河童の歌声

歌声喫茶&キャンプ&ハイキング&写真&艦船

下田の歌声・・3

2019-02-27 11:43:55 | 歌声喫茶


さて、下田の歌声ですが・・・

伊豆急下田駅前です。
電車が下田までやって来たのは1961年(昭和36年)でした。
それは1853年、アメリカからペリー提督が下田へ来航し、
黒船騒動で日本に一大衝撃を与えて以来、
108年ぶりの、第二次下田事件でした。

伊豆半島の南までとうとう電車が来たのです。
伊豆半島の人達は、この日の来る事をどれほど首を長くして待っていた事でしょう。



駅前の徳造丸という店で食べた美味しい海鮮丼。
私達の後から、観光バス2台の団体さんが来店し、
この団体さんの前に行った私達は「良かった~」と胸をなで下ろしました。
彼等の後だったら、いったい何時間待たされた事か・・・



テーブルの皿の中には、薬の錠剤みたいな白い塊が。
はて、これは何なんだろう?と思っていたら、
店員さんが、その皿に水を注ぎ込みました。
すると、あら不思議。
錠剤に見えた物体が見る見るうちに膨らんで・・・



何とオシボリが誕生したのです。



河津町に栖足寺(せいそくじ)というお寺さんがあり、
別名・河童の寺。
河童を名乗る私が、これを見に行かずにどうする、というので参拝しました。



そこには河童のいわれが書いてありました。



園内には、こんな所にも河童が居ます。



河童が釣り糸を垂れていましたよ。







寺内には、それこそ河童尽くしで、様々な展示物があります。

19.2.23.なごり雪・下田の歌声


「なごり雪」

19.2.23.蘇州夜曲・芳晴


ゲスト歌手・芳晴さんの「蘇州夜曲」ソフトな声がいいですね。

19.2.23.心の太陽あらわそう・芳晴


芳晴さんのオリジナル曲「心の太陽あらわそう」


下田の歌声・・とても楽しかった春の日。
歌声旅行は、本当にいいもんです。





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伊豆・今井浜のペンション

2019-02-26 11:11:34 | 旅行
下田の歌声に泊りで行こうとなったのですが、
そうなると、まずは宿の確保です。



私達がネットで探して(ここに泊まりたい)と思ったのが、
花と貸し切り温泉の宿・・ビーチサイド100でした。
ここは人気の河津町からひとつ東京寄りの(今井浜海岸)駅。
そこから山に登っていった場所です。
何がそんなに気に入ったのでしょう?
謳い文句にある様に、まずは貸し切り風呂と食事です。



貸し切り風呂は3か所あり、これは展望風呂。
この隣にも同じ造りの風呂があり、どちらも広かった。



こちらは展望はありませんが、花が売りでしょうか。





夕食はやっぱり良かったですね。
金目鯛はトロトロで、本当にとろけそう。
追加料金で更に豪華料理もありますが、
私達の歳になると、もうこれ以上は食べきれませんね。



これが私達の泊まった部屋ですが、
他のペンションに比べて灯りがとても明るい。明る過ぎるくらい。



部屋からは海が見えました。



ロビーにあった七福神。可愛いね。



朝食はパンの洋食です。
レストランは海を眺めながらの明るい部屋でした。

ペンションの回し者みたいなブログですが、
ここは本当に良かった。
オーナーの婦人は、亡くなられたご主人が40年くらい前だったかに、
脱サラでペンション経営を始められ、
御主人が亡くなられた後は、娘さん夫婦と共に経営されているそうです。

その家族たちが実にソフトで心の温かさがよく分かるのです。
何度もペンションには泊まりましたが、
みな、どこでも一生懸命やっているんですが、
人手が足りなくて対応に不備があったりとかも中にはありました。
たった2人でやっていて、客との会話がまるで至らない所もありました。

そういった体験を積んできましたが、ここはやっぱり良かったな~。
また来れるかどうかは分かりませんが、
もし伊豆に来る事があるなら、またここに泊まりたい。






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下田の歌声で河津桜見物

2019-02-26 10:31:52 | 歌声喫茶


2月23日(土)は、
横浜で歌声喫茶(星と涼風)を主催する、星さんと石原さんが、
一年に一度開催する下田の歌声があります。
私達はそれに参加すべく車で下田へと向かいました。
下田駅近くの蕎麦屋でまずは昼食。
ここのおろし蕎麦は美味かった。



