河童の歌声

歌声喫茶&キャンプ&ハイキング&写真&艦船

マッドマックス・2

2021-12-30 14:01:51 | 映画
「マッドマックス」という映画が最初に登場したのは、
1979年という事なんで、もう42年も前なんですね。



学友がこの映画を観て、その衝撃的なシーンを熱く語ってたの覚えています。
私も後日、彼の熱い語り口に刺激されて映画館に足を運びました。



主演は、この映画でいきなり世界的なスターへと昇りつめた、メル・ギブソンでした。



それと共に有名になった彼の愛車。
黒いインターセプター。V8エンジンにスーパーチャージャーを付けて、
600馬力にパワーアップした車です。
ボンネットから邪魔に飛び出たスーパーチャージャーのショッキングな造り。
運転席からボタンを引くと、そのスーパーチャージャーが、
ヒュルヒュルヒュルと怪音を発して600馬力が目を覚ますのです。

最初はアメリカ映画だと思って観ていたのですが、
「あれッ?」
何で道路の走行帯が左側通行なの???
何で右ハンドルなの???
やっと、これはどうやらオーストラリア映画だと気づいたのでした。
それまで、オーストラリア映画など殆ど観た記憶が無いのですから。





大一作の世界的大ヒットに気を良くして、
第2作が1981年。
3作が1985年と「マッド・マックス」は制作されました。
それにしても、あちらの悪役にはどれだけ凄い俳優がいる事かとも思いました。





先日、ブックオフに本を売りに行ったついでに、
DVDを何本か買ってきました。
その中の1本が「マッドマックス4」です。
実に30年ぶりの「マッドマックス」の新作です。

前作とは比べ物にならない迫力。
CGをフルに使っての奇想天外な爆走シーン。
今までの映画とはきっと比較にならない製作費(なんでしょう)
しかし、しかしなんです。
迫力はあってもストーリー性に欠け、面白くないのです。
ただ車での追っかけっこシーンばかりが延々と続くのみ。

いつまで観続けた所でおんなじ。
観る気を失くした私はビデオを止めてしまいました。
そして勿体ないとは思いますが、
DVDをゴミ箱に捨ててしまいました。
「これを再び観る事は絶対にない」勿体ないよね。

でも「柳の下に泥鰌は3匹」まで、
4匹目などはやはり無理でしたね。


コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

懐かしのチャンバラ映画スター

2021-12-27 08:27:59 | 映画
1950年、60年代の子供時代、
映画は時代劇、いわゆる(チャンバラ映画)で溢れていました。
そんな時代の懐かしいスターを写真で振り返ってみましょう。



大友柳太郎  1912ー1985(73歳)



山形勲    1915ー1996(80)



原健策    1905ー2002(96)



丘さとみ   1935ー



宇佐見淳   1910-1980(69)



伏見扇太郎  1936ー1991(死亡説あり)



加藤嘉    1913ー1988(75)



薄田研二   1898ー1972(73)



徳大寺伸   1911-1995(83)



小沢栄太郎  1909-1988(76)



杉狂児    1903ー1975(72)



上田吉二郎  1904ー1972(68)



柳永二郎   1895ー1984(88)



進藤英太郎  1899ー1977(78)



花柳小菊   1921-2011(89)



大川恵子   1936ー



片岡栄二郎  1918ー1983(64)



大河内伝次郎 1898ー1962(64)



加賀邦夫   1913ー2002(88)



月形龍之介  1902-1970(68)



大川橋蔵   1929ー1984(55)



安倍九州男  1910-1965(55)



吉田義男   1911-1986(75)



花園ひろみ  1940ー



千原しのぶ  1931-2009(78)



東千代之介  1926ー2000(74)



桜町弘子   1937ー



長谷川裕見子 1924-2010(85)



美空ひばり  1937ー1989(52)



中村錦之助  1932ー1997(64)



河津清三郎  1908ー1983(74)



小暮美千代  1918ー1990(72)



高千穂ひずる 1930ー2016(85)



市川右太衛門 1907-1999(92)



嵐寛寿郎   1902ー1980(77)



片岡千恵蔵  1903ー1983(80)

1950年~1960年代の日本人の心に在った時代劇映画のスター達。
ここに挙げた俳優達の事だけでも一冊の本が出来るでしょう。
主役、脇役、悪役、お姫様、そういった役柄を超えて、
彼等には一人の人間としての人生ドラマがあり、
それはまさに波乱万丈、奇想天外、壮絶、艱難辛苦、前途多難、
生きるか死ぬか、背水の陣、仕事を採るか恋を採るか、
人間としての生、役者としての生。
私達、一般人以上の試練に立たされる運命に泣いたり、笑ったり。

殆どの方は当たり前ですが、鬼籍に入っています。
若い頃、子供の頃の私達を大いに楽しませ、沸かせてくれた彼等スター。
顔を見るだけで、懐かしさに胸がときめいたりしますね。
ありがとう、みなさん。
貴方たちが輝いていた映画は今でも心に残っていますよ。



コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

伊豆半島の黒船・伊豆急開通

2021-12-20 07:33:56 | 旅行
昭和の電車 「伊豆急行」開通!大騒ぎぶりが微笑ましい❤電車の乗り方実習も!伊豆半島近代化の瞬間。


伊豆半島は、以前は伊東までしか鉄道がありませんでした。
それは関東に在る三浦半島、房総半島に比べると、まるで少なかったのです。



三浦半島は半島の突端近くまで鉄道が在ります。



房総半島にも、三浦半島と同じくらいに鉄道が通っています。
房総半島は鉄道で半島を一周できるのですね。



それに比べ、伊豆半島には伊東までと、
修善寺までとの2本だけ、半島の付け根くらいまでしか鉄道が無かったのです。

伊豆半島に鉄道を、というのは住民の悲願でした。
それまでは昭和13年に伊東まで国鉄(JR)伊東線が開通。
しかし、あくまでも伊東までであり、
住民の悲願である下田までの開通は中々実現しません。



