河童の歌声

歌声喫茶&キャンプ&ハイキング&写真&艦船

街の時計屋さん

2017-09-16 04:35:02 | 日記
セイコー BY226G


子供の頃、時計屋さんのショーウィンドウを見るのが好きでした。
あの頃の(時計)には今と違って、高級品の印象がありました。

子供の私にはまさに「高嶺の花」でした。
キラキラ輝く様々な置き時計。
その中でも動画にある様な回転式の置き時計は、
まるで遊園地のメリーゴーランドを見る様で、
それが回る姿は、色々な夢をかき立てられ胸がワクワクしたものです。

メリーゴーランド型の置き時計が表紙のノートを持っていました。
いつ見てもその表紙は私の大のお気に入りのノートでした。
今でもそのノートの事を思い出す事が出来るくらいです。



しかし時代は変わり、今では何処の時計屋さんも青息吐息。
店内にお客さんが居る所など、ほぼ見かけません。
これでどうして生活が成り立っているんだろうと、
他人事ながら心配になってしまいます。

私が子供だった頃の、あの輝きはどこに行ってしまったんでしょう?
キラキラしたあの夢はもう何処にも無くなってしまいました。



腕時計には、大人への憧れがありました。
「自分も大人になったら、あんな腕時計をするんだ」
そういった今の自分には無いものへの憧れがありました。

しかし、今の街の時計屋さんを見ると、
あの頃、憧れの対象であったお店が、さびれにさびれています。
精々(電池交換致します)くらいしか客を呼べる要素が無いのです。

高級品は、銀座とかの店に買いに行くでしょう。
使い捨て腕時計はスーパーでいくらでも買えます。
そして、インターネットで数えきれない程の品物から、
自分の好みの時計を注文すれば自宅に届くのです。

何も、街の時計屋さんの店先の、ほんの少しの時計から、
店主に気兼ねして、買いたくもない時計を無理無理買う事はないのです。

時代というのは恐ろしいものですね。
あれほどきらびやかだった街の時計屋さんが、
時代に取り残された象徴的な存在に成り下がるとは・・・

今でも所々の時計屋さんは生き残っていますが、
店主は年金を貰いながら、意地で店をやってる感じで、
もう、あの頃の輝きは、その片鱗すら残ってはいません。

今の時計は、
宝石をちりばめた高級時計と、
正確無比な(日本式)な時計と、
使い捨ての安い時計と、3つに分類されているみたいです。
スイスに学ぶものは、もう何も無いそうです。

時代の流れというのは、ある意味、残酷でもありますね。



コメント
この記事をはてなブックマークに追加

人の死にかたの形態

2017-09-13 07:33:52 | 日記
最近は昔に比べて、孤独に死ぬ人が増えているそうです。
それは、家族が居ても死ぬ時には「孤独」だったという意味もあるのですが、
本当の意味での「孤独死」もまた増えているそうです。

生涯独身という人が以前に比べて多くなっている現状では、
「孤独死」となる現実はやむ負えない事でしょう。
テレビドラマの様に、家族に見守られて、
お別れの挨拶をして逝くという形態は少なくなっている様です。

自宅で亡くなる人、病院や施設で亡くなる人。
誰でも、出来れば自宅で家族たちに見守られながら亡くなる、
という形態を理想とは思っていても、
現実はその通りには、中々いかないのですね。

歌声仲間の人で、
息子と、自力では動けない身体の母親との二人家族。
自分の面倒を看ていてくれた息子が自宅で突然死。
動けない母親は餓死という悲惨な結末を迎えたなんて事故がありましたが、
そんな最悪事態は、誰しも自分だけには起こって欲しくないと願っていても、
自分の死の形態は選べないのですから、どうし様もありません。

私の妻の父親は、
家族たちと一緒の生活をしていました。
ある夜、いつも通りに「お休み」と言って就寝しました。
いつもなら夜中に一回はトイレに行く父親が、
その夜は一度も「トイレ」と呼ばれなかったよね、
と言って家族が部屋に見に行くと、
既に冷たくなっていたそうです。
89歳でした。

また、母親は高齢でデイホームに通う毎日でした。
そんな朝、嫁が作ってくれた朝食を「美味しいね~」と言って食べ、
部屋で横になっていたそうですが、
その数分後、家族が気がつくと、逝っていたそうです。95歳でした。

