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SF小説

2017-06-04 08:26:45 | 読書
SF小説というと、私が最も印象深いのは「日本沈没」です。

言わずと知れた、小松左京を代表する小説でした。
ベストセラーになり、1973年に映画化されましたが、
あれを観た時、「日本は本当に海の中に沈んでしまう!」と、
チョッと本気で不安になったものです。

時の総理大臣(島田正吾)が、
地球物理学者の田所博士(小林桂樹)に尋ねます「何故、今年は燕がやって来ないのか?」
そう訊ねるシーンには、何故か鳥肌が立つ思いがしました。

また、その総理大臣が田所博士に、こうも尋ねます。
「科学者にとって一番大切な事は何かね?」

それに対し田所博士は言います「感です」と。
そして、そこにあった新聞紙を無造作に切り裂き、
「こうやって破けば、誰だって同じ新聞紙だった事は分かります」
「しかし、最初から切れ端だった物が、同じ新聞紙だったとは誰も思わないでしょう」

と言って、ヴェーゲナーが1912年に唱えた(大陸移動説)の話をします。
地球の大陸の形を見た、ヴェーゲナーは感でひらめいたのです。
元々は同じ大陸だったのではないか?と。
最初それは多くの科学者たちから馬鹿にされました。
「大陸が移動するなんて、全く馬鹿げている」

しかし、現在、それを否定する人は誰も居ません。
科学者にとって、最も大切なのは(感)なのです、と。


そして、あれは誰の小説だったのかは、まるで記憶にありませんが、
何処かの地方にネズミが異常発生し、
人間の生命が危険にさらされるというとんでもない事態が起こったのです。
人間は生死を賭けてネズミの大軍と戦うのです。

その最初のフレーズが、
「最初は誰も気にも留めなかったのですが、ネズミが数匹出没しました」
とか、そんな感じでの始まりだったのですが、
その何気なさが、逆に肌が薄ら寒くなる様な恐怖心をあおった事を覚えています。


これは日本人か外国人かは分かりませんが、
一日一日、自分の身長が半分になって行くというSF小説もありました。
身長170センチの人が、
翌日には85センチ。次の日には約42センチ。
3日目には、21センチ、4日目は10センチ。5日目は5センチ。

という事は、
5日目になるとどうなるか?
それは身長が5センチになった自分とゴキブリは同じくらいの大きさ。
現在に例えると140センチくらいなのです。
そんな大きなゴキブリが間近に来たら、卒倒してしまいます。
4ミリだった蟻は、14センチの感覚です。
もうダメだ、食い殺されちゃう。

何処を見ても怪物しか居ません。
もし、犬や猫が居たら、踏みつぶされてしまいます。
人間が居たので「助けてくれ~ッ」と叫んでも、
そんな小っちゃな声など誰も気づいてはくれないのです。

更に翌々日になると、もう身長は1,5センチ程度なのです。
雨が降って、雨粒にまともに当たるものなら即死してしまいます。
チョッとでも気を抜くと、虫のエサになってしまいます。

そして、本当に怖いのは、
いくら経っても、どんなに小さくなっても生きているのです。
1ミクロンになろうとも生きている、という事は、
毎日が必死で生きなければならなく、でも死なないのです。


「モスケーの大渦巻」とかいった小説もありました。
あまり詳しくは覚えていないのですが、
その人が不幸にも、モスケーという海か、渦巻なのか?
そんな大渦巻に転落してしまったのです。

物凄く大きな渦巻なので、中心に行くにはかなりな時間があったのです。
彼は生きるか死ぬかの中で、観察をしている内に、
長さの短い物より、長細い物の方が中心に行きつくまで時間がかかる事に気づきます。
それで彼は、自分の身体を腕と足を突っ張る様にしながら耐えていたのです。

その甲斐あって彼は一命を取り留めました。
しかし、生きた心地のしないその時間の為に、
彼の頭髪は恐怖の為に、真っ白になっていたのです。
と、そんな内容の短編小説でした。


SF小説なんて、まるで荒唐無稽の下らない本だ、とは思いますが、
いやいや、そういったものでは無いですぞ。
どうしてどうして、たかがなんて言ってると、
貴方は後悔しますよ。
SF小説って、結構面白いのです。

