都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

韓国料理店「Seoul」

1992-10-03 | ロシア  
 ようやく空港の外に出る。手配した通り、現地の案内の人が来てくれているかどうか心配したが、そこは大丈夫だった。初めて話をすることになったロシアの人々に対しては、やっぱり最初はちょっと胡散臭さを感じてしまって、信用して良いものかどうか不安でもあった。日本語が妙に上手で、「じゃあ、ぼちぼち行きましょか。」などと関西弁もどきでやられると、詐欺師なんじゃないかなどと危惧してしまう。迎えの車3台(日本車だった)に分乗して食事に行くのも、何となく不安なのだった。

 現地の案内は「フォンド・ミーラ」という組織だという。「フォンド」は「基金」、「ミーラ」は「平和」なんだそうな。つまり「平和基金」。そういえばフォンドはファンドという英語に似ているし、ミール「平和」というロシアの宇宙船もある。極東には、第二次世界大戦時もしくは戦後に、ソビエト国内で戦死または抑留中に死亡した日本人兵士の墓が多く、墓参団が日本からしばしばやって来る。平和基金はどうやらそれに対応すべく創られた組織であるらしいというのが、こっちに来てようやくわかったのだった。こちらとしては、観光&調査旅行のつもりなのだが、現地の団体に招待されたという形を取らないと、旅行自体が難しいらしく、便宜的に墓参団体の関連団体という扱いになっているらしい。これが、あとあと、ツアーにちょいちょい影響を及ぼすことになるとは、最初は全然考えていなかった。

 何故か食事は韓国料理を食べに行くという。実は韓国料理を食べるのは結構なおもてなしなのだそうである。ちょっと前まではやはり食べられなかったらしいのだ。ロシアで韓国料理というのも、少し不思議な気がしたが、食べられる内に良いものを食っておこうと思う。とにかくとても寒いので暖かくなるのは歓迎である。ところがG先生とF氏、そして私の3人が乗った車は、途中から他の車とは違うコースをたどり、レストランに着いてしまい、私たちはとっとと席に座ることになってしまった。

 韓国料理店「Seoul」は、ハバロフスクの中心部ではなく、郊外の住宅街の真ん中にある。夜中に暗い住宅街の中へ入って行き、夕食をとるというのは、なんだか非常に不思議である。窓の明かりの感じが少し韓国色を漂わせていたが、ネオンサインや看板は何もない。建物の入口は薄暗く、木製の厚い扉を押し開けると、学校の階段室のような所になっている。人けのない中を更に奥へ進み、階段を4、5段上るとようやく食事の気配がした。

 建物の中はやや暖かく、もちろん韓国料理の匂いがした。テーブルはゆったりしていて、店内は予約のためかがらがら。だが、レストランの外では寒い中、地元の人々が並んで待っている。予約である私たちは、暖かいレストラン内にとっとと入ってしまったが、扉の外にはやや虚ろな表情で中を覗き込む人々がいて、それを見るとたちまち複雑な気分になってしまう。結局、みんな予約席だったらしく、後から朝鮮系の家族がどっと入ってきた。その向こうの入口では、相変わらず予約無しのお客さんが、おとなしく我慢強く待っていて、全く申し訳ない気持ちになってしまう。大体予約なしの場合、2時間以上並んで待たないと食べられないというシステム自体理解不能である。しかも何故そうまでして並ぶのかも、よく分からない。実は、行列のできる有名店だったのだろうか??

 しかしいくら待っても他のメンバーが現れない。いきなり3人だけになってしまい、何か非常に心細く感じてしまう。後に親しくなったアレキサンドル氏が、しきりに心配して席を離れ、他の車が来ないか見に行く。しかし私などは、彼が席をはずすと逆にまた不安になるのだった。初めての町で、夜しかも外が非常に寒く、言葉が全くわからないという状況で取り残されるのは極めて不安なものである。一刻も早く他の面々が現れないかと、落ち着かない思いを抑えながら、僕らはお預けを食った状態で待ち続けたのだった。

 他のメンバーは1時間近く経ってからようやく現われた。よく聞けば、今夜泊まる予定の「チャイカホテル」に先に行って、Check Inを済ませてからこちらに来たのだという。私たち3人の車と意思疎通が図れていなかったため、途中で別行動になってしまったのだった。安堵しながらも、前途多難だなぁと思いながら夕食にありつく。

 20時を過ぎるとステージにバンドが現われ、ロシア系の民謡や「枯れ葉」なんかを始めた。エレキギターは設備が不備なため、音がわれて聞くに堪えない。キーボード、ベース、サックスも入っていたが、ドラムは簡単なドラムマシンで代用されていた。そうそう「釜山港へ帰れ」もやっていた。朝鮮系の人はそれで踊ってたりしていた。ふーむ、ロシアも早くもアジアの一員化してたりするのねーと思ったりしたのでした。

 バンドの楽器をよく見ると、ベースは巨大な三角形の胴を持ったものだった。ロシアの民族楽器にはバラライカという三角形のギターがあるが、これはさしずめ、バラライカベースないしは、バラライカコントラバスとでも言うべきものだろうか。とにかく一辺が1m程度もあり、チェロかコントラバスのように、抱えるか立って弾かねばならない。持ち運びがエラク大変そうなバラライカのお化けである。S氏はやはり楽器には目がなく、後日ウラジオで、これを弾かせてもらっていたのだった。


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