まさに、無数の星々が、わが行く手を照らしてくれて。
今朝の気分はとてもいいんだ。
あんな数の星が、いつもわれわれを照らしてくれているのか、と。
星に願いを、とか、星に祈りを、とかのフレーズ、浮かんでくるわけだ。
何万年も前から、あんな具合に、空の向こうに存在し続け。
われわれ、その日暮らしの民に輝きかけてくれているんだからね。
いや、それにしても、今朝の星々は、と書いて、形容詞が浮かばない。
自分の言葉で表現しようとすると、当てはまる言葉がやってこない。
ことごと、くさぐさ、すべて、小さい小さい、って。
早起きは三文の徳、と言うけれど、まさにその通りで。
この時間でなきゃ味わえない、いや、夜でもいいのか、どちらでもいいか。
とにかく、今朝は、星々に圧倒されている。
そりゃ、いろんな妄想?したくなっちゃうね。
星占いとか、星からの、何らかのメッセージとか。
これは、今年最大の事件だ。
今の科学では、そんなに正確にはわかっていないでしょ、星々の生態、イベント、ほんとのところね。
なので、どんな妄想にも、その存在理由があるわけだ、なんてエクスキューズいらないけど。
例えば、地球のように、70億の民がいるとしたら、数え切れない数の眼、その後ろ側に感情があるわけで。
日々、そんな人々に見守られて生きていると言うのが、わが地球人、とも解釈できる。
まるで、巨大な国立競技場で、一人遊びしている姿を、彼らが眺めている、見守り地蔵のような心持ちで。
ブータンだったか、人のものを盗んだり、抜け駆けしたり、と言う発想がない、と言うか。
そんなこと、恥ずかしいでしょ、と言うんだったか。
誰も見てなくても、自分が見てるんだから、と言う理解ね。
わが列島でも、天知る、地知る、我知る、なんて言い方、ついこの間まであったし。
今朝の星々からは、そんなメッセージ、伝わってくる。
メッセージ、なんてカタカナ語で言うと、わけわかんなくなっちゃうけど、そう言うことなんだ。
生老病死苦、とも言われる、さまざまな出来事とともにある、あなたを。
見守り地蔵のような思いとともに、せめて、ここにいますよ、とだけ言っておきたい。
とでも言うかのような、星々の輝き。
気宇壮大、とは言ったもので、そんな気分になる、今朝の空だ。
通りで、今朝の瞑想は、あっという間に終わっちゃうわけだ。
なんのてらい、気負い、雑念、邪念、などなど、なんも、なかったからね。
とにかく、今朝は、そんな星々に、ありがとう!と言いたくなった。