煤を払い落とす前にしまい、そのまま出したので汚れているな。
この上に青いやつをのせ、さらにその上に植木鉢を被せる。
汗が出るほどの暖かさか、と問われれば、否と言わざるを得ないけれど。
なんとなく、空気の温もりが漂う、という感じ。
南国とは言わないけれど、駿河は清水港ならではの冬の風情とも言えるね。
最近知った、わけでもないけれど、真弓定夫さんというなくなった小児科医さん。
子どもたちに半袖半ズボンで冬を過ごすことを推奨していて。
そもそも、体温、37度から37.5度なんだよ、と。
さらに、食生活も戦後欧米化し、もともとの和の食がいいんだ、なんてことも。
欧米化の圧倒的な波に散逸してしまった、いろんな言説に、このところ、目がいくんだよね。
そういえば、先日亡くなった母親、ご近所のお姉さんにワンピースを縫ってあげてたな。
洋裁を習っていたんだな。
それこそ、花嫁修業に、お茶とお花と洋裁、和裁ということだ。
それを推奨したのが、たぶん、その母親、明治28年生まれの祖母か。
なにせ、祖母は「文藝春秋」を読んでいたからね。
田舎のインテリ子女だったわけだ。
さらに、その義母は江戸の末期、慶応の生まれという曽祖母。
なかなか濃い空気が流れていたんだろうな。
そんな流れの端に今なお存在する、地の神様。
という位置付けだ。
その神様たちのお一人が、韮山三左衛門さんというらしい。
この方をググってみてもわからないので、ある意味、なもなき民の一人だったのかも。
武田信玄の駿河侵攻に伴う合戦によりこの地に葬られ、ということか。
なんてこと、土地の信心者、石神さんという方はよくわかったよね。
その方に、祖母なのか母なのかの依頼で、僕自身を見てもらったらしく、この子は歯が悪いから胃が弱い。
なんてこと、言われたらしい。
こちらも幼い頃、小学校の低学年か保育園か、忘れたけれど。
でなくて、この子は将来英雄になる、とか言ってくれたら、たぶん、すでにこの世にはいないだろうけどね。
どこかの戰場(いくさば)で討死、ってなことか。
今朝は、長くなったので、このあたりで。