河童の歌声

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空前の巨大戦艦

2020-07-27 07:03:59 | 軍艦


世界最大の戦艦は、
言わずと知れた日本が誇ったあの、戦艦大和です。

全長263メートル。全幅38.9メートル。
基準排水量64000トン。満載排水量(燃料、砲弾など全てを積み込んだ状態)72809トン。

しかし、この史上最大・最強の戦艦大和が完成した時点で、
戦艦の時代はすでに終焉を向かえていたというのが事実だったのですから、
皮肉ですね。

しかし、何処の国でも、特に海軍は、
戦艦の時代は終わったという事実に気づかずに、
更に強大な戦艦を建造する計画はあったのです。
日本にも大和の船体を利用して更に強力な戦艦を造る計画がありました。

イギリスも新しい戦艦建造計画はありましたが、
それはごく普通の世界基準的な戦艦でした。



アメリカは戦艦ニュージャージー型戦艦4隻。
全長271メートル。全幅33メートル。
基準排水量48500トン。
この戦艦が、結局アメリカ最後の戦艦となったのです。



しかし、これを上回る、モンタナ級戦艦の建造計画がありました。
全長282メートル。全幅37メートル。
基準排水量60500トン。
この戦艦が完成していたら、あらゆる意味で戦艦大和を上回っていたでしょう。



ソ連は戦艦らしい戦艦は、時代遅れの旧式戦艦がありましたが、
日本の大和に匹敵する新型戦艦が建造されていました。
ソビエツキー・ソユーズ。
全長271.5メートル。全幅38.9メートル(大和と同じ)
この戦艦はかなり工事が進んでいたのですが、
ドイツとの戦争が勃発した事により、
工事進捗度20パーセントで中止になり取り壊されてしまいました。



ドイツには欧州最大・最強を誇った、戦艦ビスマルクがありました。
全長250メートル。全幅36メートル。
基準排水量41700トン。

勿論ドイツも例外ではありません。
それどころか何でも巨大な兵器を造るのがお好きだった、
ヒトラーの声がかかっていたのでしょうか?
ドイツにはとんでもない巨大戦艦計画がありました。







その戦艦の名は、H44。
つまり計画番号です。

全長355メートル。全幅51.5メートル。
基準排水量122000トン。

軍艦が10万トンを超えたのは、これが初めてでした。
122000トンは、戦艦大和の2倍。
全長は大和より92メートルも長いという、途方もない戦艦です。
これが完成したら何処の国の戦艦もまるで太刀打ちできませんでした。

何しろ主砲の口径が20インチ(51センチ)
戦艦大和は18インチ(46センチ)ですから、まるで敵いません。

しかし、この計画は戦況の現実性からも見放され、
工事も始まらず、計画倒れで中止となってしまいました。

それどころかドイツには、まだこれを上回る巨大戦艦の計画があったのです。
それは、H45。
全長610メートル。全幅91.4メートル。基準排水量492700トン。
まさに浮かぶ城。
こんなのが出来たらどんな軍艦も、まるで赤ん坊扱いですね。

驚いた事に、日本にも同じ様な戦艦を考えていた人がいたのです。
1912年頃ですから大正時代。金田中佐と言う人が提案しています。

全長609メートル。全幅91メートル。基準排水量50万トン。
何もかもドイツのH45と瓜二つというのですから、本当にビックリです。

まあ、こういった怪物達がひのき舞台で大手を振る事はご勘弁ください。
そんな事にならなくて良かったのですが、
軍艦オタクの方々は、きっと「見たかった~」と言いますね。
私もそうですモン。


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横浜港の大晦日・新年の汽笛

2020-07-26 12:44:09 | 船舶
平成26年 横浜港 除夜の汽笛


横浜港では毎年、大晦日、
除夜の鐘と同じ意味で、新年を祝って港に停泊している船が、
一斉に汽笛を鳴らすのが恒例になっています。
今ではその為のイベントも開催されていて大勢の観光客が押し寄せるそうです。

この慣習はいつ何処から始まったのでしょう?
これが絶対という根拠はないらしいのですが・・・

元々はヨーロッパから始まったみたいで、
昔、船では30分毎に1回鐘を鳴らしたそうです。
1時間に2回。4時間では8回鳴らしました。
これを8点鐘(はってんしょう)と言います。
船では4時間ごとにシフトが代わるので、最大8回鐘が鳴ります。
それで大晦日の時は、当番だった船乗りが景気づけの意味で、
8回鳴らすべきを倍の16回鳴らしたそうです。
やがて鐘は汽笛となったのですが、
この習わしが明治時代になって日本にも入ってきたそうです。







昔は「波止場」とか「マドロス(死語)」とかの歌がよく流行りましたね。
今、「俺はマドロスなんだ」なんて言ったら笑われちゃうね。

汽笛の音は大きな船ほど低く、
霧中は見通しの悪い所では、その音程によって、
船の大きさがある程度、分るようです。
また、音量には規定があって、
長さ200メートル以上の船は、143デシベル以上。
75~200メートルは、138デシベル。
75までは120デシベルと決まっています。

