河童の歌声

歌声喫茶&キャンプ&ハイキング&写真&艦船

すずききよしさん米寿の集い

2018-07-31 17:20:31 | 歌声喫茶
「俺いらの空は鉄板だ」「手のうた」などの作曲でお馴染みの、
すずききよしさん(きよちゃん)米寿の集いに大阪に行って来ました。

すずききよしさんは1931年6月に中国に生まれました。
厳密には来年の6月が米寿なのですが、数え年での米寿という事です。
関西歌声界の大御所といった存在で、
彼に歌の世界を教えられた歌手はいっぱい居るみたいです。
なので、ゲストには多彩な方々が来ました。







異例な迷走台風を追いかける様な、今回の大阪行き。
私達はまず、新しい大阪のシンボル・あべのハルカスに行きました。
高さ300メートル・展望台は288メートル。
これはスカイツリーの展望台・450メートル&350メートルに次いで
3番目の高さですが、ビルとしては日本最高を誇っています。





このガラス張りの展望台が288メートル。
そこには高所恐怖症の人には絶対無理というカフェもあります。



更に追加料金1000円を払うと、
命綱を着けて300メートルを肌で感じる事の出来る、
もう、死んでもええコースもありまっせ~。



高さ100メートルの通天閣が豆粒となって(存在)してました。









台風という事で、まず展望は望めないと思っていたんですが、
私達って本当に普段の心がけがいいんですね~。
でも、貴方も感じませんか?
こういう高所に立つと、何だか自分が空を飛べる様な気がするんです。

---------------------------




ここが大阪ピープルズ。
過去に2011年2月。2013年3月と2回行ってます。
これが3回目とはいえ、あまり頻繁には行けないんですね。



妻のエリカさん(2回目)が紹介がてら唄っている所です。
ピープルズでは遠路はるばるという事でリクエストをやって下さいました。
ちなみに私は最近凝っている「素晴らしき明日の為に」をリクエストしたんですが、
これは大阪の人達は知らない歌でした。

2013年に、ここピープルズで知った思い出の歌「空より高く」は、
何故か削除されていたんでしょうか、もう歌詞本に載ってないのが気になりました。
あの歌は残して唄い続けて欲しいですね。
その分、東京では唄われる様になってはいますが・・・



これが今回、東京からのメンバー。
と言って別に示し合わせて行った訳ではなく、
フクロウさんは小田さん、晴ちゃんが来る事を知りませんでした。
私達はフクロウさんが来る事は知っていましたが、
来なくていい奴が来ると(あ~~ゴメンゴメン)と思っていました。
白いシャツのお二人は大阪の方です。



木のつく植田さんが司会をやってるトコです。

-------------------------





さて、この方が関西歌声界の重鎮・すずききよしさんです。
足が弱って車イスになっていましたが、
堂々たる体躯で、
若い頃、調布の日活撮影所で石原裕次郎と出会い話をした時、
身体の大きさは大体同じだけど、足の長さは俺の方が1センチ長かったと自慢してました。
まったく困ったもんだのオヤジ(あ~済みませ~ん)でした。

国立さんたま屋に2009年7月28日にいらしてますね。
その時の動画を新しくアップしましたので、
私のユーチューブ(赤川泰山)でご覧になって下さい。



ゲストの、雨田信幸ユニットです。



山上茂典さん。
この方は、「ひとつの歌から」の作曲者で、
2013年3月1日に国立(オリジ)にゲストでいらしています。



二本松はじめ、宮島泰子(つながりあそび・うた研究所)です。
東京・東久留米からの参加です。



たかはしべん、さんです。
ゴキブリを題材にした歌が可笑しかった。



紙ふうせんのご夫婦。
プロになろうか?という間で、
きよしさんから、ある店で唄う仕事を紹介されたそうです。
毎週土曜日に2つの店で唄ったそうですが、
その時のギャラは20万円。

プロになったら収入は6万円になったそうです。
彼の父親は自民党の国会議員、勘当されたそうです。



きよしさんが、こんな歌を唄いました。

患者が肛門が痛いと病院にやって来た。
でも、恥ずかしいから肛門は見せられないと言う。
医者は痔を見ないと分からないと言う。
痔は見ないと分からない。
痔は見んと分からない。
痔、見んと分からない。
自民とうは分からない。だってさ・・(大笑い)