ですが、私は最近はそういったロマン溢れる本を読んでいないな~。

(追伸)

島田正吾は総理大臣ではなく、政界の重鎮だったかな・・・


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モンテクリスト伯を読み終えました

2017-04-25 10:10:17 | 読書
3月15日の日記に、
(3回目の読破が始まった)と書きましたが、
先日、仙台からの帰りの電車の中で、遂に読み終えました。

しかし、3回目だと思っていたのが、実は4回目だったみたいです。
と言うのは、妻のエリカさんが、
「私と知り合った頃、貴方はよく電車内とかで読んでいた」と言うのです。
そういえば、そんな気がしなくもないのです。

確かに最初に読んだのは18歳か19歳の時。
その本を人に貸したきり戻ってこなくなり、
再び買い直し、再読したのが50代の時。
それ以降、現在まで読まなかったかと言うと、確かに読んだ気がする。
という事は、やはり4回目というのが正解だろう。

さて、「モンテクリスト伯」
この本を読み終えると感じるのは、圧倒的な‘感動‘です。
その感動の凄さは鳥肌が立つほどの凄さです。

よくぞ、これほどの壮大なストーリーを考えたものだ。
よくぞ、これほどの感動を読む人に与える事ができるものだ。
そういった思いに包まれるのです。

本の厚みでも7センチを超える大書。
では5回目はあるか?と言うと、
この本が印刷されたのが1962年であり、
既に55年の歳月が経っているので、
印刷の文字のインクが薄れていて、字が小さいし実に読みづらいのです。
なので、5回目は、さてどうなるかな~?

今から新品を買いたくても、もう発売はされていません。
ダイジェスト版だったら、あるのかもしれませんが、
本物はもう無いみたいなんです。

私は先日買った、DVDのビデオを観たりしながら、
当時のパリの背景や服装などを観て、
臨場感を高めながら本を読みましたが、
やはり、そういった画が有ると無いとでは本を読んでいても、
想像力がなかなか働かないのですね。
私達日本人に、1800年代のフランスなんて想像できないのですから。

日本でよく読まれている推理小説、
あるいはサスペンスドラマ。
それらはみな、犯人が逮捕される事で完結します。
それから後は警察なり裁判所の管轄となってお終い。

でも「モンテクリスト伯」は違うのです。
自分を苦しめた犯人が逮捕されれば、
それで、その人の心は完結するでしょうか?
そんな筈はありません。

自分がいったい何の罪で逮捕され、
牢獄からいつになったら出してもらえるかも判らずに、
そんな羽目におとしいれた犯人が誰かも知らず、
若く、これから我が世の春が来る筈だったその時に、
永久に人知れずの地下牢につながれたまま(14年間)死んでゆく。
それほどの苦しみにさせた犯人たちが、ただ逮捕されれば終わり・・?
そんな理不尽は絶対に許さない、絶対に復讐してやる。
それが人間としての本当の気持ちなんですね。
そこが、単なる推理小説との差です。

この本を読むと、そんなありきたりの推理小説など、
まるで漫画にでも感じられて読む気にもならなくなります。
かつて、ベストセラー作家として有名になった、
シドニー・シェルダンの小説くらい、馬鹿馬鹿しい小説はありませんでしたね。
あれは小説ではなく「漫画」だと私は思いました。
あんな馬鹿々々しい本がベストセラーになるなんて・・・

「漫画」だったら、さいとうたかお氏の「鬼平犯科帳」や、
「サザエさん」の方がよっぽど気が利いてますね。
「ゴルゴ13」も漫画ですが、シドニー・シェルダンより、いいですね。

しかし、無実の人を生きてる限りは絶対に出られない牢獄に閉じ込める。
そんな罪状が、一体あるのでしょうか?
そんな罪状って、まるで思いつきませんよね。
著者の、アレクサンドル・デュマは、
それを、あの英雄ナポレオンを登場させる事にしたのです。
つまり政治的な権力を登場させる事で小説の土台を築いたのです。

それは、北朝鮮の拉致被害者と同じで、
圧倒的な権力の前には、
一般市民の生死などまるで虫けらみたいになってしまうのと同じなんです。
被害者・エドモン・ダンテス(モンテ・クリスト伯)は、
北朝鮮の拉致被害者と同じで、権力の下に封じ込められてしまったのです。

