河童の歌声

歌声喫茶&キャンプ&ハイキング&写真&艦船

朝ドラ「ブギウギ」が終わってしまった

2024-03-29 13:39:58 | 芸能


NHKの朝ドラ「ブギウギ」が終わってしまいました。
最初は、笠置シズ子の生き様など、ほぼ興味は無かったのですが、
段々好きになり、のめり込んでしまいました。
のめり込んだ最大の理由は、趣里という女優の魅力の虜になったからです。

趣里などいう名前はそれまで聞いた事もなかったし、
彼女が、水谷豊と伊藤蘭との間に生まれた子供だという事も知りませんでした。
というか、私は水谷豊と伊藤蘭が夫婦であった事も知りませんでした。
つまり彼女に関しては、な~んにも知らなかったのです。



美人というタイプではありません。
体形も小柄で細身で、いわゆる私の好みのタイプでもありません。
しかし、彼女にはこれから大きく羽ばたいていくであろう才能を感じるのです。
「この子(あえて子と言う)は凄い女優になる」
それを強く感じるのです。
底抜けに明るい時、それとは反対に沈んだ時の暗い顔。
その両面に、彼女独特の顔の表情と、心の彷徨いを感じられるのです。

大女優、あるいは大スターとなった女優でも、
いつまで経っても大根役者だと思う女優さんもいます。
貴女はいつまで大根役者やってるのと、
観てるこっちが気恥ずかしくなってしまう女優。
しかし、趣里は最初から、いい役者なんです。
それは持って生まれた素質です。
こういった役者を初めて見ました。

でも、毎日の様に彼女とデートしてた私は、
これからは、もう彼女に逢えなくなってしまいました。
これが実に悲しい、寂しい。
これから彼女に逢いたかったら、彼女の出演作を観るしかありません。

言っとくけど、この子は、凄い女優になるよ~。
楽しい時、嬉しい時、悲しい時、寂しい時、
これからそういった様々な人生の隘路を演じ、魅せてくれるのでしょうか。
私達を魅了させてくれるのでしょうか?
彼女には自分は何をすべきかを大いに悩み苦んでほしい。
そういった貴女だけしかできない世界の結果を、
私達に見せてほしい、これからの貴女を観るのが楽しみです。

16.2.12.東京ブギウギ・新宿ともしび

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桜の開花は遅れても、姥桜は満開

2024-03-27 09:45:23 | 日記
3月23日(土)に隅田川で行われた、屋形船による歌声喫茶。
サクラのサの字も無く、やや寂しい情景ではありましたが、
私は初めての舟による歌声喫茶を楽しく満喫しました。



隅田川での花見と言えば、
滝廉太郎の「花」♬は~るの~、うら~ら~の~隅田川~、
を勿論思い浮かべながら、名曲「花」を唄う事になりますが、
それにしても私達日本人はなんと桜の花が好きなんでしょう。



あの淡いピンク色が、日本人の感性にきっと合っているからなんでしょうね。
でも、私は例え桜の花が咲いていなくても大丈夫。
何故なら歌声喫茶界には「うば桜」がいつも満開だからです。





ね、いいでしょ。

「うば桜」と聞いて、それは悪口でしょ、と思われてる方。
それは間違いですよ、あれは「誉め言葉」なんですよ。

広辞苑には、こう書いてあります。

「姥桜」・・うばざくら。
娘盛りが過ぎてもなお、美しさが残っている年増。
女盛りの年増。
「小町桜も老いぬれば身は百歳の、姥桜」

歌声喫茶では、いつも姥桜は満開なんですね。

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本当にガッカリさせられたニュース

2024-03-23 06:20:31 | 日記


この写真がニュースになって、私達は本当に幸せ感を感じました。
その興奮が冷めやらぬうちの、通訳の水原一平の不祥事には、
本当にがっかりした、どころではないほど失望させられました。

今まで大谷翔平と水原一平は、仲のいい兄弟みたいな感がありました。
そして、遂に大谷翔平が結婚を発表。
それと共に、水原一平も妻を公の場に登場させました。
そして上の写真で、日本人が皆ハッピーになるムードが一気に高まったのです。

その心地良さの中、皆が暖かな眼差しで見守ってきた水谷一平の裏切り。
晴天の霹靂とはまさにこういった事です。

彼が大谷翔平に対し、絶対にしてはならない裏切りをしていたとは。
水原一平に対する信頼、評価、信用は完全にゼロになりました。
これは回復不能でしょう。
彼はもう完全に終わりです。

昔、プロ野球の世界で、まだ新人の若い選手が、
なにか賭博だったか、してはならない金儲けだったかをして、
それが発覚し、球界から追放された事がありました。
その事件を、既に球界を引退しているベテラン選手が、
「バカにもほどがある」とこき下ろしため息をついていました。
つまり、彼は他人より優れた野球の素質があって球界に入る事ができたのに、
目先の僅かな金儲けに目を奪われて、自分の人生を棒に振ってしまったからです。
野球を一生懸命やっていれば、いくらでも金儲けは出来たのに・・・