-------------------------





道頓堀に行って来ました。
以前にも行った事がありますが、
このガチャガチャ感は流石に大阪なんですね~。





こういったド派手・下品が大阪、浪花でっせ~。



たこ焼がどこでも大繁盛。
大阪城のたこ焼き屋が何億円の脱税が出来る訳だね。

---------------------------

今回は、きよちゃんに会いに行ったのですが、
いい旅行でした。

会場ではきよちゃんの肩を抱いて一緒に唄ったし、
帰りがけに握手をして名刺を渡し、
「河童です、ミクシーやフェイスブックでお世話になってます」
と言ったら笑顔で「インターネットや」と返してくれました。











バイバイ大阪・・
また行くからね。待っててね~。




コメント (4)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

双子用自転車、完売

2018-07-27 21:24:34 | 交通事故
関西で3人の子供を育てた47歳の主婦が、
双子を育てた時の不便さから、専用の自転車を開発し、
それを売り出した所、とても好評だという。





たまたま、こういう写真があったのでアップしましたが、
これが、その自転車かは知りません。
ただ、後輪が2つ付いているという点では同じです。

今までは、後輪も前輪と同じでひとつだけでしたが、
双子用という事で2輪にして開発したそうです。
後が2輪は安定性が全然違うそうです。



今までは3人乗り自転車というと、
こういった具合に前後に専用の座席器具を取り付けたスタイルでしたが、
これに比べると安定感がまるで違うとの事。

でもね、一ヶ月前のブログに書きましたが、
こういった危険な乗り物は、やめにして欲しいのです。
いくら法的に認められているとは言え、
これは、あまりにも危険、人命を無視しています。

自転車は、一部の例外はあるにしても、
一応は車道を走行する様にと定められています。
首都圏で言うと、
大型トラックが多く走行している環状7号線(環七)環状8号線(環八)。
大田区から川崎、横浜に至る産業道路。

こういった普段、あまり自転車が走行していない道路で、
3人乗り自転車が走っている姿を考えてみて下さい。
全く居ない?
とんでもない、居るのです。
それ所か深夜に走っている自転車がいて、ヒヤッとする時があります。

こいつは一体何を考えているんだ。という人が居るのです。
ましてや、それが親子3人の乗った自転車だったら・・・
本当にゾッとします。

車と自転車が事故れば、被害者は完全に自転車。
加害者は間違いなく車。
そして、まず物損事故では終わらないでしょう。
人身事故・・その罰は重いものになります。

そんな道路を深夜に走っている方が悪い。
いえ、悪いのは自転車をはねた車になるのです。
そんな理不尽なと思っても、その考えは通らないのです。

多大な悲劇を生む様な危険な乗り物を国は何故、認可したのでしょう?
これは被害者も加害者も、被害者になってしまいます。
いくら好評で売れているとはいえ、
それが素に泣く羽目になる人がどれだけ出るのでしょう。

こんな馬鹿げた、危険な乗り物に私は大反対します。
2人の子供を抱えた主婦はどうすればいいのか?
それは国がもっと根本的に考え直さねばならないでしょうね。
それには長い時間がかかるでしょうが、
それをやらないと、悲劇は増え続けると思います。

車を運転するドライバー達は、
こういった悲劇を増長する乗り物を見たら、
それから逃げ回るしか手はありません。
全く、恐ろしい乗り物が出てきたものです。






コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

キャンプスタイルあれこれ

2018-07-27 16:36:03 | キャンプ
私達夫婦が最初にキャンプに行ったのは、
2010年5月の、ゴールデンウイークでした。



予約などしていなかった私が最初に思い浮かんだキャンプ場は、
静岡県の田貫湖キャンプ場でした。
そこからすぐ近くの(天子の森キャンプ場)で、
家族連れで2回ほどキャンプをした事があり、よく知っていたからです。

しかし行ってビックリ!
芋の子を洗う状態の大混雑。
それは、まるで難民キャンプ状態。
いくら一年で一番混雑する時期に、予約無しでOKとはいえ、
キャンプとは程遠い(惨状)に唖然とするばかりでした。