私達は河津桜見物に、2012年3月11日に河津町に行きました。
あの東日本大震災から丁度1年の日。
午後2時46分になると、役場からスピーカーが流れ、
「皆さん、1年前のあの日の被災者に黙とうを捧げましょう」と、
大賑わいの人並みが、皆、一斉に手を合わせて黙とうしたのをよく覚えています。

そういった事があって、河津町の桜は今回は見送り、
約20キロ離れた。まだあまり知られていない南伊豆町を目指しましたが、
途中にこんな素晴らしい菜の花畑がありました。
この菜の花畑はチョッとした観光スポットで、
ここで結婚式を挙げたカップルを地元のテレビが放映していました。



河津町に比べ圧倒的に人が少ない、南伊豆町の河津桜と青野川。



たった1台だけ人力車がありました。
ここが河津町並の大混雑になる日も、きっと来るのかな?



河津桜と菜の花のコントラスト。
ピンク・黄色、そしてこれに青空があれば最高なんですが、
この日は生憎の曇天。
でも、最初の天気予報が雨だった事を思えば、ラッキーでした。



河津桜は、やはり川沿いがいいですね。



折角来たんですから、歳を考えずにのツーショット。



その日の泊まりは、河津町からすこし東京寄りの今井浜。
そこのペンションに泊まりたかったので、
歌声より一日早い河津入りになりました。
土日はペンション予約が取れなかったのです。
でも、結果的にそれが大正解でした。
河津から帰った翌日には、歌声仲間からのお呼ばれがあったのです。

これは、そのペンションの車を使っての夜桜見物。
場所は河津町ですが、もう昼間の喧騒はありませんでした。



夜桜というのも、中々オツなものですね。



夜桜に佇む孤独な女。
そういった場合って、普通細めで華奢な女でしょ(笑)



ま、これもアリだよね。







夜見る桜というのも風情がありますね。



この日は寒くもなく、いい夜桜見物が出来ました。



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この3日間

2019-02-17 07:17:30 | 歌声喫茶


15(金)は、新百合ヶ丘駅のイオン・シネマという映画館に行きました。
前週に、フェイスブック友達から知った「家へ帰ろう」
いい映画だよという事で行ったら、既に売り切れで、スゴスゴと帰宅。

そうなると何としても観たくなるのが人情。
というので仕切り直しで行ったのです。
妻は「私が行っても多分寝ちゃう」というので一人で行きました。
アルゼンチンから祖国ポーランドへ、
70年ぶりの帰国をする老人の姿を描いた映画なのですが、
当時のそういった国々の背景を知らないと、
日本人には理解できにくい面もありますが、
やはり評価の高い映画で、いい映画だったと思います。

新百合ヶ丘にこういったミニシアターがあるなんて全然知りませんでした。
客席数100人ちょっと程度の小さな映画館ですが、
いわゆる名画座といった風に(いい映画)だけを上映しているみたいです。
まだ行った事はないのですが、東中野にもこの様な映画館があるみたいですね。

11時40分に映画が終わり、向かったのは新宿。
妻と、ともしび昼の歌声での待ち合わせ。
ただそれにはまだ時間があるので向かったのは(桂花ラーメン)





この店を紹介してくれたのは、
ともしび司会者で、九州出身の寺谷さんです。
カウンターだけの超狭い店内。
さて、食べた感想は・・かなり個性的で、好きな人ははまる、です。
私は、まあ、これもありだよね。です。

では、妻は・・?
もう答えは分かっています。
彼女がこのラーメンを受け入れる事は無い、です。

そういった後に妻とともしびで待ち合わせ。
昼の歌声なんですが、
ビックリした事に歌声仲間の千葉の大胡さんがいらしたのです。
彼女と一緒になる事なんて、普通はまずあり得ない。
嬉しかったですね~。
気持ちのいい友人と一緒に唄うって本当にいいんです。

昼の歌声に引き続き、夜の部の歌声に・・・
昼の部のお客さん達は全員帰ってしまい、居残ったのは私達だけ。
しかし、後になって、フェイスブック友達の女性が
2人の男性と共にいらして交歓しました。
彼女はとっても素敵な女性で、いいんですね~。
Sさん、貴女の事ですよ~。