水谷一平も同じです。
大谷翔平の通訳という誰にも無しえなかった、
自分だけの選ばれた地位がありながら、
そこでこれからいくらでも稼ぐ事ができたのに、
その全てを完全にオシャカにし、地位も名誉も何もかも失ってしまったんですから。

私はかねてより、これから結婚する女性に言っていた事があります。
決して結婚してはならない男性3つ。
〇 同性愛者
〇 宗教狂い
〇 ギャンブル狂い

同性愛者は完璧に、あとの2つは、ほぼ治らないと見ています。
これ以外に、麻薬中毒、覚醒剤中毒がありますが、
彼等は人間じゃありません。人間ではないので3つにも属さないのです。

昔、我が子(男子)の覚醒剤中毒をやめさせようと、
「俺も覚醒剤を打つから、俺と一緒にやめよう」と覚醒剤を打った父親。
どこかの学校の校長先生だった人が、たった一発で中毒患者になってしまったのです。
一回で廃人になってしまうのが覚醒剤、麻薬なんですね。
かつて、芸能人とかスポーツ選手で、覚醒剤中毒になった人がいますが、
私は彼等は二度と元にはもどれない人、絶望的な人だと思っています。

水原一平のギャンブル狂いも、治るか?
仮に治れたとしても、それは何十年も経ってからだと思います。
もう彼の人生は終わったと同じだと見ています。

彼がどうなろうが自業自得なのですが、
それが大谷翔平の心を揺さぶらない筈はありません。
彼も相当なショックを受けているでしょう。
そしてアメリカの法律で、何らかの罰を受ける事だってあるかも知れません。
今年から新しいチームに入って、沢山のファンから、
その活躍を期待されていた開幕戦。
その矢先に、一人の大バカ者が何て事をしてくれたのだッ!

可哀想なのは、水原一平の奥様です。
多分、初めて公式に姿を表せた(?)途端の悲劇。
天国から一気に地獄へと叩き落とされてしまいました。
この夫婦関係も終わりでしょう。
こんな男に付いて行っても、彼はもうダメですよ。
ギャンブル狂いが、立ち直るなんて、ほぼあり得ませんよ。

水谷一平本人も、自分のしてる事が、大いなる裏切りである事は分かっていました。
しかしもう泥沼で、そこから出る事は不可能になっていました。
ですから、大谷翔平人気が高まれば高まるほど、
彼の苦悩も高まっていたのだと思います。
そして遂にその日は確実に来てしまいました。

自殺、それもありでしょう。
そのくらい彼は絶対にしてはいけない事をやってしまったのです。

統一教会の宗教狂いは、家庭を壊し、子供の人生を奪ってもやめられない。
オウム真理教も、未だに抜けられない人がいる。
ギャンブル狂いも同じ。
彼等が完璧に立ち直れるか?
さて、それはどうなんでしょう?
私はダメだと思っています。

一人の狂信者は周囲の人達を巻き込んで、不幸にさせてしまう。
本当に恐い、ゆがんだ人の心は、本当に恐い。




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日本にしか無かった、航空戦艦

2024-03-17 06:42:18 | 軍艦
軍艦の中で最強を誇るのは、
敵艦との激しい殴り合いに耐える事の出来る、戦艦が最強です。
しかし、最強の戦艦であっても、空母には敵いません。
空母と言う艦種は防御が脆弱で、戦艦との殴り合いには、
全く弱く歯が立ちません。
ですが、空母から発進する航空機の威力は、
桁外れの強さを持ち、戦艦はそれには敵わないのです。

だったら、最強の戦艦と、それ以上の能力を発揮する、
空母を一体にしたら、もう手が付けられない強さとなるでしょう。



戦争物の漫画とかには、如何にもそれっぽい航空戦艦が描かれています。
果たして、航空戦艦は本当に最強の軍艦だったのでしょうか?
その答えを知っているのは、実際に航空戦艦を持っていた日本だけです。



1915年、日本初の超ド級戦艦、扶桑が完成しました。
しかし、この戦艦は日本海軍の大失敗作だったのです。
36センチ砲、2門×6基で12門という攻撃力を誇りました。
しかし、6基もあるという点が、ボイラー面積を奪い、低速戦艦となってしまったのです。
これを4基にして高速力を持った方が良かったのです。

これより少し前に造られた、イギリス製、戦艦金剛がこれでした。
ですから金剛型はその高速ゆえに第二次大戦で大活躍できたのです。

さて、扶桑型戦艦は2番艦として山城が造られ、
3番艦は伊勢、4番艦は日向だったのですが、
扶桑型の失敗を見た軍は、伊勢と日向を扶桑型とは少し違った設計にしました。



主砲の配置を、2+1+1+2=6基だったのを、
2+2+2=6基としました。
これでボイラー面積を稼ぎ速力アップにしたのですが、
それほど劇的アップにはならず多少はまし程度でした。
逆に兵員の居住スペースが狭くなって、兵員たちを苦しめる事になったのです。