これに立ち向かったのが、伊豆をこよなく愛した、
五島慶太率いる東急電鉄でした。

昭和31年、東急は伊東~下田間の鉄道敷設免許を申請します。
これは地元住民にとっては、まさに青天の霹靂でした。
明治以来の悲願達成の光になったのです。

昭和34年、免許申請から3年。
待望の鉄道敷設免許が交付されました。
そしてそれから2年後の、
昭和36年12月10日、伊東~下田間が開通したのです。
それは地元住民にはペリー提督の黒船来航以来の大事件でした。
まさに黒船騒ぎでした。





房総半島や三浦半島に比べ、「眠れる獅子」状態だった伊豆半島。
遂に悲願の鉄道が下田までやって来たのでした。



しかし、開通を待たずに五島慶太氏は亡くなられてしまいました。
下田の寝姿山、山頂にはその碑が建っています。

私達、歌声バカ仲間達は、
横浜の歌声「星と涼風」主催の石原さんの故郷である下田で、
過去に2回(?)歌声喫茶の祭りの開催で下田へ行きました。







下田駅前のこのレストランで食事をしましたね。
ペンション「百万本のバラ」で宿泊して歌声喫茶もやりましたね。
本当に楽しかった。
コロナさえ無かったら、もう一度歌声を開催する直前までいったのに(涙)

それと話は違うのですが。
前田さん主催の「歌声バス旅行」で三浦半島に行った時に、
北久里浜駅の前をバスが通ったのです。
その駅はあちこちの歌声喫茶によく出没するS氏の住んでいる場所なんです。
彼は駅から更にバスで数十分行くそうです。
「へ~、こんな遠くから彼は来るんだ」とビックリしました。







コロナが終息したら、伊豆急の素敵な電車に乗って、
「百万本のバラ」で歌声喫茶をやりたいものですね。





コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

何という感動、ラデツキー行進曲

2021-12-19 10:57:00 | 音楽
ラデツキー行進曲 ウィーン・フィル ニューイヤーコンサート


「音楽」
私は音楽が大好きです。
音楽は、文字通り(音)を楽しむものです。
それを体現しているのが、これだと思います。

私が音を楽しみ、心酔している瞬間には、
お願いですから、余計な音、雑音はやめてください。
おい、エリカ(妻)よ、今、俺に話しかけるんじゃないぞ。
俺が音楽に心から酔っている瞬間だけは、黙っていてくれ。
音というのは出した瞬間から、音であり、
美しい音であろうが雑音であろうが、聴こえてしまうんです。
だからお願いだから、私が(音)の世界に酔っている瞬間だけは、
私を音楽の世界に心地よく居させてください。

さて、このコンサートは毎年オーストリアを舞台に行われているみたいです。
毎年、違った指揮者が指揮しているみたいです。
私は一生に一度でいいから、このコンサートに行ってみたかった。
私がこれに行くという事は現実として、あり得ません。
だからこれは(夢)なんです。(夢)の世界なんです。

このコンサート会場に居られるという事がどれほど幸せな事か。
この「ラデツキー行進曲」を、ここで聴けるという事が、
どれだけ世界中の音楽好きには(夢)である事か。
本当にウットリするばかり。
「なんていいんだ。音楽ってこんなにも素晴らしいものか。」
鳥肌が立つ、まさに鳥肌が立つのです。

「夢心地」「桃源郷」というのは、
つまり、こういう事なんですね。
何かを夢の様に想い、夢の様に感じ、
いくら思い描いても辿り着けない遠い世界。
そのとまどいとやり切れなさ、もどかしさにイラつきながら音を聴き、
きっと何か達成感が起こるだろうと悩む。

でも、そんな結果ははなから在ろう筈はなく、
今の感動は一体なんだったんだろうと割り切れなく、
もどかしく何度も何度も、ラデツキー行進曲を聴く私。


コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

不破聖衣来、凄い娘が現れた

2021-12-17 05:56:48 | スポーツ
【ニューヒロイン】18歳の新星・不破聖衣来の素顔


最近の陸上界ではこの娘(こ)が話題を独占してますね。
私も12月11日に行われた、関西実業団・・京都を観ましたが、
1万メートル歴代2位のタイムを叩き出しました。
凄いですね~。
その前の駅伝でも、何人かの選手をごぼう抜き。
走りが並みの選手とまるで異次元でした。



不破聖衣来(ふわせいら)
2003年3月25日群馬県出身。18歳・身長154センチ。
中学時代から中・長距離選手として活躍し、
中学時代にはトラック・駅伝・クロスカントリーでほぼ無敵。
2021年に拓殖大学に進学。
同年12月に、1万メートルで日本歴代2位を記録。



中学時代から大器の片鱗を見せていたのですね。



3歳年上の姉・不破亜莉珠(ありさ)も陸上選手みたいです。



更に父親は、元100メートル走の選手だった、
不破弘樹さんと噂されている様ですが、真偽の程は不明です。
この方は衆議院選に立候補して敗れたのだとか。

プライバシーには深入りすべきではないのでしょうが、
いずれにせよ、この娘(こ)は日本陸上界期待の新星です。
本人も語っていますが、オリンピックで金メダル。
頂点を目指して頑張ってほしいです。
これから目が離せなくなりますね。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする