河童の歌声

歌声喫茶&キャンプ&ハイキング&写真&艦船

もし宝くじが当たったら

2024-02-24 07:03:04 | 日記
先日、仙台の歌声喫茶バラライカに行った時、
一緒に行った歌仲間のNさんが、もし宝くじに当たったらこうしたいという夢を語っていました。
とに角、歌声喫茶ともしびをこういった理想形にしたいんだという願望があるのです。
そうなんですね、やっぱり仮にも歌声喫茶にハマった人達、
というか彼はそこに人生をかけて来た人なので、その思いは並外れて強いのです。
私の様な人生をかけてはいないけど、歌声喫茶にハマった人間であってもやはり思いは同じです。

歌声喫茶という、ある意味夢の世界を何とかしたいという気持ち。
杜の都仙台には、バラライカがあります。
千葉県、船橋にはゴリがあります。
東京には、歌声喫茶の総本山というべき、ともしびがあります。
また、カチューシャがあります。家路があります。
八王子には、ふるさとがあります。
大阪にはピープルズがあります。
というか、今はもう閉店してしまった店もあるかもしれません。

そういった日本中に散らばる歌声大好き人間の要望に応えて、
盛大に歌声喫茶華やかなりし時代を復活をさせたいのです。
金に糸目をつけずに盛大な復活をしたいのです。

仙台バラライカは50人規模のお店がいいかな・・・
新宿ともしびは200人規模でやるか。
船橋、八王子、大阪、それぞれ地元の大先輩たちの声を聞いての復活。
でも、これ全部を理想形にしたら、宝くじに1回当たったくらいでは無理だよね。
それほど客数が伸びなかった場合は、資金支援をしなければならないし。
この際、大谷翔平を口説いて援助してもらった方が早いかな~。(笑)


でも、それ以前に私にはもっともっと金のかかる夢があるのです。



それは、世界一美しい軍艦。
ドイツの戦艦、シャルンホルストの実物大を造ること。
全長230メートル。
これを海に浮かべて走らせてみたいのです。



今まで2回行きましたが、広島県呉市には「やまとミュージアム」があります。
世界最大の戦艦・大和の1/10模型、全長26,3メートルがあります。
私は第二次大戦時の軍艦、数百隻を集めたミュージアムを建てたいのです。
それには1/10は大き過ぎます。
1/100の縮尺に統一した模型で飾りたいのです。
戦艦大和は2,63メートル、シャルンホルストは2,3メートル。
このサイズで世界中の軍艦模型を館内に埋め尽くしたい。

それには大谷翔平でも無理です。
2000億円以上はかかるでしょうから。

結局、夢は夢なんで、あり得ないのですね。
皆さんも自分なりの大きな夢を、きっと持っているんだと思います。
また今夜も眠りに就いて、ゆっくりと夢の世界を彷徨いましょうね。




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恐るべき海の病・脚気

2024-02-23 14:48:18 | 船舶
2017年1月27日に、
「壊血病、恐ろしき海の病」というブログを書きました。
外国の船舶は大西洋、太平洋、インド洋と気が遠くなる様な遠洋航海をしていましたが、
そういった果てしない航海で発生するのが、壊血病でした。
その死亡率は信じられない数字であり、
船乗りたちは生きるか死ぬかの、気も狂わんばかりの思いで大海原へ乗り出して行ったのです。
しかし壊血病という病気は、日本の船乗りには無縁でした。

日本の船は東南アジアを最遠とする貿易船であり、
1ヵ月以上かかる航海であっても、途中、中国各地の港に寄港しながらであったので、
いくらでも新鮮な野菜、果物を得る事ができたからです。
つまり日本の船乗りたちは壊血病の存在すら知らなかったのです。

しかし日本に近代的な海運、海軍が誕生し、
長距離の航海が行われる様になると、
西欧ではほとんどその存在すら知られていなかった病気と、
日本の船乗りたちは戦うことになったのです。

その病気とは脚気(かっけ)でした。
江戸時代になった頃、江戸に住む武家や町人たちに限って脚気が流行りだしたのです。
その為、脚気は(江戸患い)とさえ言われたのです。

脚気はビタミンB1の不足によって発生する病で、
足に浮腫みが現れ、膝の反射がなくなり、
更に進むと動悸や視力低下を起こし、遂には心臓機能が低下し、死に至る恐ろしい病気です。
江戸時代に江戸市民を中心に白米が常食になりだすと、
この病気は江戸特有の病となって「江戸患い」と呼ばれるようになります。

1882年(明治15年)、軍艦、龍驤事件が起こります。
軍艦「龍驤」による9か月間の太平洋航海が行われました。
ところが日本に帰国した時、
371人中160人(43%)が脚気を患い、25人が死亡していたのです。

