河童の歌声

歌声喫茶&キャンプ&ハイキング&写真&艦船

史上最大の戦艦・大和・・№2

2019-03-30 19:49:03 | 軍艦










私が実物大の、史上最大の戦艦・大和を広島県尾道へ見に行ったのは、
2006年3月の事でした。

若い頃から独り旅オンリーだった私が、
初めてパック旅行を経験した旅でもありました。
何しろ軍艦オタクの私にとって、
実物大の戦艦大和が存在している事自体が信じられない事だったのです。
それは、映画「男たちの大和」の為のセットとして造られた物だったのです。

初めてそんな物がある事を、たまたまスポーツ新聞で知った私は、
一気に頭に血が登り、
親の死に目に会えずとも俺は行くッ。行くとなったら死んでも行く。
っと、今まで馬鹿にしていたパック旅行者となったのでした。

さて、
その映画「男たちの大和」の話です。

その映画撮影の為に、18歳、19歳という、
約100人の少年と更に主役の少年一人を選考したのです。

オーディションには約2000人が集まりました。
三次・四次と選考を重ねて絞っていくうちに、
少年達の様子が少しづつ変わってきたそうです。

茶髪でピアスだった少年が、第五次選考の時は普通の姿で現れたので理由を訊くと、
「先生に大和ってホントにあったんですか。
そして日本は負けたんですか、と聞いたら、
『ホントだよ。負けたんだよ。
日本は負けてたくさんのものを失ったんだよ』と教えてくれた。
しかし、周りを見渡しても何を失ったかが、さっぱりわからない。
日本には何でもある。
だけどこのあいだ、ハッとして分かりました。」

審査員一同は身を乗り出して、
それは何かと聞くと、

「それは道徳です」と答えた。

どうやらそのひと言で、その少年は採用と主役が決まったらしい。
道徳を大事にする精神は、まだ水面下に生きていたのである。

「男たちの大和」の公開に向け撮影が進んでいるが、
少年達の演技は日一日と真剣の度を加えているそうです。

『同世代の少年達がこの様に戦って、みんな死んでいったのかと思うと、
仇やおろそかにアクションは出来ません』
と言っているそうです。

精魂込めて大和を造った事は、ムダではなかった。
3300人の若者は死んだが、
その精神は後世に伝わっていると思うと、私は涙が止まらなかった。

軍艦オタクの私が読んだ本のあとがきに、
この話が書かれていたのです。

それを読んだ私も、泣きました。




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仁丹

2019-03-30 07:56:08 | 日記
仁丹という物を、今の若い人はどれほど知っているのでしょうか?
私は中学生の時に、強烈な思い出があります。



私は母の仕事の都合で、
中学3年生の時の年末に、東京から藤沢に引っ越しをしました。
その為、3学期だけ藤沢から品川へ遠距離通学をしました。

引っ越した先は、藤沢駅から江ノ電でひとつ目の石上という駅でした。
住所は藤沢市鵠沼(くげぬま)。
如何にも湘南というイメージの住所でした。
中学生ですから、たった一駅など、勿論徒歩で藤沢駅まで歩いていました。

ある日、遅刻しそうになった私は、
朝食を摂ってすぐの身体で藤沢駅までの700メートルを走ったのです。
朝の東海道線は勿論満員。
どうにか乗れたのは良かったのですが、
元来、乗り物酔いには弱い体質の私は、
ほどなく気持ちが悪くなって顔面蒼白(多分そうだったのでしょう)
それを見かねた大人の人が、私に席を空けてくれました。

席に座った私は脂汗がたらたら。
それを横に座っていたおじさんが、私に勧め飲ませてくれたのが、仁丹。





仁丹という奴は、強烈な匂いがします。
その時、私はその匂いで余計に気持ちが悪くなりそうだったのです。

確かに効能書きには(気分不快)とか書いてありますが、
さて、どうなんでしょうかね~?