エドモン・ダンテスの悲劇は(嫉妬)から始まります。
同じ船に乗っていながら、
19歳にして船長に出世するダンテス。
それを心よく思わない年上の会計士、ダングラール。

ダンテスと相思相愛の美しき許嫁メルセデス。
そのメルセデスに熱烈に横恋慕する従兄弟のフェルナン。
彼等二人の悪者が共通の思いで、偽の手紙を書きます。
(ダンテスは、ナポレオンからの信書を持っています)
ダンテスは航海の途中で亡くなった船長の指示に従って、
ナポレオンに会い、信書を預かってきたのです。

検事のヴィルフォールは、最初ダンテスを軽く許します。
しかし、信書の内容をよく読んだ彼は、真っ青になってしまいます。
そして、ダンテスを永久に地下牢に閉じ込める法的措置を下します。

それは軟禁されているナポレオンが、再び活動を再開する為の、
工作活動を指示する文書でした。
その宛先が・・それがヴィルフォールの父親宛てだったのです。
父親はナポレオン派。息子のヴィルフォールは反ナポレオン派でした。
そんな手紙が公になったら、自分の未来は完全に終わってしまいます。
ヴィルフォールはダンテスを永久に出られない地下牢に死刑宣告をするのです。

地下牢に閉じ込められたダンテスは、
まるで意味が分らないのですから、その苦悩は激しいものでした。
しかし、同じ地下牢に閉じ込められていたファリア神父の存在を知ります。
彼等はトンネルを掘る事で、交流をしたのです。
その神父から、かつて彼が仕えていたスパダ家の財宝の事を知ります。
それは巨万の富でした。

巨万の富・・それって一体いくらくらいがそう呼ばれるのでしょう?
小説の中にはいくつかのお金の単位が出てきます。
フランとかエキュとか、その他にも出てきますが、
それらの価値を把握しておいた方が、リアル感があっていいのです。

モンテクリストの資産は一億フランだそうです。
色々な場面でそれらを推し量ると、
大体、一フランは1000円くらいな感じがします。
そうすると、モンテクリストの資産は1000億円という事になります。
1000億円って、巨万の富と言えるのでしょうか?
現代の日本の感覚だと、5000億円くらいは欲しいですね。
でも5000倍に換算すると、
場面によっては高過ぎる場合などがあるので、何とも言えません。

ファリア神父の死によって地下牢から脱獄できたダンテスは、
モンテクリスト島の地下に隠されたスパダ財閥の財宝を掘り出します。
それを元に、周到で綿密な計画をもって、いよいよ復讐にかかるのです。

最初の敵は、愛しいメルセデスを横取りしたフェルナン。
彼はモルセール伯爵と名前を変えて、陸軍中将に上り詰めていました。
しかし、ダンテスによって、敵地ギリシャでの卑怯な裏切り行為により、
現在の地位と金を手に入れた闇の姿を暴かれ、
家族(メルセデスと息子)は、父親の嘘偽りの姿を知る事になり、父親を見捨てます。
地位も名誉も家族も失ったモルセール伯爵は、
何でそうなったのかが理解できません。

そこで対決したモンテクリスト伯は、訳の解らないモルセールの前に、
モンテクリストの仮面を脱ぎ捨て、
若き水夫だったエドモン・ダンテスの姿になるのです。
そこで初めてモルセール(フェルナン)は、自分が完璧に復讐された事に気づき、
復活はもうあり得ない人生に絶望し、自殺します。

ちなみに、会った瞬間からモンテクリストはダンテスだと見抜いたのは、
かつての許嫁であるメルセデスだけでした。
他の人はまるでその変装を見抜けなかったのです。

二番目は検事総長にまで上り詰めていたヴィルフォールでした。
彼は不倫により生まれた子供を金庫に入れて庭に埋めてしまいます。
それを見ていた男がいて、金庫を掘り起こし、まだ生きていた男の子を育てます。
その子供が後にヴィルフォールの命とりなるのです。

彼の妻は我が子の為に、遺産目当てでその妨げになる人々を次々と毒殺します。
それに気づいたヴィルフォールは、
「私はこれから裁判に出かける、帰ってくるまでに自分で始末をしろ」と
殺人者の妻に命令をして裁判所に出かけて行きます。