仕方なく、色々探してそこからあまり遠くないキャンプ場が見つかりました。
表富士キャンプ場。



そこが妻にとっては、キャンプ初体験になったのです。
私は田貫湖に比べ展望の無いキャンプ場なので、期待など出来なかったのですが、
妻が「世の中にこんな楽しい事があったのね」と言ってくれたので、
本当にホッとしました。
妻は後日「もし田貫湖だったら、キャンプ嫌いになってたかも」と言っています。
あれは本当に悲惨な状態で、私はそんなキャンプ場など初めて見ました。

私達夫婦は以来、48回、26か所のキャンプ場に行き、
155日間のキャンプをしてきました。
そういった経験から、多くのキャンパー達を眺めてもきました。
近くても、いいキャンプ場もあれば、
はるばる遠くまで行った割には、あまり良くなかった場所もあります。

戸隠のキャンプ場に行った時です。



彼等はこういったキャンピングカーでやって来ました。
そして彼等はトイレから比較的近い場所に車を停めてキャンプを始めました。
そこまでは、まだいい。
しかし、彼等が食事をするのはトイレ側だったのです。



折角の雄大な戸隠山をキャンピングカーで隠してしまい、
自分達はトイレを眺めながらキャンプを始めたのです。
おまけに夜にはキャンピングカーの中ではパソコンをやってたんです。
アンタら、何しにキャンプに来たの?

あれだけは、未だに信じられないキャンパーが居ます。
彼等家族がテントを張ったのは、トイレの真横。
おまけに、その場所はトイレに行く人達が頻繁に通る道。
そういった人達の衆人環視の中で彼等は食事をしていたのです。
いえね、テントを張る場所は他にまだいくらでもあったのですよ。
何だって?誰だってそこだけではテントを張らない場所に・・

若いカップルがテントサイトに私物を置いて、
広大にスペースを確保していました。
4家族分はテントを張れる面積です。
おまけに、彼等はテントに入ったきりで外にはまるで出てこない。
テントを張る場所を探している家族たちも、
私物でスペースを確保してある場所を眺めながら手が出ない。
私は見かねて管理人にその事を言いました。
管理人から注意を受けた彼等は場所を開けましたが、
彼等は友人達を待っていたのでした。
しかし、その友人家族がやって来たのは翌日。
おまけにそことは別の場所にテントを張ったのです。
傍若無人とは彼等の事です。

小雨ふる朝、
隣のキャンパーが撤収を始めました。
雨の中の撤収くらい、いやな事はありません。



その家族は、こういったキャンプ用の荷車を引っ張っていました。
それは私には憧れの物でした。
普段は普通の車に乗っていて、
キャンプの時だけ、こいつを引っ張ってくればいいんですから。
そういった荷車があるのは知っていましたが、
現物を見たのは初めてでした。

おぬしやるな・・
こいつは只者じゃないな・・・

そう思っていたんです。
所が、そいつが取った行動を見て、開いた口が塞がりませんでした。



彼が取った行動は・・・
いの一番にタープは畳んだのです。

あのね~、子供だって分るでしょ。
外は雨が降ってるんだから、これは最後まで張っておいて、
雨に濡れない様に荷物を片づけて、一番後にタープは畳めばいいでしょ。
最も濡れてはいけない寝袋も、しばし雨に濡れながら順番を待っていました。
もう私はな~んも言いませんでした。
こんなの言ってもどうにもならないよね。
呆れ返って言葉になりません。

千葉のキャンプ場ではこんな親子もいました。
そこは広大な面積を誇るキャンプ場でした。
元は牧場だったというそのキャンプ場は、
高低差がかなりありますが、
彼等、親子(父親と男児)がテントを張ったのは、
その中でも一番低い隅っこでした。
(高い場所だったら見晴らしもいいのに)
その隅っこで、彼等は他のキャンパーの目を避ける様に、
テントの陰で隅っこを眺めながら食事をしていました。
そんなに人に見られるがイヤだったらキャンプなどしなけりゃいいのに。

ある時、向かい側で一生懸命汗だくになってテントを設営している父親がいました。
その傍らで何もせずに腕組みをしている母親がいました。
その女性が妻に話しかけました。
「たいへんね~」