シルバーミューズ号の汽笛に返礼する摩周丸


船の汽笛にびっくりして逃げる少女! 警笛がうるさすぎるボート


くらま 出港 汽笛に感動!36年間ありがとう さようなら


2017/6/27 【感動! 生ドラ&さよならの汽笛3回&トラック野郎達の惜別】 ラストラン 新日本海フェリー フェリーしらかば 引退  苫小牧東港出港


汽笛というのは、船という無機質な物に過ぎない物体なのですが、
それが発する人の心みたいな所があって、そこがいいんですね。
何故か心に響く時が、シーンがあって、そこはかとなく共感したりするのですね。





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数か月ぶりの歌声喫茶

2020-07-26 06:21:22 | 歌声喫茶
17.5.27.熟れたぶどう・三鷹の歌声


昨日は、数か月ぶりに歌声喫茶に行きました。

ともしび合唱団・立川支部主催の(三鷹の歌声)です。
コロナで歌声喫茶に行かなくなってから、
4.5か月ぶりの歌声喫茶ですから、それはもう気が狂うほど嬉しかった。

強い雨が時々降ったりする天気だったので、予定を中止する人も多かったみたいです。
会場は思ったほどの客はいませんでしたが、
みんなまだコロナが恐いんだなという感じがしました。

リクエストを申し込むには3曲の歌を用紙に書くのですが、
数か月ぶりに好きな歌をみんなで唄うのですから、
考えに考えてリクエストをしました。

「カチューシャ」
「みかんの花咲く丘」
「希望のささやき」

結局3曲とも全部唄ってくれたのですから、そりゃもう嬉しかった。
チョッとション便ちびった。

後の席には歌声仲間の内田さん夫妻。
ソーシャルディスタンスとかであまり近づけない。
会場全員がマスクなどしての歌声。



私達はネット通販で買った、耳かけ型のフェイスシールド。
これはヘアスタイルには感知しない優れもの。



同じフェイスシールドでも、このタイプをしてる人は何人もいました。
これって、俺達の勝ちッ!(笑)

マスクをしては唄いたくなかった。
何だか気持ちがミジメになる気がしてマスクはイヤだった。
そしてマスク越しに話をすると声が小さくなってよく聞き取れないのです。

それにしても。
「♫ り~んご~の花ほころ~び、か~わも~にかすみたち・・・」
「♫ み~かんの~花がさあいて~いる~、お~もいでのみち~・・・」
「♫ あ~まつみつかい~の、こ~とばさながら~・・・」

嬉しかったね~。
みんなで一緒に声高らかに唄うって、こんなにも気持ちが良く、
楽しく、嬉しく、心躍るものなんだよね。
もう胸が嬉しさに湧きたって弾けそうだった。
楽しさにワクワク・ドキドキして涙が出そうだった。

コロナが第二派襲来かといったムードの中で、
思い切ってこの歌声を主催してくれた、ともしび合唱団立川支部の方々に感謝。
そして、その面々と久しぶりに逢えた事が、ことのほか嬉しかった。

やっぱり、私達夫婦は歌声喫茶が大好き。
死ぬまで離れられない。





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海中の見えない悪魔

2020-07-26 04:22:18 | 船舶


カナダの首都・バンクーバーは、
北アメリカ大陸の西(太平洋側)にあります。
地図ではBの場所です。





バンクーバーの向かい側には、
バンクーバー島という南北の長さ450キロくらいの島があり、
バンクーバー港に入出する船は、その島の北か南からの航路を通るのです。

南側を通る船は何の問題もないのですが、
北側ルートを通る船には、とんでもない悪魔がいたのです。
(はて、いったいどんな悪魔なのでしょう?)
だったら北側を通るのはやめて南側を通れば・・だったらいいのですが、
北に向かいたい船が、反対側を通るには数百キロという無駄な行為と・・
それは時間的にも燃料費にも多大な無駄遣いを強いられるのです。
船というのは皆、経営、経済の基で走っているのですから、
そういった無駄は絶対にしたくないのです。

そして、北米大陸とバンクーバー島との狭い海峡は、
波も静かで快適な航海が約束されているのです。
昔からこの航路はそういった意味で頻繁に利用されていました。

しかし、その狭いセイモア海峡には恐ろしい魔物が潜んでいました。
セイモア海峡は広い場所で5キロ。
最も狭い場所では、たった1.6キロしかありません。
海峡は水深100メートルと深く、大型船でも全く航海に支障はありません。

ですが、この最も狭い部分の真ん中には、
まるで海底からそびえ立った様な急峻な尖搭がそびえ立っていたのです。
その尖搭は海面下わずか2メートル。
満潮時でも3メートルしかありません。
海峡は常に波が静かで、この尖搭の頂上でも、全く波は立たず、
船からこの尖搭の存在を知る事は全くできないのです。

カナダではこの危険な存在を避ける為に航路を定めていました。
しかし、この尖搭へ座礁する船は後を絶たなかったのです。
特に霧が深い時には極めて危険でした。

1875年から1958年までの83年間で、
座礁した船は120隻に及び、死者も114名に達していました。
この尖塔はリップルロック(さざなみ岩礁)と呼ばれていました。