裁判所では、如何に自分が有能な検事であるかの証明となる判決になる筈でした。
ところが、裁判の被告人が、実は庭に埋めた男の子だったのです。
検事総長である自分の悪事を暴かれた彼は、世間の信用と、
公的な地位を一瞬にして失ってしまいました。

残された家族だけは守らなければと急ぎ帰った家には、
「死ね」と命令した妻が、我が子と共に毒を仰いで死んでいました。
そこに現れたのがモンテクリスト伯。

ヴィルフォールは自分たち家族が何故急速におかしな事になって行ったのかが
理解できないのですが、そこに現れたモンテクリストを見て疑問を感じます。
そんな疑問にモンテクリストは仮面を脱いでエドモン・ダンテスの姿になります。
ヴィルフォールも初めて自分が復讐された事に気づきますが、
ダンテスの復讐のすさまじさに憤りを感じ、
ダンテスに自分の妻と子供の死体を見せます。
そんな中でヴィルフォールは、もう自分が完全に終わってしまった念と、
家族までことごとく死んでしまったという思いで、
遂に発狂してしまうのです。

そこで初めてダンテスは、いくら復讐とは言え、
やり過ぎた、神の領域まで自分は侵してしまったという後悔の念にかられます。

最後に残った復讐の相手こそ、
最も憎むべき元船員であり会計士だったダングラールでした。
彼は銀行家として成功し、男爵の地位までに上り詰めていました。
しかし、ダンテスの周到な策略にことごとく引っ掛かり、
その財産の全てを失い、破産してしまいました。

破産した銀行の資産50億円を手形に替えて彼は逃げ出します。
しかし、ダンテスが見逃す筈はありません。
彼の手先である山賊の囚われの身となってしまいます。
腹が減っても山賊は何の食べ物も飲み物もくれません。

私にも何か食べ物をと頼むと、一億円。
ではパン一切れでいいからと言っても一億円。
「私がそんな金を持ってるとでも思っているのか」と言うと、
「ハイ、閣下の懐には50億円入っています」
それを聞いてダングラールは、心の底から震えあがったのです。
何もかも全部お見通しだった事を知ったのですから。

遂に金は全て無くなってしまい、彼は飢えに苦しみます。
そんな時に現れたのが、モンテクリスト伯。
「ああ、モンテクリスト伯、なんで貴方がここへ?」

「私は貴方に裏切られた男です。私はエドモン・ダンテスです」
ダングラールもまた完璧に復讐された事に初めて気づきます。
しかし、ダンテスは言います。
「私は貴方を許します、貴方だけがこういった幸せを味わえるのです
他の人達はこうはいきませんでした。」

許されたダングラールは・・
残ったのは命だけの、殆ど無一文の老人でしかありませんでした。
地位も名誉も財産も、家族も彼の下を去って行ってしまいました。



著者のアレクサンドル・デュマは1802年生まれ。
1870年に68歳で亡くなりました。
彼の父親は陸軍中将で(黒い悪魔)と呼ばれた豪傑でした。
彼は父親が黒人の奴隷の女に産ませた混血児でした。
ですので、アレクサンドル・デュマは4分の1に黒人の血が入っています。

ある新聞社が19世紀フランスを代表する人物というので投票を募ったら、
最高点を示したのが、ナポレオンとデュマだったそうです。
一生の間に三百巻近い作品を作りあげ、
文学史的な枠をはみ出した豪快きわまる人物として人気を集めました。
最盛期には30人の愛人が居たそうです。

モンテクリスト伯の他に「三銃士」なども書いています。
彼は「大デュマ」と言われ、「小デュマ」と言われた息子は、
「椿姫」などの小説を書いています。



彼は巨万の富と言えるのか、それで(モンテクリストの館)を建てました。
しかし、晩年はその途方もなく荒い金遣いが元で、貧乏になっていました。
でも、彼は元々はここから始まったんだから一緒だと言っていたそうです。

それにしても、同じ本を4回も読む奴が居るんだね~。
そんなの信じられないよね。俺だよ・・
でも、読み終えると、本当にこの本の凄さに感動するのです。
こんな本に出会えた事は幸せだと思います。



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