1628年、スウェーデンに当時世界最大の戦艦ヴァーサ号が完成しました。
この頃1620年代の軍船で、最大の船は、
オランダのガレオン船レルウィッチでした。
1109トン、全長40,7メートル、全幅9,4メートル。
ところが1620年に至り、
スウェーデン海軍はバルト海覇者の地位を確立する為に、
巨大軍艦の建造を試みたのです。
この巨大軍艦は、1400トン。
全長70メートル、全幅11,5メートル。
それはレルウィッチを抜き、世界最大の船となったのです。
当時のスウェーデン国王・グスタフ2世は、
多大な国家予算を投入して、
この船をスウェーデン王国の威信の表れとして建造したのでした。
船尾の装飾も贅を凝らした造りになっています。
この船を設計したのは、オランダ人のヘンリック・ヒベルツゾンでしたが、
彼は完成を待たずに亡くなってしまいます。
設計者は海軍の要求に従い、
本来は一層であるべき砲甲板を二層にしたのです。
そして本来は30門であるべき砲の数を、
二層62門にしたのです。
設計者は最も重量物である大砲を約2倍にしたので、
当然船の重心は高くなり、安定性を欠く事になるのですが、
船が大型である為に安全と判断したらしいのです。
当時の船舶設計は、設計図を描く事もなく、
今までの経験から判断し、バランスは、船底に重い石を積む事で、
安定を図ればいいと解決していたふしもあるのです。
1628年、いよいよ船は完成し、
造船所からストックホルムの海軍基地へと船出をしました。
周囲の岸壁には、
世界最大、絢爛豪華な戦艦を一目見ようと大勢の人達が溢れていました。
岸壁から1キロも進み、全ての帆を張ったその時、
船は徐々に傾き出し、船体は急速に横倒しになったのでした。
そして全開状態にあった2段に並ぶ舷側の砲門から、
大量の海水が船内に流れ込み、急速に沈没してしまったのです。
沈没の原因は明らかなトップヘビー状態にありました。
多大な国家予算と、国家の威信を賭けた戦艦が、
大勢の国民の眼前で一瞬にして失われたのでした。
スウェーデンは国家の威信を賭けて、船の引き上げにかかります。
ですが何度やっても船体を引き揚げる事が出来ず、
むしろ船は海底の泥の中にはまり込んで行くばかりです。
1664年(沈没から36年後)
遂にスウェーデンは船の引き上げを断念します。
それから約300年後。
アマチュア海事歴史学者で、財宝探検家の異名を持つ、
アンデース・フランツューンが情熱を傾け、
1956年にヴァーサー号を発見します。
彼は沈没地点の海水温の低さ、
フナクイムシの生息がほぼ無い事から考えて、
船体が状態の良いまま残っていると考えたのでした。
1961年遂にヴァーサ号が海上に浮上しました。
それは沈没から実に333年後の事でした。
1988年、
ストックホルムに新造された(ヴァーサ号博物館)に、
戦艦ヴァーサは移され、現在も一般開放されています。
この頃1620年代の軍船で、最大の船は、
オランダのガレオン船レルウィッチでした。
1109トン、全長40,7メートル、全幅9,4メートル。
ところが1620年に至り、
スウェーデン海軍はバルト海覇者の地位を確立する為に、
巨大軍艦の建造を試みたのです。
この巨大軍艦は、1400トン。
全長70メートル、全幅11,5メートル。
それはレルウィッチを抜き、世界最大の船となったのです。
当時のスウェーデン国王・グスタフ2世は、
多大な国家予算を投入して、
この船をスウェーデン王国の威信の表れとして建造したのでした。
船尾の装飾も贅を凝らした造りになっています。
この船を設計したのは、オランダ人のヘンリック・ヒベルツゾンでしたが、
彼は完成を待たずに亡くなってしまいます。
設計者は海軍の要求に従い、
本来は一層であるべき砲甲板を二層にしたのです。
そして本来は30門であるべき砲の数を、
二層62門にしたのです。
設計者は最も重量物である大砲を約2倍にしたので、
当然船の重心は高くなり、安定性を欠く事になるのですが、
船が大型である為に安全と判断したらしいのです。
当時の船舶設計は、設計図を描く事もなく、
今までの経験から判断し、バランスは、船底に重い石を積む事で、
安定を図ればいいと解決していたふしもあるのです。
1628年、いよいよ船は完成し、
造船所からストックホルムの海軍基地へと船出をしました。
周囲の岸壁には、
世界最大、絢爛豪華な戦艦を一目見ようと大勢の人達が溢れていました。
岸壁から1キロも進み、全ての帆を張ったその時、
船は徐々に傾き出し、船体は急速に横倒しになったのでした。
そして全開状態にあった2段に並ぶ舷側の砲門から、
大量の海水が船内に流れ込み、急速に沈没してしまったのです。
沈没の原因は明らかなトップヘビー状態にありました。
多大な国家予算と、国家の威信を賭けた戦艦が、
大勢の国民の眼前で一瞬にして失われたのでした。
スウェーデンは国家の威信を賭けて、船の引き上げにかかります。
ですが何度やっても船体を引き揚げる事が出来ず、
むしろ船は海底の泥の中にはまり込んで行くばかりです。
1664年(沈没から36年後)
遂にスウェーデンは船の引き上げを断念します。
それから約300年後。
アマチュア海事歴史学者で、財宝探検家の異名を持つ、
アンデース・フランツューンが情熱を傾け、
1956年にヴァーサー号を発見します。
彼は沈没地点の海水温の低さ、
フナクイムシの生息がほぼ無い事から考えて、
船体が状態の良いまま残っていると考えたのでした。
1961年遂にヴァーサ号が海上に浮上しました。
それは沈没から実に333年後の事でした。
1988年、
ストックホルムに新造された(ヴァーサ号博物館)に、
戦艦ヴァーサは移され、現在も一般開放されています。