この頃、一人の日本人海軍士官がイギリス留学から帰国しました。
彼は医学を学んで、後に日本海軍の医療の礎を築く人なのです。
その名を高木兼寛と言います。
彼はこの事件に注目して研究を始めていました。

彼は脚気という病気が西欧の人達や、いずれの国の国民の間にも全く見られず、
日本の船乗りでも、外国の港に入港中は脚気の症状が軽減される事を知ります。
問題は食事の内容しか考えられません。
そしてその結果、窒素分の少ない食物を大量に摂取する事によって、
脚気が発症する事に気づきます。

その対策は、食事の洋食化、(パンと白米を麦飯にするのと肉を食べる)でした。
1882年からこれを実行した効果は極めて顕著でした。
その後、高木が提唱した窒素分は、ビタミンB1である事が確認されます。
以来、海軍では白米に変わり麦飯が主食となったのです。

しかし、船乗りの病には、壊血病や脚気以上に恐ろしい病気が存在します。
それは伝染病です。
コレラ・ペスト・インフルエンザといった伝染病は、感染力が強く、
船内にそういった病原菌が一旦入ったが最後、
その感染力は狭い船の中ではたちまち伝染し、
船の運航すらままならない危険な状態になってしまうのです。

今では考えられない様なことであっても、
昔の船乗りたちは、実に頭の下がる思いで、己の人生を賭けていたのですね。


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軍艦の名前

2024-02-22 05:43:36 | 軍艦
第二次大戦時、日本軍艦の名前はどういったルールから名付けられたのでしょうか。

「戦艦」・・・・これは旧国名から採っています。

     第二次大戦前、日清戦争や日露戦争時の戦艦名は、
     松島・厳島・橋立(この3艦は三景艦)と呼ばれていました。    
     そして、富士・八島・敷島・朝日・初瀬・三笠・河内・摂津などがありました。

     しかしそれ以後は旧国名から名付けています。
     
     金剛(1913年製・・これが最後の外国製戦艦でした)
     比叡・榛名・霧島
     これら4艦は旧国名ではなく、山の名前が付けられています。
     それはこの4艦は、本来、巡洋戦艦として設計された物だったからです。  
     「巡洋戦艦」という艦種は、戦艦と同じサイズの軍艦ですが、
     (イギリスのフィッシャー大将が提唱した、速力は防御力になり得る)
     に基づいて造られた戦艦でしたが、後にこの考えが誤りであった事が証明されます。
     
     扶桑(1915年製)・・・最初に設計された戦艦ですが、扶桑という名前は、
          日本国の異称であり、国名とは違っています。
          それだけ日本がこの戦艦にかける期待が大きかったのです。
          同型艦に山城がありますが、これは旧国名です。
          しかし、この2艦は明らかな失敗作となってしまいました。
     伊勢・日向(1917年製)・・・扶桑・山城の失敗を改善しようとしたのですが、
          この2艦も前作と似たような失敗作でした。
     長門・陸奥(1920年製)
          この2艦が以後、長く国民の期待を一身に受けた大戦艦でした。
     大和・武蔵(1941年製)
          世界最大の戦艦ですが、この2艦を国民は知りませんでした。
          それを知ったのは終戦後だったのです。

重巡洋艦・・・・これは山岳名を名付けます。

     古鷹・加古(1926年)
        加古は山岳ではなく河川です。
        これはワシントン軍縮条約が当時からんでおり、
その為に変則的になったしまったのです。
     青葉・衣笠(1927年)
     妙高・羽黒・那智・足柄(1928年)
     高雄・愛宕・摩耶・鳥海(1932年)
     最上・三隈・鈴谷・熊野(1935年)
       この4艦は軍縮条約の為に、軽巡洋艦として設計された為に、
       山岳ではなく河川名となりましたが、
       いざとなったら主砲を大きな物に変換して重巡洋艦にすればいい、
       というズルをしたのです。
     利根・筑摩(1938年)
       この2艦も河川名ですが、やはり条約の為の名前になりました。

軽巡洋艦・・・これは河川名です。

    天龍・龍田(1919年)
    球磨・多摩・大井・北上・木曽(1920年)
    長良・五十鈴・名取・由良・鬼怒・阿武隈(1922年)
    川内・神通・那珂(1923年)
    夕張(1922年)  たった1艦だけ造られた画期的な試験艦。
    阿賀野・矢矧・能代・酒匂(1942年)
    大淀(1943年) 艦隊旗艦を任された。
    香取・鹿島・香椎(1940年)
     この3艦は本来、練習艦であり、艦名も神社名となっています。

