ちーむ☆ものくろ

黒色ダップー犬と飼い主の日々のつぶやき。
ときどき白黒ネコと茶色の犬の話も、ね。

ゆうらが乗るもの

2013-06-30 | 優来のこと
とーちゃんの車、かーちゃんのオープンカーはもちろん。
このふたつには乗れないととても困るので、家に来たころからすぐに練習始めました。


そして。

これに乗れなくても犬生的には全く問題ないけど。
とりあえず、これもパピーのころから乗せていた。

ゆうら>きびなご買ってもらったのん。きゃはははは~。


ホームセンターのカートね。



それから、これは自然とできちゃったな。
でも喜ばれるから、できてよかった。

ゆうら>あー、暑くなってきたから、らくちーんっ。ホームに帰るよ。スタッフさん、進んでくださ~い。


お年寄りと一緒のお散歩で抱っこされて車いすに乗る。
ゆうらさんは6キロ弱だから抱っこは重いかもしれないけど。
おばあちゃんはとてもうれしそうに笑って、しっかりゆうらを抱っこしてくれます。
お散歩に行こう、外に出ようっていう意欲につながってくれるとうれしいです。



でも。

いちばんゆうらさんが「乗る」のは・・・・・・。


うーーむ・・・・・・。


それは・・・・・・。


「お調子iに乗る」だよね?



ゆうら>かーちゃんっ、それって、ほめられてるのん?なんか違う気がするのねん



まーまー、気にするなっ。
明るくて元気ってことだから・・・・・・・。

ねねっ?










ふてくさってる場合じゃない 今日は活動日だ~♪

2013-06-27 | 優来のこと
朝から何やらふて寝しているゆうらさん。

ゆうら>朝っぱらから肛門腺、しぼられた・・・


だってかゆそうだったじゃん?溜まりすぎると病気になりますよ

そんなことより、今日はCAPP活動日ですよ。
先週は雨で行けなかったんだから、今日は行くでしょ?
行ってリーダーからおいひーもの、もらうんじゃなかったの?

ゆうら>リーダーさんから、おいひーもの?・・・・・


ゆうら>そーだったっ!まずはうすーい(悪かったねっ)「ぎうにう」で元気をチャージだっ!!


ゆうら>準備完了~。かーちゃん、戸締り、火の元、オッケー??


オッケーっす

いざ、出発~


曇りの天気予報ははずれ。太陽と青空。暑くなった

今日は獣医師2名、病院スタッフ3名、ボランティア6名。
犬7頭、猫2匹、うさぎ1羽。

楽しく和やかに過ごしました。
ゆうらさんはまたも、いつものおばあちゃんにトリックせがまれて、いろいろ見せました。
今日も「あー、いやらしかっ」
ほめてもらいました。よかったね。

お約束のおいひーものももらって、無事終了。

ゆうら>あー、楽しかったねぇ。あっ、みんなはもう帰りましたよん。


じゃ、私たちも帰りましょう。

ゆうら>だね、よっこらしょっと。



チームメイトのみなさん、お疲れさま。
来月は上半期最後の月ですね。
夏休み前にひと頑張り、しましょうね


ゆうら>やれやれ、おうちに着いたよ。夕ご飯できたら起こしてねん。すーすー


ゆうらさん、回を重ねてきて、活動がうまくなってきたね。
かーちゃんはうれしいです

おつかれちゃんでした。

また次回も楽しくやろうね





サザン復活~♪

2013-06-25 | 日常・つぶやき
カミングアウトと言うほどではありませんが。
実はゆうら地方は湘南です。
正確に言うと「湘南のはずれ」(笑)
はなやかさはないよ~~。
昔はね、有名な文豪、財界人、政治家がこぞって別荘持ったり、住んだりしてた。
近年?は一時、今や大ベストセラーの作家やら、声が素敵な有名俳優さんが住んでたりしてたけど。
みんなお引っ越し~(涙)
ふつーのチョイ田舎な町だ、と「私」は思ってます。非町民なワタクシで、ごめんね~
そんな町を「湘南のくくり」に入れてくれて、ありがとう。

湘南といえば、やっぱり、江の島、鵠沼、茅ヶ崎って感じ?
鎌倉、葉山、逗子は別格のように思いますねぇ。
雰囲気ちがうもん。

で、湘南といったら、その中でも茅ヶ崎といったら、「サザンオールスターズ」でしょう~
誰だ?加山雄三といったのは?徳光さんていったのは?
まー、それも正解ではある。
茅ヶ崎の駅前から海岸にかけて「雄三通り」ってのがありますデス。
徳光さんの家の玄関から通りまで「徳光通り」だそうです。
徳光さん自らの命名らしい。
でも今や茅ヶ崎って言ったら「サザン」でしょう~。