仁丹は1905年(明治38年)発売。
口中清涼剤として発売2年目で、
日本の家庭薬の売り上げ第1位になります。
発売当時の謳い文句は「完全なる懐中薬、最良なる毒消し、
(もしくは最良なる口中香剤)という2文がついていたそうです。

ここでいう(毒)とは、コレラや梅毒の事を指しており、
特にコレラは明治・大正期においては、
致死率の非常に高い病気であった。
仁丹の適応症として・・
気分不快・口臭・乗り物酔い・二日酔い・悪心嘔吐・胸つかえ。

今にして思うと、
子供の頃遠足などに行くと、必ずと言っていいくらい、
電車やバスの中には仁丹の匂いがありました。
おじさん達のポケットには一人や二人、
仁丹をしのばせている大人が必ずいたもんです。

あの頃の、ある種大人の香りとでも言っていいくらいの物でした。
あの匂いが世間から無くなったのはいつ頃だったでしょう?
気がつくと仁丹は世間から姿を消していたのです。

しかし(森下仁丹)という会社は現存しています。
という事は、まだまだ仁丹を常備している大人がいるという事なんでしょうね。
私は一度も仁丹を買った事は無いし、
ましてや、それを飲む、というか噛む、という事をした事は数回だけ。
これから先は絶対にあり得ません。
ただ、あれは一体何だったの?という疑問だけです。

(青春)という言葉は、もはや老人語だとか・・
それと同じで(仁丹)は、もはや老人臭なのかも知れないですね。







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熟れたぶどう

2019-03-29 07:31:08 | 歌声喫茶
17.4.2.熟れた葡萄・松戸の歌声


「熟れたぶどう」という歌を知ったのは、
2017年4月2日、松戸の歌声喫茶でした。

その日は、いつもの日暮町会館が都合で使えず、
隣の、みのり台駅にある、みのり台市民センターで行われました。
そこで、この歌がかかったのです。

動画を撮ったのは、たまたまであり、
撮りながら(これはいい歌だ)と感じていました。
男女の掛け合いの仕草が、何ともいい雰囲気で、
(魅せられた)という思いがしました。

それからは、またあの歌を唄いたい、
聴きたいという思いはあったのですが、
あの仕草を知っている、出来るという男女が居ない事には、
リクエストしても空振りになるのは分かりきっています。

ところが、その機会は意外と早くやってきました。

17.5.27.熟れたぶどう・三鷹の歌声


その翌月の三鷹の歌声喫茶でした。
三鷹の歌声喫茶は主催が、ともしび合唱団立川支部。
あの歌を出来そうなメンバーが揃っています。

私は(熟れたぶどう)を動画に記録したいと申し込み、
そして唄って貰ったのでした。
流石にともしび合唱団の方々は心得たもの。
私が思い描いた通りに唄ってくれました。
それどころか、その歌だったら是非唄いたいと、
体調不良だと思われていた方までが登場してくれたのです。
おかげで、いい映像が記録できて、本当に嬉しかった。

さて、それからは再び唄われるチャンスが無く、
チョッと淋しい思いだったのですが、
この27日に、偶然再会できたのです。
それも、新宿ともしびで。

その日は、中野サンプラザで、
(徳さんと歌おう!うたごえ喫茶コンサート)という事で、
それには私達も参加したのですが、
それが終わった後、私達夫婦はともしびに行きました。

そこへ、中野サンプラザのステージを終えた、
ともしびメンバーも続々と帰って来ました。
そして、これを唄ったのです。
リクエストした人も、(これだけのメンバーが揃っているなら、
きっとやって貰えるだろう)という気だったのでしょう。

ともしびはステージが狭いのでチョッと窮屈でしたが、
それでも、あの楽しいパフォーマンスを存分に楽しめました。

やっぱり、この歌はとってもいいね~。
でも、メンバーが揃わないと出来ないというのが悩ましい。









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今日の一曲は「ウィリアムテル序曲」

2019-03-27 07:47:25 | 音楽
William Tell Overture from "Brassed Off"


この映像は、Elfman101様の動画を使わさせて頂きました。
1996年のイギリス映画「ブラス」のワンシーンです。
そして、この映像は「ウィリアムテル序曲」の、
「スイス軍の行進」の部分です。

「ウィリアムテル序曲」はオーケストラでも演奏されますが、
私はむしろ、この吹奏楽の方が好きです。
そのハイライト、トランペット独奏は、
実はトランペットではなく、
トランペットより、やや音がまろやかなコルネットなんですが、
息継ぎを一回もする事なく、最後まで一気に吹き切ります。

私は全盛期には肺活量が7000CCありましたが、
多分、それくらい無いと、一気には吹き切れないと思います。

この部分は、普通に演奏を聴き、観るよりも、
「ブラス」という映画の動画の方が私は何倍も好きです。
何故かと言うと、映像の背景にある物語を感じるからです。

「ブラス」という映画はイギリスの滅びゆく炭鉱町が主題で、
このバンドもそんな炭鉱会社の趣味サークルです。
しかし、そのバンドはイギリスのブラスバンドコンクールで、
1992年に、99点という伝説的な優勝を勝ち取ります。
しかし、その会社も時代の波に呑み込まれてしまいます。
そういった映画でした。