駆逐艦・・・一等駆逐艦(大型)は、天象、気象、海洋、季節に関連する名前。
      峯風、沢風・・・
      二等駆逐艦(小型)は、植物名。
      
空母・・・神話などに登場する空を飛ぶ動物。
     鳳・龍・鶴・鷹のどを付けました。
     改造空母に、
     赤城(巡洋戦艦から改造)加賀・信濃(戦艦から)
     千歳・千代田(水上機母艦から)
     信濃は世界最大の戦艦大和の3番艦でしたが、空母に改造され、
     100%完成とまでいかない輸送中に悲劇的な最期を遂げました。

    鳳・・・・鳳翔・龍鳳・翔鳳・瑞鳳・大鳳・
    龍・・・・龍譲・蒼龍・飛龍・雲龍・
    鶴・・・・翔鶴・瑞鶴・
    鷹・・・・飛鷹・隼鷹・大鷹・雲鷹・沖鷹・神鷹・海鷹・
    山・・・・天城・葛城(昭和18年より山岳名が追加された)
    
  日本は開戦(1946年12月)からわずか半年後、
  ミッドウェー海戦で、虎の子である主力空母4隻(赤城・加賀・飛龍・蒼龍)
  全部を失う大敗北を喫し、以後の戦争続行は、ほぼ不可能になっていたのです。
  世界最大の戦艦、大和・武蔵などは無用の長物となっていたのですから。

これとは全然違う話ですが、
日本の船名に(丸)を付ける伝統の由来は、まるで分からないそうです。
外国からも「丸シップ」として日本船である印にもなっているのに、
その由来が歴史的にも分からないというのは意外ですね。




     
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キャンプブームは終わったのか

2024-02-21 07:13:57 | キャンプ


スノーピークというメーカーは純日本製の有名なキャンプ用品メーカーです。
そのスノーピークが営業不振で前年比、99,9%の減益というニュースには、
日本中のキャンプ好きを驚かせました。
キャンプブームは終わってしまったのか、といった事が取り沙汰されていますが、
私は、いつからブームになったのか的な意識があまりありません。
ブームになろうが終わろうが、そんなのとは無関係に私は行くのですから。

ただ、コロナと前後してキャンプ人口が劇的に変わったのには驚きました。
コロナ以前、平日のキャンプ場はガラガラでした。
私達夫婦は金曜日から日曜日までの2泊3日が主な日程だったのですが、
初日の金曜日など、ほぼ貸し切り状態というのは何度も経験していました。
むしろそれが普通だと思っていたのです。

それがコロナになり、予約していたキャンプ場から、
「今年の営業はコロナの為に全て中止になります」と電話がありました。
私はキャンプは青天井でコロナとは関係ないのではと思ったのですが、
キャンプ場の洗い場は3密、そしてトイレも3密で、
もう営業出来ないという事らしかったのです。
キャンプ場にあきらめられてはなすすべ無しです。

それで我々もキャンプはもうダメだとあきらめていたら、
行きつけの近所の薪屋さんから、「キャンプ用の薪が凄く売れている」と聞き、
様子見に的にキャンプへ行ってみたら、信じられない大盛況。
あれは本当に信じられなかった。
それから独りで(妻はキャンプに多少飽きてきたし)行ったのですが、
コロナ以前とはキャンプ場の風景は一変していました。
とにかく人が多い、という事は、ロクでもないキャンパーが増えるのです。
キャンプ場での盗難とか、女性のソロキャンパーをナンパしたりとか。
そういった俗世間の垢にまみれたのが、入り込んでくるのです。

そんな中でのスノースピークの不振。
スノーピークのテントの性能がいいのは分かっていました。
フレームが金属製で頑丈、布地も頑丈でいいのです。
しかし、私はスノーピークを買いませんでした。
私達のキャンプスタイルに形式が合わないからです。
背が低かったり、スペースが狭かったり。



私達が3回も買い替えたのはロゴスでした。
スノーピークに比べフレームは樹脂製で強度は弱く、
布地も薄く耐久性にも欠けていたのですが、形式が使いやすかった。
スノーピークだったら1度買ったら、いつまでも使えただろうと思っても、
強度の劣るロゴスは、それほどいつまでもは使えないのです。
でもいくら性能が良くても使い勝手が悪いのでは仕方がありません。



スノーピーク製を買ったのは最初に買った、この焚火台だけでした。
しかし、これは重く高価で使い勝手はあまり良くなかった。
今ではもっと軽く安く使い勝手のいい焚火台はいくらでもあります。



