都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

平和委員会(フォンド・ミーラ)訪問

1992-10-09 | ロシア  

1992.10.9(Fri) Vladivostok

 15:00 平和委員会に到着。ところでこの日、G先生とA氏は日本へ帰国するためにウラジオを離れ、ハバロフスクへ向かうことになっていた。そこで二人のお別れ会も含めて、招聘元の平和委員会で午後の小パーティーが催された。実は昨日の宴会も、合わせ技とはいえ、お別れ会の一環だったらしい。
 また彼らは、日露友好交流の名の下、平和委員会(平和基金=フォンド・ミーラ)の活動を知って貰うために私達をオフィスに招いたのだった。そしてこれはVisaの発行時に決められていた受け入れ先及び渡航目的を満たす為でもあった。

 到着後、しばし基金側の挨拶があり、会の趣旨を伺い、G先生も挨拶をする。その後、ティータイムとなったが、大きなケーキが二つも出され、添乗員以外は男ばかりだった我々はやや閉口することとなった。チョコレート系のケーキは最初はおいしいが、いかんせん甘過ぎ、またかなりぼそぼそしていてたくさんは食べられない。しかしチャイやコーヒーはおいしい。ロシアではコーヒーは一般的ではなく、どこでも飲めるわけではない。この日の午後はお茶をして久々にくつろぐことができた。併せて出されたVodkaを勧められるままに呑んだF氏はまたしても酔眼になり、ウトウトして赤鬼化する。

平和委員会にて

 別の部屋には壁一面に大小の絵が掛けられていた。基金捻出のため絵を売っているとのことだった。しかし私たちの小遣いでは足りないので、購入はせず拝見だけに留める。また絵画の海外への持ち出しは空港の税関で厳しくチェックされ、なかなか面倒だという。だいいち大きな絵を持つとかなりかさばりそうだ。

 18:00に帰寮、即夕食をとる。
 18:30 また寮を出て駅へ向かい、G先生とA氏を見送り。日本とは違って車内検札しかないので、構内には自由に入れる。そこで列車の発車間際までホームで時間をつぶす。列車が去った後、少し駅周辺を散策。日本のように売店があったりするわけではないので、することはあまりない。
 19:15に再集合、19:45に帰寮。その後はFree Timeになる。日本宛てに絵葉書を書く。

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