妻の両親は、そういった意味では、
「いい逝き方をした」部類には入ると思います。
確かに、最後の瞬間には「孤独」でしたが・・・

私の母親は「老健」という施設に入っていました。
ある日、具合が悪くなり老健の医師は、「しっかりした病院に行った方がいい」と、
救急車で、病院へと入院させました。

その連絡を受けた私達、身内は病院へ駆けつけました。
私と姉と、義兄が、まるで見知らぬ土地である、
田園都市線、横浜市青葉区の「市ヶ尾駅」から近い病院に行きました。
まだ新しい綺麗なその病院の一室に母は居ました。
容態も一段落し、私達3人はしばし母親と会話をし、
「また明日来るからね」と言っておいとましました。
ベッドの上で「バイバイ」と手を振っている母は、
この世で見た、最後の母でした。

家に帰って、いつも通り歌声喫茶に行く為に、私はバスを待っていました。
そこへかかってきた電話。
見ると、さっきまで居た病院からでした。
悪い胸騒ぎがして、受け取った受話器からは、
「息子さんですね、すぐに来て下さい、何分で来れますか?」

「何分?・・」
その瞬間私は「あ~、もうダメなんだな」と直感しました。
なので、大あわてでという事はせずに、
ごく普通に車で病院へ行きました。
受付で「お車の駐車場は・・」とか言ってきたので、
「母が危篤なんです」と言い、すぐに病室へ行きました。

ドアは開いていて、誰も居ない病室のベッドの母が見えました。
脇にある計器の丸いガラス窓には、横一線で、
ピーンと動かなくなっているのを見て、死んでいる事が分りました。
96歳でした。

母は、数時間前には私達身内と最後の会話をしましたし、
逝く瞬間は確かに孤独でしたが、
まあ、よくある死に方で、幸せだったと・・思いたいのです。


それにしても、
誰しも、この世に生を受け、
色々な歓び哀しみ、波乱万丈な生涯があり、
それを終えるという事は、その人にとってはそれが「すべて」
その瞬間を思うと、やっぱり切なくなりますね。

「みんな頑張って、一生懸命生きたんだよね」






コメント
この記事をはてなブックマークに追加

友達になれなかった男

2017-09-09 06:09:33 | 日記
もう、ずっと以前の話ですが・・・

ある日、私は私鉄の電車に乗っていました。
とある駅に停車すると、向かい側のプラットホームに彼が佇んでいました。
電車のドアに寄りかかっている私に気づく事なく、彼は佇んでいました。

その彼とは、その7~8年前に親しく付き合っていました。
職場関係で知り合い、歳は彼が私のひとつ上でしたが、
私達は気が合って、よく飲みにいったりしていたのです。

知り合った頃、その優しい人柄はみなが感じていました。
私も「こいつは優しい男だな~」っと思っていたのです。
ところが、彼に言わせると「自分には親しい友人が居ない」と言うのです。
「へ~、こんないい奴が何で友人が居ないんだろう?」と不思議でした。
彼とは結局2年間くらい、親しく付き合いました。

ある時、彼は私に「明日一日、私と一緒だった事にしてくれないか」と、
頼んできました。
私が「それはどういう事なんだ」と訊くと。
彼は「明日は若い女性と鎌倉でデートをしたい」と言うのです。
当時、私達は30代半ば。
私は独身でしたが、彼は所帯持ちで子供も居たのです。

しかし、彼の奥様に会った事は一度も無いのですが、
彼に言わせると、私はその奥様から絶大に信頼されているとの事。
ですから、私と一緒だと言うと、奥様からは疑われる事は無いのです。
私は彼の頼みだから「いいよ」と二つ返事でした。
しかし、私は内心は面白くありませんでした。
どっちかと言うと不快感を感じました。
そういう具合に友達を利用するという事は、やはり不愉快でした。

会社に生命保険の勧誘員の女性が来た事があります。
彼も私も、生命保険には興味もあって、
その中年の女性勧誘員とは何度か喫茶店で話し合ったりしていたのですが、
ある日、その女性が「あの人は怖い」と言うのです。
はて、それは一体なんだろうと訊くと、
チョッとした約束ミスがあったみたいなのですが、
そのミスを彼は絶対に許してくれないと言うのです。

普段、優しい彼がそんなキツイ部分があるなんて、
私も驚いたものでした。


その当時、インベーダーゲームが流行り始めた頃で、
私達も100円玉をいっぱい持って、喫茶店でゲームをやり続けたのですが、
一対一での対戦ゲームというのがあって、
それに彼が負けると、彼はその口惜しさを言い訳で言い続けるのです。
それはいつまでもウジウジと全く男らしくない言動で、
かなり私を白けさせました。

彼はゲームであろうが負けると、それが我慢できなく、
例えそれが友人であろうが、絶対に許せないのです。
私は「たかがゲーム風情で、何でそんなに人が変わるのか」と、
信じられない思いがしました。