彼女は要するにキャンプが嫌いなのです。
亭主が一生懸命にやってるから仕方なくお付き合いしているだけ。
亭主のお手伝いなど全くする気は無いのですね。
やれやれ、彼等はまだ夫婦やってるのかな~?
何だか無理みたいな気がするんだよね。

妻が夜中の2時頃、トイレに行った時。
とんでもないものを見てしまったらしいんです。
私は白河夜船でしたが、そんな事なら起こしてくれりゃ良かったのに。
そのテントは小さい子供連れの若夫婦。
テントの中のランタンが点いていて、シルエットとなって浮かび上がっていたそうです。
何が・・?
何がって、つまりアレなんですよ。
翌日には帰っていったそうですから、アンタね~、何もそんなに焦らなくたって・・


キャンプ場での話はまだまだいっぱいありますが、
次回へ続いていきますね。




コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

15兆円の金塊

2018-07-22 06:33:34 | 軍艦
日本海海戦 行進曲 「坂の上の雲より」


最近、15兆円の金塊を積んだロシアの軍艦が、
海底から発見されたというニュースが入りました。
その軍艦は日露戦争の時の装甲巡洋艦・ドミトリー・ドンスコイ号。

私はその軍艦の名前は40年以上前から知っていましたが、
金塊を積んでいた事は初めて知りました。





発見されたのは韓国に近い鬱陵(うつりょう)島沖、1.3キロの海底、
水深430メートルです。



ドミトリー・ドンスコイ号は、
1886年就役、全長93メートル・5800トンの
装甲巡洋艦です。
3本マストを備え帆走も可能でしたが、
主動力は石炭を使ったエンジンでした。

日本海海戦に参加はしましたが、
あまり重要な役割はありませんでした。



私は(日本海海戦)については、
1933年、第一回スターリン賞を受賞した、
ノビコフ・プリボイ著の「バルチック艦隊の壊滅」
原題「ツシマ」を読んだり、
吉村昭著「海の史劇」を読んだりしましたが、
その両方にも(金塊)の事はひと言もありません。



バルチック艦隊の司令長官・ロジェストヴェンスキー中将は、
ドミトリー・ドンスコイ号のレべデフ艦長を個人的に嫌っていました。
それもあって、ドミトリー・ドンスコイ号は、
日本海海戦では、どっちかと言うと邪魔者扱い。





1905年5月27日に始まった日本海海戦では、
ドミトリー・ドンスコイ号は、最前線に出る事もなく生き残ります。

翌28日。
四部五裂・壊滅状態になったロシア・バルチック艦隊ですが、
ドミトリー・ドンスコイ号は、
17時50分に日本艦隊8隻に発見されてしまいます。
その後も更に4隻の日本艦、合計12隻に追われて逃げます。

多数の弾丸を浴びたドミトリー・ドンスコイ号は、
漸く夕闇に紛れて、日本艦隊を振り切るのです。
鬱陵島に逃げ込んで日本軍の追尾から逃れたドンスコイ号は、
多数の死者を抱えて、それ以上逃げる事は不可能。

艦長は日本軍の手に落ちるくらいならと、
全乗組員を鬱陵島に上陸させ、キングストン弁を開きます。
(それは船底の弁を開いて自沈させる行為)

翌朝、鬱陵島沖でドンスコイ号を日本軍が発見しますが、
船体を震わせながらドンスコイ号は、沈没して行きました。

艦長のレベデフ大佐は、
自分の艦に大量の金塊が積まれている事は知っていたのでしょうが、
それを日本軍に奪われる事を嫌って自沈させたのかも知れませんね。

113年前の歴史、そしてある種のロマンです。
果たして15兆円の金塊は見つかるのでしょうか?
見つかったとしたら、それは誰が手にするのでしょうか?