さて、キャンプブームは終わったのか?には、
そんなのは早く終わって欲しいと思っています。
以前みたいな静かなキャンプをしたいのです。

土曜日の朝、ゲートが開くと、
待ってましたとばかり、キャンパー車がキャンプ場に
怒涛のごとく雪崩れ込んでくるなんて、
あの狂気の様なキャンプ場は、もう嫌気が差します。
ロクでもない俗世間キャンパーには、もうウンザリです。

キャンプも歌声喫茶も、コロナを境に劇的に変わってしまいましたね。
コロナは我々ロートル世代の楽しみを根こそぎ奪ってしまいました。
あれさえ無かったらと思っても仕方ないのですが、あれさえ無かったらね~。



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平家、落人伝説

2024-02-17 16:26:49 | 歴史
1185年、関門海峡の壇ノ浦で平家は滅亡しました。
平家に非ずば人に非ず、有頂天の極みはわずか19年間のおごりでした。
「ただ春の夜の夢のごとし」
たったそれだけの短い言葉に、どれほどの悲しみが詰まっているか・・・

一族郎党ことごとく無く(亡く)なっていく憐れさは、まさに悲劇です。
全滅と言っても必ず生き残りはいます。
故に平家の落人伝説は数多く残っているのです。
天皇だった、平清盛の孫安徳天皇はまだ7歳でした。
清盛の妻だった時子(二位尼)つまり祖母に抱かれて海へ身を投げます。
「お婆様、何処に行くのですか?」
「海の下にも都はあります」
何と悲しい言葉でしょうか。

周囲を見渡すと、平家の名のある武将たちは海へと身を投げていきます。
もう平家は負けだ、終わりだと己に言い聞かせ身を投げる。
7歳の子供には、意味が理解できないのは当たり前。
その悲しみあわれさが、多くの「安徳天皇生存説」となって数多く残っているのです。

「隠田(おんでん)百姓村」というのがあります。
戦国時代から江戸時代にかけて隠田百姓村が数多く生まれましたが、
平家の落人たちが開発したと言われている平家谷もそのひとつです。
その数は全国で100を超えていると言われています。

栃木の湯西川、飛騨の白川郷、四国の祖谷、九州の椎葉村、五家荘。
そういった名だたる平家落人部落。
東京にもあるのです、日野市、七生南平(豊田駅の近くです)
信じられないのは、平家滅亡の地、壇ノ浦から数キロの所にもあるのです。

隠田というのは年貢の徴収を免れる為に密かに開拓した畑の事で、
為政者から見れば脱税にあたり厳しく取り締まられたのです。
という事は為政者たちが、おいそれと近づけない奥地だったり、
厳しい地形の場所に存在したのです。

平家の残党たちは奥深い山奥(上流)で隠れて生きていました。
下流に住む人達は、上流に人が住んでいるとは知りませんでした。
しかしある時、上流からお椀といった食器が流れてきて、その存在を知ったのです。
平家の落人は、川の下流から上流へと登っていったのではなく、
反対側から山を越えて谷の一番奥へ住みついたのでしょう。

そして川下の村々が農業を生業にしているのに、
川上では、まるで違った狩りや林業で生計を立てている者が多かったのです。
平家落人と言われる人々の生活様式は、ほとんど周囲から孤立しているのに、
平家谷同士の間には若干の共通性があり、
場所が離れているのに意外にも親密があったりするのです。

源頼朝が、己の人生は(源氏)という血の存続であり、
その血が平家を滅亡へと追い込んだのですから、
源氏が完璧な天下人になる為には、平家の血を絶対に根絶やしにしなければなりません。
ですから頼朝の、平家の残党狩りは徹底的に、執念深く行われました。
日本の最高権力者が、日本中に力の限り平家断絶に躍起となるのですから、
見つかったが最後の恐ろしさに平家落人たちは、蛇に睨まれたカエル状態。
死に物狂いで逃げていったのです。

誰一人助けてくれる人などいません。
自分達、数少ない生き残りで助け合い、支え合って生きるしかないのです。
平家の残党を見つけた者には源氏から褒章金が出ます。
貧しい人々は、褒賞金目当てで、顔立ちが良かったり、美しい言葉を話している若者など見つけると、
「こいつは平家だ」と訴え出ます。
そうなった人に逃げ道などなく、すぐに殺されてしまうのです。
平家の残党は必死になって、山奥へと山奥へと逃げて行きました。

その光景を思うと、いくらいい気になり過ぎた一族とは言っても、
可哀想に、あわれに思います。
もうこのくらいで勘弁してやったら、と思っても、
頼朝はそんな甘い事など認める訳がありません。
恐かったでしょうね。どれほど「誰か助けて~」っと叫びたかったでしょうね。



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