まわりで起こっていること

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あの星々の輝きは声を失う

2017年11月21日 | Weblog

まさに、無数の星々が、わが行く手を照らしてくれて。

今朝の気分はとてもいいんだ。

あんな数の星が、いつもわれわれを照らしてくれているのか、と。

星に願いを、とか、星に祈りを、とかのフレーズ、浮かんでくるわけだ。

何万年も前から、あんな具合に、空の向こうに存在し続け。

われわれ、その日暮らしの民に輝きかけてくれているんだからね。

いや、それにしても、今朝の星々は、と書いて、形容詞が浮かばない。

自分の言葉で表現しようとすると、当てはまる言葉がやってこない。

ことごと、くさぐさ、すべて、小さい小さい、って。

早起きは三文の徳、と言うけれど、まさにその通りで。

この時間でなきゃ味わえない、いや、夜でもいいのか、どちらでもいいか。

とにかく、今朝は、星々に圧倒されている。

そりゃ、いろんな妄想?したくなっちゃうね。

星占いとか、星からの、何らかのメッセージとか。

これは、今年最大の事件だ。

今の科学では、そんなに正確にはわかっていないでしょ、星々の生態、イベント、ほんとのところね。

なので、どんな妄想にも、その存在理由があるわけだ、なんてエクスキューズいらないけど。

例えば、地球のように、70億の民がいるとしたら、数え切れない数の眼、その後ろ側に感情があるわけで。

日々、そんな人々に見守られて生きていると言うのが、わが地球人、とも解釈できる。

まるで、巨大な国立競技場で、一人遊びしている姿を、彼らが眺めている、見守り地蔵のような心持ちで。

ブータンだったか、人のものを盗んだり、抜け駆けしたり、と言う発想がない、と言うか。

そんなこと、恥ずかしいでしょ、と言うんだったか。

誰も見てなくても、自分が見てるんだから、と言う理解ね。

わが列島でも、天知る、地知る、我知る、なんて言い方、ついこの間まであったし。

今朝の星々からは、そんなメッセージ、伝わってくる。

メッセージ、なんてカタカナ語で言うと、わけわかんなくなっちゃうけど、そう言うことなんだ。

生老病死苦、とも言われる、さまざまな出来事とともにある、あなたを。

見守り地蔵のような思いとともに、せめて、ここにいますよ、とだけ言っておきたい。

とでも言うかのような、星々の輝き。

気宇壮大、とは言ったもので、そんな気分になる、今朝の空だ。

通りで、今朝の瞑想は、あっという間に終わっちゃうわけだ。

なんのてらい、気負い、雑念、邪念、などなど、なんも、なかったからね。

とにかく、今朝は、そんな星々に、ありがとう!と言いたくなった。

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