新村出(しんむら・いづる)
皆さんの家に「広辞苑」は置いてありますか?
私の家には、勿論あります。
第5版・・価格は7300円。
しかし、実はこれは買い直した本なのです。
あれは、今から何年前の事だったか?
まだ私がパソコンを始める前の事でした。
当時住んでいたマンションの玄関前のゴミ出し場に、
「広辞苑」が捨てられていたのを見た時は、
目がテンになりました。
「広辞苑」を捨てるか~ッ!
それは信じられない思いがして、本当に驚きました。
所が、自分がパソコンを始める様になると、
段々と辞書を広げる事が少なくなり、
分からない時はパソコンがあればすぐに分かるからと、
遂に私自身が「広辞苑」を捨ててしまったのです。
あの分厚く重たい「広辞苑」はもう邪魔な気がしたのです。
しかし、何年もしない内に私は「広辞苑」を捨ててしまった事を、
後悔し始めたのでした。
パソコンは直にその言葉だけは分かります。
ですが、その前後関係とか背景とかが分からないのです。
調べたい言葉が、他の言葉とどう繋がっているとかが分からないのです。
そういった背景も知りたいのにと思っても出来ないのです。
遂に私は一度は捨てた「広辞苑」を買い直す羽目になりました。
しかし、思ったほどは「広辞苑」を開かないね~。
でも、いいんです。
これが有ると何か安心すると言うか、そんな感じがあるのです。
この本は一体どういった背景から生まれたのでしょうか?
大正末期から昭和にかけ、民族・民俗学や考古学の名著を多数、
世に送り出した、岡茂雄からそれは始まります。
辞書を作る必要を思い立った岡は、
旧知の新村出(しんむら・いづる)に依頼します。
最初は断った新村でしたが、結局それをやる事になりました。
1935年(昭和10年)
「辞苑」は完成しベストセラーになります。
「辞苑」とは、中国の著述家・葛洪(かつこう)283年~343年、
の書いた「字苑」にちなんだものです。
「辞苑」刊行後、岡茂雄はすぐに改訂版の編集を、
新村に進言します。
途中、第二次世界大戦の空襲で改訂版の原稿が消失。
1955年(昭和30年)
名前を変えてやっと「広辞苑」、初版が刊行されました。
価格は2000円。
これは公務員の初任給が9000円の時代だったので、
現在に換算すると4~5万円程度の感覚ですが、
これが飛ぶように売れたのです。
1969年・・・第2版
1983年・・・ 3
1991年・・・ 4
1998年・・・ 5
2008年・・・ 6
そして、来年2018年に第7版が刊行予定になっています。
2000年までの累計発行部数は1100万部。
中型国語辞典では売り上げ1位を誇ります。
しかし、1983年の第3版・260万部をピークとして、
減少に歯止めがかかりません。
これは一重にパソコンの普及でしょう。
新村出・1876年(明治9年)~1967年(昭和42年)90歳。
父親が山口県と山形県の県知事だった事から、
「山」の字を重ねて(出)という名前を付けました。
恥ずかしながら、私は新村(しんむら)を、
長年(にいむら)だとばかり思っていました。
辞書を作るという作業は、一日に何語作ると決めていないと絶対に出来ないそうです。
この言葉は難しいから明日にしようというのはダメなんだそうです。
そう考えると、これは実に気の遠くなる様な地道な作業で、
凡人のなせる技ではないのですね。
ご苦労様と頭が下がります。
「広辞苑」は日本が誇る辞書であり、
こういったキチンとした形での辞書がまだ無い国もあるのですから、
本当に日本の誇りだと思います。
「広辞苑」の分厚さに、「こいつは昼寝の枕に丁度いい」
なんてね、アナタ、ぶっ飛ばされますよ。
この重くて分厚い辞書をひく、ひかないに関係なく、
一家に一冊は置いて欲しいものだと願っています。
皆さんの家に「広辞苑」は置いてありますか?
私の家には、勿論あります。
第5版・・価格は7300円。
しかし、実はこれは買い直した本なのです。
あれは、今から何年前の事だったか?
まだ私がパソコンを始める前の事でした。
当時住んでいたマンションの玄関前のゴミ出し場に、
「広辞苑」が捨てられていたのを見た時は、
目がテンになりました。
「広辞苑」を捨てるか~ッ!
それは信じられない思いがして、本当に驚きました。
所が、自分がパソコンを始める様になると、
段々と辞書を広げる事が少なくなり、
分からない時はパソコンがあればすぐに分かるからと、
遂に私自身が「広辞苑」を捨ててしまったのです。
あの分厚く重たい「広辞苑」はもう邪魔な気がしたのです。
しかし、何年もしない内に私は「広辞苑」を捨ててしまった事を、
後悔し始めたのでした。
パソコンは直にその言葉だけは分かります。
ですが、その前後関係とか背景とかが分からないのです。
調べたい言葉が、他の言葉とどう繋がっているとかが分からないのです。
そういった背景も知りたいのにと思っても出来ないのです。
遂に私は一度は捨てた「広辞苑」を買い直す羽目になりました。
しかし、思ったほどは「広辞苑」を開かないね~。
でも、いいんです。
これが有ると何か安心すると言うか、そんな感じがあるのです。
この本は一体どういった背景から生まれたのでしょうか?
大正末期から昭和にかけ、民族・民俗学や考古学の名著を多数、
世に送り出した、岡茂雄からそれは始まります。
辞書を作る必要を思い立った岡は、
旧知の新村出(しんむら・いづる)に依頼します。
最初は断った新村でしたが、結局それをやる事になりました。
1935年(昭和10年)
「辞苑」は完成しベストセラーになります。
「辞苑」とは、中国の著述家・葛洪(かつこう)283年~343年、
の書いた「字苑」にちなんだものです。
「辞苑」刊行後、岡茂雄はすぐに改訂版の編集を、
新村に進言します。
途中、第二次世界大戦の空襲で改訂版の原稿が消失。
1955年(昭和30年)
名前を変えてやっと「広辞苑」、初版が刊行されました。
価格は2000円。
これは公務員の初任給が9000円の時代だったので、
現在に換算すると4~5万円程度の感覚ですが、
これが飛ぶように売れたのです。
1969年・・・第2版
1983年・・・ 3
1991年・・・ 4
1998年・・・ 5
2008年・・・ 6
そして、来年2018年に第7版が刊行予定になっています。
2000年までの累計発行部数は1100万部。
中型国語辞典では売り上げ1位を誇ります。
しかし、1983年の第3版・260万部をピークとして、
減少に歯止めがかかりません。
これは一重にパソコンの普及でしょう。
新村出・1876年(明治9年)~1967年(昭和42年)90歳。
父親が山口県と山形県の県知事だった事から、
「山」の字を重ねて(出)という名前を付けました。
恥ずかしながら、私は新村(しんむら)を、
長年(にいむら)だとばかり思っていました。
辞書を作るという作業は、一日に何語作ると決めていないと絶対に出来ないそうです。
この言葉は難しいから明日にしようというのはダメなんだそうです。
そう考えると、これは実に気の遠くなる様な地道な作業で、
凡人のなせる技ではないのですね。
ご苦労様と頭が下がります。
「広辞苑」は日本が誇る辞書であり、
こういったキチンとした形での辞書がまだ無い国もあるのですから、
本当に日本の誇りだと思います。
「広辞苑」の分厚さに、「こいつは昼寝の枕に丁度いい」
なんてね、アナタ、ぶっ飛ばされますよ。
この重くて分厚い辞書をひく、ひかないに関係なく、
一家に一冊は置いて欲しいものだと願っています。