河童の歌声

歌声喫茶&キャンプ&ハイキング&写真&艦船

悪役中の悪役・・ジャック・パランス

2021-01-31 10:32:07 | 映画
シェーン(Shane)


この映画は有名な西部劇「シェーン」です。
主役はこの映画「シェーン」で一躍有名になったアラン・ラッド。
そのアラン・ラッドに打ち殺される敵役を演じているのが、ジャック・パランスです。





アラン・ラッドという俳優は「シェーン」の時は41歳でした。
しかし、彼はこの映画だけと言っても過言ではないほどに作品に恵まれませんでした。
その最大の理由は彼の身長だったのかも知れません。
彼の身長は、ハリウッドスターとしては異例の168センチ。
実際は165センチだったとも言われています。
ですから「シェーン」では敵役のジャック・パランスと並んで立つ事は絶対にありません。
何故なら、ジャック・パランスの身長は193センチ。
首ひとつ以上の差があるのです。



また、あの時の少年、
「シェーン、カンバック」で有名になったブランドン・デ・ワイルダーは、
1972年に車を運転中に事故を起こし、30歳で亡くなっています。

結局、アラン・ラッドは「シェーン」から後は不遇のままで、
50歳で自ら命を絶ってしまいました。

ジャック・パランスを語るには、
まずリチャード・ウィドマークを語らなければなりません。





リチャード・ウィドマークは、1914年生まれ、悪役として名をあげた俳優です。
大学で法律を学び、卒業後はしばらく母校で講師を務めていたというインテリです。
しかし、演劇に目覚めて俳優になります。

1947年に彼は犯罪映画「死の接吻」に殺し屋として出演しました。
この映画では俳優としての新人賞と獲りました。
その時の主役は、右側のヴィクター・マチュアです。
そのヴィクター・マチュアは、リチャード・ウィドマークの事をこう言ってます。
「ゾッとする」
それほどリチャード・ウィドマークという俳優は恐ろしかったみたいです。

しかし、その彼も年齢を重ねる内に、
我が子が学校でいじめに遭うといった私的な事などもあり、
段々と悪役から遠ざかりつつありました。





そんな頃、1950年に「暗黒の恐怖」という映画が作られます。
主役はリチャード・ウィドマーク。
その映画の敵役となると、
リチャード・ウィドマークを超える様な悪役顔が求められます。
そこで白羽の矢が立ったのが、ジャック・パランスでした。
確かに「ゾッとする」とまで言われたリチャードウィドマークを凌ぐ悪役ヅラ。

ジャック・パランスは、1919年生まれ。
20代の頃はプロボクサーでした。
193センチ・91キロの堂々たる体躯。

第二次世界大戦中は爆撃機B-24のパイロットとして従軍。
火災で怪我を負って顔の整形手術を受けます。
結果的にその傷跡が彼の人生を良くしたのですから、
禍を転じて福と為すで、人生は分かりませんね。



大戦後はスタンフォード大学で演劇を学びます。
1953年の「シェーン」で、アカデミー助演男優賞にノミネートされ、
その強烈な個性から一躍注目されました。

初めは火災による顔の整形手術が影響していると思われる
悪役が多かったのですが、
徐々にクセのある指揮官やヒーローなどの役柄をこなし、
性格俳優としても活躍する様になりました。

1970年代には刑事物のテレビドラマ「刑事ブロック」
シリーズで主演し、日本人にも知られる様になりました。
1991年には「シティー、スリッカーズ」で、
アカデミー助演男優賞を受賞しました。

2006年、カリフォルニアの自宅で老衰の為に亡くなりました(93歳)

こうして見ると、
「シェーン」で主役を演じたアラン・ラッドと、
敵役を演じたジャック・パランスと。

皆から愛された「いい人」アラン・ラッド。
皆から、「許せない奴」と言われたジャック・パランス。
イケメンだったアラン・ラッド。
顔に醜い傷のあるジャック・パランス。
たった50歳で自殺したアラン・ラッド。
93歳、老衰で亡くなったジャック・パランス。

本当に人生とは何だろう?なんて思ってしまいます。


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アコーディオン奏者・友山さん

2021-01-30 14:11:54 | 歌声喫茶
青い山脈.


ユーチューブ動画を色々観ていたら、この方に巡り会いました。
この方はいいな、素晴らしいなと、ある日メールを送りました。

「東京の多摩方面の歌声喫茶で弾いては頂けませんか。」
私は歌声喫茶の主催者でもありませんが、
こんな素晴らしい方だったら、きっと歌声喫茶の主催者も、
うちで弾いて頂けませんかと思うと踏んだのです。
絶対に私がそう仕向ける。そういう気だったのです。

しかし、返信メールでは、
「私は高齢であり、横浜から多摩方面はチョッと無理です」と。
この方が横浜在住である事は、何かで分かっていました。
「そうか、それでは仕方がない」と断念せざるを得なかったのです。

最近またこの方の動画を観る事があって、ビックリしました。
歌声喫茶云々のレベル以上の方だったみたいです。

http://tomo-yama.la.coocan.jp/
ようこそ友山のホームページへ、というHPもあるし、
動画の登録者数も8850人という方でした。



更に息子さんは、岬英二という演歌歌手。
全く何も知らずに、ずい分失礼なふるまいをしてしまいました。
どうかご勘弁ください。

しかし、いいですね~。
私はこういった風に楽器に情熱をぶつけ、
ひたすら向上心を持ち続ける人が大好きです。
友山さんのユーチューブ動画を観ると、
全部で一体何曲をアップしている事か、凄い数です。
この方は本当にいいですね。

コメント (2)
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ウォークマン

2021-01-29 20:31:14 | 音楽
横浜・瀬谷海軍道路の桜並木 005




ソニーがウォークマンを発売したのは1979年らしいのですが、
あれは画期的な製品で一世を風靡しましたね。



私も勿論、買ったのですが、
私が買ったのはソニーではなく、何故かアイワのカセットボーイでした。
どちらでも大した差はなく、私はその音質の良さにしびれました。
それで何の曲を聴いていたかというと、
冒頭にある中国語の歌ばかりが100%でした。
他の曲など全く見向きもしなかったのでした。

その頃は仕事で良く電車に乗っていたのですが、
長距離列車などでは、始発から目的地まで、聴きっ放し。

勿論、ヘッドホンで聴いているのですが、
(音漏れしないのは確認してありましたが)
とに角、それをいっときたりと離さずに聴いているのですから、
中年くらいの女性から注意された事が3回はありました。
「貴方ね、そんなのを聴きっ放しだと、耳を悪くしますよ」

みんな優しい方ばかりでしたね。
お蔭で、聴力は・・全然悪くならずに、
妻から言わせると、貴方は耳が良過ぎる、敏感過ぎるという事です。



カセットテープは伸びてしまうとは聞いていましたが、
私は、テープが伸びた事はほぼ無かったのですが、
あまりにも何千回と聴くので、
カセットのパッケージがすり減ってガタガタになってしまいました。
そのくらい、聴きっ放しでした。



友人と2人で穂高岳に行った時は、
二人とも音楽好きなんですが、カセットボーイだと独りでしか聴けないし、
好きな山を歩きながらヘッドホンというのも気に入らないというので、
友人が持っていたダブルラジカセを担いで行きました。
そんな事もあって、ザックの重さは35キロ。
でも大好きな歌を山で聴くのは最高でした。



私は勿論、中国の歌。
彼は大好きだと言う喜太郎のキャラバンサライなんかを聴いていました。
二人っきりだと頂上で大音量で、中国語と喜太郎。
人が来るとプツンと消して、居なくなると大音量と、
きっと「あいつらは何なんだ」と思われたでしょうね。

今は電車の中で音楽を聴くという行為はやりません。
一時はやった事もあるのですが、
私は一旦音楽を聴き出すと、神経が全部そっちに行ってしまい、
乗換駅を通り過ぎたり、下車駅で降りそこなったりで、
これじゃダメだと、折角買ったICレコーダーを歌声仲間にあげてしまいました。

