河童の歌声

歌声喫茶&キャンプ&ハイキング&写真&艦船

夕張の子

2023-10-30 08:15:16 | 日記
15.12.26.夕張の子・歌声喫茶・仙台バラライカ


「夕張の子」という悲しい歌があります。
それは本当に悲しい、実際にあった話をもとにした歌です。



夕張市は炭鉱の町でした。
でしたという過去形は、つまり現在は炭鉱は廃坑になってしまい存在しないからです。
石狩炭田の中心地として栄えた夕張市は1990年までに、全てが廃鉱となりました。



夕張(ゆうばり)という名前はアイヌ語のユーパロ(鉱泉の湧き出る所)からきています。
1960年(昭和35年)には人口11万7千人を抱える都市となりましたが、
そこからの人口減少率は全国でトップクラスで、
2023年現在の人口は6500人に過ぎません。



1977年(昭和52年)には、
山田洋二監督の映画「幸福の黄色いハンカチ」で、
その舞台となった夕張は、一躍注目されました。

しかし、映画から4年後の1981年(昭和56年)10月16日、
北炭夕張新炭鉱ガス突出事故が発生。
死者は93名に及び、
戦後の炭鉱事故では、
1963年、三井三池炭鉱事故・・458名。
1965年、三井山野事故・・・・237名に次いで3番目の大事故になりました。







10月16日、午後12時41分。
海面下810メートル。坑口から約3キロで、大規模なガス突出事故が発生。
これから後は、救助隊の入坑があり、
また二次災害の発生がありの紆余曲折がかなりあります。
関係者たちは炭鉱の深い場所に取り残された炭鉱夫たちを何としても助けたい、
どんな事をしても助けたいと悩み苦しみ様々な手を打つのです。

しかし、事故から3日目の18日になっても小爆発が発生していて、
火災が収まる兆しは見えず、
6日後の10月21日、会社は59名の安否不明者に生存の可能性が無いと判断。
家族への説明会を開き、林社長は、家族へ「お命頂戴いたします」と発言。
家族の同意書を取り付けます。



10月23日、13時30分。
夕張市内にサイレンが鳴り響き、炭鉱へ鎮火の為の注水が始まりました。
夕張市民はサイレンの音に手を合わせ、生存安否不明者たちに別れを告げたのです。
その音に全夕張市民は、深い悲しみに包まれたのです。

人間は、自分がこれから死刑になる瞬間であっても、
「誰かが助けに来てくれる、きっと自分は助かる」そう思うと言います。
彼等、地底の奥深くに取り残され炭鉱夫たちも、
きっと助けてくれると最後まで信じていたんだと思います。

そういった彼等の気持ちが分るだけに、
関係者たちは何としても助けたかった。
しかし、望みは完全に絶たれた。
悲しかったんだと思います。

林社長は、事故の後、手首を切って自殺を図りましたが、
助かったみたいです。



その後、廃坑になった事故の炭鉱は、
コンクリートで塞ぐ事はせずに、死んでいった彼等が息を出来る様にと、
鉄格子にして空気が流れる様にしてあります。

まだ生きてるかも知れない仲間達を見殺しにせざるを得なかった人達。
本当に、一生悲しみ、苦しむでしょう、だって人間なんだから。


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多摩川の源流

2023-10-29 07:26:49 | 日記
昨日、妻が地図を見ながら、何かを一生懸命書き込んでいた。
何やってるんだろ?
訊くと多摩川にかかる橋の名前を下流から上流にかけて、書き込んでいたのです。

その前日、私達は壊れたパソコン椅子を府中リサイクルプラザへと持ち込んだのですが、
そこに行くには多摩川沿いの道路を10キロ近く走るのです。
そこには多摩川とその支流である浅川との分岐点があり、コンクリート製の大きな水門があります。
そんな事で妻は地図を見ているうちに興味が湧いたみたいです。
私もそれに同調して「多摩川の源流は何処なんだ」と知りたくなりました。

私が小学校3年生まで行った学校は、
東京都品川区立第二延山小学校でした。



勿論、昔は木造校舎でしたが、
学校の横に「立会川」という幅4~5メートルくらいの(当時は綺麗だった)川が流れていました。
ある時、私は立会川の源流を突き止めたくて、ずっと歩いて辿った事があります。



赤いのが立会川で、私の母校は「旗の台駅」の近所でしたから、
碑文谷まではそう遠くはないのですね。

源流が何処だったのかは分かりませんが、細いドブ川だった記憶があります。
しかしそれは間違いで、ネットで検索すると、
目黒区の碑文谷池と清水池が源流であるとなっています。
私はきっとどこかで間違えたのかもしれません。

