まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

三ヶ日と三ヶ日みかん。

2021年01月03日 | Weblog

今朝の表題は、なんの脈絡もないけど、たしか、三ヶ日みかん、と書くんじゃなかったかな。

なんて気分になったのでした。

としたら、年中、めでたい地名だな、と。

年の初めの極め付けは、フォームローラーに出会ったことだ。

円筒形の50センチくらいのやつで、カラダの下に敷いてほぐす、というもので。

娘に聞くと、バレーの選手が、試合の前後にみんな使ってる、と。

いわゆる筋膜リリースというウタイだけどね。

これがいい。

カラダの筋肉、って、そこここに使ってない部位があるみたいで、使わない、硬くなる、他に影響。

で、痛みになる、なんて関係らしい。

この間、著者名忘れた本、彼の言い方は、とにかく、動かないことが害悪だ、カラダにとって、というわけで。

何本、筋肉があるのか知らないけれど、相当数が、大して動かさずに日常を送り、腰が、膝が、肩が。

痛い、ってことになるようなんだよね。

ま、とにかく、気に入ったものに出会った次第。

こいつは春から縁起がいいわい、ってなもんだ。

なにか、今年を象徴するような出会いだな。

楽しみだ。

年始のツイートだったかな、日本人は、become、〜なる、とかいう言い方が得意だな、そこが問題だ。

みたいな書き方を、どこぞのインテリゲンチャがしていたような、うろ覚えだけど。

よく主語がない、なんて言い方、あるよね。

ところが、ここんとこ、もしかしたら、とても深い境地の表れかも、という気もしていて。

うまく言い表せないんだけど、ずっと前にご紹介した。

国分功一郎さんという哲学者が、中動態という、つまり、〜する、と、〜されるの間に、その昔は。

〜なる、というような、言葉の使い方を、自分のことに対してしていた時代があった。

のだけれど、いつの間にか、それは消えていた、なんての。

書いていて、それ、いまだに気になっているんだよね。

近代、現代の法治国家は、自分のしたことは自分で責任取らなきゃ、ということで成り立っている、ともいえて。

知らぬ間に、こんななっちゃっていたんです、じゃ、刑法の責任を取れないじゃないか、ってなもんだ。

のだけれど、実は、自分がしているようで自分じゃない、なんてこと、あるんだろうな、と。

言ってみれば、大きな意識、あるいは、なんだろう。

出会いにしても、いろんな出来事が我が身にやってくることにしても、大きな縁(えにし)とでもいうか。

自分の力でないもの、宇宙でも、神でも、なにか、そんな大きくて深くて遠くて、そんな領域から訪れる。

なんて気分にもなろうってもんだ。

と、年の初めから大言壮語して、本日のブログ、終了します。

コメント
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