1942年(昭和17年)
日本軍はミッドウェー海戦で大敗北を喫し、虎の子の大型空母4隻全部を失ってしまいました。
色を失った海軍は、急遽大型空母を建艦しなければならなくなったのですが、
資金も時間もそんな余裕は何処にもありません。
そこで目を付けたのが戦艦伊勢・日向でした。
あまり役にも立っていなかったからです。
最初は戦艦としての構造物全てを撤去して、完全なる航空母艦にしようとしたのですが、
それには1年半くらいの時間が必要です。
そういった状況の時、ミッドウェー海戦の少し前、
戦艦日向が射撃練習中に5番砲塔で大事故を起こし、使用不能になっていたのです。
海軍はそれを見て、伊勢、日向の2艦の主砲6基のうち、後部2基を撤去し、
航空甲板にして航空戦艦にする事を決定しました。



資金も工期も短縮されて、一応は空母としての活躍が期待されました。
しかし、見て分かる様に航空甲板は短く、航空機がこの短い甲板から飛び立てるとは思えません。



発進はカタパルトと呼ばれる、火薬の爆発力による急激な発射で行われました。
カタパルトは2基あったので、比較的短時間で全航空機の発進を行う事ができました。
ところが、困った事に、飛行甲板の短さは、
出撃していった攻撃機を自艦に着艦させる事ができないのです。
ではどうするか?
他の空母の甲板を借りて着艦するか、陸地の飛行場まで飛んで行くしかないのです。
しかし、そういった問題は全く起こりませんでした。
というか考えようにも、考える必要が無かったのです。

と言うのは、この限られた短いスペースに最適の航空機は、
限られた機種しかありません。
「彗星」と「瑞雲」でした。
しかし、これらの開発が遅れたのと、搭載される前に、台湾航空戦が始まり、
彗星と瑞雲はそれに駆り出されて居なくなってしまったのです。

搭載機が1機も無いままに、2隻の航空戦艦はフィリピン沖海戦に出撃したのです。
結局これが彼等の最後の戦闘になり、以後は呉軍港から動けないままでの終戦。

無駄など出来ない時間と資金を注ぎ込んでやっと造ったのに、
結局は航空戦艦の意味は全く発揮できないままの、悲劇的な末路でした。

戦艦の攻撃力、防御力。航空母艦としての航空機の活躍。
絵に描いた餅だったのです。
航空戦艦は、やはり漫画の世界の絵空事だったのですね。

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一生に一度は行ってほしい城

2024-03-16 13:58:47 | 日記
日本には4147の城があったそうです。
その中で昔からの天守閣が残っている城は12城しかありません。
大阪城や名古屋城は再建(鉄筋コンクリート製)なので、12城には入りません。
再建城はかなり多数を数えます。
また、歴史とは無関係の、勝手に造った城があります。
熱海城・尾道城、それ以外にも個人が趣味で建てたなんて城もあるのです。

国宝となっている城は、たった5つ。
姫路城・彦根城・松本城・松江城・犬山城だけです。

私も若い頃に、そういった城巡り的な観光をしたものです。
ちなみに国宝天守閣は5か所全部を見てきました。



長野県の松本城。
真っ白に雪をかぶった北アルプスをバックに、
そそり立つ天守閣の美しさは、本当に素晴らしい。



福島県、会津若松市の若松城というか、鶴ヶ城と言った方がいいですね。
白虎隊の悲劇の地となった悲しさがあります。
 天下を獲れる逸材と言われながら、
京の都からあまりに遠い東北の地だったが故に、
天下人になれない悲しさに泣いた、蒲生氏郷の涙を感じます。



島根県の松江城。
大阪や名古屋、姫路などを見た後で、
松江城を見ると、国宝とはいえそのコンパクトさに驚かされるでしょう。



愛知県の犬山城。
木曽川の畔の山の上にそびえている小さな城。
国宝でありながら2004年まで、個人所有の城でした。



長崎県の島原城。
これを見て「なんか変だな~」と、きっと思われるでしょう。
そうです(破風)が全く無いのです。



どこの天守閣にも必ずある破風(はふ)これが全然ないのです。



滋賀県の国宝、彦根城。
それほど大きな城ではないですが、優雅さを感じます。
1963年の映画「青い山脈」のイントロ画面に出て来るのは、この城です。

さて、こういった名だたる国宝、著名な城の頂点にある城。



それが世界遺産にもなった、姫路城です。
これを建てた(以前からあった城を改築した)完成させたのは、
池田輝政(1564年ー1613年)です。1609年の事でした。

姫路の駅の真正面、1,2キロくらいにその天守閣はそそり立っています。
まだ世界遺産など無かった若い頃、2度ばかり行きましたが、
桜の花と天守閣の組み合わせは、鳥肌ものの美しさです。
天守に至る道など、全部が昔のままですから、
その価値といい華やかさ、美しさ、言葉に言い表せないほどです。
その艶やかで優雅な姿を見ると、
お姫様などという言葉を思い浮かべてしまいます。

どこの城にも行った事がない、という方。
もし行かれるならば、絶対に姫路城だけには一度行ってください。
日本人である事を、きっと誇りに思うでしょう。


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