地図を見ながら辿るより、もっと簡単で的確なのは、勿論ネット検索です。
それによると多摩川の源流は山梨県甲州市(昔の塩山市)の笠取山の下という事です。





私は昔、山歩きをしてた時、
「自分はあちこちの川の源流探索を趣味としている」という若者に出会った事があります。
その時は多摩川の源流を訪ねて来たと言っていたので、
私は笠取山に登った事があったのかも知れません。
登山ノートといった記録などやっていなかったので、記憶に無いのですが。
ホントにいい加減な男をやってました。



源流の、それこそ「最初の一滴」という場所を、
知らなかったのですが「水干・・みずひ」と言うらしいです。

以前、富山から日本最後の秘境、雲の平に行き、
翌日はそこから槍ヶ岳へと縦走した事があるのですが、
鷲羽岳と三俣蓮華岳との中間くらいに、黒部川の源流があると聞きました。



そこまでわざわざ下っていくのも面倒なんで行きませんでしたが、
今にして思うと、あれは見に行けば良かったかなと、一抹の後悔があります。



そう言えば、先日三俣蓮華岳に行った26歳と23歳の登山者が、
5日ぶりに救助されたニュース。
私は三俣蓮華岳に行った登山者が、何で野口五郎岳の西側で救助さたのかと、
不思議でならなかったのですが、
彼等がまさか、最近復活した伊藤新道から入山したとは驚きました。
しかし、道迷いというのは本当に恐いとも感じました。

多摩川源流に行くには、車に乗ったままでは勿論行かれません。
少なくてもハイキング程度の装備はしないとね。
でも我が妻も意外と面白い事をするもんだワイと思わされました。


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パソコンが御臨終になりました

2023-10-28 19:05:45 | 日記


4日前の、24日に「パソコン椅子が破壊した」を書いたのですが、
実は話はそれで収まらなかったのでした。
まさかの続編があったとは、ガックリです。



私が使っているノートパソコンは、レノボの15,6インチ。
これは歌声喫茶で歌詞本を見なくてもいい様にと、
歌声歌集だけをインストールしている「その為だけのパソコン」です。

今日、歌声喫茶に行くので、行く前に一応パソコンを立ちあげたら、



画面に出てきたのは、こういった訳の分らない画面。
いくらなんでもこれはないだろう。
これはきっと、良からぬ事が起こったのではないかとイヤな予感。
何をどうやっても解決する事はなく、これっきり。
この事態を解決できる人はいるんだろうか?

そして何気にパソコン全体を手に取って眺めていたら、
完全にオシャカになっている事実に気が付きました。



分るでしょうか、パソコン本体が湾曲しているんです。
これは何なんだッ!

そうだったのです、パソコン椅子が突然破壊して、後ろにひっくり返った時、
私は後ろのタンスにぶつかったのですが、
そこに充電を兼ねてパソコンをいつも立てかけていたのです。
この湾曲は私の体重で歪んでしまったのです。

これを買ってから10年くらい経ったのか・・
今では、このパソコンを使うのは、今日行った三鷹の歌声喫茶だけなんで、
それが無くても大した問題ではないのですが、
こういった壊れ方というのが気に入らない。

パソコン本人も、これまでお世話になり、ありがとうございました。
といった挨拶くらいは、きっとしたかったと思うのです。
こんな事故に巻き込まれて逝くんでは、やり切れないと思うのです。

今夜はお通夜、明日は親戚、友人などとのお別れ会(葬式)
可哀想にな~、あの世にいっても楽しく暮らすんだよ。
ナンマイダー、ナンマイダー、涙涙。



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山への想い

2023-10-27 17:46:17 | 登山
登山を知ってから40年近くが経ちました。

横浜の地元である丹沢の山をひたすら独りで歩き廻り、
全登山道の70パーセントを踏破したのですが、
その内、アルプス、奥多摩、秩父などの山も知る様になりました。

中でも私が最も好きになったのは北アルプスでした。





上高地、河童橋から穂高を目指して何度も梓川沿いの道を歩きました。
「奥穂高岳」
そこは私が最高に魅了された山でした。



奥穂高岳から見る、怪峰ジャンダルム。
奥穂高岳からジャンダルムにピストンで登りました。
そこには「馬の背」とか「ロバの耳」といった超難所があります。
また、奥穂高岳とは反対方向の、西穂高岳からの長い縦走路があります。
そこは、つまり「槍穂高全山縦走」ルートです。
緊張しっ放しのひたすら体力と緊張が要求される難関です。
でも終わってみれば、その達成感に自分を褒めたくなる体験でした。