この曲を作曲したのはイタリアの、ロッシーニです。
1792年~1868年(76歳)
私は、この曲を聴くと、(才能)という言葉を感じざるを得ません。

こんな素晴らしい曲を作れる才能。
それは凡人には、とても考えられないものです。
ひとつひとつの楽器の音が複雑に微妙にからまり、
その集大成としての流れになっての(音)を聴くと、
もう、その圧倒的な(音)、圧倒的な(迫力)に、
ただただ魅せられ、ただただ心から共鳴させられ、共感し、
我と我が身を忘れ、感動!
もう、感動としか言い様がありません。

この映像は何度観ても感動するのです。

ロッシーニ・・貴方は天才です。
貴方は本当に素晴らしい。ありがとう。






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最悪の花見

2019-03-26 08:45:10 | 日記




私達は、昨年は井の頭公園に花見に行きました。
大混雑を予想していたのですが、
それでも、ボートに乗って東京の花見を堪能する事が出来ました。



今年は伊豆・下田で歌声が開催された事により、
南伊豆町で、あまり人出の無い河津桜をゆっくりと見る事ができました。

さて、今年の染井吉野の開花時期が迫っています。
今年も井の頭公園でも良いし、何処かで花見をしたいと思うのですが、
この週末・来週と私達は歌声喫茶行脚に忙しく、
都合の良い日程が難しい感じなのが悩ましい。

それで思い出したのは、
20代後半の事でしたが、最盛期の上野公園で花見をしたのです。





学友と4人での花見だったのですが、
最も混む日だったので、昼頃、上野公園に着くと、
立錐の余地無しといってもいい位の大混雑でした。

座る場所などありゃしない。
我々は途方に暮れましたが、隅っこに何とか狭いスペースを見つけ、
そこに新聞紙など敷いて、何とか4人が膝小僧を抱えての花見開始となりました。
ビールと日本酒くらいできっと飲んだのでしょう。

しかし、花見でビールとなると、行き着く先はトイレ。
こいつが大問題だったのです。

トイレの前は大行列。
女性などは間に合わないので、男性トイレにどんどん入って来るのです。
女性はそうでもしなければ、メカが違うんだからそりゃ仕方ない。
でも、あぶれた男どもはどうしたか?
そこが最悪だったのです。

チョッとばかりの植え込みがあると、
そこでシャーっとやり始めるのです。
植え込みなんて、それは気持ち的には(隠した)つもりでも、
殆どまる見え状態というのが実体なんです。
それがね、我々の場所から、ほんの数メートル。

俺たちはね、仮にも(お花)を見に来ているんであってね、
お前らの〇〇見に来てるんじゃないんだからね。
仕方ないから、あっちの方見ながら酒飲んでたけど、
音がね、音が聞こえるんだよ、バカヤロッ!

それが女性だったら・・ま、・・何だけどね。
男だよ~。
男が男のナニを見たって・・なもん見たくもないよ。
テメーラ、いい加減にしろってんだ、バカヤロ。
本当に最悪でした。





その頃、やはり学友4人で花見をしました。
場所は、片瀬の竜口寺。
藤沢から鎌倉に行く、有名な江ノ電に(江の島)という駅があります。
そこは江ノ電が路面電車状態になる場所なのですが、
そこの向かい側に小高い丘があります。
その丘の上にあるのが竜口寺です。

そこには、絶妙の花見の穴場があるのです。

何故、穴場か?

下から見上げると桜が咲いているのが見えない(分からない)
行ってみると、丘の上からは相模湾が一望。
しかも下は芝生、つまり裸足で花見が出来るのです。
そしてトイレがあるんです。
下からは気づかれないので人は殆ど居ません。
そこで裸足になって、トイレもあるし安心して花見が出来るのです。
周りを見れば相模湾が、遠く富士山まで見える大展望。

こんな穴場中の穴場なんて絶対にありません。
私は、この穴場を絶対に他人に喋りませんでした。
穴場というのは喋ったら終わりですから。

しかし、それから30年くらい経ったある日、
片瀬に行ったついでに寄ってみたら・・・

だから喋っちゃダメッって言ったろ、バカヤロ。
もう、穴場のカケラも残ってはいませんでした。(涙)

それにしても思い出すのは上野公園のチン列だよな~。
あ~、やだやだ、おぞましい!





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