茅ヶ崎。私はけっこう好き~。
道路が狭くて、やたらチャリンコが多くて、マイ「オープンカー」で走ってるとイラっとすることあるけど。
かわいいお店や、おしゃれチックなお店も多くていいのだ。
訪問活動に行くときは必ず茅ヶ崎を通過します。茅ヶ崎は通り道。
桑田さんの実家のある近くを通り、サザンビーチやラチエン通りを横目に走ります。

学生のころは桑田さんのご両親がやってるお店にもよく行ったし。
デビューして人気がでてきたころ、偶然電車の中で会ったこともあったなぁ。歳がばれそうだ
わが町の駅で人待ちしてたとき、となりに立ってたおばちゃまグループの会話を何気なく聞いていたら。
「うちのケースケも忙しくてねぇ。あんまり家に来ないわね。今度ね、西武球場でコンサートするのよぉ」
(ええー?息子のケースケがコンサートぉ?あなたって・・・)
桑田さんのかーちゃんでした、はい。
おかあさんてみんな、息子は自慢なのねぇ。

って、ことで。

湘南地方にとって、なくてはならない、サザンオールスターズ。
復活でーーーーーーすっっ!!
ツアーもはじまります。
なーーんと、語り継がれるコンサートがあった、あの茅ヶ崎の野球場でも開催されるのです。
こりゃあ、チケット取らねばぁ。
前回は茅ヶ崎市民優先だったけど、今回は全国どなたでもみたいだから。
頑張ってみるかなぁ。
たぶん・・・・きっと・・・・・・・・無理ね。
でも先に楽しみがあると頑張れるからね。
夏の終わりにぱーーーーっと、みんなで大騒ぎしたい。


もひとつ、ついでにカミングアウトするとワタクシ、いつでも「サザンのファン」というわけではありません。
いつも最前列で、最初から立ってみてる状態のひいきのバンドは、ほかにありますのん。
その歴史は長いのだ。いつもコメントくださる空母さんのみ知るところ
あまりのすごさに空母さん、一緒にコンサートには行ってくれないよねぇ?
「ついていけない」と・・・・・・。
サザンの場合は。
ふだんはこれといって応援するサッカーチームはないのに、ワールドカップとかになると。
ブルーのウエアを着て日本を応援するサッカーファンみたいな感じ?
んー、たとえが悪かったら、ごめんね

でも好きにはかわりないですから、サザンファンのみなさん、許してね。
チケット争奪戦に参加させてくださいね。
そしてもし、争奪戦に勝利したら、大騒ぎの一員に迎えてください~


ゆうら>そんとき、あたしは留守番なわけよね?


そっ、そーゆーことになりますね、あは、あはははは



















ミュウさんとクーさんがいたから ゆうらがいる

2013-06-22 | 日常・つぶやき
ミュウさん。

2009年5月14日に逝きました。14才4か月。
私と私の母とで最期の呼吸が止まる瞬間を看取りました。
あの最期のミュウさんの顔はいまでもはっきり覚えていますし、これからも忘れることはできないでしょう。

ミュウさんは「老衰」でした。
苦しんでって感じはありませんでしたけど。
それでも最期は呼吸が少し速くなってきて。
体にもときどき力を入れて、動かそうとしたのかな、起きようとしたのかな。
「ミュウちゃん、もう無理しなくていいよ、大丈夫だよ、ここにいるからね、心配ないよ、頑張らなくていいよ」って。
声をかけた瞬間。
頭の向きをぐわっと変えて私を見ました。
10秒くらいだったと思います。ものすごく真剣な目で私をずっと見ていました。
そして大きくひとつ息を吸って、はくと同時に目の光が失われて行って、舌の色がみるみるうちにピンクから白に変わっていきました。
完全に目の力と体の力がなくなって。ミュウさんは旅立ちました。

いつかは来る日だ。覚悟はしてたつもり、できていたつもりだったけど。
ものすごい喪失感。
今思い返しても、ゆうらがやってくるまでの間、その夏が暑かったのか、そうでもなかったのか。
出来事もなにひとつ思い出せないくらい、ぼーっとして暮らしていたようです。

ミュウさんは最期に私を見つめて、何がいいたかったんだろうか。
本当はまだ生きたくて、一生懸命呼吸して、体を動かして頑張ってたのかもしれない。
なのに私は「もういいよ」なんて言ってしまったのか。
もう体が食べ物をたくさん受けつけられなかったのに、私はただ食べてほしくて、あれやこれや口の中に入れちゃってた。
つらいことさせちゃったのかな。