ある時、いつもの呑み会が終わった後日に、
彼がこんな事を言い始めたのです。
「あの日の支払いは俺が全部払った、君は支払いをしていない」
私は普段から物忘れが多いし、まして飲んだ時は覚えていない、
という事がままあります。
しかし、その日の支払いは覚えていたのです(いたのかも知れない)

ですから私は「いや支払った」と言い張ったのです。
しかし彼は私の言い分を断固として認めないのです。
その支払いをどうしたのかは覚えていませんが・・・

2年近く私と親しく付き合って、
私が金銭毎となると、まるで大らかな事を充分に承知している筈なのに。
そうなんです、私の家系は親、兄弟、親戚、みな金銭に大らかなのです。
事、金の事になるとまるで人が変わった様に、鬼の様になる人もいます。
しかし、私達一族はみな金銭に大らかな家系なんです。

「こいつは飲むと記憶力が無くなってしまう。
本当は俺が全部支払ったんだけど、ま、いいか~」
そういった寛容さが彼には欠如しているのです。

そういった事を2年間の交際で充分に判っている筈の彼が、
今、お金の事で鬼になっている状況は、私を全く白けさせてしまいました。

それが、彼との最後でした。
私の中にはもう彼とお付き合いする気は失せてしまったのです。


他人からは「優しい男」として見られていた彼が、
何で親しい友人が一人も居ないのか?
その理由は・・これだったんですね~。

彼の奥様も旦那様の人格を、寂しく思っているのかも知れません。
自分の亭主に一人の友人も居ないというのは、やっぱり悲しいですよね。
どうしているのかな~、その後の彼は・・・





コメント
この記事をはてなブックマークに追加

母と娘の声って、同んなじなんだね~

2017-08-18 10:17:28 | 日記
昔、ガールフレンドの家に夜、電話しました。
その時間、彼女は当然、家に居る時間でした。
その頃は(携帯電話)など無い時代で、固定電話でした。

電話が繋がると女性の声で「もしもし」との応答。
私はそれを聞いて言いました。
「寝てた~?」

すると彼女は、憤然とした声でこう言ったのです。
「寝てた?って貴方は一体何ですかッ」

私はいきなり背中に冷水をぶっかけられた気がしました。
「ヤバイ、こりゃ彼女のお母さんだよ」
殺されるかと思いました。
だって、彼女には色々後ろめたい事なんかいっぱいしたからな~。



これも、あるガールフレンドに電話した時。

彼女は学校を卒業すると、しばらくして故郷に帰ってしまいました。
その故郷に私が電話をしたのです。

その時も女性の声で「もしもし」

私は彼女本人の声だし、地方訛りも同じだったので、
もう完全に彼女本人だと、な~んも疑わなかったのです。

それからしばらく、色んな話をしましたね~。
多分、10分間くらい話してました。

あのね、それって彼女の母親だったんですよ。
考えてみると、それってずい分じゃあ~りませんか。

彼女は自分が電話で話してるのが、娘のボーイフレンドだって知ってるんですよ。
それなのに、それなのに、娘のフリをして、
この素敵な若い男性(俺)と素知らぬ顔して話しちゃうなんて・・・

あんまりじゃ御座いませんかね~。
それと気づいた私がどうなったか?
まるで覚えていません。
まさか貴女の娘さんと、良からぬ行為に及んだとかは話さなかったとは思うのですが・・

でもね、彼女とは完全なプラトニックだったんですよ、お母様。
好きだったんですけど、そういうのもまたいいもんですね。



でもね~、
何で母親と娘って、おんなじ声など出すんでしょうかね~。
娘の恋人と何かコトでも起こしたいのでしょうかね~。
そりゃ貴女の勝手ですが、俺はヤダよ、そんな趣味はないからね~。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

幸せ感ただよう女性・渡辺直美

2017-08-11 06:54:47 | 日記
渡辺直美NY公演で観客熱狂


このデブ・タレント・渡辺直美・・
いいよな~。
な~んか彼女を見ていると「しあわせ~」な気持ちになってくる。



浅草で見かけたこの似顔絵には大笑い。
これを彼女が見たら、きっと爆笑しそうだな。
そんなところがいいんだよね、彼女は。

渡辺直美のビヨンセはアメリカ人に本当にウケているのかZIPで大調査!!渡辺プロのネタへのこだわりがすごいwww


彼女主演の映画が出来たら、俺、観に行くよ。

って、ただそんだけのブログ。
いいじゃ~ん。
おふざけブログも、またいいじゃんか。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加