都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

一年経過

2006-12-24 | Weblog 
 気がついたらBlogを始めてから1年が経過していました。途中何度も中断しましたが、なんとか続けて来たので、今後もぼちぼち書き綴っていこうと思います。

 全記事数162件。平均すると2~3日に1回更新していることになるけれど、パッとしないものも結構あるので、まともに書いたのは少ないです。今後、良く練って書きたいのはやまやまですが、まともに書くのは私にはやはり大変。
 そんなわけで、2007年はもう少し気楽に、でも定期的に更新して行こうと考えています。
 定期的に読んでいただいている方、今後もどうかお付き合いくださいませ。
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6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
はじめまして。 (だい)
2006-12-24 23:42:11
はじめてコメントさせて頂きます。
中学生の時、担任の先生に「超芸術トマソン」を教えてもらい
変な物や、古い建物に興味を持つようになりました。
最近になって、その頃に「埋め込まれた」路上観察病が
発病して、ネットをチェックしているうちにこのサイトにたどり着き、町歩きの参考にさせてもらってます。
今後の更新を楽しみにしています。
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ロシアのホテル (ひまじん)
2006-12-25 03:34:16
ロシアのホテルって、あんなに汚いのですか?
このあいだ、欝病対策に某国皇太子妃の真似を
して、ブダペストからベルリンまで中欧をほつ
つき歩いてきましたが、あんなに汚いトイレは
ありませんでしたよ。
ロシアでも、最低クラスのホテルだったのでは
ないでしょうか?
この夏、W杯開幕直前にオープンしたベルリン
中央駅はすばらしかったです。
総ガラス張りで、だれが掃除するのか知りませ
んが・・・・勝手なところに投稿してごめんな
さいね。
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はじめまして (asabata)
2006-12-25 16:03:13
だい様
コメント頂きありがとうございます。
「超芸術トマソン」懐かしいです。考えてみれば、私も高校生の頃、本屋さんで立ち読みして、そこから藤森さんや赤瀬川さんの活動に引き込まれ、近代建築巡りや、まちあるきをするに至ったわけで・・・。私の場合、以後ずっと病にかかりっぱなしなのかもしれません。
今後もよろしくお願いします。
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ロシアントイレ (asabata)
2006-12-25 16:27:04
ひまじん様
最近は東欧やロシアに行っていないので、状況はわかりませんが。
14年前の1992年は、ベルリンの壁崩壊の少し後でしたから、旧ソビエトがロシアになったばかりで、経済の自由化、資本主義概念の導入が始まったばかり。共産主義時代の計画経済下では、いろいろなものが配給だったようですし、競争原理もほとんど働かないため、共産主義崩壊後もしばらくは、ホテルなどでもサービス精神は皆無でした。
ただし写真のトイレは、我々の旅行中のホテルでは、一番汚い物件でした。元々軍人用宿泊施設だったらしいので、外国人が泊まることが想定されていなかったのでしょう。実際、ウラジオストクで泊まった大学のドミトリーは、長期滞在向けでもう少しきれいでしたし、モスクワのホテルは、外国人も泊まるので西欧並みでした。
もちろん、我々が大所帯で20人以上も居たので、総経費を安くするため、安めのホテルを選択したことは事実ですが・・・。
ロシアはその後、10年程度の間に、西側資本がたくさん入って、かなり現代化したようです。ハバロフスクのホテル事情ももっと良くなっていることでしょう。私は今では得難い珍体験をしたのかもしれません。
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本郷館 (ひまじん)
2006-12-30 00:07:29
本郷館、とうとうぶっ壊されるみたいです。
三階建ての賃貸マンションになるみたい。
やっぱり、保存したほうがよかったとお思い
ですか? 
あのそばに、三国館というのもありましたが、
古ければいいってものじゃないでしょう。
中欧は、城や教会の復旧工事がすすんでいて、
それは、観光資源とか、宗教対象としての価値
や、美意識の対象となりうるものでした。
でも、神田川の世界じゃねえ・・・
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本郷館?! (asabata)
2007-01-18 00:05:47
本郷館の解体って本当ですか?? 初耳です。ネット上では確認できませんでしたが、マンションになるというお話など具体的ですね。
この手の建物を保存対象とするかどうかというのは、微妙かつ悩ましいお話ですね。個人的には、本郷館のような木造三階建て下宿は都内にはもう無いので、希少建物として残っていて欲しいとは思います。時代ごとの先端的文化を表していて、芸術的価値を有するお城や教会とは、保存理由が全く異なるものでしょうね。
大正から昭和初期の東京における、賄い下宿生活様式という生活文化を、形として表しているものなんでしょう。後進的で過去の遺物かもしれませんが、神田川の世界も、ある意味、時代を表徴する一つの文化かと思います。観光的価値とか美的側面、建築文化から考えると、確かに残すに値しないと思いますが、住宅建築文化という学術的側面から考えると残したい、というあたりでしょうか。
いずれにしても、本郷館解体が本当なら、近日中にもう一度見てこなくっちゃ。
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