悪いほうにばかり考えがいってましたね、あの頃は。

クーさん。

昨年の10月1日に逝きました。推定20才。
クーさんはひとりで、すっと逝ってしまいました。
その日の朝はいつもと変わりなく、ご飯も食べ、排泄もきちんとして。
たまたまやってきた私の母をいつものように出迎えて。そのあとは暖かい窓辺で寝ていたそうです。
私は用事で出かけ、帰ってきたとき、いつもは窓辺で私がバイクを止めるのを見るはずなのにいなくて。
「あれ、いないなぁ、どうしたのかな」と部屋に見に行くと。
気持ちよく手足を伸ばして寝ているような姿で息絶えていました。
本当に眠ってるだけだよってくらいの、きれいな姿でした。

これから始まるだろう介護の準備も整えてあったのに。
もっと長生きしてくれてよかったのに。
ミュウさんが逝ったあと、静かに暮したかったかな。
元気なゆうらにときどき体当たりされたりして、ゆうらを迎えたこと、本当は迷惑だったんじゃないかな。

やっぱり暗いこと考えました。


でもね。
時間って残酷っていうけど、そうでもない。
優しい部分も持っていて。
月日が流れると、そういう暗い思いを突き抜けて、楽しいことを思い出すほうが多くなる気がします。
「ミュウさんてこうだったよね、笑っちゃうよねぇ」「クーさんがこんなことしたっけ、おかしいこだったよねぇ」って。
またあのこたちが笑顔をくれるようになりました。

後悔したり、自分を責めたりするのは。
それだけその子のことが大切で、とてもとても愛していたからだよ。
たくさん泣いていいから。たくさん泣いたら笑顔になろう。
逝ってしまったこたちを心配させないように。


ミュウさんが逝ってから4か月目にゆうらを迎えました。
「もう次飼ったの?あらまあ」とか、いやみなこと言われたこともありました。
正直心のどこかで、こんなに早く次の犬を迎えていいのか、私って薄情なのか。
なにか罪悪感みたいなものを感じたこともありました。
決してミュウさんを忘れたわけじゃないよ、どうでもいいわけじゃない。
でも次の犬に気持ちがいくのはどうなのか。

そんなとき、主治医の獣医さんが私に言った。
「いいんじゃないですか。ミュウさんを14年も生かしたのは立派ですよ。いろいろ学んだでしょう。ミュウさんのとき以上に素晴らしい飼い主さんになりますよ。ミュウさんの14年を次の子に注いで育ててあげたらいいのではないですか」

そうだ、ミュウさんと暮らしてたくさんのもの、もらった。たくさん学んだ。
ミュウさんはいろいろ私に置いていってくれたんだよね。
クーさんもだ。
それを放ってしまうのはいやだ。
ゆうらを迎えて、ミュウさんの分も注ごう。クーさんの分も注ごう。
それでこの先もみんな一緒。つながっていくのです。

獣医さんの言葉も背中を押してくれたけど。
もうひとつ、ある本の文章も私の気持ちに陽を射してくれました。
「ユージン・オニールの愛犬は「遺書」の中でこんなことをいっているそうだ。「自分が死んだらもう犬は飼わない、というようなことはいわないでもらいたい。自分を家族の一員としたことで、もはや犬なしでは生きていけなくなった、といってもらいたい」と。」

そうだ。そうなんだよ。
ミュウさんとの暮らしが幸せで楽しかったから。それを教えてもらったから。それを知ってしまったから。


そうするよ。それでいいんだよね。



ゆうらを大切に楽しく暮らすよ。

ミュウさんとくーさんがいたから。

ゆうらがいるんだね。






Mママさん。
あまり自分を責めないでね。
ママさんも家族のみんなも心からMちゃんを大切にしたよ。
Mちゃんはわかってる。
幸せだったよ。

たくさん泣いたら元気だして。
お空のMちゃんのために笑顔になろうね。





とーちゃんとむすめ

2013-06-21 | 優来のこと
ある日の散歩ちう。


ゆうら>とーちゃんてさ、ちいさいとき、どんなこだったのん?
とーちゃん>すんげー真面目でいいこだったぞ

ゆうら>とーちゃんて、案外うそつきねん
とーちゃん>・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


むすめってお年頃になると、父親のことが、うっとおしい、けむたい、めんどうくさい、話したくない。
とか、なるらしい。
そんなむすめに世のとーちゃんは、どんなふうに接していいのか悩んだりするらしい。
あれやこれや、いろんな手で接触をはかるけど、無残な結果になったりするらしい
父娘関係って大変ね


とーちゃん>ゆうら~、あはははははっ。  ゆうら>とーちゃん、きゃははははははっ。



そーでもないらしい・・・・・・・・・