理容ヤオ
所在地:品川区南品川5-10
建設年:戦前?
構造・階数:木・2
Photo 1995.7.26
1995年に研究室で行った都市景観調査の際に、南品川のゼームス坂の途中で撮った写真。2階部分の装飾がやや凝った、銅板貼り看板建築の床屋さん。三角形の頂部があるためか、プロポーションがやや縦長で、それがちょっと印象的だった。
2階部分は当初は縦長の三連の観音開き窓だったのだろうか。3つの半円形アーチが銅板貼りで造られている。また、頂部が切妻屋根の端部らしく、わざわざ瓦屋根のように銅板で造っているのが面白い。もしかすると本当の瓦屋根を端部だけ銅板で覆ってしまっているのかもしれない。
この建物は「下町や東京昭和遠ざかる」村岡秀男著、彩流社、2007の、p.67にも写真が載っている。2006年の写真では新しい建物が写っており、やはり数年前に建て替えられたようだ。
今年もよろしくお願いします。
2022.12.30追記
1936(昭和11)年発行の火災保険特殊地図に「床屋ヤオ」として名があり、建物が写真のものと同一かどうかは不明だが、ヤオという理容店は既に存在していたことが分かる。1953(昭和28)年発行の同地図では「八尾床屋」。ゼンリンの住宅地図(1973年以降)では「ヤオ理容室」と記されている。
全ての年の住宅地図(ゼンリン)をチェックしたわけではないが、2005年頃以降のものでは理容店としての記載がなくなり、仕舞屋・住宅になったようだ。現在の建物は写真のものとは異なるので、この頃に建て替えられたのかもしれない。ただ、妻入りの2階建てなのは以前と同じなので、もしかすると構造はそのままでリフォームしたのかもしれない。
Tokyo Lost Architecture
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看板建築は神田周辺にしかないと思ってたんですが、
品川にもある(あった)んですね。
やはり看板建築は銅販葺きに限りますね(笑)
看板建築は関東大震災後に建てられた洋風商店建築が基本なので、
震災被害を受けた関東地方に多くあるのだそうです。
銅板貼りの名品は川越にもあるんですよ。
藤森照信先生の「看板建築」という本によれば、基本的に西日本にはないそうです。
神田周辺は、震災で被災した後、看板建築が多く建てられたのですが、
戦災では焼け残ったので、かなり残存率が高いようですね。
都心では築地、東上野界隈なども看板建築が多いようです。
今年もよろしくお願いします。
品川、は平和島のパチンコしかいかないですねぇ。
ご質問です。
管理人様はわざわざその場所にいき撮影されてらっしゃるのですか?
最近すごく、寒いしお体気をつけて下さいね。
あけましておめでとうございます。
ゼームス坂ってのはちょっと珍しい名前ですが、
明治時代に英国人のジョンMジェームスという方が坂の途中に住んでたからだそうです。
ええっと、写真は現場に行って撮ってます。
たまに載せている新旧比較写真の内、1981年の写真を撮影したのは私ではないのですが、
他は全て自分で撮ったものです。
ほとんどの写真に撮影日を付記しているので、見て頂くと判るのですが、
結構蔵出しが多いです。
今回の写真も10年以上前のものですが、最近はここに行ったことがありません。
この理容店については、たまたま本で無くなったことを知った次第です。
たしかに最近は寒いですね。
昨年は秋に体調を崩してしまったので、冬場は十分気をつけようと思っています。