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フランス艦隊対イギリス艦隊

2021-12-15 14:47:55 | 軍事
第二次大戦で、日本はドイツ・イタリアと日独伊三国同盟を結んで、
連合軍と戦いました。
3つの国以外の国は全て敵ですから、フランスとイギリスは味方同士。
フランス艦隊とイギリス艦隊が戦争をする筈はないと思われるでしょうが、
実際は、フランス軍とイギリス軍は、激しい戦いをした事があるのです。

1939年(昭和14年)9月。
ドイツ軍のポーランド侵攻により第二次世界大戦が始まりました。
それから、たった9か月後の1940年6月。
フランスはドイツに降伏しました。



降伏したフランス艦隊は、北アフリカのアルジェリア(緑色)の港に集結しました。
小型艦艇はオラン港へ。
そうです、カミュの「ペスト」の舞台となった港町です。
大型艦船はそこから10キロ離れた軍港・メルス、エル、ケビルに
脱出して集結しました。

これらフランス艦隊がドイツ軍に接収されたら、
それはイギリスにとっては恐ろしい戦力になります。
イギリス海軍は地中海艦隊の主力部隊を派遣して連合軍への参加を呼びかけます。
もしフランスがそれを拒否するなら、フランス艦隊を全滅させるつもりです。
しかし、連合軍への参加を拒否しながら、
いつまでもフランス軍の態度は曖昧です。

1940年7月3日。
しびれを切らしたイギリス艦隊は遂に一斉攻撃をフランス艦隊に加えました。



新鋭の巡洋戦艦、ダンケルクとストラスブール(共に26500トン)の内、
ダンケルクにイギリス戦艦の巨弾4発が命中、
更に航空機からの魚雷1本が命中、ダンケルクは沈没着底状態になってしまいます。
旧式戦艦のブルターニュも沈没。
同じく旧式戦艦のプロバンスは砂地に乗り上げ座礁。
この2隻の旧式戦艦はそこで生涯を終える事になります。
この戦闘によるフランス軍の死者は2千人を超えます。
しかし、イギリス側の損失は取るに足らない微々たるものでした。

これほど戦果に差がついたのは、
フランス軍司令官、ジャンスール中将の優柔不断な性格でした。
彼はイギリスがまさか本気で攻撃してくるとは思っていなかったのでしょう。

この2か月半後、
アフリカ西海岸のダカールで同じ様に、フランス艦隊とイギリス艦隊の戦いが起こりました。
しかし、この戦いは前の様にイギリスの一方的勝利とはならず、
イギリス側の損害も大きかったのです。
初めから戦闘を本気で覚悟していたら、フランス軍も、
勇敢で優れた戦いが出来たのです。

これら2度の戦闘では、
フランス軍を徹底的に攻撃したイギリスに非難が殺到しました。
この遺恨が1942年11月、連合軍の北アフリカ反攻作戦(トーチ作戦)の際に、
フランス軍と連合軍(アメリカ・イギリス・自由フランス軍)との間に、
激しい戦闘を引き起こす原因となったのです。

フランス側の優柔不断な態度は、
イギリス軍にとっては、味方に応じないなら壊滅させてしまう。
「昨日の友」も、必要とあらば抹殺する。
それがイギリス軍の強さなのですね。









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