ちなみに15兆円という金額はどれくらいの物なんでしょう?
一万円札を1センチ積み上げると、それは100万円です。
1メートルだと1億円。
では15兆円は・・高さ150キロメートル。
それは重さで言うと1500トンの一万円札なんですね。
10トントラック・150台分。
そのチョッとだけでいいから欲しいよね~。







コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

テント試行錯誤

2018-07-20 16:23:55 | キャンプ
私達のキャンプライフ(現在の妻と)は48回。
結婚以前は、親姉弟と2回くらい。
最初の妻とは子供を交えて10回くらい。
一人っきりのソロキャンプが数回。

その間は、キャンプ場備え付けのテントを借りた事もあったり、
安い小型のテントだったり、本格的なハウス型テントを買ったりしましたが、
写真に残っていないので、うっすらとした記憶の中にあるだけです。
残っていないというのは、今にして思うと実に悲しい。

では、現在の形になってからのテントを紹介しましょう。



これが最初のテント、ヨーレイカです。
以前の妻と別れ、家族を失った私が、それでもキャンプの楽しさが忘れられず、
一人だけでもいいからキャンプをしたいと買い求めた小型のテントでした。

このテントに現在の妻を誘って行ったのが、2010年5月の表富士キャンプ場でした。
そこで妻から、「こんな楽しい世界があったのね」と聞かされた時は、
本当に嬉しかった。
今までの辛かった10年間の独身生活を思って涙が出ました



同じ年の8月のキャンプ。
私は家にタープを置き忘れてきてしまったのです。
タープが無かったら雨が降ったら、ずぶ濡れで食事をする羽目になります。
仕方ないので30キロ走って、甲府までタープを買い求めに行きました。
タープもあったけど、どうせならこの際テントと一体型を買っちゃおうと、
買ったのが、キャプテンスタッグのテントでした。

このテントは一応はヒサシがあって、その下で食事も出来るし、
まあまあのテントでしたが、
如何せん小さ過ぎて4回使った時点で廃棄しました。
キャンプという趣味は無駄が多いのです。





次に買ったのは、コールマンの大型テントでした。
今までが小さ過ぎた反動という訳ではありませんが、
何故か、これを買ってしまいました。
しかし、大きいというのは確かに居住性はいいんですが、
何せ設営・撤収が大変なんですね。

これは7回使いましたが、現在は押入れに入っています。
使わないのに捨てないのは、災害にあって避難所生活になった時に、
これを使おうという頭があるからです。
そうならない事を祈るばかりですが、それは誰にも分かりませんね。



次に買ったのは、ロゴスでした。
これはアウトドアショップに展示されていたのを見ての一目惚れでした。
何故かというと、私達のキャンプライフに設計が合っているのです。
大きさも丁度いい大きさで、まさに一目惚れでした。

そして使ってみると実に具合が良かったのです。
しかし、ロゴスの材質はあまり良くなかった。
布地が薄っぺらく破れ易いのです。
ポールも樹脂製で弱いのです。

そのうち、あちこちに破綻が見える様になり、
気に入ってはいたのですが、8回使用で廃棄になりました。



次は、コールマンの小型テントでした。
キャンプでは最大と言っていい超有名ブランド、コールマン。
その小型版にロゴスの良さを期待して買ったのです。
ロゴスより一回り小型の物でした。
でも、もう少し大きいのが良かったかな~。

これは7回使いましたが、
現在はやはり押し入れに入っています。
チャンスがあればカンバックの可能性ありです。





次は、やっぱりロゴスでした。
以前のとほぼ同じ形ですが、厳密には違うテントです。
使い勝手の良さは分っていますが、材質は相変わらず良くはありません。
値段が高くてもいいから、もっと強い材質のが欲しいですね。
このテントも17回使った時点で、破綻が見え隠れする様になり廃棄しました。



そして、今年になって買ったのは、又もやロゴスでした。
まだ3回しか使っていませんが、
以前の2つに比べて、使い勝手は逆に悪くなってしまいました。
同じ様に見えて微妙に良くない。

ロゴスは結局、一生物ではありませんが、
私達のキャンプスタイルに合っているんですね。
スノーピークにこんなスタイルがあればいいのに、
あそこのは材質がいいのはよく分るのですが、
私達のキャンプライフには合わないのが無念です。

小川テントは、私は国内最高だとは思うのですが、
高いし、色に魅力が無さ過ぎ。
私は小川テントに(タータンチェックにしなさい)と提案したのに、
無視するから倒産しちゃったじゃんか。



今、一番興味のあるのは、
このエアーテントかな?
大きさも設計も私達のキャンプライフに合っている気がする。

本当にキャンプというのは無駄の多い趣味ですね~。
でも、だからこそ楽しかったりするんです。




コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする