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アメ車・黄金期

2017-08-30 03:06:07 | 自動車

アメ車。

いわゆるアメリカの車を指して「アメ車」と言います。
他の国の車は、こういった呼び方は存在しません。
他の国の車に無い呼び方が、何故アメリカ製の車だけにあるのでしょうか?



それは、アメリカの車だけの特徴があったからです。
つまり、そのデカさ。派手さ。



それは1960年代に最も顕著でした。
1950年代は、大きかった事は大きかったのですが、
まだその姿は丸っこく、ド派手な姿はしていませんでした。
それが1960年代くらいになると、
アメリカ車は、自らの姿を著しく変化させていったのです。



車体後部のテールフィンにそれが最も現れています。
無駄に跳ね上がったテールフィンこそは、
まさに「アメ車」の最たる物でした。

日本の普通車の基準が、全長4,7メートル。幅1,7メートル。
という法的制限の中でほぼ成り立っているのに反し、
全長は6メートル、幅は2メートルという、
日本感覚からすれば、途方もない大きさでした。

日本の普通車のエンジンが2000ccまでなのに対し、
アメ車は7000ccにも達するというエンジンを積んでいたのです。



日本の車、またアメリカ以外の車は、
馬力を大きくする為に色々な工夫をしたのに対し、
アメリカ車は(馬力が欲しければエンジンを大きくすればいい)
そういった単純極まりない方法論で車を造っていたのです。

それは当然ながら、ガソリンを大量に喰います。
しかし、アメリカはそんな事などまるで眼中にありません。
アメリカでは、ガソリンなど(水)みたいな物だったのですから。



その頃のアメ車は「10円玉がジャラジャラと落ちる音がする」とまで言われました。
つまり、アメ車が走るとガソリンを大量に消費し、
まるで10円玉をばら撒きながら走っているのと同じ様なものだったからです。

一昨年旅行で行った沖縄・宮古島では、
日産・キューブという車をレンタカーで借りましたが、
何と1リッターあたり30キロを走り、私をビックリさせましたが、
1960年代のアメ車の燃費は、1リッターあたり2キロ程度という、
ガス喰い虫、今の日本では考えられない車だったのです。

しかし、世の中は変わり、
今ではそういったガソリンを大量に消費するという事は、
排気ガス、ひいては大気汚染をまき散らす事と同義語ですから、
さすがのアメリカも世界に喧嘩を売る様な車を造る事はできなくなりました。

1970年、1980年と、アメ車は小型化されていきました。
アメリカ国内だけの正義で車が売れた時代は過ぎ去り、
そこに日本車の様な低価格、低燃費、故障知らずの車が輸入されてくると、
アメリカ人はこぞって日本車を買う様になり、
俺は(アメ車だ)などと呑気な事を言ってる訳にはいかなくなってしまいました。

現在のアメ車は、その頃に比べると(つまらない)スタイルになり、
もう(アメ車)なる言葉は死語になったと言っても過言ではないでしょう。


しかし、あのバカでかい、ド派手の極致だった頃のアメ車。
それに私は乗ってみたかった。
小型で、効率が良くて、壊れない、今の車に比べ、
まるで(無駄の極致)だった頃の、あの(アメ車)は、
何と魅力的に見える事か。

「俺は君達みたいに、燃費がどうのと四の五を言わず、
大きければ何でもいい、ド派手であれば何でもいい」
そんな時代遅れの車に、世間を睥睨しながら乗ってみたかったよ。










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世界一美しいオートバイ

2017-07-07 03:14:57 | 自動車
1963 Triumph Bonneville T120)


イギリス製・トライアンフ・ボンネヴィル・650CC
私が世界で一番美しいと思うオートバイです。
特に燃料タンクが白いタイプは本当に惚れ惚れします。

私が若い頃に乗っていたのは、
1958年型だったと思いますが、
それから1963年型あたりまでが、最もトライアンフらしいですね。
それ以降のトライアンフは、あまり良くない。
現在のタイプに私は乗りたいとは、もう思いません。

1962 Triumph Bonneville


【クリッパーズ】 トライアンフ ボンネビル(69年式)
[parts:eNozsjJkhAOz1FQjkyTTFC9vjzy3yoBiY69yJjMTAyZjMwMmAyYEcHBwAAAPOwkJ



これは、その頃あったオートバイ。
やはりイギリス製の、ノートン・ドミネーターです。
ですが、これを目にする事は殆どありませんでした。





これは、トライアンフのライバルであった、BSAですが、
スタイルはトライアンフとよく似ていたのですが、
何故かトライアンフに負けてしまった印象があります。



やっぱりこのスタイルは世界で一番美しい。



バーチカルツイン(垂直2気筒)エンジン。
これぞトライアンフ。
そして、燃料タンクのエンブレムが凄くカッコ良かった。



これは、アリエル4気筒1000CC。
見た事は一度もありませんが、
「モーターサイクル誌」で、ツーリング記を見た事があり、印象に残っています。



やっぱり、これですね。
このタイプが今でも一番美しいオートバイだったと思います。

1963 Triumph Bonneville


高速道路のサービスエリアなどに行くと、
ハーレーばかりが目に付きますが、
あのファッションは好きになれない。
如何にも、イージーライダー風のにぎにぎしいやつ。

Triumph Bonneville 1961 T120 with Rodark panniers


それに比べて、イギリスのオートバイは、謙虚でカッコいい。
オートバイの神髄は、トライアンフにありと、私は頑固一徹に思っているのです。

The Great Escape (La gran evasión) - Hilts escapes in motorcycle


映画「大脱走」で、スティーヴ・マックィーンがドイツ兵から奪って、
走り回ったオートバイが、トライアンフでしたね。







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背水の陣・・悪路からの脱出

2017-07-06 18:18:52 | 自動車
私は大の車好きですが、
いわゆる飛ばし屋ではありません。

車が好きと一概に言っても、その楽しみ方は千差万別なのです。
エンジンの音を聞くのが好きなんて人もいるのです。
また、走るのではなく改造する事が好きなんて人もいます。
車好きというと、世間では飛ばし屋をイメージする人が多いのですが、
それは全然違うのです。

私は、独りで走るのが好きです。
高速道路は好きではありません。
そういった道路になると、途端に目の色変えてぶっ飛ばす輩が居て、
そんな連中に巻き込まれるのが好きではありません。

私は道なき道を行くのが好きでした。
スタック(動けなくなったらオジャン)という緊迫感漂う道を行くのが好きでした。



トヨタ・コロナ1700SL。
この車が最もそんな道を走った車でした。
4気筒、1700CCですが、軽快で出来のいい車でした。
色は写真と同じで赤と白のツートンカラー。



思い出すのは、雪の信州峠。
今でこそ完全舗装のいい道になってますが、
私が行った時は、ガタガタの細い道でした。



季節は冬の完全なる雪道。
峠は誰一人来る車など無く、まるで人跡未踏状態。
崖崩れで道が埋まっていて、残された道幅は半分になっていて、
私はタイヤを崖の外ギリギリに出っ張らせて突撃して行ったのです。
胸がドキドキしました。

私の車のタイヤはノーマルタイヤ。
おまけにチェーンなど持ってないのです。
峠を攻めまくっていると、とうとうノーマルタイヤでの限界が来ました。
その上を目指すのは、もう何としても無理でした。

引き返すしかありません。
しかし、Uターンするには道幅が狭すぎる。
でも、そこでやらなければ何処にもそんな場所は無いのです。
雪道でのターン。
私は車の前か後か、どっちを道路の端に寄せるか悩みました。
答は後でした。
コロナは後輪駆動車。
過重を後輪にかける方を選択したのです。

結果は正解でした。
何度も何度も、チョッとずつハンドルを切り返し、
脱出する事が出来た時は、心底ホッとしました。
だって、もしハマったら来年の春まで車はそこに置いておくしかないのですから。
そして、10キロ以上を私は雪の中を歩いて戻るしかないのですから。



箱根・足柄峠の旧道を行った時。
そこも人跡未踏状態の荒れ果てた道でした。
カーブを曲がった瞬間、私は急ブレーキを踏みました。
道路が寸断されていたからです。
でも、間に合いませんでした。

前輪が寸断された段差にガクッと落っこちてしまったのです。
車の中にはジャッキが2台積んでありました。
それで車を持ち上げ、車体を前後に揺さぶって段差の上に落そうと頑張ったのですが、
何度やってもダメでした。

しばし途方に暮れて、新道まで数キロを歩いて行き、通りかかる車に助けを呼びに行ったのですが、
何時間待っても一台の車も通りません。
どうしたらいいのか・・・仕方なく車まで戻り、
どうすればいいのかと思いあぐんでいた時、
そばの林からガサガサと音が聞こえ、林業関係みたいな人が2人、
姿を現わせたのです。
これにはビックリしました。

地獄に仏とはこの事です。
私は彼等に事情を話し、3人で車を揺さぶり、ようやっと脱出できたのでした。
今、思い出しても不思議としか言えない彼等の出現でした。

あれは、群馬県の何処かでした。
ぬかるんだ緩い上り坂を登り始めた時、
「あ、これはヤバい」と感じました。
タイヤがぬかるんだ坂にはまり始めていたからです。
そのまま登れば完全にはまってしまいます。

私は車を降り、その坂をどうやって登ればいいかを考えました。
そのやり方。
タイヤがはまり始めたら、車を停め、一旦バックし、
今度ははまり始めた箇所から数十センチ進んでは停め、
再びチャレンジするという事を何十回も繰り返したのです。
つまり、足場を踏み固めては、少しずつ登っていったのです。
これで私はその坂を登り切ったのでした。
登り切った時は「ヤッターッ」っと叫びたい気持ちでした。



コロナの後継車は、スカイラインでしたが、
この車は車重が重くて、アルペンドライブには適しませんでした。

でも、丹沢の河原で、もうジープしか行かない様な状況を、
私はこのスカイラインで行ったのです。
それもマニュアル車ではなく、オートマチック車で。
誰もが、あいつは完全にオシャカだと思ったと思います。
でも俺はそうはいかないよ。

彼等ギャラリーの思惑は完全に外れでした。
俺を誰だと思ってやがんだッ!
俺のテクニックを見ろってんだ。ヤイ。

カーブを曲がった途端に、真正面に大型トラックに進路を完全にふさがれ、
「もう死ぬ、終わりだ」と思った事もありました。
車は横の人家の庭に突っ込んでオシャカになりましたが。
その時、私の脳裏には血まみれで病院に担ぎ込まれる自分の姿が、
パーッとよぎったのを鮮明に覚えています。
でも、まだ俺は生きてる。

イヤーッ、車って本当にいいんですね。




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佐藤琢磨インディー500優勝

2017-07-02 07:08:41 | 自動車
『佐藤琢磨』インディ500優勝!快挙


日本人ドライバーの佐藤琢磨が、インディー500に優勝しました。

と言っても、遅まきながら(5月28日)の事です。
これは・・「もの凄い」・・事です。
車好きの日本人には、信じられない事でした。
そう言っては彼には申し訳ないのですが、
彼も、その辺の事は重々承知していると思います。

信じられない・・・

そのくらい、日本人ドライバーは世界的カーレースに於いて、
優勝とは無関係だったのです。

私がオートバイを好きになったのは13歳でした。
それ以降、ずっと車好きをやってるのですが、

と言っても私はカーレースというのはあまり好きではなく、
道なき道を行くといったアルペンドライブや、
オートバイではトライアルといった方面が好きなんです。

誰も行かない様な荒れ果てた林道に入り込み、
もしスタック(車が動けなくなる)したらオシャカみたいなのが好きでした。
何度もそんな林道や河原に、ノーマル車で入っては、
独りで楽しんでいました。
ジープで入り込んでも、それが可能なのは当たり前、ジープなんですから。
普通の車で、それをやるとこに醍醐味があるのです。
誰もが「あいつは、もう川にはまって動けない」と眺めている時、
彼等の思惑を外して脱出しちゃうトコに腕の見せ所があり、面白いのです。

しかし、カーレース。
いわゆるスピードレースというのは、
そういった車の楽しみ方とは、まるで別物。

昔、知り合いに(飛ばし屋)がいました。
彼は、一旦車に乗ろうものなら、アクセル全開。
高速道路など200キロ超しか彼にはありませんでした。

私はそういった(飛ばし屋)ではないので、
カーレースにはそれほどの興味はありません。
でも、日本人がレースでは、まるで情けない状態である事は、
ある面悲しさを感じていました。

オートバイでは、天才と言われた、伊藤史郎。
彼は大きな事故を起こしてから、その才能が発揮できなくなってしまいました。

高橋国光・星野一義・中嶋悟・鈴木亜久里・片山右京・
みんなダメでしたね。

世界のカーレースには3つの大きなレースがあります。

モナコグランプリ。
ル・マン24時間レース。
そして、アメリカの、インディー500(マイル)。

モナコとル・マンは、ヨーロッパでの、公道、
つまり普通の道路を使ってのレースです。
その為に、急なカーブがあったりで、テクニックは非常に難しいのです。

それに比べて、アメリカ・インディアナポリス州で行われるこのレースは、
如何にもアメリカ人の好みそうなレースで、
カーブのテクニックとか、小うるさい事などはどうでもいい。
要はぶっ飛ばせばそれでいい、最高のスピードが全てというレースなんです。

一周4キロの楕円形のコースを200周するというレースです。
しかし、カーブのテクニックなど不用なので、簡単という気がするのですが、
とんでもない、その超高速(最高時速は380キロ)を操るテクニックは並大抵ではないのです。

モナコの平均時速が160キロ。
ルマンが240キロに比べ、
インディーがどれほど、ぶっ飛ばすレースかが分かります。


私は、日本人にはカーレースの才能が無いのではないかと思っていました。
だって、それまでの歴史を見るとそう思わざるを得ないからです。

このインディー500に4回の優勝をしたのは、
A・J・フォイト。(アンソニー・ジョセフ・フォイト・ジュニア)他に3人。
彼は1935年生まれで、その名前は私も覚えています。

また、3大レース全てに優勝したのは、
グラハム・ヒルただ一人で、その名前は私もよく覚えています。





そういった歴史に残るレーサーを見ると、
日本人というのには、レースの才能が無いのかな~と、
チョッと淋しい気がしていたのですが、
それを佐藤琢磨という40歳のレーサーが破ってくれたのです。

イヤー嬉しかった。
涙が出ました。
解説者が、絶叫している動画を観ながら、泣けてきました。
「これ、夢じゃないでしょうね~、夢じゃないでしょうね~」
という言葉には・・もう泣けて泣けて・・

遂に・・とうとう日本人が世界の三大レース優勝者に名を残す。
まさか、こんな日が来ようとは・・・
私が生きている内にこんな日が来ようとは・・・信じられない・・泣きました。

私は、カーレースというのに基本的には興味はそれほど有りません。
高速で車を走らせるという行為もさほど好きでは有りません。

でも、車が大好きな人間として、日本人として、
佐藤琢磨のインディー500優勝は、
ある意味、幕末維新の英雄に匹敵する人が現れた。
そんな気さえするのです。

ありがとう、佐藤琢磨、貴方は私達日本人車好きの夢を叶えてくれました。
ありがとう。本当にありがとう。



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オート三輪

2017-06-14 07:58:33 | 自動車
ダイハツオート三輪 良いエンジン音で動きます。


子供の頃は、当たり前の様に見ていたオート三輪の姿を、
全く見なくなってからどのくらい経ったのでしょう?
あの姿を思い出すと、とても懐かしい感覚が甦ります。

私が子供の頃は、まだ道路もあまり舗装されてなく、
ガタガタの砂利道などが多かった時代でした。
そんなガタガタ道でよく見かけたのが、オート三輪でした。





元々、オート三輪はオートバイを基本に発展した車でした。
ですから最初のタイプを見ると、
オートバイの後部に4輪車の荷台を無理無理取り付けた形をしていました。
ハンドルは、いわゆるバーハンドルという、
オートバイと同じ形をしていました。

エンジンの始動には、現在の様なセルモーターなどは無く、
右足でキックペダルを踏む(蹴飛ばす)キック始動でした。
エンジンがかかると、その反動でペダルが跳ね返ってくる(ケッチン)があり、
もたついていると足を骨折するなんて事故もあったそうです。
これを、「ケッチンを喰らう」とか言ってましたね。



その内にハンドルが、丸ハンドル(現在の自動車と同じ)になり、
大きさも大きくなって始動もセルモーターとなり、
助手席も当然出来て、人間二人が快適に乗れる様になりました。
これはダイハツの三輪車ですが、



それのライバルだったのが、マツダのオート三輪車でした。
三大メーカーと言われたのが、
ダイハツ・マツダ・くろがねでした。



くろがね。



オリエント。

その他にもオリエントやジャイアントなど、
もう思い出す事も出来ない色々な車があった様な記憶があります。
最初に丸ハンドルを導入したのは、
オリエントじゃなかったかな~?

その内に軽自動車(排気量360CC)の車が登場する様になりました。
きっと何かの規格が変わったのだと思います。



ダイハツはミゼットを発売します。



ミゼットは、バーハンドルのタイプから、
丸ハンドルのタイプと発表し、それはブームになりました。
私が一番最後に見たオート3輪は、このダイハツ・ミゼットだと思います。
それは西暦2000年頃だったか・・・



ミゼットのライバルだったのが、マツダB-360でした。
この2台はちまたでよく見ましたね。

しかし、そういったオート三輪の時代は1970年後半くらいだったか、
急速に衰退していき、その内に死滅して行ったのです。

その原因は、オート三輪の致命的欠陥かも知れません。

オート三輪は、日本の道路事情によく適合していて、
小回りが利き、狭い場所ではとても便利だったのですが、
その反面、横転しやすいという危険性と背中合わせだったのです。



車を前から眺めると、そんな感じはしないのですが、
斜め後方から眺めると、その不安定さは一目瞭然。

若い頃、私は車を走らせていたら、
道路右側のガソリンスタンドから、オート三輪が道路に出てきました。
それは右にハンドルを切って私の前に入る形だったのですが、
いきなり前輪だけで逆立ちを始めたのです。
私は「エッ!」と驚いて見ていたら、
その車はスローモーションの様に、横倒しになってしまいました。

ビックリした私は車を停め、運転席のドアを開けると、
乗っていた二人の男たちは折り重なって身動きできない状態。
上から彼等を引っ張り上げたのですが、
そうなんです、オート三輪車の不安定さは致命的なんですね。
私は、こんな車など乗りたくもありませんね。

現代の様に高速道路時代になると、
もうこんな不安定な車など危なくて乗れたものではありません。





その頃、外車では、こんな3輪車もありました。
西ドイツ製のメッサーシュミット。
その頃のドイツは東と西とが分かれていた時代でした。
この車は3輪車ではありますが、
日本式のと違って、前輪がダブル、後輪がシングルだったので、
安定性は日本のオート三輪よりずっと優れていたのだと思います。

そして、この車にはスポーツタイプがあり、
後のタイヤが二つ並んだ形で、一応は4輪車だったのです。
ですから、かなりなスピードが出せたのではないのでしょうか。
とは言っても時代が時代ですからね・・・



これは、セブンイレブンの店の前に置いてある、宅配専用の車ですが、
メッサーシュミットに比べて、こっちの方がよほど乗りやすいと思います。
時代という差は、歴然と凄いのです。

しかし、何と言いましょうか・・・

もう二度とは出現しないと思われる、その時代の車よ。
あまりにも、君たちは懐かしい。
その姿は、私達ロートルの姿と、ある意味合致している所が、
何と言うか涙を誘うみたいなものがあって、いいんですよね。



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