カナダ政府もこの海峡が船舶の航行に極めて重要な事を認識していたので、
これの撤去には昔から様々な方法を考えてはいましたが、
妙案が浮かばないままに放置されていました。
尖搭といっても、それは巨大な岩山ですから、
水中からのダイナマイト爆破などでは全く受け付けないのです。

カナダ政府は1952年にこの尖搭の除去を本格的に開始しました。
その方法は、
最も近い陸地から縦に131メートルにたて穴を掘ります。
そこから今度はリップルロックに向かって真横に720メートルの海底洞穴を掘ります。
そこはリップルロックの真下になります。
そして上向きに90メートルのたて穴を掘ります。
それはリップルロックの頂上の真下10メートルです。

そこから直径2メートル、20本の穴を斜め上に向かって掘ります。
そして全ての作業が終わったところへ、
合計1950トンの高性能爆薬が仕掛けられました。



そして、掘削した全ての穴が塞がれます。
1958年4月7日午前9時31分。
1950トンの爆薬が点火されました。

リップルロックの上半分、40万トンの岩礁は一瞬にして吹き飛び、
海の中の見えない悪魔は海面下12メートルまでが消滅したのでした。

その後は巨大タンカーの航行も自由になり、
長年にわたって船乗りたちを悩ませ続けた悪魔は失われたのでした。





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29年後に発見された悲しい男

2020-07-23 14:57:13 | 船舶




1859年。
イギリスで前代未聞の巨大な船が誕生しました。

名前は、グレート・イースタン号。
全長・約211メートル。全幅・約36メートル。
総トン数・約19000トン。

当時の船はまだ3000トン程度の木造船であり、
まさに常識外れの桁外れに巨大な船でした。

動力は両舷の外輪と、船尾に取り付けられたスクリューでした。
最高速度は時速24キロ。
ただ、この時代のエンジンを動力とする船は、その信頼性がまだまだだったので、
帆走装置も取り付けられていました。

この巨大な船の建造目的は、
オーストラリアの羊毛と農産物をイギリスへ運び、
イギリスからはオーストラリアへの移民を運ぶ為でした。
しかし、何故ここまで大型化する必要があったのでしょう?

それは全行程2万キロにおよぶ航路を、途中無寄港で走破する事が検討されていた為、
大量の石炭(当時は石油ではなく石炭だった)を搭載する必要があった為です。

しかしグレート・イースタンがその目的航路を走る事は一度もありませんでした。
あまりにも長距離の航路を走る信頼性がまだ無かったのです。
その為に、仕方なく北大西洋航路を走る様になったグレートイースタン号は、
わずか10航路を行っただけで係船されてしまいました。

この巨大な船を扱える技術が不足していたり、
当時のボイラーの燃焼効率の悪さから、
膨大な石炭の量が必要で、とても採算が合わなかったのです。



完成から10年後には、そのあまりの大きさゆえに使いこなす事が出来ず、
どこの海運会社も、この船を見限ってしまい野ざらし状態でした。

この船には就役当初から不思議な話が付きまとっていました。
航海のたびに船内をハンマーで叩く様な音が聞こえるのです。
結局この音はグレートイースタン号が就航している間中、絶えず鳴り響いていたのです。
船員たちはこの気味の悪い音に悩まされ続けていました。

完成から29年後の1888年(明治21年)に、
グレート・イースタン号は、とうとう解体されてしまいました。
その最中に事件は起きたのです。



船体は上部から解体されてゆき、下部の二重構造の舷側の解体が始まって間もなく、
二重構造の幅1メートルの隙間から人骨が発見されたのです。
その人骨は朽ち果てた作業服を着ていて、そばに彼の雑用袋が転がっていました。

実は建造中のある日、
一人の作業員が行方不明になる事件がありました。
彼の行方は杳としてつかめず、いくら探しても発見できず、迷宮入りになってしまったのです。

作業袋の文字をたどると、それはまさに行方不明になった鋲打ち工の名前だったのです。
何かの手違いから二重構造の隙間に閉じ込められた彼に誰も気づかなかったのです。
彼は恐らく必死になってハンマーを叩いて自分の存在を知らせたのでしょうが、
建造中の船では四六時中、ハンマーで鉄板を叩く音が聞こえていたので、
誰にも気づかれないままに水も食料もなく体力が尽きて死んでしまったのでしょう。

彼の無念さが船体をハンマーで叩き続き続け、
あの気味の悪い音となっていたのでしょうか?

いえ実際は、それまで未経験であった鉄製の巨大な船を建造した為に、
鉄板の温度変化によるゆがみの逃げ道などが充分に考慮されていなかったので、
大面積の鉄板が毎日の温度差によるゆがみが、音として表われた事だったのです。

しかし、いくらハンマーで自分の存在を必死で知らせても、
誰も気づいてくれないのですから、彼は気が狂いそうな恐怖だったでしょうね。
恐ろしくなる、実に可哀想な出来事でした。






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