6時少し前にともしびを退散。
タクシーで向かったのは(歌声喫茶トミ)



その日はメグちゃんの素敵な伴奏。
そして、何と主催者である臼井さんの80歳の誕生祝いをしたのです。
病気と闘いつつ歌声喫茶の司会をする臼井さん。
女性陣に囲まれて、満面の笑顔でした。



昨日16日(土)はフェイスブックに書き込んだ通り、
船橋ゴリに行きました。



行ったら、そこに居たのはフェイスブック友達のヒデキさん。
彼も予告通りに来たのです。
彼が言うには「後で彼女が来るから」です。
その彼女ですが、ともしび合唱団の女性で、
私も何度かお会いしている女性でした。

ヒデキさんや、低音の魅力のゴンベさんもいらして、
ゴリの歌声は楽しく騒々しく盛り上がったのでした。

そして、今日・・・

妻はともしび昼の部(歌謡曲だけの歌声)に参加。
私は夜の歌声に妻と合流しようと思っています。

どうだーッ!
この華麗なる歌声三昧。
友達三昧。

ちなみに我がバカ妻は、
6日間で歌声8連チャンだそうです。
もう・・やってらんね~やい。








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平成・・流行歌氷河時代

2019-02-11 12:29:20 | 音楽


1989年から30年続いた平成という時代。
この間に流行った流行歌をピックアップしてみましょう。

CDの売り上げ枚数(200万枚以上)の歌だけ取り上げてみます。

1991年・・ラブ・ストーリーは突然に(小田和正)    254万枚
       SAY YES(チャゲ&アスカ)      250
  92年・・君がいるだけで(米米クラブ)        276
  93年・・YAH YAH YAH(チャゲ&アスカ)  240
  95年・・LOVELOVELOVE(ドリカム)    235
       WOW WAR Tonight~
       時には起こせば・・・            210
  96年・・名もなき詩(ミスターチルドレン)      230
       Derartures(globe)     227
  97年・・Can you celebrate?(安室奈美恵)    222
  99年・・だんご3兄弟                291
2000年・・Tsunami(サザン)          288
       桜坂 (福山雅治)             228
  03年・・世界に一つだけの花(SMAP)       210

この間12年。

200万枚以上売り上げた曲は、13曲。
これが多いのか少ないのか、私には分かりませんが、
この2003年を最後に、200万枚以上の曲はありません。

最高の売り上げは1999年の、だんご3兄弟の291万枚。

私はこれらの曲の題名を書きながら嫌になってきました。
まともな日本語の曲。
まともな歌手の名前が殆ど無く、
アルファベットだらけで、まともなつづりも、きっと書けていないんだと思います。
要するに、ど~でもいい様な歌ばかりなんですね。

これらの歌で、果たして後世に残る歌があるのでしょうか?
私個人はこれらの歌の殆どが記憶に無く、
例え聞いても、最後までメロディーを辿れる歌など無いと思います。

また、これらの歌を懐かしく覚えている、唄えるという人でも、
それは、その時自分がその歌に対して思い出なりを持っているから、
という方が多いのだと思います。
そういった思い出とかの無い人には、心に響く歌がどれほど有るのでしょう?

昭和は64年間続きました。
ある時のテレビで(昭和を代表する歌を一曲)とアンケートを取ったら、
堂々の一位は「青い山脈」だったのをハッキリと覚えています。
あれは本当に名曲だったと思います。

そんな歌が、これら平成の歌に一曲でもあるでしょうか?
私にはまるで異次元の世界にしか思えません。
心に響く、心に残る歌などひとつも有りません。
まるでゴミみたいなもんです。

そんな時代錯誤な屁理屈を言っているのは、
アンタが年寄りだからだよ、という意見もあるでしょう。
でも、それが正論かと言うと、それも違います。

今の若い人の中にも、
今の歌は面白くない、昔の歌の方が全然良かったという若者は、
確実に存在しています。
ただ、周りが自分と同世代の若者ばかりの中では、
そういった異論を言うのは、チョッと出来ないでしょうね。
でも存在する事は間違いないのです。

さて、こんな実りの無い歌ばかりを、
ただ儲けたいからと作っている時代はいつまで続くのでしょう?
やり切れない思いがするのは私だけ?
それはきっと違う筈と思いたいですね。







コメント (2)
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