北アルプスを始め、様々な山をあるき、その素晴らしい景色に、
いつまでも山に居たい、ただただ浸っていたいという、あの気持ち。
それを人は「山ごころ」という。



しかし、2008年夏、
私にとって悲しい事態が起こってしまった。
身体に浮腫みが出る様になってしまったのです。

白馬大雪渓を登り、白馬岳、唐松岳、五竜岳、鹿島槍ヶ岳、爺ヶ岳、針の木岳と、
後立山連峰全山縦走という長丁場に挑んだのですが、
とに角、身体の浮腫みが半端ではなく、縦走続行がまるで無理になったのです。





唐松岳から八方尾根を悄然と下った時の、気持ち。
そして、3000メートルの世界から私は遠ざかってしまいました。

その後もハイキングクラブや、単独でも低山を歩きましたが、
もう、あの3000メートルみたいな情熱は二度と起きなかった。

テレビで山の番組をやっていると、
かつての、あのほとばしる情熱を思い出して胸が熱くなるのです。



八ヶ岳の「しらびそ小屋」
いい山小屋だった、そこで出会い、二度と会う事のない人達。
他にも色々な山小屋で、素敵な人達と出会い、別れていった。

そんな思い出を含めながらテレビを観ていると、
あの素晴らしかった還らざる日々を懐かしく思い、
しかし、あの日々は二度と帰ってこないのが判るだけに、涙が浮かんでくるのです。
あゝもう一度山に行きたい、穂高からのあの景色を見たい、と思うのです。
本当に山は素晴らしかった。



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昔、ツーバーナーというのがありました

2023-10-27 10:01:56 | キャンプ
私が本格的にキャンプをする様になってから、35年くらい経ちました。
最初に最も困ったのは、料理が苦手だった事です。
2泊3日が多かったのですが、妻子と行くにしても、3日分の食事はどうするか?
それが最大の悩みでした。
行った日の夕食。2日目の3食。最終日の朝食。
5食分はキャンプ場で作る事になります。
何を作ったらいいのか?それをどうやって料理したらいいのか?
キャンプは大好きだけど、料理が苦手というのは、まるで話になりませんね。

その頃はレトルト食品があったかどうか分かりませんが、
何とか頑張って作ったか、妻に一任していたのか?
多分、その両方だったと思います。

キャンプ道具を買う時、最初に何が何でも買ったのはツーバーナーでした。
それが無いとキャンプも(絵)にならない気がしていたのです。



その頃、ツーバナーで最も人気があったのが、
コールマンのガソリンバーナーでした。
これは赤い燃料タンク内の空気をポンプで圧縮して、ガソリンに圧をかけて燃やすのです。
朝や夕方に亭主がこのポンプをペコペコ押したり引いたりしてるのが、
如何にもキャンプをやってる風情があって、一抹の情緒でした。
しかし、私はこれを買いませんでした。
あれは本当にキャンプ場の風景を最大に演出するセレモニーでしたが、
私はガソリンではなく、イワタニプリムスのガスボンベを選んだのです。





これは、ガソリンに圧をかける、絵になる風景はありませんが、
ガスボンベを取り付けて点火するだけで簡単です。



そしてキャンプ場の夜を演出するランタン。
これもガスボンベ式にして統一を図りました。

バーナーはガソリン。ランタンはガスと分ける。
これはやらない方がいいのです、共通にした方がいいのです。
ランタンは、一度乾電池にした事もあるのですが、
あまりに風情が失われるので、やめてしまいました。
やっぱりキャンプ場のテントサイトは白熱電球が、風情があっていいのですね。

最近の調査で、
キャンプでの食事、人気ベスト3が載ってました。

一位  カレーライス
二位  焼きそば
三位  焼肉

私は一位は、焼肉だと思っていましたが、カレーライスだったとは。
そう言えば、昔は亭主がカレーの具材の野菜などを、包丁を一生懸命振り回してる絵がありました。
しかし、今では生ゴミは持ち帰りといったキャンプ場が増えているし、
何よりレトルトカレーがあれば、なにも野菜と格闘しなくてもいいんですよね。

まぁ子供が小さかったりすると、
キャンプ場だけは「父親の姿」を子供に見せるというセレモニーをやりたいのかな?
でも、レトルトの美味しさの前には、結局「アンタの負け」

私も、経験を積めば積むほど、ツーバーナーなんていうのは、
まるで必要ない事が歴然としてきたので、
それに、もう子供がいる訳でもなく、「見せる」必要もなく、
車内でかさんで場所を取り、ガタツキ音がうるさいツーバーナーは、
粗大ごみとなって捨ててしまいました。
キャンプって本当に無駄が多いんですよね。





でも、やっぱりキャンプって(味)があって離れられないのです。
夜のランタン下での語り。
何も言わずに黙って、ただ見つめているだけの焚火。
キャンプでしか味わえない、あのひととき。
やっぱり、キャンプはいいんだな~。



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