公開中ですか? あちらは、いつでも、週末の金土日は公開していなかった?


いろいろと考えさせてくれたところで、長禅寺を、さざえ堂を、後にします。


私と同年配のこのオジサン、65段の石段を登ったり下りたり汗を流しておりました、体力増強です、ご苦労様です。


昼は、取手駅前の松家で“豚丼の豚汁セット510円”を頂きました。豚のダブルです。

けんちん汁を啜りながら、アレっ、この味、何か? そういえば、昨日の夕食も、今朝も“けんちん汁”だったと・・・・・・。


同じような具材の汁物を、3回も連続で食べていたのです。う~ん、何か、かなり危なくなったのかも?

兎に角、これで、茨城県は取手市の、長禅寺さざえ堂シリーズを終わります。


されでは、また明日。


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