妻は小型のラジカセとかを電車で聴いていても、
乗り越すなんてチョンボは無いのですが、
私はまるでダメなんですね。
若い頃は比較的、長距離が多かったのでそれでも大丈夫だったんですが、
歌声喫茶の行き帰り程度では、使い物になりませんでした。



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花の命は短くて

2021-01-25 07:27:21 | 日記














花の命は短くて、苦しきことのみ多かりき・・・
林芙美子の名文ですね。

本当に人間が、特に女性が一番美しく輝いている時なんて、
長い人生のほんの一時(いっとき)ですね。
勿論、年齢を重ねても、美しい人は美しいんですが、
それだって若い時に比べれば、衰えて行くのは仕方のない事です。

男性の場合は歳を重ねた方が、いい味の出る人もいますが、
女性の場合は、やっぱり若い時の方が殆どの場合はいいですね。















でも私が人生の楽しさを知ったのは、
歌声喫茶にはまった60歳を過ぎてからだった気がします。





私にも、こういった女優さんみたいに輝いていた時はありました。
あの頃は邪魔なくらいに髪の毛はフサフサだったな~(涙)
体重だって、今より15キロは細かったし。
風が吹くと飛ばされそうで電柱にしがみついてたな~(嘘)
でも、女性との縁はあんまり無かったな~(泣)
あの頃は意味もなくカッコつけ過ぎだったな(後悔)
もっと素直に気さくであるべきだったな~(取り返しがつかない)
でも、60歳を超えてから素敵な女性をいっぱい知って(うれちい)

歌声喫茶という世界は本当に楽しい。
しかし、コロナになってしまった。
これほど無念な事はありません。
先が読めないというのが一番やり切れない。
コロナが終息した時、また再び、あの楽しい世界は残っているのだろうか?

歌声仲間達も、まさか、花の命は短くて・・
そうなってほしくない、きっと輝ける日々は復活する!
そう信じていたい。


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金色夜叉

2021-01-23 06:21:40 | 旅行
金色夜叉 ♪東海林太郎・松島詩子




歌声バス旅行で熱海へ行ったのは2013年6月でした。
ホテルに泊まった翌朝、
数人の仲間達と、熱海の海岸へ散歩に行きました。

熱海の海岸と言えば、
これぞ「観光地・熱海」の一枚看板(寛一お宮の像)があります。
熱海と言えば、誰もが知ってる(寛一お宮の像)





寛一お宮は、尾崎紅葉の代表作「金色夜叉」の主人公。
しかし今、金色夜叉という言葉の意味をどれだけの人が知っているのでしょうか。
金色というのは(お金)の意味であり、
夜叉は、亡者(もうじゃ)・・金銭に取り付かれた人。

寛一の恋人お宮は、金銭の為に寛一を捨てて金持ちの下に嫁いで行った。
怒り狂った寛一はその無念さを、
「今月今夜のこの月を俺の涙で曇らせてみせる」と、
自分を金の亡者にさせ、金の為なら何でもする鬼となって金持ちになり、
自分を見捨てたお宮を見返すのでした。

この本の著者は、尾崎紅葉(1868~1903)であり、
1897年(明治30年)から1902年(明治35年)まで、
新聞に連載され、大人気となります。
しかし尾崎紅葉は胃がんに侵され、35歳の若さで亡くなってしまいます。
金色夜叉は未完のままで終わってしまったのでした。



熱海と言えば金色夜叉。
金色夜叉と言えば、寛一お宮、とまでは知っていても、
その先の事は殆ど知らないという人が多いのではないでしょうか?
でも、そういった事はよくある事ですね。

先日のブログ「坂田山心中・天国に結ぶ恋」もそうなんですが、
時代ですね、これは明治時代だからこそであり、
これを現代に当てはめ様としても、中々理解されないと思います。

この明治時代の名作「金色夜叉」を現代の人がどれだけ読むでしょう?
この時代の文学書は実に読みにくいのです。
私も、名前だけはよく知っていても、この本を読む事はないでしょう。

一時は凋落する観光地の代表みたいに言われた熱海ですが、
最近は昔とは違った楽しみ方が見直されて、息を吹き返している様ですね。



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